第三話 Ayaの狙う組織J

 凛は、先ず、言葉の確認をした。


「先程から北京語だが、AyaもKouも懐かしいだろう」

「はい。お懐かしゅうございます。Kouも……ね」


 二人で深く頭を下げる。

 Ayaは、Kouが李家を覚えていないのを心配してフォローを入れた。


「それは、大儀である」

「誠にありがとうございます。李凛様」


 まだ、頭を上げないでいた。


「李氏は、漢姓で、中国や朝鮮やベトナムなどにも広がり、人口が多いことでも知られている。それは、お二人ともご存知であろう?」

「はい。リーと読む姓を合わせると膨大な数になる姓とお見受けいたします」


 Ayaが雄弁になっている一方で、Kouは、くしゃみをこらえている。

 次第に涙目にもなってしまい、猫様アレルギーも困ったものだと、Kouは苦心していた。

 顔中を拭くのだが、痒くて仕方がない。


「ワタクシが、その李家の総本山の当主であるぞ」


 凛はすっと立ち上がった。

 裾や袖を扱う所作は、うっとりする程の高い品を感じさせた。


「その李家が、揺るぎのさなかに突き落とされた。恐れていたことが起きたのである。ちこう寄れ。これをたもて」

「では、私が」


 Ayaが凛の持つ何かを受け取りに歩む。

 不思議な手紙らしきものだった。

 真っ白な封筒で、赤い封蝋にJの刻印が押してある。


「ワタクシは一度開封した。読んでみるがいい」


 凛は、ToiとMoiを連れだって、先程の長く広いトーンを落とした白いソファーに帰った。

 Ayaが一見した所感を述べる。


「英語ですね。身元を明かしたくないのでしょう。しかも左手で書いている。インクの滲みで分かるし、角ばったスペリングは、偽装です」

「そうであろうな」


 凛は、黒衣の女性に飲みものを頼んでいた。

 

「組織Jですか? 存じ上げませんが。Ayaも同じだろう?」

「ええ、そうね」


 先程まで、天井のファンで吹いていた優しい風を止められた。

 蒸す感じは否めないが、Kouが猫様の毛アレルギーとのことで、配慮してくれたらしい。

 凛が女性に合図をしていた。


「こちらは、りーせつ。紹介が遅れた。彼女から私には一言も話してはならないのである」


 雪は、ゆっくりとお辞儀をした。


「雪は、私の母上に当たる。父上の後妻であるから」


 Ayaは、知っていたので、今はスルーした。


 ――手紙には、こうある。


 親愛なる李凛へ。

 そちらに双子の雄三毛猫がいるはずだ。

 我が組織Jに返すように勧告する。

 尚、受け渡しには、李凛一人で来れたし。

 場所は、台北駅の三番コインロッカーを使用すること。

 既に鍵を抜いた。

 鍵は同封する。

 これに合う扉が指定の場所だ。

 期限は、七月二十五日月曜日まで。

 約束を破ったら、覚悟し給え。

          Jより


「これがキーね。Kou、二十四日深夜二時にコインロッカーの場所を特定して来てくださらない? 私は、的確にスコープを覗ける場所を探すわ」

「OK、Aya」


「ToiとMoiへは怪我をさせない約束が契約に入っているか、再度確認されたし」

「それは、大丈夫です。李凛様」


 Kouが契約書を作成した。

 守るものが猫だとは知らなかったが、そのような文言は入れた覚えがある。


「Ayaは、Kouを死んでも信頼できると常日頃話しておった」


 凛の突然の激白がKouに刺さった。


「常日頃……? どうしてだい、Aya」

「えっと、そ、それは……」


 Ayaは、膝に両手を当てて困った。


「言い淀むことはないだろう。Ayaは、ワタクシの教育係であった。つかまり立ちのトレーニングから、既知の間柄である」


 凛が立ち上がると、やはり幼い少女だと感じさせられる。


「るーるるー。るるーるるー。らららららーら、らららら……」


 歌いながら軽快なステップで踊り出した。

 ToiもMoiも凛にじゃれつく。


「Aya! 踊ろう!」

「李凛様。覚えていてくださったのですか。私の子守歌を……」


「るーるるー。るるーるるー。らららららーら、らららら……。らららららららるるるるる。らららららー……」


「Aya……。そんなこともしていたのか。台北辺りで気持ちが揺れていたのも、合点が行くな」


 Kouは、Ayaの新しい側面に触れ、花が風に吹かれるように心を任せていた。

 一方、AyaはKouの記憶を心配していた。


 ◇◇◇


 ――台北駅。


 駅は広いので、コインロッカーの特定に少々の時間が必要だったが、その分、死角も多く、Ayaは黒い大理石の壁と通路を飾る緑に隠れた。


 Ayaは、シュヴァルツSchwarz・ドラッヘDracheと刻印された銃、コルトColtパイソンPython六インチを常にガンホルダーに入れている。

 装弾数が六のリボルバー式ハンドガンだ。


 八インチパイソンハンターを模して着脱可能スコープを用意したが、Ayaの視力は左右とも五.〇と優れており、二十五メートル離れていてもよく見える上、動体視力は雌豹並みにあるので、使わない。


「この頃、ルーティーンは止めたのかい? Aya」

「はっ。恥ずかしくなっただけよ」


「シュヴァルツ・ドラッヘの刻印を二度撫でると別れたAyaの母に逢えそうな気がするのだろう?」

「……そうなの。私の唯一の肉親、母さんとしか呼んでいなかったから、名前も分からないけれども」


「人は、必ず両親の傘のような庇護で、ぬくぬくと育つばかりではないさ。色々あるってことだな」

「Kou……」


「さ、時間だ。二十四日正午になる」


 Kouは、通行人のふりをして、凛の後ろを歩いた。

 凛は、黒と茶の猫様キャリーバッグを二つ抱えている。

 気の強そうな凛だが、恐る恐るコインロッカーを探す演技をしていた。

 五メートル向こうから、帽子を目深にかぶり、両手をズボンに突っ込んだ組織Jらしき男が一人で周囲を見回しながら来る。


 Ayaは、バイオリンに弓をつがえるように、シュヴァルツ・ドラッヘを構える。

 いつ撃ってもいいように、ハンマーを指で引き起こした。

 慎重にターゲットをとらえた。

 引き金を迷いなく引く。


 ターゲット、ロック・オン!


 シングルアクションだ……!


「うあああ!」


 男は、両手に一度に痛みを感じた。

 奪おうとした猫様キャリーバッグを二つとも落とす。


 Ayaは、男が亀のようにあがいて逃げるのを足首を狙ってとらえようとしたが、泳がせることにした。

 物陰から物陰へ身を隠して、組織Jの男を追尾すると、待たせていたセダンに乗ったのを確認する。

 Ayaは、現れそうだと配備していた李家のハイヤー運転手から車を借り、猛スピードで行く前の車をチェイサーした。

 組織Jの男の車は、意外な道へ入って行く。


 真昼の天母繁華街の百貨店地下駐車場だった。


「逃がさないわ……!」


 もの凄い集中力で、手負いの獲物をAyaの両の瞳から外さなかった。

 Ayaへの向かい風が激しい。

 それでも、瞳のスコープは輝いている。


 

「ターゲット、ロック・オンよ!」

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