第5話「白い兵士」前編

 ――人類が地表を離れ、宇宙へ移民を開始して、百年あまりが過ぎた。宇宙暦0112。火星の植民地〈スキアパレッリ〉は、地球連邦共和国に対し、一方的に独立を宣言した。彼らは自らアレス人民共和国を名乗り、地球に宣戦を布告した。かくして地球と火星とのあいだで、人類がはじめて経験する宇宙大戦が始まった……。


 というのは、今から約四十年前にテレビで放送された「宇宙機兵ジンガム」第一話のオープニングで流れたナレーションだ。

 もちろん、ぼくは生まれてはいない。母さんさえも、生まれる前だ。父さんは、再々放送で観たことがあるという。

 放送から四十年もたっているのに、いまだに人気が衰えないのにはいくつか理由がある。「宇宙機兵ジンガム」自体は、リアルタイムの放送時にそれほどの視聴率を獲ったわけではなかったそうだ。けれど、翌年の再放送で人気に火が着いた。さらに三年後にはテレビシリーズの総集編である劇場版二部作が公開され、大ヒットし、「ジンガム」は伝説のアニメとなった。さらにその続編や姉妹編が次々に制作されて、今でも「ジンガム」の名を冠したアニメが放送されている。

 それだけではない。「ジンガム」に登場する巨大ロボット兵器――番組中では〈パワード・ギア〉と呼ばれている――のプラモデル、通称「ジンプラ」が今でも多く発売されていて、世代を超えて大人気を得ている。

 むしろ、ぼくらのような小学生よりも、子どもの頃に「ジンガム」が好きだった今の四十歳を過ぎた大人たちが、喜んでジンプラを作っているらしい。その証拠に、ジンプラは高いもので数万円もする。とても小学生には作れないようなパーツ数のものもある。

 うちの組の「若い衆」の一人、ゲンジさんも、見かけに寄らずと言うべきか、熱烈な「ジンガム」ファンだった。

「お坊ちゃん、ちょっとよろしいでしゃろか」

 七月の最初の土曜だった。梅雨はまだだらだらと続いていたけれど、数日ぶりの晴れ間が見えた。珍しく太陽が雲の間から顔を出していた。

 昼ご飯に、母さん手ずからのキーマカレーを食べて満腹し、ぼくは部屋のベッドの上で日本のミステリ小説を読んでいた。列車内でトランクに入った屍体が発見されるという話だったけれど、トリックがややこしくて、ついウトウトとしていた。

 ぼくの部屋のドアがノックされ、ドアの向こうからゲンジさんの野太い関西弁が聞こえてきた。

「少々、お時間よろしいでしょうか?」

「どうしたの? 入って」

「失礼いたします」

 妙に丁寧な言葉づかいはいつものことだ。今日もまた、全身にまったく隙のない姿だ――てかてかと光って固められた髪は、リーゼント。ストライプの紺色のスーツ、真っ黒いシャツに派手な赤いネクタイ。両手に合計四つの指輪。手首には金色のロレックス――いつものように〈御器所ごきそ組〉構成員として、カンペキな姿だ。

「お坊ちゃん、お忙しいところ、たいへんに申し訳ございません」

 今にも三つ指突きそうな勢いのゲンジさんだけど、これまたいつもどおりだ。

「どうしたの?」

「実は……困っとるんです」

「トラブルなら、若水わかみずさんか父さんに……いや、言えないような話だったら、カンさんや、ハマさんに……」

「ぜひとも、お知恵をお借りしたい、思いまして」

「へ? お知恵って?」

「ホンマに申し訳ございません!」

 不意に、ゲンジさんはぼくの前に深々と土下座をした。床に頭をこすりつけんばかりだ。

「ちょ、ちょ、ちょ、ちょっとゲンジさん……?」

 ゲンジさんは、一気にまくしたてた。

「出過ぎた真似しとること、重々承知しとります。エンコの二本や三本落としたところでケジメ付かへんことも承知の上です。それでも腹ぁくくっとります。どうか、私のお願いを聞いてくれはりませんでしょうか!」

 あまりにも大仰だとは思うけれど、それがゲンジさんのスタイルだった。

「私のごとき若造が、お坊ちゃんにお願いするなど、えらい『分違ぶちがい』やとは重々承知しとります。ですが、ホンマにほかのどなたにも、こないなお願い、ようできへんのです」

 大げさ過ぎる――などとは、いつだって本気のゲンジさんに向かって言えない。

「で、何があったの? もしかしたら、ミステリ的な話?」

 思わずぼくは身を乗り出していた。

「三十年来のダチに、オトシマエ着けなあかんようなってしもたんです。私も極道。メンツつぶされて黙っとったら、〈御器所組〉のつら汚しです。やつのドタマァ、ハジくなり、簀巻すまきにして……」

「ストップ、ストップ、ストップ! それ以上言わなくていいから!」

 まったく、ゲンジさんは一度もそんな経験がないくせに、真顔で穏やかではないことを言い出すから、恐ろしい。ヤクザ映画の見過ぎだ。

「具体的には、どんな『謎』だったの?」

 あいかわらず正座したまま、ゲンジさんはぼくを見上げた。

「GS〈ジョーグ・改・タイプJ〉ゴールド・ヴァージョン、プレミア・モデルが、消えてしもたんです」

「は、はいぃ? 何が消えたって?」

 ゲンジさんの声は、一気に一オクターブ半上がった。

「GSの〈ジョーグ・改〉でっせ! しかもタイプJのゴールド・ヴァージョン。四十周年記念プレミア・モデル! 日本に何体あると思うてはるんですか!」

「さ、さあ……」

 やっぱり、意味不明だった。


 ゲンジさんの話を要約すると、以下のようなものだった。

 今年は「宇宙機兵ジンガム」の放送四十周年記念という年だった。そこで「ジンガム」のプラモデルを作っている玩具会社〈トイミック〉が、四十周年記念のプラモデルを発表した。限定五十体のみの生産で、シリアル・ナンバー付きの超レアものだ。

 が、それを手に入れるためには、「ジンガム」のプラモデルをいくつも買って、決められたポイントを集めなければ、応募できなかった。

 ゲンジさんはジンプラを二十個以上も買ってポイントを集め、応募した。が、当選は叶わなかった。

 その代わりに、ゲンジさんの友人の一人が見事に当選したという。

 昨日の金曜、ゲンジさんは、以前から仲のいい「宇宙機兵ジンガム」ファンたちと会食する計画を立てた。それぞれが最近買った、もしくは作ったジンプラを持参して、それをさかなに酒を飲もう、という会だったという。なぜ、プラモデルが酒の肴になるのか、ぼくには理解不能だったけれど。

 もちろん、最大の「肴」が、四十周年記念プレミア・モデルだ。

 その集まりに参加したのは、ゲンジさんを入れて四人。全員が、ゲンジさんと三十年近く付き合っている友人たちだ。

 しかし、ゲンジさんたちは、プレミア・モデルを楽しむ機会がなかった。事件が起きたのだ。

 会場となったゲンジさんのマンションから、プレミア・モデルが消失してしまったのだった。

 そして、その仲間たちの一人、鳴海なるみけんさん――もちろん、と言うべきか愛称は「健さん」だ。ほかにどんな呼び方がある?――が、プレミア・モデルを盗んだ最有力容疑者だというのだ。

「やつと連絡つかへんようなってしもんたんです。どこに行きよったんか、どないして盗みよったんか、全然わかれしまへんのですわ。もしも、万が一、ホンマに野郎が盗みよったんなら、エンコの二本や三本で許されしまへん」

「大げさだなぁ。健さんっていう人が真犯人だって証拠はないんでしょ?」

「私かて信じとうないです。けど、万が一のときには、覚悟できとります。親父さんには迷惑かけまへん。私を、破門していただきます」

「ちょっと待って。たかがプラモデルで、穏やかじゃないなぁ」

 ゲンジさんは、大きく息を吐いた。

「お坊ちゃん、『たかがプラモデル』言わはりますが、そないなこととちゃいますねん」

「え? どういうこと?」

「健の野郎……私らと同業者ですねん」

「え? すると……つまりこっちの方面の……?」

「さよです。野郎は〈熱田あつた組〉のもんで、私とは『従兄弟いとこ』の関係になります」

「あちゃあ……」

 すぐに合点した。

 〈熱田組〉の組長とぼくの父さんが、いわゆる「兄弟盃きょうだいさかずき」を交わしていることぐらい、ぼくでも知っている。だから〈御器所組〉構成員のゲンジさんと〈熱田組〉構成員の鳴海健さんは、業界用語で言うところの「従兄弟」の関係になるのだ。

「〈熱田組〉と戦争は、しとうないです。しかし、ホンマに健の野郎が盗みよったっちゅう証拠があったら、戦争は避けられしまへん! 健なのか、他の誰かが盗ったんか、はっきりせなあかんのです!」

 徐々に興奮してくるゲンジさんを遮った。

「ね、ねえゲンジさん、物騒なこと言わないでよ、お願いだから。ぼくも、事件の真相を考えてみるから」

「ホンマに、お礼の言葉もございません」

 ふたたび、ゲンジさんは土下座した。

「ぜひ、不老ふろう翔太郎しょうたろう君にご連絡をお願いします」

「はぁ? やっぱり不老……?」

 またしても、その名前が出るのか。

 ぼくの両肩がガックリと落ちたことは、言うまでもない。


「では、最初から、ことの次第を話していただきましょうか」

 不老翔太郎は、いつものようにひょろ長い腕を組み、右の人差し指だけをぴんと立てて、唇にあてた。何度か見ているけれど、いつ見ても腹立たしい。しかも、うちの若い衆のゲンジさんに、カタギのくせに偉そうな口を効くとは何ごとか。

 ゲンジさんの代わりに、

「オノレ、シバキ倒すぞこのボケカスアホンダラ!」

 などと啖呵たんかを切りたいのを、ぐいと飲み込んだ。

 その代わりに、眼の前のコーラを一気に飲み干す。甘味と炭酸が喉の奥から胃袋へ落ちて行く――ああ、なんて幸福な瞬間だろうか。

 メガ・ジャイアント・トロピカルパフェにスプーンを突っ込み、山盛りにすくい取ると頬張った。甘美とはこのことだ。

「どんなに些細なことでもいいんです。細大漏らさずに、できるだけ詳しく」

 ぼくは舌で唇をなめ回しながら、一瞬だけ「最大漏らさず」だと思ってしまった――なんてことは、決して不老には言えないのである。

「プレミア・モデルなるものの持ち主は、どなたなんですか?」

「ツネやんです。ツネやんは、私にとっての師匠なんですわ」

「ツネさんとおっしゃるのは、どういう方ですか?」

「私の高校時代のひとつ年上の先輩ですわ。美容師やってはりますが、プロモデラー顔負けっちゅう凄い人ですねん。雑誌の『ホビー・スーパー』に、何度もジオラマを掲載されたりしてる方ですわ」

 ツネさんとは、本名が八田はった恒裕つねひろさん。美容院を三軒も経営している。自宅に千体近くのジンプラを持っている有名なコレクターであり、日本屈指のアマチュア・モデラーだ。独自の筆の使い方をする、八田さんが生み出した塗装方法は「八田はった型塗装」、通称「ハ型塗り」と呼ばれ、モデラー界では知らぬ人がいないのだそうだ。仕事とアマチュア・モデラーとして多忙な八田さんが、久しぶりに休めるのが昨日だったために、平日だったけれど、金曜日にお披露目の会をセッティングしたのだという。

「昨日、誰が何をしたのか、順を追って思い出してください。どんなにつまらないことでも構いません。教えて下さい」

「つまらんこと、ですか。何から話せばええんでっしゃろ」

「当日、みなさんがお集まりになったゲンジさんのマンションは――」

「あ、細かいこと言いますと、私のっちゅうわけやのうて、私の『レコ』のマンションですわ。健の野郎が盗みよったんを目撃したんも、『レコ』ですわ」

 ゲンジさんは、右の小指を立ててみせた――ついでに付け加えるなら、ゲンジさんの左の小指はない。

「ほぉ、レイコさんとおっしゃるんですか」

 また不老は突拍子もないことを言い出す。

「ええっ、どないしてわかりはったんです? 確かに、レイコ言います。『おうへん』に命令の『令』の『玲子』。ホンマ、不老君、お見事な推理しはりますわ」

 ぼくは椅子からずり落ちそうになった。不老が不思議そうな面持ちでぼくを見たが、ぼくは黙ったまま首を振った。クリームとパイナップルを口に放り込む。

 ぼくたちは〈御器所ごきそ組〉本部――つまり、我が家――からほど近い、ファミリー・レストランにいた。どこからどう見てもその職業を間違えようのないゲンジさんは、しきりに煙草を吹かしている。その向かいに、どこからどう見ても小学生に違いないぼくと、一見すると高校生くらいに見える不老翔太郎。

 土曜日の昼下がり、かなりにぎわうはずの時間帯だ。けれど、ぼくたち三人の周囲だけ、ぽっかりと空席が取り囲んでいる。

「ゲンジさんと玲子さんが、先にマンションで待っていたわけですね」

「ええ、レコが料理上手やさかい、木曜の夜から仕込みしとったんです。ま、べつのもんも仕込んどりましたけどな」

 ゲンジさんがニヤニヤと歯を見せて笑った。ゲンジさん――いや、ほかの御器所組の大人たちがこういう笑いを見せるときには、どうやらろくでもないことを言っている。ぼくもこの十一年と少しの人生で学習した。だから意味不明でも、小学生のぼくは質問しないほうがいいのだ、きっと。

「まず最初にいらっしゃったのは、誰です?」

 不老が平然とした表情で、質問を発した。

 ゲンジさんは不意に「ゲホゲホ」と煙草の煙にむせた。

「いちばんはじめに来たんは、アッキーですわ」

 最初の来訪者は、志賀しが昭二あきじさん、通称「アッキー」さんだった。志賀さんは、その日に集まったジンプラ仲間のなかで、もっともゲンジさんとつきあいが長く、中学時代の同級生だという。あろうことか――というべきだろうか――志賀さんは現役の高校教師だ。ちなみに、科目は数学。昨日は平日だったけれど、校外学習の振り替えで学校が休みになったために、参加できることになったそうだ。

「志賀さんは、何時頃にいらっしゃったんですか?」

「アッキーが来たんは、十二時少し過ぎですわ。来るの早すぎるゆうて、どついたりました」

「志賀さんのプラモデルは何でしたか?」

「お、興味持ってくれはりますか。アッキーのんは、GS〈ジンガムR〉です」

「GSというと、100分の1スケールのプラモデルのことですね」

 不老はこともなげに専門用語を口にした。

「お詳しいですなあ。さよですわ。GS言うのんは100分の1スケールです。通常の144分の1スケールはMS言います。60分の1がRSで――」

 ゲンジさんが、ぐいと身を乗り出して前傾姿勢になった。

「そして、パーツ数も多くてインナー・フレームまで細かく再現した144分の1スケールが、最近リリースされているESですね」

 平然と言い放つ不老に向かって、さらにゲンジさんは前に傾いた。

「いやぁ、よう知ってはりますなぁ! 先週発売になったばっかの新製品ホヤホヤですわ。〈ジンガムR〉はそないに人気はあらしまへんねけど、あの独特の三本ツノのヘッドが、『R好き』にはたまらんのでっしゃろ。しかもGSのサイズで〈Rダイバー〉と〈Rクロウラー〉と〈Rドリフター〉の可変機構をパーツ交換なしで完全再現しとるんでっせ! まさに『奇蹟のジンプラ』ですねん!」

 一気呵成に煙草の煙と一緒にまくしたてたゲンジさんに、ぼくの脳細胞はクラクラしてきた。

「もちろん、プラモデルが壊れないよう、養生して持って来られたんですね」

 ザ・極道であるゲンジさんの言葉を、こんなに平然と遮ることのできるカタギの人間を、ぼくは不老のほかに知らない。

「パーツなくしたり、頭部アンテナ壊したりせえへんよう、箱んなかに発泡スチロールのチップ詰めとりました。アッキーだけやのうて、みんなそうですわ」

「プラモデルは、ずっと手元に置いていたわけではないんですか?」

「全員そろったところで、みんなで一斉にお披露目しあおう考えて、うちのベッドルームのひとつを、ジンプラ置き場にしとったんです」

 集合予定時刻の午後一時を十分ほど遅れて、主役であるツネやんこと、八田はった恒裕つねひろさんが、マンションにやって来た。

「八田さんがお持ちになったプレミア・モデルは――」

「ES〈ジョーグ・改〉タイプJゴールド・ヴァージョン、40THアニバーサリー・モデルでんがな! 立派な木の箱に収めて持って来はりましたわ、発泡スチロールの梱包材詰めて。そらぁ、立派な〈ジョーグ・改〉でした! キラッキラ輝いとって、一見してオーラを感じるっちゅうか、風格がちゃいましたな!」

「その箱も、ベッドルームに保管しておいたんですね」

「ええ、それから、ツネやんはもう一個のジンプラも。これから改造して塗装する言うてはりました。復刻版60分の1〈ジンガムF・デザート・タイプ〉の素組みしたんを、持って来はりました。雑誌の特集記事に掲載される予定や言わはりました」

 ゲンジさんは、一人で何度も何度もうなずいていた。

「最後に到着したのが、健さんなんですね。健さんがいらっしゃったのは、何時頃ですか?」

「えらい遅れよったんです。二時少し前でしたわ。幼稚園に通ってるガキが風邪引いたとか言うとりましたが、今思えば、あんときすでに挙動がおかしかったんですわ、野郎」

 ゲンジさんの発言をメモしながら、結局ぼくはメガ・ジャイアント・トロピカルパフェとフローズンヨーグルト(ブルーベリー・フレーバー)を完食し、コーラ四杯と、メロンソーダ三杯と、アイスミルクティ(しかもガムシロップを三個しか使っていない!)を三杯飲み干した。それにしても、アイスコーヒー一杯(ガムシロップ一個だけだ)だけを飲んで平気な顔をしていられる不老翔太郎という人間が同じ小学六年生だとは、絶対に信じられない。

「健さんの持って来られたプラモデルは何ですか?」

「健が持って来たんは、GS〈フェイム・タイプT〉です。GSで〈フェイム〉が出たんは、はじめてでっしゃろ。劇場版『ジンガム・フロント/エピソード2』に登場した『灰色の三狼』をGSサイズで再現できるようになったんですわ。そら、買わなあきまへん」

 またゲンジさんが、よくわからないことを言い始めた。

「みなさんがそろったところで、すぐにプラモデルの披露をしたわけではないのですね?」

「しばらくみんなでDVD見ながら酒飲んどりました。で、どんくらい経ったんか……トイレに行ったはずの健がなかなか戻ってけえへんさかいに、レコが心配して見に行ったんですわ。そしたら、トイレには誰もいてません。ふと振り返って見ると、ジンプラを置いた部屋ん中で、健の野郎が、プレミア・モデルを盗もうと狙ろうとる瞬間やったんです!」

 ゲンジさんの口から、細かい唾の飛沫が舞った。不老は全然表情を変えずに「ふむ」と息を漏らした。

「しかしその場では、あくまでも『狙っていた』ように見えただけですよね。実際に盗んで逃げる場面を目撃したわけではないんですよね」

 冷ややかな不老の声。ゲンジさんは、極道とは思えないほど、いっきに「しゅん」として、うなだれた。

「ホンマ、私かて信じとうないですわ。野郎が盗んだなんて。けれど、奴以外に考えられへんのです。ほかには誰にも盗むチャンスなんてあれへんかったんですから!」

「ふむ……果たしてそうでしょうか」

 不老は腕組みをして、テーブルの上の中空をにらみながら、言った。

 ぼくがチョコチップ・メイプルマフィン(Lサイズ)を追加注文しようと、テーブルの呼び出しボタンに手を伸ばした瞬間だった。

「現場のマンションにお伺いして調査する必要がありますね」

「へ? マジ? 今から?」

 ぼくは耳を疑った。

「善は急げ、さ」

「急がば回れ、とも言うけど」

 ぼくが口を尖らせると、不老は両方の眉毛を上げた。

「きみは一言多いねえ、御器所君。摂取した糖分もたいへんに多いけれど」

 一言多いのはどっちだ。


 空にはいつの間にか、分厚い雲が垂れ込めていた。

 ゲンジさんの運転するシルヴァーのBMWに乗って約十分、ぼくたちは真新しい十二階建てのマンションに到着した。

 ゲンジさんと玲子さんの部屋は1201号室、つまり最上階だった。十二階にあるのはこの一室だけだ。

 ドアを開けて出迎えた玲子さんは、ぼくが勝手に予想していたよりも、ずっと質素ないでたちだった。会うのははじめてだ。

 池下いけした玲子れいこさんは、身長は約百七十五センチ。ゲンジさんや不老翔太郎とほぼ同じくらいだ。すらりと痩せていて、色白。明るい色に染めた髪は背中のなかほどまである。細面で、びっくりするくらいに小顔だ。ほとんど化粧っ気はないけれど、間違いなく美人だ。年齢は、二十代後半だろうか。もっとも、ぼくには女の人の年齢を見極めるセンスが全然ないけれど。サイズが大きめのだぼっとしたボーダー柄のTシャツに、デニムのロングスカートをはいている。

 池下玲子さんは、ぼくに向かって、深々と頭を下げた。

「お坊ちゃん、いつもお世話になっております。言葉に換えられない感謝をしています」

「いや、まあ、それほどでも……」

 ぼくは慌てた。すかさず、妙に冷静な声で不老が割り込んできた。

「いえ、彼でなく、彼のお父上が立派な方なんですよ。お礼には及びません」

 平然と言い放つ。よくもまあ〈御器所組〉組長の長男について、こんなことを言えるものだ。

 玲子さんとゲンジさんは、笑いを噛み殺していた。

 マンションは4LDK。玄関に近いほうから、廊下の左手に八畳の洋室(プラモデルを置いていた場所だ)、七畳の和室、十畳の洋室(これが寝室だという)。右側にはトイレ、バスルーム、洗濯機置き場がある。廊下の突き当たりのドアの向こうが、対面式のキッチンと十八畳のダイニングとリヴィング――ここで、四人と玲子さんが、ジンプラを肴に飲食をする予定だったという。

 不老はつかつかと八畳洋室のドアを開け、室内に入った。

 客用の寝室らしく、メイクされたベッドが一つあるだけで、ほかの家具類は一切なかった。東向きの窓は大きく、室内は明るかった。

 ぼくと不老の眼を引いたのはベッドの脇の床に置かれた木製の箱だった。縦は五十センチ、横は三十センチ程度。一抱えもあるサイズだった。

「これは……?」

 ぼくが質問しようとしたが、つかつかと遠慮なく不老は箱に歩み寄り、無造作にその蓋を開けた。

「健の野郎が置いてったジンプラですねん」

「ほう、忘れて行ったと?」

 不老の肩越しに、ぼくも箱の中身を覗き込んだ。びっしりとピーナツ型をした発泡スチロール製梱包材に埋め尽くされている。その中から、尖った灰色のツノ状をしたパーツが飛び出している。

 不老は、不意に梱包材のなかに手を突っ込んだ。

「ちょっと、不老!」

 ぼくの制止を聞くはずもなく、不老は危なっかしい手つきでプラモデルを取り出した。全身灰色で、背中から伸びるツノ状の部品が特徴的だ。頭部は小さく、肩が異様に大きい。マッチョ過ぎる体型だな、とぼくは思った。これが〈フェイム・タイプT〉というやつなのだろう。正義の味方なのか、悪役なのかさっぱりわからないけれど。不老の手つきがおぼつかない。ぼくは冷や冷やした。

 不老はプラモデルを箱にしまうと、ゲンジさんに尋ねた。

「ほかのプラモデルも、ベッドの脇に置いていたんですね。箱入りのまま?」

「ええ、そうです」

 不老は顔を上げた。

「玲子さん、事件後にこの部屋の掃除はまだ、なさっていないんでしょうね」

 不老の無礼な質問に、玲子さんはにっこりと笑った。

「部屋の掃除は、彼の担当なのよ。今朝、ちゃんとやってないわよね」

 玲子さんの声に、ゲンジさんは視線を中空に泳がせた。

「ああ、すまんすまん。今日は朝からバタバタしとって、やってへんかった」

 慌てるゲンジさんの姿は、とても極道には見えない。

「ウソばっかり。このところずっと掃除してないくせに」

 玲子さんが少し口を尖らせると、ゲンジさんは顔を赤らめた。こんなゲンジさんを見るのははじめてのことだ。

「それは好都合です」

 不老は言うなり、遠慮することなくベッドに顔を近づけた。まるでベッドの匂いを嗅ぎ回っている変態野郎のようだ。

 不老は変態的行為を終えると、今度は床に腹這いになった。ぼくとゲンジさん、玲子さんが半ば呆れて見ていると、突然、不老は短く「ほう」と声を上げて起き上がった。

「何か見つけたの?」

 ぼくが尋ねると、不老は指先につまんだ小さな物体をぼくに差し出した。ベージュ色をして、長さは一センチに満たない細い棒状のプラスチック片だった。

「なんだろ? ジンプラの部品かな」

 ぼくがつぶやくと、「どれどれ」とゲンジさんが顔を近づけた。

「かもしれへんけど、この成形色は最近、あんま見かけへんなぁ」

「なるほど」

 プラスチック片をズボンのポケットに無造作に収めると、ぴょこん、と不老は立ち上がった。


 ダイニングでは池下玲子さんが、手際よくぼくらの前にアイスコーヒーを用意してくれた。ぼくはすかさずガムシロップに手を伸ばした。かたわらの不老翔太郎からアイスコーヒーよりも冷たい視線を感じたけれど、ガムシロップを三つ、コーヒーフレッシュを二つ投入して、ストローでかきまぜた。

「一昨日の夜から、こちらで料理を準備していらっしゃったんですね」

 不老が言う。

「ええ、ほんとは〈マンダラ〉に持って行くつもりだったんだけど。あ、〈マンダラ〉っていうのは、会場になるはずだったライヴハウスというか、イヴェント・スペースね」

「どういうことですか?」

 不老の両眼が、ぎらっと光ったような気がした。

「あれっ、お伝えしてなかったかしら? ほんとうは〈マンダラ〉っていうイヴェント・スペースに集まろうって話だったの」

 池下さんの言葉を引き継いで、ゲンジさんが身を乗り出した。

「言うてへんかって、すんません。ここに集まることにしたんは、木曜の夜ですねん。ダブル・ブッキングしたとか言うて、急に使えへんようなってしもたって、連絡して来よったんですわ。ホンマ、ナメくさっとります。ダンプカー突っ込んでつぶしたろか、思いましたわ」

 またまた物騒なことを言う。

「みなさんはこの部屋にお集りになっていた。お食事をしながら、プラモデルを披露しあったわけではなかったんですね?」

「それはメイン・イヴェントっちゅうことで、楽しみはあとに取っといたんですわ」

「すると、プレミア・モデルを、まったくご覧になっていない?」

「いえ、みんな集まったとき、チラっとだけは見してもらいました。そういやぁ、あんときの健のリアクション、今から考えるとおかしかったかもしれへん。全然、リスペクトあれへんいうか……そっか、そんときからもう盗むこと企んどったんやな」

 ゲンジさんは何度も一人でうなずいていた。

「何時頃まで、この部屋でお食事を?」

「何時やったかな……ああ、せや。先週『ベータ・ジンガム』のデジタル・リマスター盤ブルーレイ・ボックスが発売になったんですわ。ずっと再生しとりました」

「『ジンガム・デルタ』の翌年に放映された、前日譚ですね」

「え? 知ってるの?」

 ぼくが口を挟むと、不老はぴくりと左の眉を上げた。

「必須科目じゃないか」

「はあ?」

 ぼくの当惑とは裏腹に、ゲンジさんは嬉しそうに煙草の煙を吐き出した。

「ええこと言わはりますなあ。ホンマに『必須科目』ですわ。大人になるまでに、誰もが『ジンガム』通過せなあきまへん。人生に必要なことはすべて『ジンガム』が教えてくれますさかいに」

 ぼくはうめきながら、アイスコーヒーをすすった。不老には、まだまだ隠された引き出しがあるらしい。

 不老は腕組みをし、アイスコーヒーのグラスをじっと見つめながら、尋ねた。

「『ベータ・ジンガム』は、第一話からご覧になったんですね。健さんがトイレに立ったのは、何話目でしたか?」

「第三話で、はじめて『ベータ・ジンガム』が量産型ジョーグを撃墜するシーンありまっしゃろ。名場面やのに、あいつ早々とトイレ行きよったんですわ」

 なるほど「ジンガム」ファンは、番組の内容で時間を計ることができるらしい。

「で、健さんは何分くらい姿を消していたのでしょうか?」

「二十分くらいだったかな?」

 答えたのは玲子さんだった。

「健さんがトイレに行ったっきり、なかなか戻って来なかったので、心配になって見に行ったの」

「なるほど。では、状況を再現してみましょう」

 不意に不老が立ち上がった。

「は? 何を?」

 ぼくは裏返った頓狂とんきょうな声をあげてしまった。

「無論、玲子さんが健さんを目撃したシチュエーションを、だよ。玲子さん、お願いできますね?」

 実に馴れ馴れしい。奇妙なのは、池下玲子さんもゲンジさんも、不老の無礼な物言いに笑顔でうなずいていることだ。

 ぼくたちは、再びプラモデルを置いていた洋室へと戻った。

「じゃあ、御器所君、君が健さんの役だ」

「えーと、プラモデルを盗む真似をしろ、ってこと?」

 いまいましいことに、不老は日本人には似合わない肩をすくめるという仕草をしてみせた。

「玲子さんは、廊下に立っていらっしゃったんですね?」

「そう、ちょうどこのドアの辺りから、覗き込んだの」

「ふむ、では御器所君、君の出番だ」

 唐突に肩を叩かれた。

「へ?」

「この至近距離で聞こえなかったはずはないだろう? もっとも、身長のサイズ的には若干問題なきにしもあらずだけど、いたしかたない。御器所君、ベッドの脇にしゃがんでくれたまえ」

 いや、くれたまわない……と言いたい気持ちをごくりっと飲み込んだ。

「ほら、御器所君、そこで〈ジョーグ・改〉の箱を開けて」

「箱? えーと、ないんだけど」

 不老は、これ以上ないほど大げさにため息をついた。

「御器所君、君にイマジネーションというものを持ち合わせていないのかな」

 ぼくは、しぶしぶ床の上にしゃがみ込んだ。

「そこで玲子さんがドアの前に来たんですね。健さんはどちらを向いていましたか?」

「わたしに背中を向ける感じで……」

「御器所君、早く!」

 なぜ、こんな茶番に付き合わなきゃいけないのか。妙に小っ恥ずかしいのを我慢し、床の上にしゃがみ込み、池下さんに背中を向けた。見えない箱を開ける真似をする。

「もっと箱は大きいはずだよ。それに、手の位置が違う」

 不老の「ダメ出し」の声が飛ぶ 。おまえは演出家か。

「あ、そんな感じですよ、お坊ちゃん。お上手です」

 玲子さんが少し嬉しそうに言った。ますます恥ずかしい。

「そこで、わたしが声をかけたの、『ねえ、健さん、大丈夫?』って」

 池下さんは、どういうわけか演技にノリノリだった。しかも、上手い。

「そこで、御器所君、振り返る!」

 実に実に不本意だったけれど、不老の指示通りに動いてみる。

「そうそう。そんな感じだったわ。それで、健さんの手元に気づいたの。ちょうど銀色の箱の蓋が開いていて、そのすぐ横に、もう一つ箱があったわ。ほら、そこにある健さんのプラモデルです」

 池下さんが言うと、不老は「ふうむ」というような声を漏らした。

「健さんもわたしに気づいて、突然立ち上がったんです。ちょっと怖いような顔をして」

「さあ御器所君、ぼけっと座っていないで、立ちたまえ!」

 言われるがままに立ち上がった。

「それから何と?」

 不老にうながされ、池下さんはじっとぼくの顔を見た。照れる。顔の毛細血管へ一気に血液が流れ込む。

「あっ、思い出した! すっかり忘れてたのに、今の再現のおかげね。そのときに健さん、言ったの。正確じゃないけど『歯みがきしてない』とか、そんなことを」

「『歯みがき』? ほう、それはたいへんに興味深いですね」

 不老はしきりにうなずいている。

「虫歯が痛かったのかなぁ?」

 ぼくが口にすると、不老が眼を細めてぼくに向いた。

「くだらない軽口を挟まないでくれ、御器所君。ゲンジさんは、その言葉に何か心当たりは?」

「『歯みがき』ねえ。何のことやら、わかりまへんわ」

「そうですか。玲子さんと健さんのお二人は、すぐに部屋を出たんですね?」

「実はね……」

 ためらいがちに池下さんが口を開いた。

「実は、話してないことがあるの」

「何やねん、いきなり」

 ゲンジさんが眼を見開いて、訊く。

「ねえ、怒らないで聞いてくれる?」

「怒ったりせえへんで。何やねん、言うてみ」

 こんなに眉の下がったゲンジさんの顔を見るのははじめてだ。

「健さんがリヴィングに戻ったあと、なんだか心配になっちゃったのよね。だから、誰かが勝手にドアを開けたらすぐにわかるように、こっそり仕掛けをしといたの」

 池下さんがいたずらっぽく「くくっ」と笑ったので、ぼくの心臓は必要以上に鼓動を加速した。

「ほ、ほう、仕掛けとは?」

 不老が勢い込んで身を乗り出す。

「前に映画で観たの。髪を一本抜いて、唾を付けてドアに貼り付けた」

 池下さんは「唾を付けて」というところで、ぺろっと舌を出して見せた。ぼくの心臓の鼓動はますます速くなる。

「おまえ、そないなことしとったんか」

 ゲンジさんが眼を見開いた。

「ごめんね。怒った?」

 池下さんはゲンジさんに一歩近づいて、上目遣いで見上げた。

「お、お、怒ってへんわ。ええこと考えついたやないか」

 ゲンジさんが顔を赤らめて、大いに照れてヤニ下がっている。

「その仕掛けは、どうなりました?」

「健さんが帰ったあと、わたしがトイレに行くときに見たけれど、髪はくっついていたままだったわ」

「ほう! 実に貴重な証言ですよ、それは!」

 不老はしきりに何度もうなずいた。


 ぼくたちはもう一度ダイニングへと戻った。

「健さんの携帯電話にコールがあったのはいつです?」

 不老は、椅子に座るやいなや、問いかけた。

「第八話『邀撃』んときでしたわ。ほら、名場面がありますやんか。アーク艦長の駆逐艦に、二機の〈ジョーグ・マーク3〉が特攻して――」

 不老は、ぶった切るようにして、平然と質問を畳み掛けた。

「するとそれまでの約四時間、DVDをご覧になっていたんですね。二時過ぎから見始めたとして、時刻は午後六時を過ぎている」

 大人は、ずいぶんと長い時間、お酒を飲んだり食事をしたりできるものだ。ずっと連続して食べ続けられるなんて、うらやましいことこの上ないではないか。

 ――早く大人になりたい。

 なんてことを思ったら、おなかが「ぐおるるる」と鳴った。

 不老が一瞬、ぼくに冷たい視線を向けた。

「その電話は、健さんのご自宅からだったんですか?」

「それはわかりまへん。ヨメはんの携帯電話やったかもしれまへん。ますます深刻そうな顔になりよりました」

「電話がかかってきた健さんは、どこで電話に出たんですか?」

「廊下に続くドアの前でしたわ」

「御器所君!」

 不老がにらむので、ぼくは慌てて立ち上がると、健さんの役を演じた。ゲンジさんと池下さんは、そのときの各々おのおのの位置に着席した。

「この距離であれば、本物の電話だったのか、それとも健さんが電話に出ているフリをしているのか、わかりますよね」

「電話のフリ? そないなこと考えてませんでしたわ」

「わたしにも、ニセの電話には思えなかったな……」

「健さんが話している電話の相手の声は聞こえませんでしたか?」

「聞こえへんかったですわ」

 電話を切った健さんは「息子が高熱を出したので、今すぐに病院へ行かなければならない」とみんなに告げたという。

「電話のあとすぐに、健さんは急いでこのマンションから出て行ったのですね? 自分のプラモデルを忘れて」

「さよです。よっぽど焦っとったんでしょうな」

 不老は椅子に座ると両の手の指先をあわせる、いつもの奇妙なポーズで宙をにらんでいた。

「健さんが帰るところを、みなさんで見送ったんですか?」

「いえ、わたしだけです。もちろん、健さんはプラモデルの置いてある部屋に入ったりしなかったわ」

 玲子さんが答えた。

「実際に、『盗まれた』と最初に気づいたのは誰だったのですか?」

「そら、ツネやん本人ですわ」

「それはいつ頃?」

「健の野郎が帰ってから、なんとなく場が盛り下がってしもたんですわ。だからちょうど第十一話――ほら『成層圏の追撃』、地球編最終話でキリがええとこでっしゃろ――そこまで観て、ツネやんのプレミア・モデルをお披露目しよやないか、ゆうことになったんです」

「そこで、八田さんが部屋にプラモデルを取りに行った、と」

「さよですわ」

 何も手にせずに戻って来た八田さんは青ざめ、ひどく動揺していた。プレミア・モデルが消えてしまったと八田さんから知らされ、ゲンジさんたち全員で洋室に行った。その部屋だけでなく、トイレ、誰も使っていないはずのバスルームなど、マンションのいたるところを探した。

 が、黄金のプレミア・モデルは、消えていた。

「プレミア・モデルは、箱ごと消失したのですか?」

 不老の問いに、ゲンジさんはかぶりを振った。

「ちゃいますねん。中身だけ盗んで行きよったんです、健の野郎」

 不意に不老は、ゲンジさんと池下さんに冷たいような口調で言った。

「ここで見るべきものはすべて見たようです。健さんとは、まだ連絡が付かないのですね?」

「え、ええ、野郎、いくら電話をかけても、出えへんのです。メッセージも『既読』つかへんし。無視してけつかるんか、ホンマに電話に出られへんのか、わからしまへんけど。もう一度かけてみます。ちょっと失礼します」

 そう言って、ゲンジさんは携帯電話で、鳴海さんにコールしたが、やはり、鳴海健さんとは連絡がつかなかった。

「会いに行きましょう」

 不老は椅子から立ち上がった。


「御器所君、こんな局面において『頭のいい携帯電話』なるものをいじっているけれど、それを触っている人間自身はむしろ逆に『頭が悪い』んじゃないのかな。さすが今どきの小学生だよ」

 ぼくたちはゲンジさんの――正確には池下さんの――マンションから近い、鳴海健さんのマンションへと向かうことにした。

 車内に沈黙が満ちたまま、五分ほど走ったときだった。不老が隣のぼくに温度の低い声で言った。

「不老だって今どきの小学生じゃなかったっけ?」

「ふむ」

「インターネットのオークション・サイトを調べてるんだよ」

 これは、ぼくが不老翔太郎に勝てる数少ない分野だ。もしもこの瞬間にぼくが鼻を高々と掲げていても、誰にも批判されないはずだ。

「盗まれたプレミア・モデルが、出品されているかもしれないじゃないか。先に落札すれば、プレミア・モデルは取り返せるよ!」

 けれど、不老の声は外の気温より二十度以上低かった。

「ほう、君はほんとうにオークションに出品されていると思っているのかい」

「じゃあ、健さんはプレミア・モデルをどうしたの? 壊しちゃったとか、捨てちゃったとか?」

「それも違う。違い過ぎる」

「健さんはプレミア・モデルをまだ隠し持ってるんだね?」

「誰がそんなことを言った? 話にならないね」

 不老翔太郎の返答は、あまりにも冷ややかだった。


 車で十分弱走って着いた鳴海なるみけんさんの住むマンションは、さきほどまでいた玲子さんのマンションとよく作りが似ていた。十五階建ての、最上階が健さんの部屋だった。

「どうせ、いてませんで」

 ゲンジさんが言いながら、インタフォンのボタンを押した。

 返事はない。ゲンジさんは「くそっ」とつぶやきながら、七、八回もボタンを押し続けたが、結局、誰も返答しなかった。

「クソとぼけよって!」

 いまいましげに、ゲンジさんは携帯電話でコールしたが、やっぱり健さんの返事はなかった。

「ほんとうにこのマンションを留守にして、携帯電話にも出られないのかもしれないね」

 ぼくが言うと、不老翔太郎はすたすたと歩き出した。

「では、次に行きましょう。志賀さんのお宅へ。こんなことで時間を浪費するのは、罪ですよ。さあ急いで!」


 続いて訪れた「アッキー」こと志賀しが昭二あきじさんの家は、まるでお菓子の城のようなピンクがかった煉瓦レンガを模した外壁の、二階建て一戸建て住宅だった。

「健君はね、コンプレックスを持ってるんじゃないかな」

 志賀さんは、メガネの奥の眼を細めて言った。

 ぼくたちが招じ入れられたのは、志賀さんの書斎だった。デスクの上にはノートパソコン。右手の本棚には、さすが数学の先生らしく、教科書や参考書、問題集、もっと難しそうな数学の専門書がぎっしりと詰まっていて、ぼくはクラクラしてしまった。いっぽう反対側の棚には、見事なジンプラのコレクションが、ずらりと六段に渡って並んでいる。どれもほとんど同じようなデザインだ。面構えやツノの数はそれぞれ少しずつ異なるけれど、おもに白を基調にしたデザインは、主役メカの〈ジンガム〉のようだった。ぼくにはせいぜい三種類しか見分けられなかったけれど、実際には〈ジンガム〉は全部で二十二種類もあるそうだ。四十年という歴史は、あなどれない。

「どのようなコンプレックスでしょうか?」

 不老が質問した。けれど、志賀さんは不老ではなくゲンジさんの顔を向いて、返事をした。

「あいつはね、ジンプラ・モデラーとしての振幅の小ささを自覚するに至ったんだと思う。彼の作るモデルは、特にウェザリングがパターン化してる。今回、彼が作った〈フェイム・タイプT〉を見て、ゲンジも気づいただろう?」

「そうかもしれへん……確かに、おんなじようなジンプラばかり作るようになってしもてるかもな。そうか、ツネやんのジンプラ盗んだんは、欲しかったからやないねん。ツネやんっちゅう、才能に対する嫉妬やったんや!」

 ゲンジさんが、渋面を作った。

「健の野郎、どこに隠れよったと思う?」

「見当も付かないな。だいたい、彼のような稼業の人間の日常が理解できない……」

 健さんもゲンジさんと同じく――そして我が家と同じく――極道なんだけれどな、と思いつつ、ぼくは表情を変えないように努力した。

「私も彼に二十回以上電話しているけれど、まったく出ようとしないんだ」

「ホンマ、卑怯な野郎や」

「彼もこんな事件を起こしたんだから、もう私たちの前に友人面をして、出てくることはできないよな。残念だよ」

 志賀さんの言葉は、ぼくにはずいぶんと冷たく聞こえた。もしもぼくの親友の一人に盗みの嫌疑がかけられたとしたら、どうだろう? ここまで冷たく責めることができるだろうか? やっぱり数学の先生は、冷酷なところがあるのだろうか。

 かりに悪事に手を染めたとしても、ぼくはそこまで友だちを突き放すことはできない気がする。弁護はできないけれど、その友だちが、なぜそんなことをやってしまったのか、知りたいと思う。その友だちの気持ちをわかりたいと思う。

 ――いや……ちょっと待て。

 ぼくは考える。

 そもそも、ぼくに「友だち」がいたっけ? ぼくは今までの十二年弱の人生で、「友だち」を持った経験があっただろうか?

「健は、このご時世だから、仕事もうまくいってなかったんじゃないかな。ジンプラは彼にとって、逃避だったのかもしれない。が、そのジンプラの世界でも、越えられない壁にぶつかった――だから、馬鹿げた事件を起こした――私はそう思うよ」

 不老は志賀さんの話を聞いているのかいないのか、勝手にプラモデルの並ぶ棚の前に移動し、ためつすがめつしている。

「『馬鹿げた』いうんは、言い過ぎちゃうか? あいつかて『ジンガム』のこと大好きなんやで」

「その愛情の対象は何でもよかったんじゃないかな……おい、ちょっと君!」

 急に志賀さんが声を荒げた。不老が、危なっかしい手先で、プラモデルの一つを手に取っている。

「玲子さんのマンションにご持参したのは、このプラモデルですか?」

 不老が片手でかざしたのは、飾られていたなかでいちばん大きいサイズ――六十分の一モデル――の〈ジンガム〉だった。

「き、き、き、気をつけて!」

 志賀さんは不老に駆け寄ると、ぎくしゃくとした動作で、不老からプラモデルを取り返した。「ハァハァ」と荒い息を吐いて慌てふためく姿に、ぼくは必死に笑いを噛み殺した。

「君ね、勝手に人の物に触れてもらっちゃ困るよ。もう六年生なんだろう? やっていいことと悪いことの区別ぐらい、つかないかな。気をつけなさい」

「このプラモデルとは違うんですか?」

 不老は、けろりとした表情で、志賀さんに尋ねた。志賀さんはため息をつくと、ゲンジさんに向かってため息交じりに言った。

「僕が持参したのは、GS〈ジンガムR〉だ。ほら、そこにある」

 志賀さんが指さしたほうを見上げると、ツノの数がほかのものよりも多いジンガムが、すっくと立っていた。100分の1スケールだから、その身長は二十五センチくらいか。片手に持ったバズーカ砲が、とてつもなくゴツい。確かに、かっこいい。

「小さいな……」

 不老がつぶやくのが聞こえた。志賀さんの耳にも届いたのだろう。ちょっと怖いような表情を、不老に向けた。

 やっぱり「先生」という職業の大人は苦手だ。好きになれない。

「なるほど結構です。ここで見るべきものも、聞くべきものも、もうありません」

 平然と言い放つ不老翔太郎に対して、志賀さんの表情はますます険しくなった。

「ときに――」

 不老は志賀さんを振り返った。

「夏休みに、ニュージーランドへ旅行しているあいだに、ネコたちを預ける先は決めているんですよね?」

「いつも、あの子たちは、旅行中にはペットホテルに預けて……」

 答えかけた志賀さんは、ぎょっとした表情になった。

「君は、どうして旅行することを……」

「さて、行きましょうか」

 不老が、まったくテンションを変えずに言った。

 ゲンジさんが珍しく狼狽して、きょろきょろしていている。


 半ば追い出されるようにして、ぼくたちは志賀さんの家から外に出た。

 ぼくは全力で不老翔太郎をにらみつけたけれど、当然と言うべきだろうか、まったく気づいた様子はなかった。

 ゲンジさんの運転するBMWに乗り、続いてぼくたちは被害者である「ツネやん」こと八田はった恒裕つねひろさんの経営する美容室に向かった。

「ねえ不老、どうして志賀さんのネコのことがわかったの?」

「ほう、君にはわからなかったのかい?」

 いつものことだけど、嫌味な男である。

「だから訊いてるんだけど。志賀さんだってビックリしてたじゃん」

「志賀さんのデスクの引き出しが少し開いていたことには、当然、気づいただろうね?」

 もちろん、ぼくはまったく気づかなかった。

「引き出しのなかに、真新しい更新したばかりと思しきパスポートがあった」

「だから海外旅行の準備をしてる、ってこと? でも、行き先はわからないじゃないか」

「君のことだから、デスクに並んでいた本をちゃんと見ていなかったんだろう」

 こういう、人を小馬鹿にしたような言いぐさに、ぼくは慣れることができない。

「はいはい、どうせ気づきませんでしたよ」

「デスクの上に並んで置かれていたのは、吸血鬼小説『サンセット』シリーズの全六巻だった」

「で?」

「現在公開中の映画『サンセット/ファイナル・クライシス』はシリーズ五作目にして、完結編。海外では大ヒットしたようだ。日本ではファンが少ないようだがね」

「ニュージーランドの小説なの?」

 ぼくが尋ねると、不老は肩をすくめた。またもや、ぼくはコケにされているらしい。

「イギリスさ」

「じゃあ、関係ないじゃん」

「映画のおもな撮影場所が、ニュージーランドなんだよ。数少ないファンのあいだでは、『聖地』と呼ばれている。撮影現場を観に行く旅行を『聖地巡礼』というそうだね」

「ネコは? どうしてネコを飼ってるってわかったの?」

「逆に訊きたいよ。どうしてわからない? ネコの毛が志賀さんの衣服にも、カーペットにも、たくさん付着していたじゃないか」

「そうだっけ……?」

「もう夏だ。ネコの毛は今の時期に多く抜けることを、まさか君は知らないわけじゃあるまい?」

「でも『ネコたち』と言ってたよね。一匹じゃないの?」

「一匹はおそらくサバトラ、もう一匹は短毛種」

「毛を見ればわかる……ってことなんだね」

 不老は肩をすくめた。

「そうさ。訊くまでもない。御器所君、君はいったい何ヶ月、僕とつきあっていると思うんだい?」

 ぼくは不意打ちを食らって、うろたえてしまった。

「な、な、何を言い出すんだよ……べ、べ、べつに、つきあってるっていうか……そ、そういう……何て言うか、あの、関係とか、そんなんじゃなくて……」

 一気に距離を詰めて来られると、こっちもディフェンスのしようがないじゃないか。

「ずいぶんと挙動がおかしいじゃないか。そうか、きっと君のことだから、空腹なんだね」

 お腹がすいていることは、否定できない。

 けれどどうして、必要以上に今のぼくは動揺しているんだ?


不老翔太郎の暴走 第四話「白い兵士」後編へつづく

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