第6話 男の娘VS女の子
太陽が沈み夜の静寂が訪れます、
都会は大気が酷いからか、小さな星は見えず月の光だけが現れていて幻想的です。
「……ん……」
「深雪……? 大丈夫?」
「……恵……里……? どうして恵里がいるの?」
「彼方クンに頼まれて深雪のこと介抱してたんだよ」
「彼方はどこ……?」
深雪は心配そうに辺りを見渡すのですが、ここに彼方クンがいないことを確認すると、少し泣きそうな顔になってしまいます。
「私じゃ不満だった?」
「うん、不満だよ」
「えー、ひどいなあ」
深雪があまりにあっさり言うものだから、少し笑ってしまいました。
「ありがとう、傍にいてくれて」
「だって、友達だもん」
「そうだね……」
「……」
私たちの間にあるわだかまりが、気まずい雰囲気を作り上げてしまいます。
「お水もらっていいかな?」
コップに水道水を注ぎ、深雪に渡します。
両手でコップを持ちチビチビと水を飲む様が愛らしく、彼が異性という事実を思うと不思議な感覚です。でも、だからこそ仲良くなれたんだと思います。
男でも女でもない。男の娘という概念をリージアから聞いたときは、流石に頭の調子を疑ったものです。思い出すと少し笑ってしまいました。
「どうしたの? 急に笑ったりして?」
「深雪はかわいいなあって思ってね」
「な、なんだよ急に……もう」
頬を赤らめる姿なんか純粋で素敵だなと、出来れば家に持ち帰りたくなります。
この平穏が心地よく、つい浸りたくなってしまいます。
でも、このままじゃ駄目だ。私の目的は、深雪の心を開くことで、秘密にしていた思いを伝えるために来たのです。
「深雪はさ、彼方クンのこと……好き?」
「どうしたの急に?」
「私ね、まだ彼のこと好きなんだ。どうしても諦められなくて、自分でも困惑してるんだ。もし、深雪が彼方クンのこと本当に好きなら諦めることが出来るかもしれない」
「意味がわからないよ。恵里が彼方のこと振ったんでしょ?」
「うん、あれはね、ただの嫉妬。私の小賢しい作戦なんだ。少しでも私を見てもらいたくて、あんなことしたの」
たぶん深雪は理解してくれないと思います。それでも正直に話すと決めました。
「わからないよ。恵里の言ってること全然わからないよ」
「彼方クンには別に好きな人がいたの」
「彼方の好きな人……」
彼方クンは深雪に告白をしたと言っていました。彼方クンの好きな人とは深雪のことで、深雪は今そのことに戸惑っているのです。
「そんな私の嫉妬でね、彼方クンも深雪も傷つけちゃって……ずっと謝りたかったんだ。今まで言うのが怖かった。初めて人に嫌われたくないと思ったの」
「別に気にしてないよ……」
深雪は目線をそらし俯くのです。彼方クンに教えてもらった深雪が嘘をついている合図なんだと理解することが出来ました。
「嘘だよ、本当のこと言ってほしいな。そろそろお互い素直になるべきだと思うの。だから、お願い。深雪の思いを聞かせてほしいの」
僅かな逡巡の後、深雪は私の目を見て言うのです。
「何が正しいのかな。どうしたら幸せになれるか考えちゃうんだ。だから、どうしようもなく怖いんだ。大切なんだ、恵里との関係が……彼方との関係が……」
今度は俯いてしまいます。だから私は、彼に顔を上げてもらうために精一杯の思いを伝えるしかないと思うのです。
「大丈夫だよ、私たちの関係はね、言葉で壊れるような紛い物なんかじゃないよ。もちろん彼方クンもそうだよ。深雪は知ってるでしょ? 私は表面上の優しさなんて求めてないよ。心からの叫びがほしいの」
深雪は顔を上げてくれます。もう大丈夫だと思います。
「……そこまで言うなら、少しだけ昔の僕に戻るよ……絶対に怒らないでね?」
私は頷くと、深雪は一泊置いてから話し始めました。
「僕はね、彼方のことが好きなんだ。家族に向けるような感情じゃないよ? 女の人が男の人に向けるような感情なのかな。こんな酷いもの受け入れてもらえる筈ない、そう思って諦めようとしたんだ。……だから、恵里に彼方を紹介したの。二人が付き合えば僕は彼方のことを諦められると思ったから」
感情的にまくし立てるのです。こんな深雪は見たことがありません。
でも、これが本来の深雪なんだと思うと少し嬉しい気持ちになります。
「だから、負い目に感じてたの?」
「うん、誰も幸せになんかなれなかったよね」
やっぱり、深雪は抱え込んでいました。しかも、どうしようもない感情を。
「そんなことないよ、私ね、人を好きになったの初めてなの。きっと思いだけなら深雪に負けたりしないよ」
「僕は誰よりも彼方のことが好きなんだ。恵里なんか足元にもおよばないよ」
当然のように言うものだから、少しカチンときました。怒ってみます。
「じゃあ、何で隠してるの? 私は伝えたよ、好きって言った。それも大声で! 町中の人が聞いたんだから。深雪なんか目じゃないよ!」
「言えるわけないじゃん! こんな想いはおかしいんだから!」
「その程度なの? そんなの好きでもなんでもないよ、ただの思い上がりだよ」
「恵里に何がわかるって言うの!? ずっと耐えてきたんだ! それこそ小さいころからずっと、ずっと、ずっと……っ! 恵里だって逃げたじゃないか!」
「私はね、もう逃げないよ! だからここにいるの、こうして深雪と向かい合ってる! いい加減伝えなきゃ駄目だよ、深雪のやってることはただのガラクタだよ!」
お互いヒートアップしてしまいます。もう、何が何だかわからない状態で、私も思いついた言葉を言うマシンガンと化していました。
「ガラクタなんかじゃない! 僕にとっては宝物なんだ……無くしたくないよ……だって大切なんだもん!」
「じゃあ、私が彼方クンを貰っちゃてもいいの? もう遠慮なんかしないからね!」
「そんなの駄目! 彼方は僕のモノなんだ! 誰にも触れさせなんかしない!」
「じゃあ、いい加減男見せてよ! ちんちん付いてるんでしょ!」
「付いてない恵里にはわからないよ! どうせ恵里のカレーが不味いから彼方も愛想つかしてるよ!」
「カレーは関係ないもん! だいたい深雪の教え方が悪かったんだもん!」
「ちゃんとレシピ通り作ってよ! なんで隠し味にプリンとか入れるのさ!」
「プリン好きなんだもん! 美味しくなると思ったんだもん!」
ついに関係のないことでお互いを罵倒し始めてしまいました。これではただの喧嘩です。
「深雪の馬鹿! 独占おばけ!」
「恵里のアホ! 勘違い女!」
もう滅茶苦茶でした。余計なものを含まない、純粋な思いを投げつけています。
思えば、初めて喧嘩したと思います。川辺だったら殴り合っていたことでしょう。
ただ、心はスッと空気が抜けるような感じがします。
それが嬉しくて、何故か場違いな笑いを出してしまいました。
「ぷっ……あははははは、なに? 勘違い女って? あはははは!」
「恵里こそ……はははは、独占おばけだなんて酷いよ、あはははは!」
深雪も同じ気持ちのようで、心底おかしそうに笑います。
後はもう、笑うだけでした。心の中は残りカスがないほどに吐き出しました。
深雪が親友で良かったと思います。自分の新しい一面を知ることが出来ました。
☆
あれから疲れ果てた私たちは、ベッドに入り肩を並べ寄り添い合っています。
部屋には月の明かりだけで、とても静かです。
「彼方は……なんて答えたの?」
深雪が訥々と聞いてきます。
「何が?」
「だから……好きって言ったんでしょ? その答えだよ」
「うん、思いっきり振られた。それこそ町中の人に聞こえるようにね」
「ははっ、ざまあみろだね」
「酷いなあ、これでもショックなんだから」
深雪の体は小さく、もしかしたら私よりも小さいのかもしれません。またひとつショッキングな事実が増えました。
「彼方クン、そのうちここに帰ってくるよ」
「うん、わかってる」
「ちゃんと気持ち伝えられる?」
「女の子にあそこまで言われたら、引き下がれないかな」
「そっか、ちゃんと言うんだよ。逃げちゃダメだからね」
「男の娘に二言はないよ」
「へんなの……あーあ、ずるいなあ。深雪の独り占めなんだもん」
「当然だよ。何年の付き合いだと思ってるの?」
深雪は朗らかに笑うと、少し悲しい顔になります。
「告白はするけど、付き合うことはないよ」
「え、なんで……?」
「今の関係も好きなんだ。彼方と家族でいたい。恋人になったら、お終いだもん」
「本当にそれでいいの?」
「うん、少し辛いけど……この関係が無くなるよりはマシかな」
私には納得のできない答えでした。
深雪はまだ躊躇しています。彼方クンとの関係を深雪は何よりも大事にしていて、それは私なんかでは到底踏み込める領域ではないのです。
だとしたら、私の仕事はここまで。あとは、彼方クンに任せるしかありません。
彼方クンなら深雪の心を最後まで開くことが出来ると信じています。
「体調は大丈夫?」
「まだ少しだるいけど、恵里のせいで元気出た」
「そっか……ざまあみろだね」
そして沈黙、目を瞑り穏やかな時をすごします。
もう寝てしまったのかと思った矢先、ぽつりと深雪が、
「ありがと」
「うん、こちらこそ」
それからお互い何も喋らず、静かに幕が閉じるのです。
「やっぱり、私、彼方クンのこと諦められないや、ごめんね」
深雪に聞こえないように、静かに言って眠りにつきました。
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