第11話 王都、王子
王都はこの世界で最も大きな街だが、それ故に魔物に狙われることも多く、周囲を高い塀で囲んでいる。出入り口は四方にそれぞれ一つずつあり、そのどれにも門番がいて入る者や物を管理しているわけだが、俺にとっては最初の難関だ。
知っている門番なら、と思ったがさすがに記憶に残っていない。正面から入ろうとして門番を倒せば敵と見做されるだろうし、王に会わせろと言っても門前払いされるのが目に見えている。こちらの門がナズルの町から離れてるとはいえ、すでに魔物が砦を造っているという情報を仕入れているのか警戒していることに違いは無い。
方法は三つ。
一、門番と話して入れてもらう。だが、これはそもそも信用してもらえなければ無理だ。
二、行商の荷馬車などに隠れて街に侵入する。入れる可能性は高いが、もしも正規ルートでは無いと知られれば即駆除対象にされる。リスクが高い。
三、塀を登る。出来ないことは無いが、塀の上で警戒している兵隊の中に知り合いがいなければ即終わる。
「……ああ、いや。違うか」
今の俺は、ただのウサギだ。それなら無駄なことは考えずにシンプルに行こう。
とりあえずは荷馬車の下に這入り込んで、動くのと同時に動く。停まるのと同時に止まる。殺気も出さず気配も出さず、あくまでも野生として自然に行動する。それこそ日差しを避ける獣の如く、静かに自然に街の中へと這入り込んだ。
考えてみれば街の中にも野生の動物はいくらか居た。つまり、幾分かは許容されているのだろう。
しかし――街の中の記憶が無い。これじゃあ、せっかく急いできたのに王に会うにも無駄な時間を食ってしまう。慎重に侵入した意味が無くなってしまうが……仕方が無い。王都には腕の立つ近衛兵もいるし、上手くすれば元冒険者もいるはずだ。そうすれば顔見知りの一人でもいるだろう。
「では――」
噴水がある広場で、ほんの一瞬だけ殺気と魔力を漏らして、あとは待つだけだ。
しばらくすると馬を走らせた近衛兵が三人と勇者らしき五人。それにあれは――
「王子!」
遅れてきて兵の先頭に出てきたのは記憶よりも凛々しく育った王子だった。
「ん、ウサギ!? なぜこんなところに……」
「気を付けてください、王子! 先程の殺気はおそらくそのウサギのものです!」
さすがは近衛兵だ。良い勘してる。その言葉に合わせて勇者たちは一斉に武器を構えてきたが、反応が遅すぎる。俺が敵ならそれまでで全員三回は死んでいるぞ。まぁ、それはともかくとして。
「落ち着いて武器を下ろせ馬鹿ども。俺は味方だ。王子、憶えていないかもしれないが三年前に会った勇者一行のキコリ――いや、拳闘士か。の、ラビーだ。久し振りだな」
そう言うと、手を翳して武器を下ろさせた王子は思い出すように顎に手を当てて馬から降りた。
「ラビー? 元キコリで拳闘士? 勇者一行は全員死んだと聞いたが……声は、確かに……」
「まぁ、信じてもらうのが難しいのはわかっている。たしか魔力の色だか質だかで人を判別する神官がいただろ? そいつに会えばわかると思うが、今は時間が惜しい。王に会えるか?」
するとその場に居た全員が気まずそうに顔を伏せた。
「いや、我が父には会えない。現状で王都を納めているのは私と妹のハルリアだ。つまり、貴公がラビーであろうとなかろうと、時間を惜しんでいる理由は私が聞く必要がある」
「……とりあえず王に何があったのか教えてくれ」
未だに俺が本当にラビーかどうか確信を持てない様子だが、悩んでいるところに馬を降りた近衛兵の一人が王子に近付いてきた。
「王子。そのウサギが敵か味方かの判別も重要ですが今は――」
「ああ、わかっている。一先ず駆け付けてくれた勇者たちには帰ってもらえ。近衛の一人は兵隊長の下へ。準備を進めさせろ。それからもう一人には話に出ていた神官の孫を連れてくるようにと」
「孫ですか? ですが、孫ではウサギの正体が勇者一行の拳闘士かどうかはわからないのでは?」
「当時会っていたかどうかはわからないが、孫も色眼持ちだ。正体がわからずとも敵か味方かはわかるだろう」
「なるほど。わかりました。では、そのように」
小声で話しているようだったがこちとらウサギだ。丸聞こえだったわけだが……そうか。あの神官は死んだのか。まぁ三年前ですでに妙齢だったし、仕方が無い。
それにしても思い出せることと思い出せないことの差が見いだせない。もっと明確な思い出し方があればいいのだが、そう都合良くもいかないか。
広場には王子と近衛兵の二人が残った。近衛兵に馬を預けて離れさせた王子は、噴水の縁に座るよう促してきた。
「それで、いったい王に何があったんだ?」
「何が、というほどわかっていることは無いが、一か月ほど前のことだ。父は唐突に目覚めなくなってしまった。治癒魔法使いにしても、神官や僧侶にしても原因がわからないらしいが、今もベッドで横たわっている」
「ふむ……呪いか?」
「呪いならばひと月も長続きはしない」
「まぁ、その意見には同感なんだがな。今の俺の姿からしてあながち無いとも言えん。とはいえ、魔王がわざわざ人間の王を眠らせる意味もわからないな……」
「その、貴公がラビーだとすれば他の勇者一行はどうなった? その姿が呪いによるものだとすれば――」
「いや、わからん。魔王に負けて、目を覚ましたのは生まれ育った山で周りには誰もいなかったし、すでにこの姿だった。それが魔王のせいだというのも間違いないし、中途半端な記憶喪失も記憶の混濁も魔王のせいだと思うが、現状では俺がラビーだということも何も証明できない。俺が俺であること以外に、何もな」
「その語り口調は私の知っているラビーではあるが……たしかにそこまで姿形が違うとなると証明するのは難しいか」
などと二人で頭を悩ませていると、馬に少女を乗せた近衛兵が戻ってきた。
「王子! お待たせいたしました!」
近衛兵が馬を降りると、運動が苦手そうに降りられない少女に手を貸して、ようやくその顔を拝めた。……記憶には無いな。
「あああ、あのっ私に何か御用でしょうか。おおお、王子様」
杖を持った赤毛でショートカットの少女はヴィオやリースなんかと同い年くらいに見える。とはいえ、あの二人よりかは鈍臭そうだが。
「うむ。よく来てくれた。実はあのウサギの魔力を見てもらいたくてな。頼めるか?」
「おおっ、王子様のお願いなら断るわけはありませんっ!」
すると糸目だった目を見開いてこちらを見詰めてきた。色眼――魔力に個々人の色を見る眼、だったか。その眼球は瑠璃色に光っている。そういえば神官もそんな色だった。
「……どうだ? ミミ」
王子の問い掛けに少女は驚いたようにたじろいでいた。
「ええ、えっと……あああっ、あの――あれは人ですよね? わわわ、私は一度見た色は忘れないのですが……あれは、三年前に一目だけ見た勇者一行の拳闘士の色です」
「間違いないのか!?」
「は、ははは、はいっ! こればかりはなんと言われようとも間違いありませんっ!」
ふむ。俺自身に記憶は無いが、どうやら昔に一度会ってことがあるらしい。いや、言い方から察するに直接では無く、遠目から見られていたって感じか。
「なるほど。助かったよ。ありがとう」
お礼を言った王子はこちらに駆け寄ってきて、地面に片膝を着いた。
「貴公がラビーだということが証明された。非礼を詫びよう。そして、久し振りだな。ラビー」
「いや、構わねぇよ。お互いに礼儀とは程遠いからな」
俺は片田舎に住んでいたキコリで敬語なんて使えたものじゃねぇし、王子も王子でさすがは王族だ。目上だろうが目下だろうが王である父親や王妃である母親以外に敬語なんて使わないだろう。
「んで、あいつが神官の孫か。まぁ三年も前じゃあな」
記憶喪失と混濁を合わせた言い訳ではあるが。
「無理もない。当時は表立ってはいなかったらしいし、珍しく一世代飛ばして受け継がれた色眼持ちの僧侶だ」
「僧侶? 神官じゃないのか?」
「ああ、知っての通り魔法を使える者の中でも特に治癒魔法に特化している者、もしくは治癒魔法のみが使える者が神官になるが、あの娘はむしろサポート魔法のほうに特化しているらしくてね。勇者見習いとはいえ、そこいらの僧侶よりも腕が立つと聞くから、本当は此度の魔王軍侵攻防衛戦にも参加してもらいたいところなのだが……」
そういえば失念していたな。そのために俺はここに来たのだった。
「そうそう、それが急を要する話だ。その様子だと知っているようだが、ナズルの町が魔物に占拠されて、今は王都を攻め入るための砦を築いている」
言うや否や立ち上がった王子は大きく頷いて見せた。
「当然、知っている。その砦があと一週間以内には完成するであろうこともな」
「ならば何故こちらから攻めない? もっと早い段階で防げただろう?」
問い掛けると、王子は眉間に皺を寄せながら項垂れるように噴水の縁に腰を掛けた。
「事態を知ったのは一か月前のことだ。ナズルの町と連絡が取れなくなった旨を知り、すぐさま近衛兵二名と有志の勇者を集めて向かわせた。その三日後――戻ってきたのは二等勇者の盗賊だけだった。それも片腕を失って。そして彼はナズルの町が魔物に落とされたことを告げて息絶えた」
「その時点で対応は出来ただろ? 何が問題だった?」
「父の昏睡。それに加えて勇者一行が負けて、新たに勇者制度を作ったことを吹聴するために近衛兵たちは各地へ散らばっていた。王都に残っていた元冒険者たちは第二第三の勇者になるため旅立った後で、純粋に人手も戦力も足りなかった。それをここ数週間で集め直し、ようやく集まりかけたのが今だ。手を打てなかったのでは無い。今まさに、水面下で準備を進めている最中なのだ」
「ふむ……なるほど。なら丁度よかったな。俺は――いや、俺たちはナズルの町からカザナの町に攻めてきた魔王軍を倒してこちらに来た。つまり――」
言い掛けたところで王子は気が付いたように口を開いた。
「つまり、正面と背後から魔王軍を攻めることができる、ということか。そちらの戦力は?」
「二等が三人、見習いが七人。その中で戦えるのは九人。加えて俺だ。そっちは?」
「近衛兵が約八十人。一等勇者が五人、二等が十人。あとは見習いが数十人。戦い慣れていない者は出来る限り参加させないつもりだから百人弱といったところだな」
「表が百で裏が十か。不意打ちには心許無い人数だが……そっちの最大戦力は?」
「近衛兵長と一等の五人は傍目から見ても強い。当時の勇者一行ほどではないがな」
「まぁ、悪くない。いつ頃出撃できる?」
「今、諸々の準備をしているところだが――明日の朝には」
「じゃあ、それで行こう。合図は二つ。まず今日の夜にこちら側から空に向けて光魔法を放て。そして明日の朝、カザナの町で空に向けて光魔法を放つ。それを合図に戦闘開始だ。つまり」
「つまり、それまでは兵と勇者をじっくり休ませておけ、と。了解した。おい! 今の話を聞いていたな!? すぐに全近衛兵・勇者・住民に伝えろ! 明日の朝、開戦だ!」
これで準備は整った。ここからカザナの町に戻るまで多少の時間はある。必要なものをいくつかと――保険を掛けておくことにしよう。
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