第3話 女将さん

「戻りました」


 一言添えて、ニュクスはお世話になっているオネット夫妻の宿屋へと戻った。宿のエントランスにはイリスの母親である宿の女将さんともう一人、ニュクスの知り合いの少年の顔があった。


「あれ、ニュクスさん?」

「ヤスミンか」


 女将さんと談笑を交わしていたカキの村の少年――ヤスミンがニュクスに気付き、少し驚きながらも嬉しそうに笑った。ヤスミンと会うのはカキの村で一件以来になる。


「ひょっとして、ニュクスさんはオネットさんの宿に?」

「ああ。少し前から一室を使わせてもらっている。そういうお前は?」

「果物の配達です。この後も何件か」


 よく見るとエントランスには大きな木箱が一つ置かれていた。宿の近くには荷馬車が停めてあったので、ヤスミンがカキの村から運んできたのだろう。


「ニュクスくんはヤスミンくんと知り合いだったの?」


 イリスの母親であり宿屋の女将さん――パメラ・オネットが微笑みながらニュクスとヤスミンを交互に見やる。

 女将さんは現在31歳。イリスと同じライトブラウンのロングヘアーとキュートな笑顔が印象的な可愛らしい女性だ。若々しい外見から、初対面の相手からはイリスとは歳の離れた姉妹だと勘違いされることも多いという。

 

「はい。この間の一件で少し」

「その節はお世話になりました」

「そんなにかしこまらなくても大丈夫だって」


 深々と頭を下げるヤスミンの肩に、ニュクスは苦笑交じりに触れた。

 真面目なのは相変わらずだが、復讐心を宿していた時に比べたら随分と穏やかな表情になっている。ヤスミンは唯一の肉親である兄をうしなってから間もない。仕事をすることで気持ちを誤魔化している部分もあるだろうが、表情を見る限り確実に前へは進めているようだ。


「元々リアンの町には、セブランというお爺さんがカキの村産の果物を届けてくれていたんだけど、半年前に体調を崩してしまって。それ以来、セブランお爺さんの農園を手伝っていたヤスミン君が、配達を引き受けてくれているの」

「驚きましたよ。ニュクスさんが住んでいるのが、通い慣れたオネットさんの宿だったなんて――よっと」


 会話を交わしながら、ヤスミンは果物の入った木箱を宿の厨房へと運び入れた。それなりの重量があるだろうに、運び慣れているヤスミンは難なく持ち上げている。


「ありがとうヤスミンくん。はい、今回の分の代金。それと――」


 女将さんは代金の入った包みと、自家製の焼きたてパンをヤスミンへと手渡した。


「いいんですか?」

「ヤスミン君にはいつも世話になってるから。ほんの気持ち」

「ありがとうございます。女将さんの焼くパン、大好きです」

「もし良かったらお仕事の時以外でも遊びに来て。ご馳走しちゃうから」

「ありがとうございます。状況が落ち着いたらぜひ」


 嬉しそうにそう答えると、ヤスミンは宿の入り口の扉に手をかけた。

 ヤスミンはまだ仕事中で数件の配達が残っている。本心ではもう少しニュクスや女将さんと話をしたいところだろうが、仕事は何よりも優先しなくてはいけない。


「それでは俺はこれで失礼します。パン、ありがとうございました。ニュクスさんにも会えて嬉しかったです」


 二人に深々と礼をし、ヤスミンは宿を後にした。


「強い子よね。お兄さんが亡くなって間もないのに」

「そうですね」


 ヤスミンは一線を踏みとどまる強さを見せた。それは決して誰にでも出来ることではない。女将さんの前なので血生臭い話は出さなかったが、憎き相手を殺さない強さを持つヤスミンのことを、ニュクスは高く評価していた。


「ニュクスくんもお仕事お疲れ様。直ぐにお昼ご飯にするから、二階のイリスを呼んで来てあげて」

「了解です」


 笑顔で頷き、ニュクスは二階へと駆け上がった。

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