第47話 約束

 王都から届いた書簡しょかんに目を通したソレイユは、すぐさま臣下達を会議室へと招集した。

 書簡の内容は国の、末には大陸全土の平和をおびやかしかねない、とても重大なものである。

 

「……今、何とおっしゃられましたか?」


 驚愕きょうがくに声を震わせ、ブロンド髪の騎士――ゼナイドが身を乗り出してソレイユへと聞き返した。あまりにも衝撃的な内容故に、一度聞いただけでは現実を受け入れることが出来なかった。

 誰も彼も反応は似たり寄ったりで、マイペースなリスも、この時ばかりはあからさまに動揺どうようし、驚愕の表情には緊張感から冷や汗が伝っていた。この場にいる者の中で冷静さを保っているのは、目を伏せたまま微動びどうだにしないクラージュとカジミール、壁にもたれ掛かり、ポーカーフェイスでソレイユの次の言葉を待っているニュクスくらいのものだ。


「繰り返します……国境線付近で軍事演習を行っていたシュトゥルム帝国軍5000騎および、我が方の国境警備隊員2500名が、アマルティア教団の襲撃を受け壊滅かいめつしました。現地へおもむいていたウルズ・プレーヌきょうひきいる熱砂ねっさ赤銅しゃくどう騎士団も消息不明……襲撃から壊滅まで、僅か一時間あまりの出来事だったそうです」

「奇襲を受けたとはいえ、たった一時間で……国境警備隊は厳しい鍛錬たんれんを積んだ豪傑ごうけつぞろい。帝国側だって、演習目的とはいえ正規軍5000騎の大所帯ですよ?」


 理解が追いつかず、ゼナイドは目をパチクリさせて頭を抱えている。隣のカジミールが落ち着けと言わんばかりに彼女の肩に触れ、静かに着席させる。


「襲撃者がアマルティア教団だとすると、例の奇怪きかいな術で大量の魔物を召喚しょうかんしたということでしょうか? 奴らは何もない場所から魔物を召喚する。やりようによっては、大軍を撃破することも可能かもしれません。一時間というのは、流石に予想の上を行っていますが」


 クラージュが冷静にそう分析した。 

 それに対しソレイユは、複雑な表情でさらに情報を補足していく。


「教団側の戦力は魔術師が5名、魔物が……2体。魔術師達は直接戦闘には参加せず、大軍を壊滅させたのは全てこの2体の魔物であるという、生存者の証言があるそうです」

「たった2体の魔物に、7000を超える兵士が……」


 絶句したソールが驚きのあまりその場にへたり込んでしまった。近くに立つ使用人たちも、驚きのあまりソールを気に掛ける余裕がないらしい。仕方がないので少し離れた位置にいたニュクスがソールに駆け寄り、予備の椅子に座らせてやった。


「あ、ありがとうございます」

「今日はメイドさんを支えてばっかだな」


 緊張感を感じさせない軽い口調でそう言うと、ニュクスは元の位置へと戻った。


「その2体の魔物とやら、まさか?」


 クラージュの想像は最悪に近いものであろう。それだけの力を持つ魔物がいるとしたら、それは邪神に並ぶ脅威と数えられた存在以外に考えられない。


「ご想像の通り、邪神ティモリアを守護せし四柱よんはしら災厄さいやくたちです。今回確認されたのは、灰燼王かいじんおうラヴァ、赤獵姫しゃくりょうきエマの2体と思われます」

「……邪神の復活が近いとされる昨今、先に四柱の災厄たちが目覚めることもまた必然でしたか」


 重い空気が会議室を包み込む。いつかのニュクスの指摘通り、帝国との戦争を上回る最悪な状況が発生してしまった。

 四柱の災厄と呼ばれる最強の4体の魔物。今回確認されたのはその内の2体だけだが、残る2体も近い内に復活、あるいは姿を見せなかっただけで、すでに復活を果たしているのかもしれない。


 今回の事態を受け良くも悪くも、アルカンシエル王国とシュトゥルム帝国間の亀裂きれつが戦争へ発展する可能性は限りなく低くなった。

 野生の魔物とは格の違う、第一級の脅威である四柱の災厄が復活を果たした今、国家間で争いを行っている余裕などないからだ。


此度こたびの襲撃に際しアマルティア教団は、司教パギダの名で大陸全土へ向けて声明を発表しました。その全文をこの場で読み上げます――」


 ソレイユの声で、アマルティア教団司教――パギダの発した恐るべき声明の全容が明らかとなる。


『我らは邪神ティモリアを信仰せしアマルティア教団。


 大陸全土の者達に告げる。

 邪神ティモリアの復活は近い。先刻せんこく、アルカンシエル王国とシュトゥルム帝国の国境線上にて、幾百いくびゃく幾千いくせんしかばねの山を築き上げた、四柱の災厄の復活が何よりの証明である。


 邪神ティモリア復活の悲願を果たすべく、我らは世界へ宣戦布告する。王族も、貴族も、平民も、奴隷も、男も、女も、老人も、子供も、全て等しく邪神ティモリアの復活のにえ。ありとあらゆる人間が我らの標的だ。


 我らの使役する大量の魔物に加え、復活を果たした四柱の災厄がこれより攻勢を開始する。


 例外など存在しない。人の住まいしあらゆる土地が我らの攻撃対象だ。

 安寧あんねいが続くのも残り僅かの間だけだ。血肉の一片までも喰らいつくされるその時を、今より楽しみに待っていろ――』


 声明は瞬く間に大陸全土へと波及はきゅうし、世界は大きな混乱に包み込まれた。

 世界が混沌へと飲み込まれていくスピードは、アマルティア教団による宣戦布告によって、加速度的に悪化していくことになる。


 〇〇〇


「――以上がニュクスの任務の経過報告となります」

「ソレイユからの信頼を得るためにアリスィダ神父を殺害したか。実に彼らしい合理的な判断だ。任務一つろくに果たせない無能者むのうものを処分してやったのだ。正規部隊には感謝してもらわねばな」


 カプノスから報告を受けるクルヴィ司祭は相変わらず終始笑顔であった。

 同胞どうほうを斬るのも大いに結構。今回のアリスィダ神父の死は、ニュクスがソレイユ暗殺を果たすためならば安い犠牲ぎせいだ。

 クルヴィ司祭がニュクスに命じたように、ソレイユ暗殺は教団の定める最重要事項。上層部間ではその認識が成立している。配下を失った正規部隊側も、今回の件で表だって不満を漏らすような真似はしないだろう。


「報告ご苦労だったね。実に理想的な展開だ」


 無期限任務を言い渡した以上、仕損じることも想定の範囲内だ。現状を考えれば、ニュクスが相手のふところに入り込むことが出来たのは好都合でさえある。

 此度の二ヶ国の軍に対する襲撃と大陸全土へ向けた声明によって、アマルティア教団の存在は歴史の表舞台へと立つことになった。今後、教団が各国の軍や騎士団と衝突する機会は各段に増えるだろう。そうなれば必然的にソレイユが活躍する機会も増えるはず。彼女の武勇が広まり、名実ともに英雄と称される時が来たならば、それこそが暗殺の最大の狙い目だ。

 英雄となったソレイユをニュクスが見事に殺してみせたなら、その衝撃は平時の比ではないだろう。精神的支柱が折れてしまった時、軍団の志気は一気に下がる。ソレイユの死という事実が、勝敗の決め手となると言っても過言ではない。


「私がニュクスへ与えた異名。ソレイユ・ルミエール暗殺を果たした時、彼は真の意味でその名を体現することになろうだろう」

「ニュクスの異名――英雄殺しですか」


 組織内でのニュクスの異名は「英雄殺し」。暗殺者となって間もない頃、クルヴィ司祭が直々に与えた名だ。

 当初は名前負けだと嘲笑ちょうしょうする者もいたが、ニュクスは見事にクルヴィ司祭の期待に応え、暗殺部隊のエースにまで上り詰めた。

 クルヴィ司祭にとって「英雄殺し」の名は切り札と同義どうぎ。経験の浅い一人の暗殺者の少年にその名を与えた司祭には、ある種の先見の明があったと言えるのだろう。


「カプノス。君は引き続きニュクスの任務を見守り続けたまえ」

「承知しました」


 無感情な少女は、再び灰髪の暗殺者の監視へと戻っていく。

 過度な干渉をするでも、感情を伝えるでもなく、少女はただ見守り続ける。


 〇〇〇


「500年の時を経て、影の英雄の末裔まつえい同士が争う形になろうとは、歴史とは実に面白いものだ」


 カプノスが去った後、クルヴィ司祭は古びた書物に目を通し、不敵に笑った。

 書物は司祭の先祖が記した日記帳のたぐいであり、代々クルヴィ司祭の家系で受け継がれてきたものだ。


 書を記した人物の名はヒメロス。

 500年前の影の英雄の1人で、「深淵しんえん探求者たんきゅうしゃ」と呼ばれた謎多き存在だ。

 アマルティア教団司祭の地位にあるクルヴィもまた、影の英雄の血を引く一人なのだ。


「ヒメロスよ。あなたの無念は、子孫たる我々の代で果たしてみせますよ」


 ヒメロスの書にそう語り掛けると、クルヴィ司祭は鍵付きの引き出しに書を戻した。


 〇〇〇


「大変な事態となってしまいましたね。まさに混沌の前触れです」


 会議室に残っているのは、ソレイユとニュクスの二人だけだ。臣下や使用人達は、重い足取りですでに会議室を後にしていた。足取りが普通だったのは、終始冷静だったクラージュとカジミール、マイペースさを取り戻したリスぐらいのものだ。


「情勢がどう転ぶか分かりませんが、今後は王都から要請でアマルティア教団や魔物たちと対峙する機会も増えることでしょう。あなたの力、頼りにしていますよ」

「森で話した通り、俺がお嬢さんを殺すその日まで、俺はお嬢さんの力だ。この力、存分に使ってくれ」

「優しいですね」

「優しい振りをしてブスリと刺す算段だ。油断するなよ」

「こういう時だからこそ、あなたの憎まれ口がとても心地よいです」


 どこか毒気が抜けたようにソレイユは柔らかな笑みを浮かべた。

 下手に気を遣われるより、皮肉や憎まれ口を言われた方が気が紛れることだってある。


「お嬢さん。俺と一つ約束をしてくれないか?」

「内容によりますが」

 

 椅子に腰かけるソレイユに目線を合わせ、ニュクスは片膝をついた。


「俺以外の奴には絶対に殺されないでくれ。あんたを殺すのは俺の仕事だ」

「随分と血生臭い約束ですね」

「嫌か?」

「嫌です。だって私は、あなたを含めて誰にも殺されるつもりはありませんから」

「それもそうか」


 ごもっともな返答に、ニュクスは声を上げて笑った。

 俺が殺すまで誰にも殺されるななどという約束に、素直に首を縦に振る人間などいるわけがない。


「なら言い方を変えよう。俺は誰にもあんたを殺させない。他ならぬ俺自身のために」

「物は言いようですね。言い回しを変えただけで随分とロマンチックに聞こえます」


 苦笑しながら、ソレイユはニュクスへ右手を差し出した。


「誰にも殺されないという部分だけは約束してさしあげますよ。名刀さん」

「抜き身の名刀の間違いだよ。お嬢さん」


 ニュクスがソレイユの手を取り、二人は固い握手を交わした。

 

 ニュクスがソレイユを殺すまでの間、血塗られた契約は続いていく。


 邪神の復活が危惧され、混沌へと飲み込まれようとしている世界で、英雄の血を引く少女と灰髪の暗殺者は、どのような運命を辿たどるのだろうか?




 第一章「血塗られし契約」 了

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