第27話 言ってしまった

「イリス。見送りに来てくれたのか」


 宿から必死に駆けてきたのだろう。イリスは白いワンピースのすそを握り、乱れる息を必死に整えている。

 最後の最後にお別れの言葉を伝え来てくれたのかと、ニュクスは少しだけ安心した。女将さんにはああ言ったが、やはりイリスの顔を見てからここを発ちたいという気持ちは強かったからだ。

 

 だけど、イリスがニュクスを追って来た理由は、お別れを言うためとは違うようだ。


「無視しちゃってごめん。ニュクスがもうすぐいなくなっちゃうと思ったら、どんな顔してお話したらいいのか、分からなくなっちゃって」

「気にしてないよ。こうして見送りに来てくれて嬉しい」

「……ごめん。私やっぱり、我儘わがままな悪い子みたい」

「イリス?」


 突然、イリスはニュクスの胸へと飛び込み、力いっぱい抱き付いてきた。


「やっぱりニュクスとお別れするなんて嫌だよ! いつかはお別れしなくちゃいけないのは分かっているけど今は嫌だ! このままニュクスが帰ってこないなんて、私、絶対に嫌だ……」


 イリスはニュクスのコートを濡らす勢いで泣きじゃくった。

 強がりじゃない、年頃の女の子らしい感情をイリスは剥き出しにしていた。

 ずっと抱え込んでいたのだろう。必死に自分の気持ちを誤魔化していたのだろう。

 葛藤かっとうの末に、イリスは大人びることよりも、子供らしく我儘でいることを選んだ。それは、彼女にとっては大きな決断だったはずだ。


「俺は……」


 気休めなど口にしてはいけないと、ニュクスは必死に唇を噛みしめる。

 

 果たせない約束など、口にしてはいけない。

 余計な期待を抱かせる言葉など、口にしてはいけない。

 自分自身のためにも、口にしてはいけない。


 例えイリスが、心の底からその言葉を欲しているとしても……




 口にしては――


「……帰って来るよ」


 ――言ってしまった。




「本当に?」


 今ならまだ撤回出来るはずなのに、真逆の言葉が次々とニュクスの口をつく。


「先のことは分からないけど、今回の仕事が終わったら、ちゃんとこの町に、イリスの待つあの宿に帰って来る。だから、泣かないでくれ」


 膝を折って目線を合わせると、ニュクスはとても穏やかな笑みを浮かべてイリスの頭を撫でた。

 絶対に口にしてはいけない約束だったけど、泣きじゃくるイリスの顔を見ていたら、そんなことはどうでもよくなってしまった。


 こんなに堪え性の無い人間だったかと、ニュクスは自分自身に失望した。

 殺しもいとわぬアサシンが、少女一人相手に非情になりきれなかったのだから。


「俺は絶対にここへ帰って来る。だから、旦那さんや女将さんと一緒に、いい子で待っていてくれ」

「約束だよ」


 途端にイリスの顔に笑顔の花が咲く。

 ここ数日は泣き顔や作り笑顔しか見ていなかったので、出立前にイリスの笑顔を見れたことが、ニュクスはとても嬉しかった。


「約束だ。だから、今は笑顔で俺を見送ってくれるな?」

「うん。寂しいけど、帰って来てくれるのなら、私は笑顔でニュクスを見送れる」


 有言実行と言わんばかりにイリスは白い歯を覗かせ、この日一番の笑顔をニュクスへと向けた。

 ニュクスはイリスの笑顔をその目に焼き付けると、覚悟を新たに黒馬へと騎乗し手綱を握った。後ろにはリスが同乗し、いつ駆け出してもいいようにニュクスの体へと腕を回している。


「ニュクス。準備はよろしいですか?」

「待たせてすまなかった。俺はいつでも大丈夫だ」

「分かりました。それでは参りましょうか」


 ソレイユの言葉に全員が肯定を示し、首を縦に振った。

 ソレイユを先頭に、一行を乗せた騎馬が次々とリアンの町を後にしていく。


「イリス。行ってくる」

「行ってらっしゃい、ニュクス」


 最後尾のニュクスは去り際にそう言い残し、後方のリスは手綱を握るニュクスの代わりに、見送りのイリスへと手を振ってくれた。


 ニュクス達が見えなくなるその瞬間まで、イリスはその後ろ姿を笑顔で見送っていた。


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