第17話・とある世界

 ソレは、突然のコール音だった。

 年季ねんきの入った店で、その音を鳴らすことを許されているのは一人だけ、せかいあるじだ。彼はパネルに表示されている名前を確認すると、すぐに受話ボタンを押した。ほんの数日前に送り出したばかりの長谷寺からだったが、彼からの連絡に関してだけは、即対応しなければならない。


 そんな存在を産んでしまった事に面倒臭さを感じてはいるが、ある意味に於いて[世界ページを狂わせる道化]は必要だった。深い黄金を宿らせる眼がゆらりと揺らぐ、あるじ葉巻はまきを灰皿に置いて、オールドグラスに残っているゴッドファーザーを飲み干し、バーテンダーにもう一杯とジェスチャーで頼んで、空気をふるわせるような落ち着いた重低音をつむいだ。


「─まぁ良い、書き足しておこう」


 それだけを言葉にした彼は、終話ボタンを押してジャケットに仕舞しまうと、ちょうどのタイミングで出されたグラスを手にして口元まで持っていき、それをかたむけてカクテルを味わう。そして、ゆったりとした動作でスーツケースの中から取り出した分厚い本の、とあるページを開いて文字を書き足してさっさと本をスーツケースへ戻した。まだそう長い付き合いではないバーテンダーが、あるじに対して、少し気になっていた事を質問した。


「必ずぐに対応なさってますけど、一体どんな存在魔物なんですか?」


 その言葉にあるじの造形美の化身けしんのような顔が、ニタリと歪んだ。彼は様々な神を生み出し、あらゆる世界に散りばめる。あるじの目には花々が咲き誇るような、そんな情景じょうけいが広がる世界ページを、想像もできないほど遥か遥か昔から作ってきた、必要があれば手を貸してきた。


「…純粋が行き過ぎた、最狂さいきょう邪神じゃしんさ。こと是非ぜひに関わらず、すぐ対応しなければ、数週間後には数百年をかけてきずかれた一つの世界ページほろぶ」


 それは数万年前の話、彼の予想だにしなかった存在魔物が、この世界ページに生まれ落ちた。その存在魔物が持つ意義いぎは、[クリミーネ]。純真でり続けるの魔物は、正義を知らず考えない、道徳や倫理も知らず学ばない、やりたい事を自由に考えて気分で動く、誰かの思惑おもわくなど、彼にとって塵ほども気にかける必要のない無価値なものだ。根が単純なおかげでかろうじて、言われた事には時々従うし、知っている人物からの助言には一応従おうとする所だけが救いではある。


「そこまで大きな力を持つ邪神を、放っていて大丈夫なんですか…?」


 大変驚いたバーテンダーは、あるじに向かって思わずといった様子で聞いた、彼は苦笑を浮かべると、微かに首を横へ振った。鴉羽色からすばいろの髪が、その頬にサラリと流れ落ちる。[クリミーネ]は、余りにも多岐たきに渡る物事に含まれ、森羅万象の中に満遍まんべんなく、そのしに関係なく影響を及ぼす。ここまで来ると、いくらせかいあるじといえども、そっと道を補正するくらいしか出来ないのだった。


「私がやれるのは…マンネリ化した世界ページにクリミーネを送り込んで、彼のひまを潰してやる事くらいさ。その方が私も面白い」


「─…そうですか、あ、次、如何いかがしますか?」


「そうだな、エバンズを」


「かしこまりました」


 ことが大き過ぎて、とにかく結構な制御不能の存在魔物なのだ、ということしか理解出来なかったバーテンダーは、あるじのグラスがからになっていると気づいて、彼がいつも最後に注文するカクテルを作り始めた。


 あるじは葉巻をくわえて、その様子を見つめていた。長谷寺は、一体自分がどれだけの[クリミーネ]を内包ないほうしているのかも、[クリミーネ]そのものになってしまっている事すらも、一切自覚していない。暗黒の中で、ひたすら純真で在り続ける彼に、時おりゾッとする事がある。そんな事を考えながら、あるじは出されたカクテルに口をつけ、好みの甘さに満足気な様子を見せた。





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