第一章
第1話 男の娘の授業
男子校の教室は例えるなら闇鍋だ。
古今東西の馬鹿を箱に押しこめ、男の汗で充満した教室に大量の消臭剤、さらにはお弁当の臭いで彩りを加える。一流のシェフだってお手上げの代物だ。
しかし、いつもの教室の筈なのに、なんとも言い難い良い匂いに満ちている。
目の前に広がる光景は異様なものだ。俺と深雪以外は女装をしていて、昨日までの破壊を美学とする蛮族思想の持ち主たちはいったいどこへいったのか。
さらに異常性に拍車をかけるのが、まともに授業を受けていることにある。いつもなら祭りのようにワッショイワッショイする連中が、今は皆ノートに筆を走らせている。多少は話し声も聞こえるが、授業の進行には問題のないレベルである。
教師も驚きを隠せないようで、しどろもどろに授業を進めている。
「どうした、お前たち今日はやけに静かだな……」
先生、突っ込むのはまずそこじゃないと思います。
六道曰く、これを女装教育の効果だそうだ。一日女装しただけでこの効果……人格が入れ替わったとしか思えない。つうか骨格とか髪の長さとか変わってるので、人体そのもの入れ替わったのではないだろうか。
まともに授業は進んだにも関わらず、何ひとつ内容が入ってこないまま授業が終わった。
「深雪、ちょっといいか?」
「んー、なに?」
授業の間の休憩時間。俺は真相を探るため聞き込みをする旨を深雪に伝えた。深雪のほうもこの異変には興味があるようで協力してくれるらしい。
「手分けしよう。何かわかったら連絡な」
「はいはーい」
深雪と別れ行動を開始する。とりあえず比較的仲のいいやつから聞くかな。
方針も決定したので、俺は数少ない友達の小野寺君の席に向かった。
小野寺楓くんは俺のゲーム友達であり、たまにリージアと一緒にゲームをしたりする仲である。彼は大人しい性格かつ寛大な心を持っていて、聖職者のような御仁だ。
先生が授業を放棄すれば率先して呼びに行く姿勢や、先生が泣きだしたら労り励ましたり、先生がキレて目の前で時計を叩き壊したら、黙々と残骸を掃除したり、このクラスの数少ない良心である。もはや小野寺さんである。
小野寺さんの席には背筋を伸ばした綺麗な少女が座っていた。ぱっつんな前髪は前と変わりないが、後ろ髪は綺麗なロングになっている。
「えーと、もしかして小野寺くん?」
「そうだけど、どうしたの?」
小野寺くんは元々の顔が美少年であったからか、女装姿がとても似合っていてかわいい。
なぜか体格も一回り小さくなっているため、本当に女の子のようで緊張する。
「んと、どうして女装なんかしているのかと思って……」
「えへへ、なんかしたくなっちゃたの……」
そうかー、したくなっちゃたかー、そりゃ仕方ないねー。くそ、かわいい。
なんなのこの子すごいかわいいんだけど? もう小野寺くんでも小野寺さんでもないよ。この子は正真正銘の小野寺キュンだよ!
「あー、そうなんだ。小野寺キュンは女装して何か変わったことってあるかな?」
「その……鹿河くんがいつもより格好よく見えて……ドキドキしてる」
そんなの俺もドキドキです! やばい、心を直接くすぐるような変な感情が沸き起こってきてるんですけど! ああ、俺には深雪がいるんだ。許しておくれ!
顔が熱くなり恥ずかしくなったので小野寺キュンに別れを告げ逃げ出してしまった。
「はあはあ……危ないところだった」
危うく魂を持っていかれる所だった。女装恐るべし。
「カナタ! あいらぶゆー」
「ぶへっ!」
聞き覚えのある甲高い声がしたので振り向けば、ちっこい小動物のような奴がタックルして押し倒してきた。もれなくこいつも女装している。
「誰だお前?」
「見て分からない? リージアだヨ! カナタ専用のおもちゃだヨ?」
「何から何まで何を言っているのですかお前は」
ライオンの赤ちゃんを髣髴とさせる容姿。しかし青い目と不釣り合いな小悪魔のように吊り上がった瞳は妖艶だ。もれなくこいつも髪が長くなりウェーブがかかっている。
こいつがリージアなのか? ロリ化してるぞ!?
「なんだかおかしいの。ボクね、カナタとエッチなことしたくて、体が熱くて仕方ないの……どうにかしてよ、カナタぁ」
そう言うと、シャツのボタンをひとつひとつ外してゆく。白く柔い肌がシャツの隙間から覗かせて卑猥だ。うおおおおお、なんだこの気持ちは!
「何やってるんだ!? とにかくどいてくれ!」
「どうしたのカナタ? もしかしてロリビッチ男の娘のボクを意識してるの?」
俺に跨るリージアは腰を揺らして不思議な突起物を当てがって擦らせてくる。ところでロリビッチ男の娘ってなんですの……?
「んっ、ふああ……これすごいよお、カナタぁ……」
「おまっ!? なにやって……くおおっ!」
リージアの股間にある摩訶不思議アドベンチャーな突起物が何やら汗ばんできている。なんだこれなんだこれ……どうして俺までこんな……
「あんっ、カナタぁ……どう? 気持ちいい? ボク変なの、カナタを見てるとねジンジンするの、爆発しそうだよぉ……カナタもジンジンしない?」
ジンジンってか今後頭部がガンガン床に叩きつけられてる。つうか何が爆発するんだ。
「と、とにかくどいてくれ……」
「でもカナタ嫌そうじゃないよ? その証拠に抵抗してこないし、本当はもっと
ジンジンしたいんだよね? ボクと一緒にいっぱいエッチなことしようよ?」
奇々怪々な突起物はさらに熱を帯び固さを増してくる。
なんで抵抗できない。体に力が入らない……体の全身が弛緩したように、それでいて水面に揺蕩っているような感覚。俺の知らない感覚。このままじゃ……
「カナタぁっ! カナタぁっ! ボ、ボク……もう……」
もう、駄目かもしれない。何かが弾けそうになったその時……
「何やってるの!? 二人とも!?」
「み、深雪!?」
「ふあ……?」
深雪は慌てて俺からリージアを引き剥がす。
「もうー、あともうちょっとで達したのに……」
何がですか? 何が達しそうだったのでしょう? 何もわかりません。
「何をやってるのかな、彼方……?」
「いや、俺は……急に襲われまして……」
「ふーん……」
ゴミを見る目だ、そんな目で見られるのは初めてだ。背中がぞわぞわする。
「もう、サボってこんなことしてるなんて、最低だよ」
深雪は俺を引っ張り上げると、そのまま手を引かれ連行される。
「ああん、もう待ってよう……」
俺達はリージアを放置して次の聞き込みに向かった。
その間深雪はずっと口を聞いてくれなかった。
あの後何人かに聞いてはみたものの、参考になる答えはなかった。
どの答えも衝動とか何となく、そんな曖昧な答えばかり。あとは昔から興味があった奴もいたみたいだが、それは特殊性癖を生まれながら備えていたに過ぎない。
問題なのは、昨日まではみんな否定していたにも関わらず、皆が皆一斉に女装したことだ。いくらなんでもおかしい。
リージアに至っては俺を襲ってきたりした。スキンシップにしては過剰すぎるほどだ。
六道は、俺と深雪に向かって女装をしていないことに対して「ありえない」と言った。つまり、クラス全員が女装をすると確信していたからではないだろうか。もちろん、あいつは頭がおかしいから根拠もなく言っている可能性もある。
だが、今までの六道の不気味な笑みを思い出すと、ただの妄言とも思えない。
「何も収穫はなかったね」
「確信できる答えはないな。どいつもこいつも女装がしたくてやった。そんな答えしか聞けなかったな」
「なんだかすっきりしないね」
「やっぱり、直接黒幕に聞くのが手っ取り早いかね」
「黒幕といえば次は保険の授業だから六道先生の担当だよね。何か聞けるかもね」
「六道の授業か、そうなると先生まで女装をしているわけだ。いよいよ正真正銘の男は俺だけになりそうだな」
「ちょっとー、僕も男なんですけどー」
頬を膨らませ抗議をする男がこの世にいるだろうか。いたらもれなく殴ります。
「ところで深雪は女装しないのか?」
「えー、しないよ。そんな趣味ないよ」
「そっかー、残念……」
「……残念なの?」
深雪は上目遣いで疑問を返してくる。変なことを口走ってしまった。最近は変な意識を向けすぎな気がする。きっと、周りで起こった異変が俺の頭をおかしくしているのだろう。
深雪は男だ、それは俺が一番よく知っている。物心つく前から一緒に暮らしているのだから……変な趣味がないのだって知っている。おかしなことを聞いてしまった。
妙な空気になってしまったが、六道の入室でうやむやになった。
「よーし、揃っているな。お前らの大好きな保健の授業だぞ」
いつもならここで歓声。なのだが、どうも反応が鈍い。
「ああ、そうか。今のお前たちは男の娘だったな。少しは恥じらいという感情も芽生えているようで安心した。順調に染まっている証拠だ」
女装をするだけでここまで変化するのか。恐るべし、女装教育。
「どうかね、そこの二人も女装に興味を持ったのではないかな?」
「そんなことより説明してくれ。どうしてこうなった」
六道の問いかけを無視する。変態の戯言に付き合ってられるか。
「ふむ、いいだろう。今日は始めであるし、特別に男の娘の授業をしてやろう。脳の隅々まで男の娘で犯して、もう男には戻れないようにしてやる。」
そうして世にも奇妙な授業が開始された。
男の娘は男と女の狭間にある概念。どちらでもあり、どちらでもない。新たな性別だと六道は言う。男のように振る舞う者もいれば、女のように儚い者もいる。
男性は誰しも女性に憧れを抱いている。その根幹は性欲の感情か恋愛の感情か、その欲望こそが、男の娘になるために必要とする、ある物質が生成されるらしい。
「それが女装ホルモンだ」
「は? 女装ホルモン?」
俺は聞きなれないな単語に反応する。
女装ホルモンは男性が誰しも備えている物質。その量が一定量増えれば、女装衝動が湧き男は男の娘として開花する。そして女装ホルモンが多いほど純粋で可憐なものとなる。
己が理想とする女性を自己で体現することが男の娘である。
なるほど、意味が分からん。
「つまり女装ホルモンが増えたから、クラス全員が男の娘になったと?」
「そういうことだ」
「いやいや、おかしいだろ。なんで急に増えたりするんだよ。全員同時に男の娘になるなんてありえるのか?」
「なんだ、まだ気づかないのか。私が親愛の証で全員に食わせたじゃないか。あの飴は私が開発した、女装ホルモンを分泌させるための特別な飴だ」
「バイオテロかよ……」
なんて恐ろしいことをする教師だ。顔や骨格が女性のようになるものを食わされたなんてぞっとする話だ……あれ?
「待ってくれ。じゃあなんで、俺と深雪は女装をしていないんだ?」
自分でも何を言っているかわからない質問をしてしまう。
「私にもわからん」
無責任なことを言うマッドサイエンティストがこちらとなります。まじかこいつ。
「どうだね、飴ちゃんならまだ貯えがあるぞ。食うか?」
「食うか! 俺は絶対に女装なんかしないからな、そんな教育クソ食らえだ!」
「まったく本当に問題児だなお前は……三条深雪、お前はどうかね?」
「僕もするつもりはありません」
六道は呆れたような顔をする。呆れたいのはこっちだ……
「まあいい、そこはゆっくり教育するようにしよう。だが気を付けたまえ、前にも言ったが男の娘は男のように獰猛で女のように魅惑的だ。性欲に飢えた獣の牙に喰いつかれないように気をつけてたまえ」
不吉な発言とともにチャイムが鳴り、授業時は終わりを告げた。
お昼休み。いつもは深雪のお弁当で気分高揚の素敵な時間なのだが残念至極、流石に病み上がりの人間にお弁当を作らせるほどの亭主関白さは持ち合わせていない。
なので、今日はコンビニで買ってきたパンで済ませるつもりだったのだが、
「鹿河くん、お弁当作ってきたんだ! 一緒に食べない?」
「あー、ずるい! 私が一緒に食べるの!」
「彼方くん、僕の食べてほしいな……」
昼休みが始まった瞬間、クラスの美少女(男)に言い寄られてしまう。まさしくハーレムラノベの主人公のような状況を実際に体験してしまっている。
リージア曰く、俺の顔はホモに好かれそうな顔らしい。そんな忌々しい称号が今になって効果を発揮しているのだろうか。厄介なことこの上ない。
六道の忠告はこのことだったのか。たしかにこれは度し難い問題だ。
「深雪……助けてくれ……」
同じ男の深雪に助けを求める。深雪には誰も言い寄っていないようだ。なぜ俺だけ……
「知らない」
またもぷんすかと一人どこかへ行ってしまう深雪さん。ははは、モテ男に嫉妬ですか、そうですか。お願いだから助けてくれませんか……?
この後めちゃくちゃ食わされた。
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