記憶のない少女と優しい少年

お嬢

第1話 ネットアイドル 楠田萌絵

 都内某所に住む楠田くすだ萌絵もえは、幸せな家庭で育っていた。

 父はごく一般的な会社員ではあるが、母が持っている不動産の不労所得もあり、金銭的に困ったことなどない。

 仲がいい姉妹がおり、彼女は三姉妹の中間子であった。


 そんな彼女は、長く続けている趣味があった。

 それはネットでの活動、いわゆるネットアイドルだ。

 客観的に見ても可愛いとされる容姿に、鈴のような声、高校生の発達段階にあるまだ完成されていない曖昧さを含んだ身体は、ある一定層の男性の心を掴んでいたのだ。

 もちろん、デビュー当初は知名度向上のために多少過激な恰好をすることもあった。

 今だってバストラインを強調するかのように大きく胸元の開いた服、下着が見えそうになるくらい短くしたスカート、その一定層とやらを虜にするニーハイ、足が長く見えるように計算されたヒールと、彼女はネットアイドルとして大成するためには多少の露出も止む無し、といった考え方を持っていた。


「じゃあ、今日も始めるかー。」


 両親にわがままを言って防音にしてもらった自室の鍵がしっかりかかっていることを確認する。

 いわゆる親フラなんてものは一切ご免だからだ。

 カメラの位置を調整し、下着が映るか映らないかのぎりぎりのラインに置く。

 もちろんダンスの時に下着が映ってしまうのは仕方ない、それもある意味では狙い通りではあるのだから。

 萌絵の部屋は、この一軒家の二階部分のため階下に音が響かないように少しばかり値は張ったがしっかりとしたマットもひいてある。

 これもネットアイドルとして稼いだ、自分の収入で買ったのだから誰にも文句は言わせない。


「今は―22時5分前だし、ちょうどいいよね。」


 本日は22時より萌絵のネット中継でのライブだ。

 事前に告知してあり、入場料が振り込まれれば専用のIDとパスワードを用いてウェブにアクセスでき、ライブを見ることができる。

 他にも差し入れシステムで物品や金銭などを受け取ることができ、これが萌絵の収益となる。


 22時3分前。

 萌絵はカメラに映る自分の姿をチェックする。

 衣装は自前である。

 正確には裁縫が得意な友人に頼んで作ってもらったものなのだが。

 セーラー服のような襟にラインの入った衣装は、コスプレ用の制服のように胸元が開いている。

 まだ成長過程と言い張る胸はパッドで盛り大きく見せる。

 スカートは短いチェック柄だ。

 そこから延びる白い足はガーターで吊り下げられた黒のニーハイで装飾され、同系色のヒール付きパンプスでより一層足を長く見せている。


 22時1分前。

 本日のライブで歌う予定の曲を確認する。

 彼女は作詞作曲を行うわけではないので、これは全てファンの人たちから無償提供してもらった楽曲だ。

 その中には同人としてCDを作成し、十分な売り上げが出ているものもある。

 無償提供ではあるが、萌絵はその後のファンとの楽曲提供の関係も考慮し、作詞作曲者に還元している。


 22時0分。

 萌絵のカメラがネットに繋がり、ライブ中継が始まる。

 もちろん萌絵の部屋にある、確認用のパソコンにも自分の姿が映し出される。


「みんなー、今日も萌絵のライブに来てくれてありがとーっ!」


 萌絵が声を上げる。

 パソコンの画面には、ファンの声が文字として流れてくる。

 このシステムは実にいい。

 多感な時期の萌絵の承認欲求を満たしてくれるのだ。

 コメントの数が、そのまま萌絵のモチベーションに繋がる。

 モニターの右上に表示されているのが入場者数とコメント数で、今日の入場者は385人だ。

 コメントはその人数の10倍を超える5000件以上になっている。

 こうやって萌絵がカメラに向かって愛想を振りまいている間にもコメントの数は増えに増え、留まることを知らない。


「じゃあ一曲目いっくよー!」


 セットしてあった音源を流す。

 彼女の流儀として、音源にはもちろん歌声は入っていない。

 口パクは好まない性質なのだ。

 イントロに合わせて体を動かす。

 今どのようにファンが自分のことを見ているか、直に見ることができないのが実に残念だ。

 だがこれもネットアイドルであるが所以ゆえん、C《コール》&R《レスポンス》が文字でしかできないのは仕方のないことだ。

 そう、ネットで配信している間は、なのだが。


「ふぅ。みんな、今日は本当にありがとね!じゃあここで萌絵からすっごいお知らせがあります、聞きたいー?」


 萌絵が言葉を投げると、怒涛の如く『聞きたいー!』という文字が左から右へと流れる。

 この感覚を実際の声で味わいたい、そんな欲望が萌絵にもあったのだ。

 そう、そのためのというのが、今から発表するものだった。


「実はー。来月の15日土曜日、××市の〇〇ライブハウスで生ライブをしまーす!」


 それに対し、歓声がコメントで上がる。

 『絶対に行きます』や『おめでとー』と言った好意的な意見ばかりが目に留まる。

 どうやら萌絵のファンは生ライブを喜んでくれているらしい。


「重大発表も終わったところで、今日最後の曲となります。聞いてください。」


 ラストは萌絵の曲の中で最もヒットしている曲だ。

 無料動画配信サービスに投稿している曲では再生数が3万を超え、評価も95%以上がグッドとなっている、自信の一作だ。

 本日のライブは大盛況のうちに終了した。


「ふー、疲れたぁ。」


 萌絵はライブが終わった後も5分程度はカメラに向かって手を振り続ける。

 万が一、配信が切れていなかったなどの不具合があり、実生活を見られてしまうというリスクを避けるためだ。

 その後ようやく普段着に着替え、ライブの様子を確認する。

 そこには今日送られたコメントや差し入れシステムでもらったものが一覧で表示されている。

 まずは差し入れシステムの確認だ。

 なんらかの物品差し入れが20件、投げ銭システムによる現金の差し入れが32件で合計3万8千円。

 高校生が一夜にして稼ぐ額にしては十分すぎるほどだ。

 現金は萌絵がこのライブ配信サイトに登録している口座に、今日のライブ入場料と合わせたものからライブ枠使用料を差っ引いたものが月末に振り込まれる。

 物品はというと、ファンから送られてきたものは一旦この運営会社を通して萌絵の住所に送られてくる。

 これはもちろん運営の検閲が行われており、不審なものがないかをチェックしてくれるという優良なものだ。


 そして来月行われるという萌絵の生ライブ。

 これは運営会社が行っているイベントのようなもので、人気のあるネットアイドルから毎月1人を選び、独占ライブを行うのだ。

 今回は萌絵が当選し、晴れて生ライブを行うことができる。

 基本的に必要機材は運営会社が用意するため、萌絵は当日衣装など自前のものだけを用意しその場に向かうだけでライブができるのだ。


「今日はもう遅いし、寝ようかなー。」


 萌絵はスクロールでおくられたコメントを読んでいった。

 3万を超えるコメントは、そのすべてを逐一読んでいくわけにもいかない。

 本分は学生で、明日も早い。

 もちろん文字を読むことが苦痛なわけではないから読んでいけばいいのだが、それでも目についたコメントだけを読んでいく癖がついていた。

 ライブが終わったのが23時、着替えたり差し入れを確認していたら24時を回っていた。

 まだお風呂も入らなければならないし、そろそろネットアイドル活動を切り上げて私生活に戻らなければならないのだ。


 もし、ここでコメントをすべて読んでいたらこの後の運命を変えることはできたのかもしれないのに。

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