第7話 男の娘はラブ&ピース

 朝一番に実家を飛び出し学校へ向かう。

 結局、父に朝まで付き合わされて一睡も出来なかった。

 家を出る際、母がエールをくれた。


 「次帰ってくるときは、みゆちゃんと一緒に帰ってきてね。どうせ、みゆちゃんにばっかり家事を押し付けてるんでしょ? たまにはかなちゃんも手伝うのよ」


 「はいはい、わかってるよ。それに少しくらい手伝ってるから安心して」


 母に背中を押されたせいだろうか、馬鹿みたいに自信が溢れだしてくる。

 雲一つない快晴の空は今の俺の気分に呼応しているかのようだ。

 こんなことなら最初から気持ちを抑え込まなければよかった。そしたらきっと、俺の毎日はきらきらと輝いていたことだろう。


 改札を抜けて学校に向かって走り出す。

 桜はもう散ってしまい、ピンク色の花びらは地面に張り付いてしまっている。

 これは残念、舞う桜の中を走れたら、ドラマの一ページみたいな青春が出来たのに。


 廊下は走らないでくださいに倣い、浮足を抑え進んで六道の研究室に入る。

 そこには実に尊いものが広がっていた。

 深雪と四宮が身を寄せ合うようにして、静かに呼吸をして眠っている。

 これが寝取られというやつなのだろうか? 写真を一枚撮ってもいいかな? あまりに良い景色なので、これを形に残すことが出来れば何か賞が貰えそうな気がする。


 あまりに幸せそうに眠るものだから、起こすのが躊躇われる。

 完全にお預けを食らってしまった俺は、近くの椅子に腰かける。

 状況から察するに、深雪と四宮は仲直り出来たのだろう。


 「ん……あれ? 彼方クン?」


 「おはよう、四宮」


 四宮が目を覚ましたので、挨拶をする。


 「あれ? 彼方クン? おはよ……」


 意識がはっきりしていないのか、とろんとした目で対応してくれる。


 「深雪とは上手くいったのか?」


 「そうだね、すごく怒らせたよ」


 「えっと、それは大丈夫なんですか?」


 「この幸せそうな寝顔を見ればわかるでしょ?」


 「うーむ。かわいいのは確かだけど」


 「深雪は本当にかわいいなー。チュウしていいかな?」


 「ちょっと待って! 今カメラ用意するから!」


 「もう、冗談なのに」


 え? 冗談なの? 冗談じゃなくていいよ、カメラ用意したから。


 「私、初めて深雪と喧嘩したんだ」


 俺が落胆していると四宮が言う。


 「喧嘩か、深雪は頑固だから大変だったろ」


 「うん、喉なんかカラカラだよ」


 「何か飲む?」


 「うん、ありがとう」


 コップに水を汲み四宮に渡す。渡した拍子に触れた指が少しこぞばゆい。


 「彼方クンは深雪のこと好き?」


 「なんだよ、俺の気持ち知ってるだろ。恥ずかしいこと言わせるなよ」


 「どうなの……?」


 「好きだよ、愛してる」


 「うわあ……」


 四宮は何故か頬を赤くする。


 「応援してる。玉砕してね」


 「まあ、一度玉砕してるけどね。つうかそれ応援してるの?」


 「してるよ。彼方クンのこと好きだから」


 サラッと告白をされてしまう。今度は俺が顔を赤くする番だった。


 「ごめんな、俺、深雪一筋なんだ」


 「そっかー、なら玉砕してね」


 「どんだけ玉砕希望なんですか……」


 最近は告白されてばかりだ。素敵すぎる毎日だ。

 四宮は水を飲み干し、カップを置く。


 「それじゃ、私はそろそろお暇しますかな」


 「いいのか? 深雪に何も言わないで?」


 「言いたいことは言ったからね。それに目が覚めた時に王子様のほうが良いでしょ?」


 「王子さまって……柄じゃないよ」


 「そうだね、ゴロツキのほうが合ってるかも」


 流石にそれは酷い。そんなにオス臭いのだろうか。


 「深雪が目を覚まさなかったらキスで起こしてあげなよー!」


 なにやらとんでもない爆弾を投擲してから逃げられてしまった。


 「キスって……」


 深雪の寝顔を見る。唇はプルンとしていて、触れれば押し返されてしまいそうだ。

 四宮の言葉を意識してしまったが知らんが、思考はキスとかチュウとか接吻とか、そんな単語が所狭しに並べられてしまっている。


 なんだ、この感情。息が荒くなるように情熱的で、抑えられない思いが胸の奥を蹂躙している。これが性欲というやつなのだろうか。恐ろしく狂暴な気分だ。

 なるほど、セックスの意味がなんとなくわかった気がする。


 愛を求めてやまないのだ。なんて熱い思いなのだろう。俺は今までこの気持ちを邪推していたとなると、とてもひねくれていたのだろう。

 ただ、一心に深雪が欲しいと思った。


 試しに顔を近づけてみる。

 顔が近づくほど欲求が強くなる。深雪を独占したくなってしまう。

 このままキスしてしまっても構わないと思った。


 深雪の目が開いた。目が合う。


 「ぴゃあああああああああああああああああああああああ!」


 「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」


 ゴツンと頭をお互いぶつけてしまい蹲る。


 「か、彼方!? 何やってるの!」


 「いや、目覚めないから四宮に毒リンゴ食わされたのかと思って、キスで目覚めさせようと王子さまは奮起したわけです!」


 「意味がわからないよ! この変態! 蛮族! テニスサークル!」


 「おい! 真面目に活動してるサークルに謝れ!」


 「うるさい! 馬鹿! ドジ! マヌケ!」


 顔を真っ赤にして羞恥を布団で隠そうとしている姿が何とも愛らしい。

辺りに小物がなくて良かった。あったらぶん投げられていただろう。


 「具合は大丈夫か?」


 「うん……恵理のおかげで元気だよ」


 布団から目線だけ覗かせて応えてくれる。

 しばらく無言になってしまう。何を話そうかと悩んでいると深雪が拗ねた声を出す。


 「どこに行ってたの……?」


 「ちょっと実家に帰ってたんだ」


 「え? なんで!? いいなあ、僕も行きたかったなあ……」


 今度は落胆したりと本当に忙しい子だ。


 「お父さんとお母さんは元気だった?」


 「相変わらずだよ、親父は酒飲むし、母さんは詐欺に引っかかりそうだしで何も変わらないよ。今度は深雪も帰ってきてほしいみたいだよ」


 「うん、今度はちゃんと連れて行ってね。それで、なんで急に帰省したの?」


 「忘れ物を取りに戻ってたんだ。あとは話すことがあったから……」


 深雪は今ひとつ理解していない様子だ。

 でも、俺にとって大切な事なんだ。これからすることは俺の人生で最も輝ける時だ。


 今までの乾いた生き方は嘘のように澄み切っている。

 深雪は今どんな気持ちなんだろう?

 俺と同じような気持ちなら、すごく嬉しいと思う。


 「彼方は恵里のことどう思ってたの……?」


 唐突に深雪はそんなことを聞いてくる。


 「そりゃ、優しくて、気が利いて、俺なんかには勿体ない子だった」


 「そうじゃなくてさ、……好きだった?」


 怯えるように聞いてくる。


 「好きだったと思う。だけど、求めてるものじゃなかったのかも」


 「よくわかんないや」


 「俺もよくわからない」


 人間ってやつは本当に難しいな。自分の感情でさえ制御するのに精一杯なのに、色々な人と関わらなきゃいけないんだ。しかも、好きとか嫌いとか、感情も人に よって使い分けなきゃいけない。面倒くさい生き物だと思う。

 でも、深雪に抱く気持ちは面倒くさいものなんかじゃない。きっと、この気持ちが本物ということなのかもしれない。


 「深雪、聞いてほしいことがあるんだ」


 「だめ、聞きたくないよ」


 「俺は深雪が好きだ」


 この一言で世界を壊せてしまう気がした。

 俺はきっと、この想いを伝えるために、こんな平等な世界に生まれてきてしまったのかもしれない。この世界を歪めるために、今まで生きてきたんだと思う。そう 思えばこんなひどい世の中でも肯定できる気がするんだ。

 それに昨日告白したときより感情が高ぶっているのがわかる。


 「良くないよ、駄目だって言ったじゃん……」


 「駄目じゃないよ、心からそう思っているんだ。深雪のこと愛しているんだ」


 「だって、小野寺君の告白断ったじゃん。男だからって理由で」


 「うん、あの時はそう言ったね。でも、実際に楓に告白されて、真摯な思いを聞いてわかったんだ。好きって気持ちは理屈じゃないって」


 深雪は黙っている。神妙な顔で何かを考えている。


 「深雪の気持ちを聞かせてほしいな」


 沈黙が続く。深雪は口を開かない。


 「もう一回、言ったほうがいいかな?」


 「ううん、ちゃんと聞こえたよ。大丈夫だから、もうちょっと待ってね」


 言われた通り待つ。

 目を閉じてみると心地が良かった。

 深雪の答えが良いものか、悪いものかなんてどうだっていいんだ。俺はただ、この気持ちを伝えられたことが嬉しくて仕方がない。


 すると、深雪の声がする。


 「僕もね、彼方のことが好きなんだ。もう、ずっと前から……彼方のことが好き」


 「うん、驚いた」


 深雪は乾いた瞳で俺を見つめる。


 「でもね、やっぱり彼方の想いには応えられない。僕はいまの関係が大切なんだ。恋人になったら今までのようにはいられない。彼方もわかってるでしょ?」


 深雪は諦観したように言う。


 「だからね、僕たちは今まで通りで良いんだよ。朝起きて、お昼を食べて、一緒に遊んで、疲れて寝る。それだけで十分だよ。何度言われても答えは変わらないよ」


 深雪がそれで良いなら、俺は別にそれでも構わなかった。

 俺だって、いまの関係は好きだ。壊したくない。

 でも、深雪は震えている。何かを必死に耐えている。

 そんな姿を見てしまったら、納得なんて出来やしない。


 「俺も同じ気持ちだよ、今まで通り平穏に深雪と過ごしたい。だけど、納得なんか出来ない。こんな思いを抱えたまま生きるだなんて地獄だよ」


 「納得しようよ……僕だって辛いよ、苦しいよ、泣き叫びたいよ」


 深雪が難しく考えているものだから、思わず笑ってしまう。


 「深雪、手を出してみて」


 「え……?」


 俺は深雪の手を取ると、実家から持ってきた「忘れ物」を指に嵌める。


 「なに……これ?」


 「覚えてない? 昔、誕生日にあげたじゃない、おもちゃの指輪。お前こんな物まだ大事に持ってたんだな」


 俺が昔、深雪の誕生日にあげたおもちゃの指輪。実家で探してみたら、深雪の机の中に大事に保管されていて、案外あっさりと見つかった。


 深雪は手をかざして不思議そうに見つめる。


 「つまり、そういうこと」


 「ごめん、意味がわからない」


 男の娘を手に入れるなら気を狂わせろと六道が言っていた。だから、どこまでも狂おうと思った。前の告白じゃ伝わらなかったことを言うために、俺がわざわざ実家にまで帰り手に入れた大事な気持ちを深雪にぶつける。


 「俺と結婚してほしい。それで本当の家族になろう? 鹿河深雪として俺の傍にいて欲しいんだ」


 深雪は呆然としている。


 「何を言ってるの? だって僕は男で……」


 「もうね、男とか女とか男の娘とかそんなものはどうだっていいんだ。だってさ、一番大事なものはそんな表面上の言葉じゃくて、自分の心の中にあると思うんだ。自分の思いを無視して、世の中の決まりごとに従うなんて滑稽じゃないか」


 それは深雪の本心で、俺の本心でもある。


 「親父と母さんにも許可は貰ってるんだ。認めてもらえたんだよ。二人とも深雪が本当の家族になってくれることを望んでいるんだ。昔からの願いなんだ」


 「だって……だって……」


 「俺は深雪がいないと駄目なんだ。料理も出来ないし、掃除だってまともにしない。まともに生きていけないよ。だから辛いこと、悲しいこと、嬉しいことを一緒に共有してほしい。二人ならレールの外を歩いても幸せに生きていける気がするんだ」


 深雪は必死に言い訳を考えている。

 俺はその邪魔をする。


 「だから、俺と結婚しよう。卒業したら働いて、もっといい指輪買ってあげるよ」


 「馬鹿……ばかぁ……かなたのばかぁ……」


 ボロボロと涙をこぼし始めた。


 「あ、あれだよ! 別に今までが偽物だったなんて思ってないよ!」


 「わかってるよ……そんな理由で泣いてるわけじゃないもん」

別に、結婚なんかできなくたって良い。深雪に思いが伝わればそれで良かった。


 「すき……だいすきだよ、かなた……」


 そう言うと、子供のように大きな声でわんわん泣き出してしまう。

 深雪と仲直りするときはね、馬鹿みたいなことを言って笑わせればいいんだ。母が教えてくれたことを実行したのだけれど泣かせてしまった。

 俺は何もせず、泣き止むのを静かに待った。

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