第29話・魔物、亜型、人間

 掃除を終えた迅の頭の中は、今夜得た長谷寺がもつ情報の多さで、ゴチャゴチャになっていた。何かを考えることは、もう今夜はめておこうと決めた迅、掃除用具を片付けると、自分を見上げている悩みのたねのところへ行き、そのクセが強く長い黒髪を撫でながら、ボソリと呟いた。


「…知らねぇコトばっかりだ。知りてぇのに、知るのが怖い」


 主語のない言葉を聞いて意味が分からず、長谷寺は小首をかしげるが、迅はその気持ちを正確に伝えるほど、強い想いを持っているとはまだ思っていなかった。ホロ酔いで左右にユラユラと揺れる長谷寺の手を取ると、店内の電気を消して二階へ向かう。途中で国語辞典を置き忘れたことに気づいて、彼は微妙に回らない呂律ろれつで迅に言った。


「じんちゃん、こくごじてん忘れてきちゃった」


「大丈夫だ、朝もあそこに置いといてやるから」


「はぁい、わかった~」


 一瞬立ち止まった長谷寺だったが、迅の言葉にコクッと大きく頷いて態勢たいせいを崩し、そのまま階段につまずいて顔面から角に突っ込んでいった。にぎっていた筈の魔物の手が、スルリと抜けた直後に鈍い音が耳に伝わってきて驚き振り向く。そこには、ひたいが裂けて鼻からボタボタと血を流す長谷寺の姿があった。迅は大いにあわてて、透の名前を大声で呼びながら自分の部屋へ彼を連れていった。部屋の電気をけると、ベッドに座らせて救急箱を取り出す。ちょうど駆け付けた透は、長谷寺の様子を一目ひとめ見て、水を取りに風呂場へ向かった。


 けた衝撃と、ガンガン痛むひたいと鼻、彼は、声もなくボロボロと涙を流している。水とタオルを持ってきた透と、そっとガーゼで傷口をぬぐっていく迅。平然と人間を殺す魔物が、こんな事で泣くものなのかと驚いた。長谷寺は、戦闘行為以外で受ける痛みに敏感だ、特に人型のときは。傷まわりに当てられるガーゼが痛くて痛くて、彼の涙は止まらない。しゃくり上げながら、震える声で言葉を吐き出す。


「─…っだっ、だいじょ、ぶ。も…少しで、傷、きえるか…ら」


 二人が心配そうな表情を浮かべ見詰めていると、長谷寺の言った通り、パックリ裂けていたひたいの傷も、折れていた鼻も、スーッと元の綺麗な状態に戻っていく。傷ができてから癒えるまで、ほんの十数分だ、魔物の姿であればまたたきの間に治るのだが、如何いかんせん人型だ。人型だろうが本来の姿だろうが関係なく黒腕のように、生まれ持った力を発揮はっきできるタイプの魔物や、痛覚を持たない戦闘特化の魔物もいるが、長谷寺はそういったタイプの魔物ではない。彼は、風呂場から出ようとしてドアを切り落とした時のように、元は目を見張るほど頑丈過ぎるのだが、人型になるとソレがやわくなる。


「……さすが、って言っていいのか分からないけど、兄さんよりも治るの、スゴく早いですね」


「俺、傷跡きずあとは残るからなぁ…まぁ、傷が残らないタイプで良かったな」


「いいことなの?」


 泣き止んだ長谷寺の顔は、鼻血とひたいから出ていた血で酷い事になっていた、それを水を含ませたタオルで透が拭き取ってゆく。その口からこぼれた言葉は、迅が人間ではない事を示していた。それについて、長谷寺は言及げんきゅうしない。何故なぜかというと、彼は見れば分かるからだ、兄の迅は亜型あがた人形ひとなり、弟の透は人間、そこに至るまでの話に、長谷寺は特に興味がなかった。だから、自分からわざわざ何かを聞こうとはしなかったのだ。風呂から出て人型になってから、結い上げるのを忘れていた頭を迅がワシャワシャと撫でる。


「あぁ、良いことだ。お前は綺麗だからな」


「そっかー!」


(…兄さんズルい)


 嬉しそうに、満面の笑顔で両腕を上げて喜ぶ長谷寺、微笑んでいる迅、透はその様子にジットリとした視線を向けると、血をぬぐったタオルを水にけて、軽い溜息を吐きながら部屋を出ていった。





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