#3 Sカーブ

ノイジー・エナジー #3Sカーブ


★本作品はフィクションです。実在の人物、団体、出来事、法律などには一切関係ありません。法令を遵守し交通ルールを守りましょう。


#闇


 月の隠れた夜、裏通りの駐輪場で二人の男が静かに動いていた。どうやらトラックにバイクを載せているようだ。パーカのフードをかぶり、風邪の時にするようなマスクをしているので、顔はよく見えない。


「…おい、早くしろ。」

 その声は低く、押し殺したもので、誰かに聞かれることを恐れているようだ。

「しっ…。人が来る。…俺に任せろ。」

 一人が闇に溶けた。近づく人影はたまたま通っただけのようだが、こんな夜にバイクを積んでいるのが気になったのか声をかけた。

「おい、何して…。」


 バチッ!何かが光った。

「痛…。」

 声をかけた通行人はうずくまり倒れる。そこに追い討ちをかけるように、更に何かを押し付けられた。

 ジジジジジジ…。

「グッ…!…!…」

 声にならない呻きと痙攣のような震えがしばらく続き、再び静かな闇の時間が訪れた。


#宿題


 アタシが翔吾とサクラと再会した時の続きがある。


「サクラ、サクラ。」

 アタシがサクラとの再会を果たして、しばらく抱いたり撫でたり舐められたりしていたが、傍らでじっとその様子を見ている翔吾の存在をすっかり忘れていた。

「…と、ゴメン…辰巳くん。」

 アタシは手の甲でゴシゴシと顔を拭うと、サクラを翔吾の方に押しやって立ち上がった。

 サクラは尻尾を振って、『もういいの?』と言うようにアタシを見ていたが、アタシがバイバイと手を振ると、大人しく翔吾の方に戻って行った。


「ありがと、サクラを育ててくれて…。」

 アタシは翔吾を見た。背は小学生の頃はアタシの方が高かったと思ったが、今は同じくらいかな、目線が変わらない。

「…スクーターなんて乗ってるんだ。もうサーキットは走ってないの?」

 アタシは他意はなかったのだが、翔吾がちょっとイラッとしたのが分かった。

「「あのさ!」」

 ハモった。

「どうぞ。」

 アタシはそう言うと翔吾が話すのを待った。


 翔吾は困ったな、と言うようにアタマを掻くと言った。

「ええと…悪いけど、急ぐんだ。…サクラ、いくぞ。」

 キュルキュル…ボルルルッ!ボッボッボッボッ…。

 翔吾はそう言うと、スクーターのエンジンをかけた。そしてスクーターに乗り込むと、サクラも後ろに飛び乗った。

「…またな!ちえり!」

 ボルルルン!ボルルル~…。


 あっという間にスクーターは、大分暗くなってライトを点け始めたクルマの群れの中に消えていった。アタシのポケットの中でスマホが鳴っているのに気づいたのは、もうしばらく後のことだった。


 回想終わり!


「それだけ?」

「…うん。」

 夏子の家でアタシは夏休みの宿題をやっていた。夏休みもあっという間に過ぎ、残すところあと数日だが、机の上に積まれた課題の山は、まだ半分も終わっていない。

「…ねぇ、アドレスやIDは?」

「…聞いてない…。」

「…なにやってんの?」


 夏子は化学科の課題なのか、いきなりメガネをかけて、怪しげな液体の入った小さなフラスコを氷の入った小振りのワインクーラーで冷やしながら、試験管のこれまた怪しい液体を慎重に冷やしたフラスコに注いでいる。アタシは慌てて机から離れた。


「…それは化学の課題なの?」

 アタシは恐る恐る確認した。

「まさか、宿題は最初の一週間で終わらせたよ。」

 そして、夏子は夢見るように上を見上げると、さも愛おしそうに言った。

「…あの、海辺の語らいで、先生が私に教えてくれたの!」

 ふうん。


 夏子がフラスコからスポイトで薬品を静かに吸い取ると、アタシはノートをサッと広げて防御姿勢を取った。

 ポタリ…。バンッ!

 スポイトの液体を少し高いところからサイドテーブルのステンレスの天板に垂らすと、大きな音がしたが天板が割れるほどの爆発ではなかった。よかった。無事だった。夏子との付き合いも長いから、もう慣れたもんだ。


 夏子がメガネをかける時は、炎が出たり、爆発が起きる。夏子がメガネをかけるから爆発するワケではない。夏子は爆発の危険を感じると、メガネをかけるのだ。

「…もう少し派手な音が出ないかしら?」

「いや!止めて!もう充分だから!」

 アタシが恐怖を感じて実験を止めると、夏子はとても残念な顔をする。


 夏休み!この甘やかな響きの、素晴らしい日々の締めくくりが、たまりにたまった宿題なんて!

 この夏休みは非常に充実した日々だった。バイトも結構入れたけど、おかげさまでアタシの銀行口座は潤いが増した。早くサーキットで走りたい。レーシングスーツを買ったり、ライセンスを取ったり、そのための準備資金なのだ。


 二輪女子会のツーリングは楽しかったし、後日夏子と行った三浦半島もよかった。三崎のマグロ丼が美味しかった。

 夏休み前に明らかになった持久力不足も、毎朝のランニングと筋トレを欠かさずやって、合気道も何回か春男くんに付き合ってもらって何とか改善した。何となく太ももからヒップにかけて引き締まった気がするし、ウエストもクビレがハッキリしてきたし、二の腕だってつまめる量が減った!まあ、目的はダイエットじゃないんですけど…。


 ぼんやりとそんなことを考えていたら、夏子がそんな様子を察したのだろう。

「でも、宿題はやっておかないとね?」

 一気に現実に引き戻された。分かった。分かってます。頑張ります。


 アタシがしばらく大人しく宿題に向き合っていたら、実験道具を片付けていた夏子が思い出したように聞いた。

「ねえ、ミクリンにはその後アプローチしてないの?」

 そりゃ、アタシだってもっとお近づきになりたいよ?

「だって、進学するから勉強が忙しいっていうんだもん。整備士の資格取るんだって。」

「ミカリンに、勝負だ!って、啖呵切ったんだよね?」

 その話を言われると未だに耳が熱くなる。夏子にしか言ってない。

「…あれは!…だって!」

 むにゃむにゃ…。

「うん?なんだって?ハッキリ言ってごらんなさい?」

「もう…勉強するんだから!邪魔しないで下さい。」

「ハイハイ、じゃあ頑張って。応援してるから。」


 実験道具を片付け終わった夏子は、いつものサイフォンでコーヒーを入れてくれた。

「でもさあ、ここに来て翔吾と再会なんてねえ。」

 アタシはサクラと再会した方が嬉しいんだけどね。

「運命だよね?」

 ぶっ。アタシはコーヒーを吹き出しそうになった。まだ、アタシをいじるんですか?


「ミクリンと翔吾。二人の間で揺れるオンナ心!右に左に振り回される様子は、まるでS字カーブのよう…。ちえりは上手にクリアできるのかしら?それとも、転倒して傷ついてしまうのかしら?」

 もう!好き放題言ってくれちゃって!

「どうなる!御厨悟VS辰巳翔吾!」

 うん?夏子があれ?って顔をしている。なんだろう。

「…あのさ…思い出したんだけど、辰巳翔吾って名前…。」


#新学期


 九月!新学期!それは楽しかった夏休みの終わりを意味する。そして、辛かった宿題の日々の終わりを意味する。悲しいような、ほっとしたような、複雑な気持ちだ。


 そしてもうひとつ、学校でしか会えなかった人達と、再会する喜びもある。

「鈴木さん、関山くん、久しぶり!元気してた?」

「晴海さん、焼けたねえ!そう言えば、夏休みのツーリングは行けなくて残念だったけど、今度は行けるかもよ?」

 鈴木さんはカバンから財布を出すと、真新しい免許証を取り出した。

「鈴木さん!凄いじゃん!原付なんだね。でもこれで二輪女子会のツーリングも参加できるね!」

「うん!楽しみだよ。」


 関山くんが羨ましそうな顔をする。

「俺は12月だからなあ。」

「じゃあ関山くんは初日の出でデビューだな。」

 などと、一通り挨拶を終わらせると、アタシは行くところがある。ガシガシと廊下に歩を進めると、隣りの教室の扉を開いた。

「機械科一年A組、辰巳翔吾はいるか?!」


#隣りのクラス


「辰巳くん!他のクラスの女子がお呼びですよ。」

「誰?」

「アタシ、B組の晴海です。」

 クラスが一瞬ざわめいた。

「ハルミ…さんだって。」

 アタシがとなりのクラスに入って行くと、人がすうっと下がった。どうやら夏休みを明けても例のウワサは健在らしい。

「あれがハルミさん?ウワサより可愛くないし、小さいね。」


 文化祭からこっち、クラス展示のカンフー飲茶で呼び込みをしていた話と、二輪男子部ジムカーナの後葛城先輩を投げ飛ばした話と、後夜祭で屋上でハーモニカを吹いて騒いで職員室に呼び出された話が、ごっちゃになって大変な話になっていた。

 曰く、文化祭で美少女カンフー使いが、口笛を吹きながら先輩を蹴り飛ばし、生徒指導室に呼び出されて停学になったそうだ。それが機械科一年B組のハルミという巨人女子だと!停学はアタシじゃなくて翔吾じゃん!


「よう、思ったより、気がつくのが早かったな。」

 教室の窓側、一番後ろの席に翔吾がいた。机に付いて、ガラの悪い友達とだべっていたらしい。


 夏子の話によると、文化祭前に他校の生徒とケンカがあり、辰巳翔吾という生徒が主犯格として停学になったらしい。二輪男子部にも停学になった生徒がいたなと思い出したので、部長に朝会って聞いてみたら、辰巳翔吾というやつが、停学になったらしい。まだ男子部に所属して活動しているそうだ。

 アタシと同時期に入部して、顔も合わせているはずだって。知らなかった。全然気が付かなかった。きっと翔吾は薄情な奴だと思っているだろう。しかし、そうならそうと、言えばいいのに!分かってて知らんぷりしている方がよっぽど酷いと思わない?


「なんでアンタがこの学校にいるの?」

「お~や、言わなかったっけか?」

 アタシと翔吾は暫し睨み合った。

「なになに?」

「何の話?」

 周りが騒がしい。ここで色々話すのもめんどくさい。

「…ちょっと来て。」

 アタシは翔吾を廊下に連れ出そうとした。


「おおっ?大胆だねー。俺達を無視して翔吾ちゃんを連れてっちゃうのかな?…ふざけんなよ!」

 ガンッ!

 翔吾の目の前に座っていた、ガラの悪いヤツが机を蹴った。うわぁ、コワイコワイコワイ!こんなのとお友達なの?あんまり、付き合いたくないな。


 ダンッ!

 翔吾は蹴られた机を蹴り戻すと、蹴ったヤツに向かって言った。

「晴海はお前らが思ってるより全然強えぞ。あんま舐めない方がイイ。それと、お前らが周りに居ると迷惑なんだヨ。今度近寄ってきたらコロスぜ?」

 翔吾はそう言うと凄い目でヤツラを睨め回した。


「…待たせたな。」

 翔吾はゆっくりとアタシの方に歩いて来た。翔吾変わり過ぎだよ、アタシはため息をつきながら教室を出たが、途端にチャイムがなった。もう始業時間だ。

「ちょっと話しさせてよ。放課後屋上で待ってる。」

 アタシはそれだけ伝えると教室に戻って行った。


#対決


「で?なんで呼び出した?俺はオマエに話すことなんてねえぞ。」

 なんでこんなヤツになってるんだ。アタシはサクラに会いたいだけなのに。

 翔吾は約束通り屋上に来てくれたけど、荒れてるっていうか、ヒネてるっていうか、元々人当たりの良い性格じゃなかったのがパワーアップしたようだ。


「まさかの告白ってワケじゃないよな?」

 はぁ?バッカじゃないの?

「なんでアンタに告白するのよ!アタシは他に好きな人がいますぅ。」

 っと、余計なこと言った。そ、それは置いといて…。


「説明してよ!二輪男子部にもいるらしいじゃない!なんで黙ってたのよ?」

「お前がバイトばっかりで不真面目だったからだろ。どうせすぐにやめちまうと思ってたさ!」

「アタシは整備じゃなくて、走りたいの!アンタは違うの?」

「…俺か?…そうだな、俺は…。」

 急に黙られると、なんて言っていいか困る。翔吾はなに考えてんの?アタシの頭の中を白いレーシングスーツの小さな後ろ姿が通り過ぎた気がした。


「よう…。御両人、久々の再会で、いきなり痴話喧嘩ですか?」

 5人ほどの生徒が屋上に上がって来た。翔吾のクラスの人相の悪いヤツラだ。

「ちょっとケンカで停学喰らったくらいでいい気になりやがって。オレらを舐めると承知しねぇぞ!」


 え~っ!なんでこうなるの!ちょっと…いや、かなり怖いんですけど!

 奴らはアタシ達を囲むようにして近づいて来た。アタシと翔吾は背中合わせになって、逃げ場が無い。けど、逃げなきゃ。


 後ろに立っている翔吾がコソコソと話しかけてきた。

「コイツらツルんでるけど、一人一人は大したことないぜ。頑張ってくれよ。」

「な?」

 アタシを巻き込まないでよ!父さん、アタシもうヤバいかも。もうすぐ、ちえりもそちらに行きます。


「オラァ!」

 アタシの目の前のヤツが、掴みかかってきた。もうイヤッ!

「止めてぇ~っ!」


 囲まれた時からアタシは身体をリラックスさせて、何が起きても対応する用意が出来ていた。視野を広く保ち、周囲の気の流れに神経を研ぎ澄ませていた。相手が動き始めた時、アタシの身体はスイッチの入った自動人形のように反応したんだ。


 掴みかかろうと突き出された手の手首を、アタシはしっかり掴むと、身体を回しながら引き落とす。相手はぐらりと傾くと、無防備な肩と背中をアタシに晒した。アタシはもう一方の手で肩口を掴むと、手首を引き、肩の関節をキメながら、地面に叩き付けた。


 既にご存知の通り、アタシは合気道の使い手で道場でも指折りの実力者に成長しました。この夏休みは持久力向上を目的に、初心に帰って基礎を見直しました。同時に護身術としての合気道を教えたいという道場主の意向に、アタシも実戦的な稽古で教える立場で研究を重ねました。こんな形で役立てたくはなかったけど、アタシはパワーもテクニックもレベルアップしていたのです!


 相手は何が起きたのか分からないまま、肩をキメられ押さえつけられている。周りの誰もが信じられないものを見たように固まっていた。相手が一人の時はこれで終わりだ。だけど、今日はあと四人もいるし、今制圧しているコイツも腕を離せば、また掛かってくるだろう。


 どうする?


 翔吾が動いた。こうなる事が分かっていたのだろう。周りの奴らが動かないのを見て取って、アタシが押さえつけているヤツに素早く近づくと、トドメの蹴りが一閃!

「止めてぇ~っ!ぐふっ!」

 というのは、動けないところを翔吾に蹴られると悟ったヤツの断末魔だ。


「キャーッ!止めて来ないで!」

 そのあと、アタシはとにかく逃げ回っていた。

「待て!コラ!」

 待つもんですか。

「逃げてんじゃねえぞ。」

 逃げるが勝ちよ!


「オラァ!」

 しまった!また手を掴まれた。しかし引かれた力を加速して相手に近づく。突き出された拳に力がこもる前に紙一重で受け流して避ける。すれ違いざま、掴まれた手にもう一方の手を添え、弧を描くように回して一歩踏み込むと、相手の身体は突き上げられて吹っ飛んだ。

 そこへ、またも翔吾がトドメの一撃を見舞う。

「ぐはっ!」

 これでまた一丁上り。


「痛タタタ!」

 三人目はアタシの長い髪を掴んできた。オンナの命をなんだと思ってんの!

 ぐいっと引かれるのに逆らわず、素直について行くと、羽交い締めにでもしようというのか、抱きとめようとする。アタシは望み通り背中から倒れ込むフリをして、最後に身体を回すとみぞおちにヒジで当て身を喰らわしてやった。

「ぐっ!」

 相手の身体が前のめりになったところを、素早く体を入れ替えて腕を取り、相手の後頭部に手を添えて、前に振り出すと引かれた腕との反作用でコロリンと転がった。

 そこにドスンと翔吾のパンチが炸裂する。

「ゲボッ!」

 これで三人が戦闘不能だ。


 残る二人は明らかに意気消沈していた。倍以上の人数で挑んだのが、あっという間にやられてしまったのだ。しかも相手の一人は可愛い女の子である。あ、可愛いっていうのはアタシの主観です。


「ちくしょう。覚えてろよ!」

 ガラの悪い奴らは傷ついた仲間を放り出して逃げて行った。倒れていた奴も痛む身体を引きずるように退散した。

 あとにはアタシと翔吾のふたりが残された。


#対決 第二幕


 アタシは結構息が上がっていた。さんざん逃げ回って、男子相手に渡り合ったのだ。しかも三人も!こんな大立ち回りをすることになるなんて。夏休みに鍛えておいてよかったぁ。

 殴られはしなかったけど、掴まれた腕がじんじんする。ヤダな、アザとかにならなきゃいいけど。髪もブラッシングしたい。なんだかバサバサだ。


 翔吾はというと、トドメを刺しているだけではなかったようで、顔に殴られた跡が残っているし、走り回ったかの様に肩で息をしていた。

 そういえば、アタシと相手していたのは、ほぼ一人だけだった。どうやら残りの奴らは翔吾が引き付けて、アタシが投げ飛ばすまで、時間稼ぎをしていてくれたらしい。


「大丈夫か?」

 しばらくして息が整った頃、翔吾が話しかけてきた。

「アタシは大丈夫。翔吾は…結構殴られてるね。」

 しかし、翔吾は話を聞いていないようだ。

「オマエ、強えな!」

 はぁ?

「いやぁ、まさかこんなに強いとは思わなかったな。てっきり俺に泣きついてくるかと思ったのに…。」

 アンタって…やっぱサイテー!


「…ちょっと、俺とやんねえ?」

「ハァァァ?!やるって何を?」

 翔吾はファイティングポーズを取ると、アタシに向かって拳を繰り出した。

「実はオマエに投げ飛ばされた後、少林寺拳法を始めたんだ。」

 シュッ!シュッ!と、繰り出す拳は鋭く、恐らくマトモに喰らえば骨が砕けるだろう。

「オマエだけが、武術をやっていると思うなよ。」

 ニタリと笑う翔吾は、本当にバカで単純なヤツだった。


 いきなり翔吾の蹴りが飛んで来た。アタシは飛び退って辛うじてよけたが、夏服のシャツのボタンがひとつ飛んで行った。

「ちょっと!本気なの?やめようよ。こういうの。」

 答えの代わりに鉄拳が飛んで来た。アタシはクビを振って避けたが、耳に鋭い痛みが走った。

「ねぇ!女の子相手に打撃系の武術ってどういうこと?顔に傷でも付いたら責任取ってくれんの?」

 アタマに来たアタシは翔吾の腕を掴んだが、強い力に引き戻された。

「そんなの、知ったこっちゃねぇよ。」

 翔吾の腕は動かそうにもピクリとも動かない。

「フン。男の力を舐めんなよ。」


 咄嗟に、アタシは翔吾の指を掴んでいた。薬指か中指か人差し指かはどうでもいい!そして掴んだ指をねじ上げた。

「イテテテッ!」

 翔吾が痛がり出すが、知ったこっちゃない!アタシは痛がって力の抜けた翔吾の腕を抱え込み、引き落とした。

 ドサリと翔吾をうつ伏せに倒すと、抱え込んだ腕の肩から肘をキメて捻りあげ、身体を預け、目いっぱい体重をかけて押さえつけた。


「痛い!痛い!痛い!」

 翔吾は脚をばたつかせるが、ガッチリ決められた腕は外れることはなく、捻られた関節に負担をかけるだけだった。

「情けないわね!男の力を見せてくれるんじゃなかったの?」

 アタシは更に体重をかけた。


「ぎゃあああ!痛い!痛い!ギブ!ギブ!って言うか、胸!胸が当たってる!胸が!」

 え?確かに腕を抱え込んだから、当たってしまうかも知れないが?

 ゲゲゲッ!アタシのラブリーな胸は翔吾の手のひらに押し付けられていた。

「キャ~~~ッ!」


#対話


「…Bカップ。」

「黙れ!」

 翔吾を押さえつけていたアタシは、ついでに胸を押し付けていた事を指摘されると慌ててはね起きた。そして、激しく落ち込んだのだった。


「…キスもまだなのに…。」

 翔吾は翔吾でアタシに投げられた後の数年間の鍛錬は何だったのかと、落ち込んでいるのだろう。アタシが押さえつけていた姿勢のまま、動こうとしない。さっきまで鼻をすする音が聞こえていた。泣きたいのはアタシだよ!


 下校時刻を知らせる音楽放送が鳴り響く、九月頭のこの時間はそろそろ夕暮れ時が来ようかという頃で、空は徐々にオレンジ色に染まりかけている。

「ねぇ、なんで停学喰らったの?」

 答えてくれるかどうかは知らないが、変な空気も嫌だったし、何か話したかった。


「俺か?俺の中学の奴らと揉めてケンカになったんだ。中高一貫の進学校でな、ちょっと俺には合わなかった。で、俺もバイクが好きだから、親父に頼み込んで高校はココに進学したんだ。それを馬鹿にする奴がいて、わざわざ俺に言いに来るんだぜ?」


 よっぽど嫌われてたんだな。でも、好きな事をやって何が悪い?それをバカにする奴がいたら、アタシだってアタマに来るよ。

「人は人、翔吾は翔吾だよ。アタシもおんなじ。バイクで走りたいからココに来たんだけど、二輪男子部はもうレースしてないから、がっかりしちゃった。」


 翔吾はゆっくりと身体を起こした。アタシが押さえつけたから、胸から腹から砂と埃で灰色だ。

「あ~、ごめんね。制服汚しちゃったね。」

 アタシはポンポンと埃を払ってやった。翔吾は迷惑そうに後ろを向いてしまった。

「…もういいから、自分でやる。」

 そう言う翔吾は何だか照れているようにも見えた。

「ねぇ、またサクラに会わせてよ。アタシのサクラなんだから。」

 翔吾はちょっと考えていたが、めんどくさそうに言う。

「そのうちにな。」


#女子ツー&お散歩女子会


 二学期が始まると、御厨先輩は受験勉強のため、正式に引退した。吉野先輩とアタシは魂の抜けた感じで、二輪女子会の会合に参加していた。

「吉野先輩!今日の議題は次回のツーリングですよね?」

 久しぶりに会合に参加した幽霊部員で、免許取り立ての鈴木さんが、かなりイライラしている。


「あ~、そ~だねぇ~。ど~しよ~かねぇ~…。」

 部長だった御厨先輩の後任は唯一の二年生である吉野先輩なのだが、ふやけて、溶けて、流れてる感じで、締まりが無い。

「吉野先輩も、ちえりも、御厨先輩がいなくて寂しいのは分かるけど…、せっかく鈴木さんが免許を取ったことですし、どこか行きましょう。」

 仕方なく、夏子が先輩をなだめようとしている。あ、アタシもか。

「え~、まだ残暑も厳しいのに、海とか山とか行きたくない~。」

 全く困った先輩だ。こんなのが部長で大丈夫なのだろうか?二輪女子会の行く末が危ぶまれる。


「あ、でも私もいきなりそんな遠くまでは不安だから、近場でいいんですけど…。」

 鈴木さんがちょっと引き気味だ。夏子が気を使って後押しする。

「例えば?」

 鈴木さんは少し考えていたが、やがて口を開いた。

「…例えば、ん~、そうだなぁ。横浜まで行って、中華街で飲茶するとか?」


 ピクリ。ん?吉野先輩が少し動いた。

「…とか?」

 吉野先輩は顔を上げて、鈴木さんに先を促す。

「え~と、赤レンガ倉庫で港を見ながら散策するとか?」

 ガタン、吉野先輩が椅子を寄せて来る。鈴木さんは楽しそうに考えながら、つぶやく。

「元町に出てオシャレなカフェでお茶するとか?」


 ガタタン!吉野先輩は椅子から立ち上がると、鈴木さんを指さして言った。

「採用!即採用!」

 そして、歩き回りながらブツブツと呟き始めたんだ。

「そうだよ、女子会なんだから、猿みたいにバイクにしがみついて、山道を登るなんて野蛮なことばかりじゃないんだよ。女子は女子らしいバイクの乗り方があるんだよ。」

 そして、アタシ達に向かって言った。

「一年生!横浜ツーリングプランを企画しなさい!各自明日の夕方までにメールで私に提出すること。今週末は横浜に行くよ!」

 お~い、アンタも少しは考えなさい!


 ちなみに今回は街中に繰り出すということで、吉野先輩はいつものベスパ、鈴木さんはお父さんのスーパーカブ、夏子はお母さんのチョイノリ、アタシはいつものNSRだ。横浜に遊びに行くのにレプリカはないでしょ。カブやチョイノリもどうかと思うよね。カブは昔配達用でウチにもあった。懐かしいな。最近はカブも流行っているみたい。あ、NSRだと止めるところに困るかも。吉野先輩は150ccのクセに小型のところに停めちゃうらしい。悪いオンナでしょ?


 結果、当日は赤レンガ倉庫の駐輪場に止めて、周辺を散策する計画で出発した。


 神奈川北部の高校生なので、待ち合わせは246沿いのファーストフードだ。港北ニュータウンを抜け、新横浜スタジアムを眺め、東神奈川駅をくぐると、みなとみらいまではもうスグ。横浜中央卸売市場を抜け、臨港パーク、パシフィコ横浜の前を抜けるとみなとみらい地区で、左手に赤レンガ倉庫が見えてきた。


 駐輪場はちょっと分かりにくいけど無料。普通二輪も止まってる。アタシのNSRも停められてよかったな。

 早速、赤レンガ倉庫で散策だ。今日は晴れていて海もキレイ!

「ねぇねぇ!雑貨屋さんがあるよ。」

 吉野先輩と鈴木さんが雑貨屋さんに吸い込まれていった。女子会では自然に親しむより、可愛い雑貨屋さんの方が気になるかもね。


 沢山ある雑貨屋さんをぶらぶらする。うさぎさんのグッズ可愛い、いちご柄グッズも可愛い、みんなでキャーキャー言ってはしゃぐ。食品サンプルも面白い。可愛いグラスもある。ミカリンと、鈴木さんが化粧品で盛り上がってる。

 アタシはクルマとバイクのアパレルショップに入った。バイクのジャケットもある。凄くかっこいいけど、今のアタシには残念ながら予算オーバーです。


 ちょっと小腹が空いたねぇ。アップルパイも美味しそう。アイスを片手にテラス席や広場で海と港の景色を楽しむ。赤レンガ倉庫もだけど、港の辺りは倉庫がいっぱいあるもんだね。

 大さん橋にはちょうど大きな客船がきている。

「あんな船で世界中を旅して見たいな。」

 楽しそうじゃない?

「でも船は時間がかかるから、ちえりじゃ三日で飽きちゃうな。」

 夏子が突っ込む。


 海からの風は涼しくて、もう本格的な秋が近づいている。

「せっかくだからねぇ、やっぱり中華街と元町に行きたいなぁ!」

 と、ミカリン。街中をバイクで少し流してから中華街に行こう。山下公園の前を通り、港の見える丘公園は入り口だけでバイクで通過。

 山の手にはお嬢様学校がいくつかあるらしい。アタシ達みたいな工業女子とはあまり縁の無い人種と推測される。あまり出くわしたくはない。


 中華街近くの駐輪場にバイクを止めて、四千年の歴史ある味の街へと繰り出した。中華街での食べ歩き。肉まんや焼売、ちまき。怪しげなチャイナグッズやおもちゃもある。アタシは一番たくさん回って、色々味見をした。帰ったら母さんと姉さんに教えてあげるためだ。研究のためなのだ。決してお腹が空いたからではありません。


 そのまま流れて元町へ。元町はちょっとアタシ達には背伸びかも?可愛いアクセとか、オシャレなショップが並んでいる。家族連れやカップルや奥様達がのんびり歩いている。

 犬を連れてるペアもいる。いいな、アタシもあんな感じで御厨先輩とお出かけしたい。アタシのアタマの中に犬のリードを握る男の子の姿が…。ん?サクラ?ということは?『どうした?ちえり?』翔吾?!アタシは妄想を払って、現実に戻った。

「どうしたの?ちえり?」

 夏子がアタシに話しかけていた。な、なんでもないです。イヤなものを見てしまった。


 街自体は落ち着いた雰囲気のある感じでバイクの服装はちょっと場違いな感じだった。

「まぁ!あの方々、何処の学生さんかしらね?」

 むむむ、どうやらお嬢様学校のお姉様方が、場違いなアタシ達が気に入らないらしい。ふふん!日本の未来を担うのはアタシ達のウデと技術なのさ!とか、言いたかったけど、ケンカになって停学になるのは馬鹿みたいなので、無視して通り過ぎた。吉野先輩は、キー!悔しい!とか言ってたけど、大人になろうよ。


#接触


 アタシ達がバイクを止めてある駐輪場に戻ったら、誰かがアタシのNSRを見ている。NSRはみんなのスクーターとは少し離れた場所に止めてある。アタシはなんか嫌な予感がして、早めにヘルメットを被り、ミラーシールドを下ろして近付いた。ちょっとヤンキーが入った感じのお兄ちゃんで、ツナギの作業着を着ている。アタシが近付いたのに気づくと、ちょっと離れて声を掛けてきた。

「いいバイクですね。『バイクの玉子様』ですけど、今なら高く買取りますよ。」

 アタシは無視してキーを差し込むとNSRを押して駐輪場から出た。


 駐輪場の外に『バイクの玉子様』のトラックが止まっていた。運転席にはキャップを被った、やはりヤンキーのもう一人のお兄さんが座りじっと見ている。その視線は凄いイヤな感じで、アタシは背筋が冷えていくのを感じた。その男はざらついた声でこう言った。

「お姉さん、高く売れる時に売っておいた方がいいぜ。」

 父さんの形見を売るつもりなんかサラサラ無い。無視してみんなが出てくるのを待っていると、男はトラックを降りて来た。先に遭遇した男も駐輪場を出てきた。


「おい、舐めてんじゃねぇぞ?」

 どうしよう。この人達、かなりヤバい。男はゆっくりとキャップを取った。下から現れたのは鮮やかな金色の髪だった。

「晴海?どうしたの?」

 吉野先輩達が駐輪場から出てきた。遅いよ。チョー怖かったんだから!

「…チッ。行くぞ!」

 男達は急いでトラックに乗ると、さっさと発進して去って行った。アタシはヒザがガクガクと震えているのに、ようやく気が付いた。


 最後は微妙に後味悪かったけど、口直しにバイクで横浜スタジアムを眺めて帰ろうということで石川町から関内方面へ。スタジアムがあるのはわかったけど、街中にあるからあんまりじっくり見れなかった。


 でもスクーターで街中を走るのも、なかなか楽しいな。アタシはNSRだったけど。あと、女の子だけで行くのは気楽でいいよね。また行きたいね。今度は郊外のアウトレットやショッピングモールに行こう。バイクじゃお持ち帰りの大荷物は載らないけどね。


#体育祭


 秋と言えばスポーツの秋だ。スポーツをして爽やかな汗をかこう。神奈北工にも体育祭の時期がやって来ました。体育祭の花形競技といえばリレーです。

「ミカリン!」

「ハイ!」

 ダダダダダッ…。

「晴海!」

「ハイ!」

 ダダダダダッ…。

 アタシは吉野先輩と、引退してから久しぶりの御厨先輩とでバトンパスの練習をしている。

「大分慣れてきたな。これなら本番も大丈夫だろう。」

 なんでこんなことをしているかと言うと、部活対抗リレーに出場するためだ。


 このリレーが嫌が上にも盛り上がるのは、来年度の部活動予算に影響するというウワサがあるからだ。生徒会の予算には部活動を支援する名目で各部に配分される資金がある。通常は部員数や活動実績に基づいて配分されるのだが、体育祭のこの競技の結果が予算配分に影響するという根強いウワサが消えない。勝てば予算配分アップ、負けるとダウンとなれば部を上げて応援しない訳にはいかない。この競技のために足の速いヤツを部長にするという部もあるらしい。


「よう!やってるな。」

 二輪男子部の連中がやって来た。当日は同じ組で走ることが決まっている。予算配分を賭けたライバルだ。

「女の子ばかりじゃ、俺達の勝ちは決まったようなモンだな。」

 石田部長だ。しょうがないじゃん、女子会なんだから。あ、葛城先輩もいた!気まずいが、挨拶しておこう。

「葛城先輩、お久しぶりです。いつぞやはすみませんでした。」

 葛城先輩は別に気にするでも無く、ニコヤカに答えてくれた。

「おお、晴海さん、久しぶり。別に気にしなくていいから。お互い頑張ろうね!」

 葛城先輩と同学年の吉野先輩がアタシの耳にコソリと囁く。

「葛城ッチ、最近彼女が出来たらしいよ。だから余裕があるんじゃない?」

 いや、別にそんな情報いらないから。


「よう、また会ったな。」

 翔吾だ。

「ちょっと!サクラとはいつ会わせてくれるの?」

「また、その話かよ。」

 チョイチョイと吉野先輩が突っつく。

「誰?」


 あ~、コイツの話をするのはめんどくさい。

「アタシのペットの、サクラって犬なんですけど、飼育係です!」

「はあああ?ふざけんな!誰が飼育係だ!」

「だってそうでしょう!サクラはアタシが拾ったのよ。アンタに預けてるだけよ!」

「育てたのは俺だ。オマエにサクラの飼い主を名乗る資格は無い!」

 ガルルルル…と、睨み合う。


「あはは。面白~い。何だか、子供の親権を主張し合う夫婦みたいだねぇ。」

 吉野先輩が要らぬちゃちゃを入れる。

「「違う!」」

 ハモった。


 そして、体育祭当日がやって来ました。学年縦割りの組別チームで争います。アタシは御厨先輩と石田先輩と同じチーム。先輩ふたりはクラスメートだったのね!葛城先輩と翔吾が同じチーム。まぁ、勝手にやってください。

 当然、科が違うのでクラスも異なる夏子や吉野先輩も別チームになった。吉野先輩は恐らく志願したのだろう、チアガールをやってる。夏子は何故か応援団なのだが、学ラン姿が凛々しい!いいオンナは男装しても、かっこいいのか。ちなみに幽霊部員の鈴木さんと関山くんは、文化祭と一緒でクラスのお世話で忙しい。


 体育祭が始まると、アタシは100メートル走に出場した。スターターは天崎先生だったのだが、火薬の準備を嬉しそうにやっている。いつの間にか夏子が傍に寄って内緒話を始めた。怪しい…。火薬は大丈夫なのだろうか?とりあえず、夏子はメガネを掛けなかったから、大丈夫だろう。いつもよりピストルの音が大きいのは多分気のせいだ。ちなみにアタシは一等賞でした。よかったよかった。


 競技で盛り上がるのは、学年合同騎馬戦で、全学年の男子がバトルロイヤル形式で騎馬戦を行う。荒くれ者の工業男子の勝負はグラウンド一杯に広がった。葛城先輩と翔吾は三年の先輩達にボコボコにされていた。アタシ達女子は非常に残念ながら、参加出来ないので体力温存だ。


 お待ちかね。部活対抗リレーだ。二輪女子会、二輪男子部、自転車部、四輪部の勝負。自転車部は日頃から足腰を鍛えているから、恐らく敵わないだろう。しかし、何があるかは分からない。頑張ろう!

 普通の学年混合リレーの場合、一年生から上級生にバトンが渡されると思うが、このリレーでは逆となる。バトンは上級生から下級生へ、部長から次期部長へそして未来を担う一年生へ渡される。そして渡す時に一言云うのが伝統だそうだ。


 御厨元部長、吉野新部長、アタシが入場門で並んでいると、当然だが二輪男子部員と居合わせる。石田元部長、葛城新部長、翔吾の三人が現れた。葛城先輩には何故かケバいお姉さんがくっ付いている。

「アレが葛城ッチの彼女だよ。気に入らない?」

 吉野先輩が教えてくれるけど、アタシは別に興味ない情報です。

「葛城もオンナの趣味が悪いよ。昨年も変なオンナに引っ掛かったらしいよ。何だか葛城の女子評価基準はおかしくないかな?」

 え、じゃアタシは?その人に一瞬でも言い寄られたアタシって、どうなのかな?


 アタシが一人難しい顔をしていたのだろう。石田先輩が話しかけてきた。

「どうだ晴海、NSRは?調子いいか?」

 NSRの話ならいくらでも!パァーっと目の前が明るくなった。


「最高です!エンジンの掛かりもいいですし、いい音出ますよ!」

 一通り話したあと、石田部長は従姉から聞いたというバイク泥棒の話をしてくれた。最近はスタンガンも使うなど、凶悪になっているらしい。

「晴海のNSRは人気があって、高く売れるから狙われるぞ。気をつけろよ。」


 石田部長と話が終わったら、翔吾が睨みつけている。勝負に燃えているのだろう。このバトル依存性め!

「ちょっと!アンタに勝ったら、サクラに会わせなさいよ!」

「いいぜ?俺達に勝てたらな。」

 むむむ、頑張らねば。俄然気合が乗ってきた。


 御厨先輩は期待できる。運動神経がいいし、長い脚を活かして走るのも速い。体力のある石田先輩と御厨先輩はいい勝負だろう。御厨先輩が二輪男子部にいて、二輪女子会に行かなかったら、部長になっていたかもしれない。

 葛城先輩と吉野先輩じゃあ、どう考えても葛城先輩が速いだろう。アタシはチラリと吉野先輩を見た。アタシの考えが伝わったのか、ニヤリと笑う。そして、コソリとアタシの耳に囁いた。

「任しといて、葛城ちゃんに負けない秘策があるから。」

 ケバいお姉さんがいなくなると、吉野先輩は葛城先輩に近寄って、なにやらこそこそ話しかけ始めたんだ。葛城先輩はだんだん顔色が悪くなってきた。吉野先輩は何を話したんだろう?


 さあ!いよいよ生徒会予算カップ部活対抗リレーの幕開けです!


 アタシ達の組は終わりの方だから、各部の走りを間近で観戦したのだが、各部の意気込みというか、気合いの入れ方がハンパない!お金のかかった勝負は血みどろの戦いだった。

 敵に対してはスタートで睨みつけて威嚇する。走っていても足やヒジを引っ掛ける。バトンで殴る。隠した凶器もあるようだ。

 試合の後も、負けたチームと勝ったチームのケンカもさることながら、負けたチームが仲間割れして、取っ組み合いや引っ掻き合いのケンカになる。

 審判へのクレームも凄い勢いだが、審判は関わり合いにならないように、見て見ぬふりをする。

 人間のお金への執着は凄まじいと改めて思う。アタシはああはならないようにしよう。


 ようやくアタシ達の番だ。

「二輪女子会!ファイトォ!」

「「ファイトォ!」」

 ランナー三人が、円陣を組んで気合いを入れると、第一走者の御厨先輩がトラックに入った。四輪部の走者は盛んに周りを威嚇していたが、石田先輩のひと睨みで大人しくなった。自転車部は余裕しゃくしゃくだったが、コレも石田先輩がポキリと指を鳴らして睨むと、青くなって下を向いてしまった。


「お互い頑張ろう。」

 御厨先輩が爽やかに石田先輩に手を差し伸べる。

「おう!勝負だ。御厨!」

 石田先輩がガッチリと握手した。


「位置について。…ヨーイ…。」

 バンッ!

 号砲一発!揃ってスタート…と、思いきや、自転車部と四輪部の二人が転倒した。石田先輩の睨みが効いて緊張したのか、勝ったらヤバいと思ってワザと転んだのかは定かでは無い。

 予想通り石田先輩と御厨先輩はいい勝負だ。石田先輩がスタートダッシュを効かせて先頭。そのスグ後を御厨先輩が追いかける。

 長いストライドで、少し長めの髪をなびかせて、優雅に風を切って走る姿に、校内の女子達は釘付けだ。コーナーでは御厨先輩の方が余裕がありそう。恐らく最終コーナーに掛けているのだろう。バックストレートでも抜けそうだが、あえて抜かない。


 コーナーに入ったら、御厨先輩は外側からスルスルと石田先輩を抜いた。そのまま一気に差をつける。直線に入って石田先輩がラストスパートするが、御厨先輩との差は詰まらない。

 そして吉野先輩と葛城先輩が待っている、メインストレート。葛城先輩はなんだかビクビクしている。何となく、アタシを見ているような、避けているような?


「GO!Your Way!」


 御厨先輩が吉野先輩へのバトンパスと同時に叫んだ。

「ハイ!」

 吉野先輩はダッシュ一番、ストレートを駆けていく。

「気合い入れろ!」

 石田先輩が葛城先輩に怒鳴る!

「はヒィ!」

 葛城先輩は受け取ったバトンを…。おっと~!お手玉!お手玉!バトンが手につかない!


「葛城くん!頑張って!」

 あ、葛城先輩の彼女が声援を送っている。いい彼女じゃない?葛城先輩はその声を聞いたのか、なんとか気を取り直して走り出す。後ろには自転車部と、四輪部が追いすがるが、頑張っている。吉野先輩は?懸命に走っているが、リードは徐々に縮まっている。

「いいレースじゃねぇか!行くぞ、最後の決着をつけるのは、俺達だ。」

 翔吾は一声かけて立ち上がると、スタートラインに並んだ。アタシも横に並ぶと、先輩たちの走りを目で追った。


「ミカリン頑張れ!」

 御厨先輩が叫ぶ。

「吉野先輩ファイトォ!」

 アタシが大きく手を振ると、吉野先輩はラストスパート!直線に向くと、まだリードを保っている。

「葛城先輩抜けぇ!」

 翔吾うるさい!

 よし!吉野先輩は最後の気力を振り絞って走って来た。よし、先着だ。アタシはスルスルと動き出す。吉野先輩?え?泣いてる?そんなに御厨先輩の一言が嬉しかったのか!


「晴海!走れぇ!」

 吉野先輩が突き出したバトンが、アタシの手にガッチリと収まった。

「ハイ!」

 掛け声と共にアタシは加速する!御厨先輩と吉野先輩の思いを繋いで走る!


「ぶっ飛ばせ!」

 後ろで葛城先輩の声がした。また、なんて一言を言うんだ!

「ウォッス!」

 翔吾の吠えるような掛け声が響く。


 ヤバい!ガシガシガシッと地面を蹴り進む翔吾の足音が近づく。後追いの時の翔吾の恐ろしさはバイクの時に身にしみている。

 最初のコーナーで抜かれる程のスピード差はない。が、翔吾はガムシャラに並ぼうとする。ヌヌヌヌヌ。アタシも抜かれまいと、インで粘る!


 こうなると我慢比べだ。バックストレートでも、並んだままで全力疾走!ガシガシと肩がぶつかる。コノォ~!絶対に抜かせない!

「うぉぉぉ!」

 翔吾が吠える!相変わらず並んだままで、コーナーに突入する!翔吾は外側なだけ余計に走っているが、速度は落ちない。


「ちえり!頑張って!」

 コーナーのところで夏子の声がした。

「晴海ぃ!負けるなぁー!」

 直線を向いたら、吉野先輩が叫んでいる。


「晴海!走れ!もっと速く!」

 御厨先輩の声だ。直線の横を一緒に走っている。

 御厨先輩!晴海ちえり、行きます!アタシは最後のチカラを振り絞る。

「こなくそ~!」

 となりで翔吾がやかましい。

 行ける!行ける!まだまだまだまだ!


 ゴール!

 アタシの先着!二輪女子会の勝ちだ!

「やったぁ~!」

 倒れるアタシを待ち構えていた吉野先輩と、最後の直線を一緒に走ってくれた御厨先輩が支えてくれた。

「よくやった。晴海!アンタはエラい!」

 ぐっすん!吉野先輩が泣きながら喜ぶ。

「晴海!頑張ったな!」

 御厨先輩がイイコイイコしてくれた!凄い嬉しい。今日は埃だらけだけど、シャンプーしたくない!


「ちくしょ~!」

 ばったり倒れた翔吾が泣いてる。この間の異種格闘技戦からアタシに連敗しているから、悔しさもひとしおだろう。

 葛城先輩は彼女に慰められている様子。なんだ、いい彼女じゃん。葛城先輩は外見じゃなくて、内面の美しさを見ているんだ。そういう事にしておこう。


「そういえば吉野先輩、葛城先輩に何を話してたんですか?」

「ふふふ、私達を負かしたら、晴海が黙ってないよ!ってね。」

 なんですって?吉野先輩ったら、なんてことを…。

「よう、なんだか負けちまったな。晴海はオンナにしておくのは惜しいな。男気がある。また、男子部に戻ってこいよ。」

 石田先輩だ。真面目な顔して酷いこと言う。


 そうそう、約束を果たして貰わないとね。

「辰巳くん!約束を覚えているかな?」

 アタシはムクリと起き上がった翔吾に詰め寄った。

「なんだよ、『辰巳くん』て、気持ち悪い。『翔吾』でいいって。」

 むう、彼氏でもないオトコを名前呼びするのは実はちょっと気に入らない。特に御厨先輩の前では…。

 でも、サクラの飼育係だし。まぁ、いっか?

「…翔吾、今度こそ、サクラに会わせなさいよ!」

 翔吾はふぅとため息をつくと、観念したように言った。

「わかった。いいぜ。明日でもウチに来るか?体育祭の振替休日だよな。佐藤さんとでも一緒にな。」


#翔吾のフラット


 体育祭の翌日は振替休日で、アタシと夏子は一緒に、翔吾が教えてくれた住所に向かった。

「ねぇ…本当にココでいいの?」

 そうだねぇ。屋根の付いた和風の門のところには『辰巳』という表札がかかっている。住宅地の表通りから少し入った、閑静な住宅街。そのなかでも比較的広い敷地に古民家風の平屋建てが建っていた。

 道路や隣の家との境界は塀と生垣で仕切られている。庭の様子はあまり良く分からないが、生垣が綺麗に刈られている様子からはきちんと手入れされているのだろう。


「インターホンがあるよ。鳴らしてみよ。」

 アタシはカメラの付いたインターホンのボタンを押した。しばらく間のあった後、落ち着いた女性の声が答えた。

「はい。」

 ちょっと待ったが、それ以上の応えは無い。

「あの、アタシは晴海ちえりといいまして、翔吾くんの同級生です。今日は犬のサクラを見に来ました。翔吾くんはご在宅でしょうか?」

 慣れない言葉使いをすると疲れる。


「晴海さんですね。少々お待ちください?」

 女性は一度インターホンを保留すると、翔吾を呼んでいるようだ。家の方から声がする。

「…坊ちゃん!お友達ですよ!」

 ぶふっ、坊ちゃんだって。そんな柄じゃ無いけど。あれ?お母さんじゃないのかな?

「お待たせしました。どうぞお入りください。」

 インターホンからさっきの女の人の声がして、カチャリと解錠された音がした。

「門を開けて、お入りください。」


 門の中に入ると、広い庭の奥に平屋建ての家屋が建っている。正面に和風の玄関があり、丸い飛び石が門から玄関まで続いている。

 左手は掃き出し窓が続いていて、庭にむけて一段低いウッドデッキ?がついている。

 右手は車庫なのか、前面はコンクリが打ちっぱなしになっていて、引き戸を全開にすればクルマが入りそうだ。


 車庫?の前に小さな小屋があり、犬が顔を出した。

「サクラ!」

 ワン!

 アタシが、呼ぶとサクラが走ってきた。先日の路上での再会から、随分会っていない気がする。アタシがしゃがむと飛び込んで来てアタシの顔を舐めまくる。

「ちょっとサクラ、あんまり舐めないで。ドウドウ!」

 もう!しょうがないな。なんとか落ち着かせようとなだめる。

「うわぁ、サクラおっきくなったね。そりゃそうか、あれから五年くらい経つもんね。」

 夏子も感慨深いようで、サクラの頭を撫でる。

「そうだね、もうそんなになるんだね…。」


 サクラをなだめながら、飛び石を伝って玄関にいくと、お姉さん?が引き戸を開けてくれた。

「どうぞ、お入りください。」

 お母さんにしては若い。けど、お姉さんにしては歳上っぽい。アラサーの女の人だった。はて?

「通いで家政婦をしているんです。渡辺といいます。」

 そんなアタシの考えを読み取ったのか、女の人はニッコリ微笑むと言った


 家政婦さんは玄関から入るように言ってくれたけど、サクラが脚にじゃれついて離してくれない。

「あ~、でもサクラが離してくれないんで、落ち着くまで外に居ていいですか。」

 家政婦さんはサクラの様子を見ると、くすくすと微笑んだ。

「まぁ、サクラったら、よっぽど嬉しいのね。分かりました。庭の方へ回って下さい。今、縁側の方を開けますね。」


 そうか、ウッドデッキじゃなくて縁側か。アタシ達は庭に入って、窓の下にある縁側に腰掛けた。

 家政婦の渡辺さんがすぐに窓を開けてくれた。窓の内側には短い廊下があり、さらに内側に障子がある。その中が居間になっている。右手の、廊下の突き当りには玄関があるのが見える。居間の障子は開けられていて、和風で囲炉裏がある。あ、小さな仏壇がある。ウチにも父さんの仏壇があるから、目に入ってしまった。


「どうぞ、よかったら上がってお座りになって下さい。」

 家政婦さんが座布団を勧めてくれた。サクラと遊ぶからジーパンで来てよかった。でもサクラがまだ離してくれないから、縁側に釘付けだ。

「今、お茶を入れますね。」

 家政婦さんが台所と思しき奥に下がって行く。

「あ、お構いなく。」

 そこに翔吾が襖を開けて、廊下の奥の部屋から出てきた。


「よう、来たな。」

 そのまま縁側に出ると座り込んだ。

「お邪魔してます。ねぇ、御家族はお留守なの?」

 アタシは気になったので聞いてみた。

「いないよ。サクラと二人暮しさ。家政婦の渡辺さんが、身の回りの世話をしてくれるから困る事もない。」

 そうなんだ。翔吾が出てきて、サクラが少し落ち着いてきたので、靴を脱ぎ、縁側から中に入った。


「雰囲気のあるいいおうちだね。フローリングも綺麗だし。」

 アタシは率直な感想を言った。

「和風だからフローリングじゃなくて板の間な。」

 どっちだって大して変わらないじゃないの。

「俺の母方の婆さんの家だそうだ。古民家風だけど、水周りとか、セキュリティとか、見えないところは手が入ってる。囲炉裏は偽物で電子調理機器になってる。鍋も出来るぜ?」


 ふ~ん。釈然としないが、夏子がアタシも気になっている事を聞いてくれた。

「ねぇ、翔吾くんって、いいとこのおぼっちゃまなの?」

 翔吾はさして面白くもなさそうに言った。

「さぁ?一応親父は社長してるけどな。」

 なんだよ、やっぱりボンボンじゃないの。


「でも、俺のお袋は所謂お妾さんだったから、根っからのボンボンって訳じゃない。そのお袋も死んじまってな。その後は親父が俺の面倒を見てくれてる。」

 そんなことをサラッと話しちゃってどういうつもり?

「え、ごめん。重い話なんだけど、アタシ達なんかに話しちゃっていいの?」

「お前らが話さなきゃ大丈夫さ。」

 信用してくれるのは有難いけど、小学生以来交流も無いのになんで?


「ねぇ、私達に何か頼みたいことがあるんじゃないの?」

 夏子が言うと、翔吾はビンゴと指を鳴らした。ハッキリ言って似合わない。

「さすが、夏子さん。出来るオンナは違う。おい、ちえり、お前も見習え!」

 はあ!好き勝手言ってくれちゃって!

「実はお袋のアルバムとか諸々のデータをパソコンに入れてたんだけど、故障しちまってな。うんともすんとも動かねえ。女子会の新部長がそういうのが得意だって聞いてさ、修理をお願いしたいんだ。」

 そういう訳か、おかしいと思ったんだ。


 夏子が吉野先輩にメッセージを送ると間もなく返信が来た。

「今日、これから来てくれるって。お礼は高いよ、とか言ってるよ。」

 ヌヌヌ、吉野先輩たら抜け目ない。

「まぁ、しゃあないか?じゃあしばらく待ちだな。サクラと遊んで待ってくれ。」


 しばらく、サクラと遊んでいたが、さすがに疲れた。お茶を頂いてひと休みした頃、いいことを思いついた。

「ねぇ、バイクあるんじゃないの。見せてくれない?」

 翔吾はちょっと鼻をひくつかせた。

「へへっ、そうこなくちゃ。」

 翔吾は立ち上がると車庫に面した障子を開けて、灯りを点けた。


 車庫にはサクラと再会した時に翔吾が乗っていたスクーターのマグザムと、古いレーサーレプリカのFZR400が並んでいた。

「翔吾ならTZRだと思ってた。」

 アタシが言うと、翔吾がウンと頷いて言った。


「この間、ピストンが焼き付いてお釈迦になっちまったんだ。仕方ないから今度はコイツにしたんだ。FZRも良く回って面白いぜ。」

 もしかして、翔吾は未だにサーキットを走っているのかな。

「ねぇ、最近はサーキットとか行かないの?」

 翔吾はそういえばと言うように指折り数え出した。

「…もう、一年は行ってないな。お前はどうなんだ?まだパパに連れてって貰ってるのか?お嬢ちゃん?」

「ちょっと、翔吾くん。ちえりのお父さんは…。」

「夏子、大丈夫。アタシ、話せるから。」

 夏子が言うのを制して、アタシは話し始めた。


 アタシの父さんが亡くなったこと。形見のNSRで走り始めたこと。これからサーキットに戻りたいということ。

 アタシは翔吾に話して聞かせたけど、アタシもアタマの中をゆっくりと整理していたんだ。ちゃんと言葉にしたのは初めてだった。

 なんで翔吾にこんな話を聞かせているんだろう?翔吾がお母さんのことを話してくれたからかもしれない。翔吾もきっと辛い思いをして来たんだろうな。


「そうか、親父さんが亡くなったのも知らずに酷いこと言ったな。すまない、悪かった。…でも、ちえりからバイクを取ったら何も残らないからな。」

 本当に酷い奴だわ、翔吾の奴!

 と、そこへ、ピンポーン。門のチャイムが鳴った。

「おっ!女子会会長のお出ましだな。」


「やっほー!ミカリンです。よろしくにゃん!」

 うわぁ、凄いテンションだよ?なんかあった?

「ちわす!男子部の辰巳です。よろしくお願いします。」

 翔吾はなんか体育会系のノリだよね。


 じゃあ早速と、吉野先輩はお茶をすするのもそこそこに、翔吾が仏壇の引き出しから取り出したノートパソコンを受け取っていじり始めた。

「電源入れても全然だねぇ。」

 やがて背負ってきたバックパックから自分のパソコンと七つ道具を取り出すと、自分のパソコンの画面を見ながら翔吾のパソコンを分解し始めた。


 何をしているのか分からない翔吾とアタシは心配になり始めた。

「夏子、先輩は治してるの?壊してるの?」

 夏子は落ち着いて吉野先輩の作業を見ては感心している。

「HDDを取り出して先輩のパソコンで読めるか調べるんだよ。それにしても手際がいいね。惚れぼれするよ。」

 ふうん。よくわかんないや。翔吾もオロオロ、ハラハラしていて、見てられないみたい。

「夏子ちゃん、ちょっとココ押さえてくんない?」

 夏子も作業に加わって、アタシと翔吾は手持ち無沙汰になってしまった。


 アタシはふと仏壇に飾ってある写真を見た。綺麗な女の人が微笑んでいる。

「お袋だ。子供の俺から見ても綺麗な人だった。」

 翔吾が説明してくれた。何枚か置いてある写真の中に懐かしい一枚を見つけた。小さなアタシと夏子も写っている、あの夏休み最後の耐久レースの集合写真だった。本当に懐かしいな。そういえば、あの時のおじさんも写っている。

「これはお父さん?」

 アタシが聞いてみたが、翔吾はポリポリと頭をかくと、違うんだと言った。

「…この人は家政婦の渡辺さんの旦那さんだよ。この頃から、夫婦で俺の面倒を見てたんだ。」

 そうなんだ。なんか複雑な家庭事情があるんだな。


 アタシはそれ以上は聞かず、話題を変えた。

「そういえば、一年前はサーキットを走ってたんだよね。どこ走ってたの?」

 翔吾はまたもやふふんと鼻を鳴らした。

「筑波とか、もてぎとか、ああ、富士も本コースを走ってきた。富士は道幅が広いから、最初はどこがレコードラインか分からなかったな。」

 羨ましい。

「…アタシも走りたいな。」

 ポツリと本音が口をついて出た。

「走りゃいいじゃねぇか?ライセンス取ればいくらでも走れるぞ。」

 翔吾は分かってない。

「だってお金かかるじゃない?翔吾の家は裕福だから、そんな心配は要らないかもしれないけど。…だから、アタシはバイトして、お金を貯めて、いつかサーキットを走るんだ。」

 ちょっとイヤな言い方になっちゃったかな?翔吾は少しムッとしたみたいだけど、なんだか優しげな表情を見せた。

「…オマエ、そんな事してたら、アッという間に婆さんになっちまうぞ?」


 翔吾は車庫側の壁に移動すると、壁にはクローゼットがあった。翔吾がソコを開けると、中には数着のレーシングスーツが吊るされていた。

「俺と勝負するなら、この中から好きなスーツを貸してやっていってもいいぜ。」

 出たよ、バトル好きな奴!

「やだよ、翔吾の着たのなんて。なんか匂いそう…。」

 翔吾は微妙にイヤな顔をしたが、とりあえず話を進めることにしたようだ。玄関に行くと、ガサガサと郵便物を漁りだした。


「あった、あった。」

 やがて、一枚のハガキを手に、戻ってきた。

「走行会に行くぞ。」

 なによ急に。

「馴染みのショップ主催の走行会があってな。バイク用のサーキットを借り切って走れるんだ。ツナギもレンタル出来るぜ?」

 アタシは迷わず手を挙げた。

「行く!」


「翔吾くん、お忙しいところ悪いんだけど。」

 夏子が翔吾に声をかけた。吉野先輩達の作業が一区切りついたようだ。ケーブルに繋がった小さな箱がカリカリと音を立てている。

「私のサルベージソフトで、いくつかのファイルは取り出せたんだけど、どうも読み取りヘッドが壊れて不安定で、これ以上はHDDの修理をしないとムリだね。」

 吉野先輩が説明してくれる。パソコンにはファイルがいくつか表示されている。画像ファイルのいくつかは仏壇にあった写真の女の人だった。翔吾のお母さんだ。


「いえ、有難いです!HDDの修理は時間がかかってもお願いしたいっす。」

「じゃあ、HDD修理代が必要だよ。私じゃ出来ない。その道のプロに依頼するから、あっちの言い値になる。後で連絡するから、金額を聞いてから考えて。」

 翔吾は分かったと言う。そうなんだ。一体いくらするんだろう。


「ところで、それとは別に今日の報酬のことなんだけど…。HDDにこんな画像も見つけてね。」

 と、言うと自分のパソコン画面を翔吾にしか見えない様にして、操作した。

「…え?…あう!いや、これは-…ひっ!」

 なんだろう?画面を見る翔吾が赤くなったり、青くなったりしている。そんな翔吾の反応が面白いのか、吉野先輩はニヤニヤしている。


「まぁ、翔吾くんも男の子なんだねぇ。くすくす。」

 吉野先輩はパタンとパソコンを閉じると、カバンからなにやら紙とペンを取り出した。

「はい、それじゃあ、ここにご署名をお願いしま~す。」

 顔色が悪くなった翔吾は言われるがままに紙に名前を書いた。アタシが横から覗き見ると、なんと!二輪女子会の入部届ではないか!

「謀ったな!吉野先輩!」

 アタシはギリギリと歯噛みした。アタシと翔吾をなんとかしてくっつける作戦だな?ここに来た時のテンションの高さは、この企みを思いついたからか?


「ふふふ…。もう遅いわ!コレでミクリンは私のモノよ!お~ほほほほ…。」

 吉野先輩は、パソコンと七つ道具をバックパックに放り込むと、嵐のように去って行った。

 後には放心状態の翔吾と、やられた感いっぱいのアタシが残された。

「結構なお手前で…。」

 その横では、夏子が家政婦の渡辺さんにお茶のおかわりを頂いていた。


#晩秋サーキット


 十一月!中間テストも無事に終わり、サーキット走行会に出かける。吉野先輩は修学旅行直前だし、スクーターじゃサーキットなんか走れないし、行きたくない。と、部長抜きで行く事になった。


 今回のメンバーは翔吾と夏子とアタシ。サクラはお留守番。翔吾はFZR400、夏子はゼファー、アタシはNSRだ。アタシと夏子はサーキット用の装備は全てレンタル。フルフェイスのヘルメットも、ツナギとグローブとブーツも借りちゃいます。

 そろそろ晩秋、暖かいカッコが必要です。今年は冬のバーゲンセールで冬装備を整えたいな。でも、今回は着ぶくれ覚悟の重ね着でしのぎます。


 今日の目的地は東北道の那須インター近くのサーキット。東名から首都高を抜けて行く。首都高用賀料金所を通過して、大橋ジャンクションから中央環状線に入ると、地下の環状線は思いのほか暖かい。翔吾の話によると夏はバイクだと地獄のような暑さらしく、冷却のためにミストを散布しているそうだ。池袋を抜け、荒川沿いを少し走ると川口ジャンクション。浦和料金所から東北道に入った。


 アタシ達は飛ばしたがる翔吾をなだめながらのんびり走っていたのだが、途中で二台のCBRに抜かれた。ん?新旧二台のCBR?しかも旧車のカウルにはシールがいっぱい貼ってある。向こうも気づいたようで振り返ったが、先を急ぐようでどんどん行ってしまった。

 アタシ達は途中のサービスエリアで一休みして、那須インターを降りた。インター近くのスタンドで、念の為ガソリンを補給してサーキットに向かった。秋の那須高原は紅葉も盛りを過ぎていて、やっぱり少し寒いかも。


 現地に着くと、翔吾がどこかで見たことのあるおじさんに紹介してくれた。今回の走行会を主催しているショップの店長さんらしい。あれ?

「晴海さん、佐藤さん、久しぶりだねぇ。大きくなったね。…あ、女の子には失礼だったかな?」

 たしかにアタシは大きくなったけど、誰だっけ?夏子も分からないみたい。


「小学生の時に翔吾くんと一緒に来ていたお目付役ですよ。」

 ああ!そういえば、翔吾の家で見た写真にも写っていた。え~と、渡辺さん?翔吾が、お目付役はないだろ、と文句を言った。

「ご無沙汰してます。あの時の方が渡辺さんだったんですね。今日はよろしくお願いします。」


 夏子はしっかりしている。アタシも、こんちはと挨拶した。

 今日の渡辺さんは翔吾の保護者も兼ねているらしい。アタシと夏子は走行会の参加費と保護者の承諾書を渡辺さんに手渡した。未成年は何かと面倒くさい。母さんは渋々だけど署名してくれたからよかった。


 早速走ろう!初めてのコース、久しぶりのサーキットはドキドキする。しかし、そこは走行会のため、ブリーフィングから始まった。コースの説明、フラッグなど一般的なサーキットのルールの説明、ラップ計測など、一通りの説明を聞いていたら眠くなる。

「ちえり!ツナギ借りに行くよ!」

 夏子がアタシの耳元で呼んだ。ヤバい、本当に寝てたらしい…。


「女の子用のスーツもあってよかったね。」

 アタシ達は更衣室で着替えると、マシンの準備を始めた。ヘッドライトやウィンカー、ブレーキランプを転倒などで破損した時に飛散しないようにビニールテープで保護する。夏子はミラーを外し、アタシのNSRや翔吾のFZRは固定されているのでミラーにテープを貼った。サーキットによってはナンバープレートを外せとか、いや外したらダメとかあるみたい。ラップ計測器をタンデムシートの上にテープで固定すると車検だ。一応騒音が基準値を超えていないかも測定する。特に問題は無く車検を通過した。


 ラップ計測は毎周回分のプリントアウトが貰えるはずだったが、夏の落雷で装置が壊れたらしく、ファステスト・ラップのみ手書きで教えてくれるらしい。吉野先輩を引きずってでも連れてくればよかった。あの人ならきっと、ちょちょいのちょいで直してくれただろうに。惜しいことをした。


 そろそろ、慣熟走行の開始時刻だ。アタシ達は陣取っていたピットからピットロードにぞろぞろと移動した。全部で二十台もいないんじゃないだろうか?先頭に先導するバイクがついて何周か回る。その後、十分間の休み時間を挟んで二十分間のスポーツ走行。二十分休んで二十分のスポーツ走行を繰り返す。スポーツ走行を全部で三本走れるらしい。リハビリには充分じゃないの?


 慣熟走行が始まった。ピットロードからの合流は第一コーナー出口の先、バックストレートの途中だ。ストレートの先はS字コーナー。右に左に曲がったあとは、右のヘアピンで出口は少しRが緩くなる。ここから左の中高速コーナー。その出口は右の中低速コーナーだが、行く手に左ヘアピンが待っている。ピットに入る場合はこの辺りから右側を走ることになっている。ヘアピンを立ち上がると、更に左へ右へとS字を切り返してRのきつい最終コーナーへ。ホームストレートを立ち上がるとほぼ直角の第一コーナーだ。慣熟走行は二周目から少しペースを上げて、タイヤもカラダも暖かくなった頃終了した。


「久しぶりにサーキットを走るのは楽しいねぇ。」

 おや、夏子がそんな事を言うなんて!

「歩行者も対向車も四輪もいないから、本当に走り易いよ!公道もこうだったらいいのに。このまま、慣熟走行でもいいね。」

 そっちか…。まぁ、公道の話は分からなくもないけど…。

「アタシはちゃんと自分のペースで走りたいな。誰かさんに突っかかられるのはごめんだよ。」

 ちらっと翔吾を見ると、これから始まるバトルの予感にニヤニヤ笑いが止まらないらしい。あっちのバイクは速そうだとか、こっちは大したことないなとか、勝手な事を呟いている。コイツは放っておいた方がいいな。


「それでは間もなくスポーツ走行一本目のスタート時刻になります。用意の出来た方からピットロードに並んでください。シグナルブルーでスタートになります。」

 お知らせに従って、みんなぞろぞろとピットロードに出てくる。アタシと翔吾は急いで前の方に並んだ。一周でも多く走って、元を取らなくちゃ!

 まだ、皆さんが並ぼうとしているが、やがてシグナルはブルーに変わり、スポーツ走行のスタートだ。


 ビィン!ビィ~ン。

 フォン!フォ~ン。

 ドルン!ドルルル。

 様々なエンジン音を立てて、バイクが走り始めた。タイヤの暖まる三周くらいまで、加減速をしっかり行ってタイヤを揉む。今日は天気もいいから、路面温度もいい感じで上がるだろう。


 二周目の途中頃から、速度を上げ始める人もいるが、アタシはじっくりとタイヤを暖めていた。大事なバイクをコカすのは絶対いやだ。

 三周目の第二コーナーを回ると翔吾がペースアップして先に行った。じゃあなと言うように振り返る。どうぞ、ご自由に行って下さい。アタシはヘアピン手前の右コーナーと左ヘアピンでタイヤのグリップを確かめると、最終コーナーでは立ち上がり重視のラインでアクセルを開けた。進路もクリア。当面の邪魔なマシンはいない。

 パァーン!パァーン!

 メインストレートをフルスロットルで加速する!翔吾を追撃だ!


 あれ?もう終わり?あっという間に一本目のスポーツ走行が終了した。ペースを上げつつ、自分のライン取りを模索しているうちに終了してしまった。結局、翔吾のFZRには追いつくどころか、背中すら見えなかった。初めて走るコースだし、おっかなびっくりだったかもしれない。途中、のんびり走っている夏子のゼファーは追い抜いたけど。

「おい、のんびり走ってんなよ。つまんねえ。バトルしようぜ。」

 翔吾の話では、終了直前の周回でバックストレートでアタシの背中が見えたらしい。マジで?


「それでは、ラップ計測結果を配ります。」

 配られたメモを翔吾と比べたら、三秒も遅い!くっそー、追いつけないワケだ。

「ちょっと翔吾、次は目の前走ってよ。今度こそ抜くから。」

「へへん!ついて来れるもんか。」

 にゃにおう!


 二本目がスタートした。三周目で翔吾が振り返り、行くぞと合図する。

 フォン!フォーン!

 パァン!パァーン!

 アクセルを開け、ホームストレートを突っ走る。あれれー?立ち上がりのスピードのノリが明らかに違う。


 カーンッ!

 パァーン!

 スリップについて、懸命についていく。第一コーナーをフルブレーキング!

 フォン!グググッ。スパッ!

 体重移動してブレーキをリリースすると、マシンはペタリとフルバンク。


 ザリッ。

 インをかすめて一瞬のヒザ擦り!

 フォァーン!

 パォァーン!

 やはりコーナーの脱出速度が翔吾の方が速い。なんで?バイクの腕も錆び付いてしまったかも…。トホホ…。

 いや、弱気に呑まれてちゃいけない。何としてもついていくんだ!


 バックストレートではパワーに勝るFZRに最後のひと伸びで離される。アタシはタコメーターの針がレッドゾーンに入ってるのを気が付くのが遅れ、危うくオーバーレブでエンジンを痛めてしまうところだった。危ない、危ない。


 第二コーナーからのS字カーブは軽さに勝るNSRでひょいひょいと通過。ストレートで付けられた差を少し取り戻すが、緩い左コーナーのスピード勝負では再び差を付けられる。

 そしてハードブレーキからの右ブラインドコーナー、左ヘアピンでは、アタシのNSRはリアがズルズルと滑りかけているが、翔吾のFZRは安定したコーナリングでスルスルと差を拡げていく。

 キツいRの最終コーナーでフロントタイヤをリフトアップして立ち上がるFZRを見てなんとなく分かった。翔吾め!

 二本目の走行はその後、なんとか追いかけるアタシを翔吾がどんどん引き離して終わった。


 アタシはピットに戻ると、FZRのタイヤを確認した。のっぺりして、全く溝のない表面は、路面との摩擦熱で溶けている。サイドに刻まれているメーカーブランドと製品名を見て予感が裏付けられた。

「翔吾!レーシングスリックタイヤ履いてるじゃん!レース用なんて反則…じゃないかもだけど、酷くない?」


 ちなみにNSRのタイヤはショップで安く買ったが、一応一昔前の公道用のハイグリップタイヤだ。そんなに悪くはないが、今どきのタイヤに比べたら、グリップ力はやはり劣る。ましてやスリックタイヤなんて、かなうワケがない。アタシ達がツナギに着替える間にタイヤ交換をしていたらしい。


 翔吾は笑うでもなく、悪びれるでもなく言った。

「それだ!反則じゃなければいいのさ。今回の走行会は普通のレースのようなレギュレーションは無い。俺に勝ちたければ速いマシン、高性能のパーツを付ければいい。それがバトルってもんだ。」

 この金持ちのボンボンが!あったま来た!

「なによ!アタシみたいな貧乏人がモータースポーツをやるのがちゃんちゃらおかしいってワケ!」

 アタシは瞬間湯沸かし器のようにあっという間にヒートアップした。

「…そうは言ってない。頑張る方向を見誤るなって言ってんだ!落ち着け。な?」

 コレが落ち着いていられるか!

「最後の一本。アンタの自慢のマシンをねじ伏せてやる!」

 アタシは湯気を立てたままその場を立ち去ると、最後の一本の前にNSRを入念にチェックした。

 ちなみに二本目のタイムはアタシが三秒、翔吾が二秒縮めて、差は二秒に縮まっていた。


 本日のラストバトル。絶対に抜く!またはラップで最速を出す!久しぶりに気合いが入るシチュエーションだ。二本目辺りから、アタシと翔吾のバトルは走行会の目玉になっていて、アタシ達を遠巻きにしつつも、目が離せないようだ。

「ボンボン頑張れえ。」

「姉ちゃん、負けんな。」


 なんだかな…?どうもアタシの周りはバトルが絶えない気がする。もしかして、アタシがバトルの発生源なの?

「先行させてやる。俺から逃げてみろ!」

 ふん!翔吾に言われなくても抜かせやしない。


 スポーツ走行の三本目が始まった。アタシは先を走る。翔吾は後追いだ。まだタイヤを温めているだけだが、翔吾の闘気をビリビリと背中に感じる。

 タイヤも暖まった。翔吾はさっきから早く行けと煽ってくる。じゃあ行くよ。アタシが後ろを振り返ると、翔吾はとっとと行けと顎をしゃくって急かす。アタシは前を向き、アクセルを開けた。

 パァーン!

 フォーン!

 翔吾も追随し、バトルが始まった。


 メインストレートに向くと、エンジン全開!

 パァーンッ!パァーン!

 めいっぱい引っ張って第一コーナーに突っ込む。体重移動しながらフルブレーキ!シフトダウン!ブレーキをリリースし、アクセルオン。そして全開!

 パゥン!パゥァ~ン。パァーン!

 アゥン!ボゥォ~ン。ファーン!

 ツーストの乾いた排気音と400マルチのハーモニックな排気音が相次いで第一コーナーを通過する。


 長いバックストレートはパワーに勝るFZRの抜きどころだが、翔吾は仕掛けて来ない?一周目は様子見?

 すぐにストレートエンド。第二コーナーが迫る!

 ギュワッ!グググッ!フルブレーキ!

 パゥン!ビィ~。シフトダウン!

 ゥオン!コォ~。FZRも続く。

 翔吾は仕掛けて来ない。続くS字コーナーに備え、目線は切り返しの先をにらむ。


 ザリッ!ビュンッ!ビィン!ブンッ!

 一瞬の右膝擦りの後、素早く左に切り返し。アクセルを開けつつ、再度右へ!

 パァーン!アクセル全開!

 フォーン!翔吾も食らいついてくる!

 ブラインドコーナーの向こうは左高速コーナーが待つ。切り返し、シフトアップして増速する!

 パァーン!パァーン!

 コォーン!カーンッ!

 カーブの出口はブラインドの右コーナー。左ヘアピンへと続く。翔吾はココで仕掛けて来た。


 高速コーナー出口のハードブレーキング!からの倒し込み!

 グワーッ!フォン!スパッ!

 素早くインを取った翔吾は高性能タイヤの威力で速いコーナリング速度で旋回…するハズだったのだが?

 えっ!翔吾のマシンはアタシを抜くとアウトに膨らみ、アタシのラインを塞いだ。

 ククッ。

 アタシは寸前で目の前の危険に反応し、アクセルを緩めた。

「あっぶな…。翔吾?なんなの?」

 続くヘアピンでもFZRは二本目のようなスピードがない。

「アタシにも、運が廻ってきたね。」

 乾いた唇をぺろりと湿すと、S字を抜け、最終コーナーへのアプローチを開始した。


 レーシングスリックは抜群のグリップ力を誇るが、その分減りが早い。恐らく今日下ろしたての新品ではなかったのだろう。アタシのタイヤはグリップ力は劣るが、寿命は長い。

 パァーン!

 フォーン!

 とにかく、ストレートで離されないように、スリップストリームをめいっぱい使って食いついていく。勝負は第二コーナー後のS字から始まるコーナー群だ。その後、数周は膠着状態が続いたが、タイヤの劣化がさらに進んだのか、翔吾のペースは少しづつ落ちていった。コーナリング中に意図しないスライドをしたりして、グリップが不安定になっている。そろそろいけそー!アタシは付け入るスキを探していた。


 そろそろ三本目も終了する頃、翔吾のマシンが不安定さを増した。アタシはこの周回に賭ける。

 パァーンッ!パァーン!

 第一コーナーを抜け、バックストレートをスリップに隠れて食らいつく。

 ギャウッ!パンッ!ギュワァッ!がっちりブレーキ&シフトダウン!

 第二コーナーでブレーキング競争を仕掛け、プレッシャーをかける。さすがにここでも翔吾は譲らない。しかし、S字への、アプローチがラインを外し、アタシはココぞと並びかける。

 フォン!オォ~ン!件名にアクセルを全開にする翔吾!

 パゥァ!パゥ~ン!加速して食らいつくアタシ!


 左コーナーの外に並んで切り返し、右コーナーでインを取った!

 パァーン!パァーー!目いっぱいパワーを絞り切って加速する。

 フォーン!ファ~ン!負けじと翔吾も加速するが今までの勢いがなかった。

 NSRの前輪が前に出る!そのままシフトアップ!増速!続く左高速コーナーの入り口で完全に前に出た。

「よし!」

 パァーーンッ!

 高速コーナーを全開で駆け抜ける!翔吾のタイヤは並びかける余裕もなさそうだ。しかし、右ブラインドコーナーで翔吾はブレーキング勝負をかけてきた。


 ギャギャッ!アン!オォン!

 右コーナーの入り口で翔吾はインに入ってブレーキをギリギリまで遅らせてきた。アタシはそれを予想して、一旦は翔吾に先行させてラインをクロスさせ、オーバースピードで窮屈なラインになった翔吾を、ヘアピンで再度ラインをクロスさせて抜き去った。

 パァン!パァーー!一気に加速して翔吾のマシンを振り切る!


 翔吾のFZRはまだムリな突っ込みの負債を払っていて、中々アクセルを全開に出来ない。

 アタシはレコードラインに乗って、スムーズに最終コーナーを立ち上がってコントロールラインを通過。これは結構いいタイムが出たんじゃないかな?

 その後、翔吾はタイヤを使い果たしたのか、ペースを落としてピットロードに入っていった。アタシは更に三周程走って、いい感触を掴んで走行会を終えた。


「いやぁ、楽しかったねぇ。また来たいねぇ。」

 夏子はマイペースで楽しく走り、休憩時間は社会人のお兄さんやおじさんと仲良しになったらしい。主にバトルしている二人のバトル解説や、情報提供をしていたらしい。夏子、変なこと話してないだろうか?


 三本目の勝負は、最初に翔吾がアタシを抜いたけど、アタシが抜き返したから引き分け?アタシは勝ったと思ってるんだけどな。

 タイム計測はアタシが一秒半縮めて、翔吾が二本目より一秒遅くて、コンマ五秒差でアタシの勝ち!

「なんだよ。最速は俺が二本目に出したタイムだろうが!俺の勝ちだ。」

「三本目はアタシの勝ちでしょ!認めなさいよ!」

 渡辺さんと、夏子は苦り切った顔をしている。


「それじゃ、走行会もそろそろお開きなんで、支度をして下さい。本日は事故も怪我も無く、非常に良い走行会でした。またのお越しをお待ちしてます。」

 もう、終わりか。アタシは楽しかった走行会が終わってしまうのは、かなりさみしい。

「もっと走りたかったな。」

 夏子もぽつりと呟いた。

「また耐久レースとかも走りてぇな。最後は俺とちえりのバトルになるけどな。」

 そういえば、あのお嬢さんはどうなったんだろう。


「翔吾、小学生の時の可愛い外人の女の子はどうなったの?」

 明らかに動揺した翔吾はなんだか赤くなりながら、知るか!と言って横を向いてしまった。

「あぁ、振られちゃったんだ?」

 翔吾はガクリとうなだれてしまった。ヤバ、図星なの?

「…アイツの話はするな。」

 ふぅん。可哀想に、アタシはハーモニカをポケットから取り出すとバラードを奏で始めた。今日も勝たしてもらったし、少しくらい慰めてあげてもいいよね。


 翔吾はふと思いついたようにその辺に生えている葉っぱを取ると、唇に当て歌うように草笛を吹き始めた。

「え、翔吾くん、凄いじゃん。草笛吹けるの?」

 夏子が驚いている。アタシも驚いた。

 翔吾とアタシの奏でる調べは、晩秋の少し肌寒い空気に乗って静かなサーキットに響いていた。


「今年のシーズンもそろそろ終わりだな。だいぶ冷えるようになってきた。」

 笛を吹き終わると、翔吾が呟いた。

「アタシ、またサーキットに連れて行って欲しい。」

 素直な気持ちだった。

「全くだ、弱っちい奴は鍛え直す必要があるからな。」

 コイツは一言余計だ。

「ちえりが言うように、筑波のライセンスでも取って走り込むか?もてぎにするか。ちょっと遠いけどな。」

「そうだね。考えておくよ。」

 アタシ達はサーキットを離れ、家路についた。


#CBRライダー


 東北道のサービスエリアの二輪車駐車場に新旧二台のCBRが停っている。近くのベンチには二人のライダーらしき女の子が、ここで買った食べ物を食べている。


「今日のいろは坂は混んでて、なんだか走った気がしないね。」

「あんだけ四輪が多いとね。」

「紅葉も時期が過ぎちゃったね。」

「路肩に葉っぱが溜まってたから危なかったな。」


「そういえば東北道でNSR抜いたよね。箱根で見かけたNSRだったかも。」

「あぁ、それっぽかったね。」

「ところでサキ、餃子食べ過ぎじゃない?ちょっとニンニク臭い。」

「ミズキこそ、五家宝食べ過ぎだよ。口の周りにきな粉と砂糖がいっぱい。アリがたかるよ。」

「「いいの!好きなんだから!」」

 ハモった。


#冬のバイト


「晴海!ピザ上がったよ!とっとと配達して来て!」

「吉野先輩は酷い。後輩が寒さに震えているというのに配達に出かけろと言う。」

「お~い、なにが酷いって?声に出てるよ!」

 あれ?聞こえちゃった?

「すみません。愚痴りました。晴海配達行ってきます。」

「アンタも学習しないねぇ。冬場は寒いに決まってるのに、なんで配達のシフトをあんなに入れるかな?」

 うう…。冬は晴れるから雨に濡れないと思って配達を多くしたけど、こんなにも寒いなんて!


 そう、晴れているからと言っても冬場は気温が低い。当たり前だけど、バイクの配達は冷たい風にさらされるから、体感気温は凄く低いのだ。特に手は手袋してても指先がじんじんと痺れて、痛くなるほどの冷たさだ。

 アタシはこの冬を乗り切れるのだろうか?配達で手がかじかむ、水仕事が辛い、乾燥で唇ガサガサになる。

「なんで冬場は宅配が増えるんだろう。」

 それはね、と優しい吉野先輩が教えてくれる。

「この寒空に買い物に出たくない奥様達がピザを頼むんだよ。家族には、今日は特別ね、とか言ってね。」

 あれ?なんか聞いた事ある気がする。


「毎度ありがとうございました。」

 ピザの配達完了!時間的に本日最後の配達だ。お店に戻って着替えたら帰ろう。吐く息が白い。今日は冷え込んできたな。お家に帰ったら暖かいかき玉スープが飲みたいな。

 バイクにまたがると暗くなった空からちょっと白いものがチラついた気がした。雪かな?暗い空に目を凝らすとほんの少しだけだが、雪がチラチラと舞っている。十二月だしね。クリスマスも降るのかな。


 吉野先輩はクリスマスに向けて御厨先輩にプレゼントを作ってあげる計画らしい。そういえば、御厨先輩の試験はどうなったのだろう。早いところはそろそろ決まる頃だ。

「戻りますかぁ。雪に埋もれる前に。あ、でもこの雪は積もらなそうかな。」

 ポケットに入れていた配達用バイクのキーを取り出した。

 カシャン。と、音を立ててキーに付いていたキーホルダーが外れた。拾い上げたが、チェーンが擦り切れて千切れてしまっている。あらら、キーホルダー壊れちゃったよ。

 なんだか、胸騒ぎがする。

「なんてね!」

 アタシは少し雪の混じった冷たい風にブルブル震えながら、お店へとバイクを走らせた。


#電撃


「すっかり暗くなっちまった。サクラ行くぞ。」

 白いモノが冷たい風に混じっている。

「…雪か。…くぅぅぅ!寒い!サクラ急ごう!」 

 暗い公園に停めたスクーターに乗ろうと近づく翔吾の後ろに、うごめく闇があった。

「グルルルル…。」

 サクラが何かを認めたのか、唸り声を上げる。翔吾はスクーターの近くにしゃがみ込んでいる人影を見た。


「おい、なにを…。-」

 バチッ!

 火花のような青い光が一瞬輝いた。

「!!…ぐっ!…!」

 翔吾の口から声にならない呻きが小さく漏れる。身体はがくがくと震え、やがて大人しくなった。

「グルル…キャンッ!…!」


 再び小さな火花とバチッという音がした。唸り声を上げていた犬も大人しくなった。

 辺りには微かに焦げ臭い匂いが漂っていた。

「早く積め!」

 小さな叱責の声の後、ガタゴトと荷台にスクーターを積み込んだトラックは闇に溶けていった。


#火傷


 サーキット走行会の後、アタシは何度かサクラに会いに行っていた。夏子と一緒に。

 翔吾はめんどくさそうだったけれど、サクラが楽しそうなので断れなかったのだろう。

 冬になり、寒い中バイクに乗るのはかなりの気合いが必要だし、タイヤはなかなか温まらないし、山間部では雪が積もっていたり、路面が凍ってブラックアイスになっていたりして、かなり危険だ。しかも、バイトでバイクの寒さが身にしみているので、ちょっと、いや、かなり後ろ向きになってしまっている、今日この頃です。


「辰巳くんはいますか?」

 アタシは今週末にサクラに会いに行こうかと、翔吾の都合を聞きに隣のクラスに来ている。

「辰巳?え~と、アンタは?」

 ちょうど教室から出てきた男子に聞いてみると、名前を聞かれた。あんまり、言いたくないんだけど…。

「…晴海です。」

 はっ!と、相手が息を呑むのがわかった。


 アタシのと言うか、巨大女子ハルミさんの武勇伝は更にエスカレートしていた。

 気に入らない男子十名を屋上に呼び出して、片っ端から、投げ飛ばし、屋上のネットフェンスに叩きつけたらしい。ネットフェンスに残る窪みはその時に付いたものだそうだ。

 いや、呼び出してないし、投げ飛ばしたのは三人だし、ネットフェンスは前から窪んでたじゃん!ウワサって怖い。


 ハルミさんだ。え、あれが?

 クラスをさざ波のようにウワサが広がっていく。この光景も、もう慣れた。

「辰巳と晴海って、付き合ってるの?だってお互いに名前呼びじゃない?」

 コソコソとウワサする声が聞こえる。だから、この名字はいやなんだ。勘違いされやすい。


「ハルミさん?翔吾なんだけど、昨日から休んでるって。なんか事件に巻き込まれたらしいよ?」

 そうなんだ。事件に巻き込まれたってのはウワサだから当てにはならない。

「ありがとう。じゃあいいです。」

 アタシはウワサがウワサを呼ぶ教室を後にした。


「そりゃあ、気になるねぇ。」

 今日は夏子と一緒に翔吾の家にお見舞いにいく。翔吾んちに電話したところ、家政婦の渡辺さんにいろいろ話が聞けた。バイクが盗まれて、その時に怪我させられたらしい。翔吾は普通に動けるから大丈夫みたいだけど、サクラも怪我したというので、そっちの方が気になる。


「大したことがなければいいんだけど…。」

 アタシ達は翔吾の家にお邪魔した。門を入っても、いつもは駆け寄ってくるサクラの姿がない。犬小屋もいつもの車庫前にはない。

 玄関に翔吾の姿が見えた。なんだ。翔吾は大丈夫そうじゃん。翔吾は、よう、と陰気に挨拶した。

「悪いな、心配掛けちまったな。」

 いや、アタシ達は別にアンタの心配はしてないし。とはいえ、家からお見舞いの品を持ってきてはいたので渡した。

「ハイお見舞い。…ねぇ、なんで泣きそうなの?」

 翔吾が感激して目をうるうるさせているのが、ちょっとキモイ。

「俺、お見舞いになんかもらったのなんて初めてだ!」

 もう、勘弁してよ!変なフラグ立てないでよね。


「で、どうしたの?」

 アタシがお見舞いに持ってきた、はるみ屋特製豚まんを、家政婦の渡辺さんが温めてくれた。翔吾は早くも三つ目にかぶりついたが、アタシと夏子はまだ一つ目を半分ってところだ。

 翔吾はバイクが盗まれた状況を説明してくれた。翔吾が言うには、夕暮れ時に公園でサクラと遊んだ後、帰ろうとしたらバイクになにかしている怪しい人影があったから、声をかけたらしい。

 怪しいなと思ったところ、脇腹に凄い痛みが走り、そのまま動けなくなったそうだ。

 やられた脇腹を見せてくれたが、赤く腫れて、ミミズばれになっていた。少し火傷もしているみたいだ。


「バイク屋のツナギを着てた気がするんだよ。なんて言ったっけ、有名なやつ。」

 アタシはなんだか、やな予感がしてきた。

「…バイクの玉子様?」

 翔吾がパチンと指を鳴らした。やめなって似合わないから。

「ねぇ、金髪のお兄さんじゃなかった?」

 翔吾はふむと考えたが、いや金髪の兄ちゃんは見てないと言う。


「ねぇ、サクラはどうなったの?」

 アタシは一番心配な事を聞いた。

「怪我は大したことないんだけどな…。」

 翔吾はそれ以上は話そうとせず、車庫に続く障子と窓をあけた。サクラの犬小屋は車庫の中にあった。


「…サクラ?」

 アタシが呼んでも返事は無い。アタシはイヤな予感がして、車庫に降りると、犬小屋に近づいた。

 ウゥ~…。

 人の近づく気配にサクラは唸り声を上げた。

「サクラ?アタシだよ?ちえりだよ?」

 少しづつ近づくけど、唸り声は止まない。犬小屋の入り口に近づくと、ワンと吠えた。威嚇する吠え方だ。

「…翔吾、サクラはどうしちゃったの?」

 翔吾はアタシに手を見せてくれた。サクラの噛んだ跡がついていて、絆創膏を貼っている。

「ちえりも噛まれるぞ。気をつけてな。」


 アタシが犬小屋を覗くとサクラは鼻に皺を寄せて唸っている。よく見ると背中の毛が一部短くなっていて、火傷があるみたい。覗いたアタシが誰かも分からないみたいだ。アタシは噛まれるのを覚悟でゆっくりと手を犬小屋に入れていった。

 ワンッ!

 一声吠えると、アタシの手に噛み付いた。痛い!甘噛みではない、食いちぎってやろうという噛み方だ。噛み付いて首をふり、しっかりと牙を刺そうとする。


「ちえり!大丈夫!」

 夏子が心配している。

 アタシがしばらく我慢していると、やがて大人しくなった。噛むのをやめてアタシの手を舐めている。中を覗くとまた、鼻に皺を寄せて唸り始めた。今日はここまでかな。

「サクラ。また来る。待っててね。」

 アタシは犬小屋を離れた。犬小屋から唸り声は消え、静かになっていた。


「お前も無茶するな。指を食いちぎられてたかもしれないぜ?」

 翔吾が呆れている。家政婦の渡辺さんが救急箱から出した消毒薬を塗ってくれたが、凄いしみる!

「サクラがあんなに怯えてるなんて…。ちえり、手、痛いよね。」

 夏子も心配している。

「…うぅ、まぁね。」


 とりあえず、血は止まったので、絆創膏を貼った。サクラも怯えていただけで、本気で食いちぎる気はなかったようだ。

「それにしても、酷いことするね。翔吾はともかく、サクラが可哀想。」

 翔吾がなにか考え始めた。

「なんか、盗難届けは出してるけど、多分、凄く時間が掛かる気がするんだよ。なんとかなんねぇかな。」


 アタシもそう思っていた。しかも、サクラの心に傷を付けたことの代償は取り返せないだろう。アタシと翔吾の目が合った。多分考えていることは同じなんだろう。

「「やっつけよう!」」

 ハモった。


#作戦会議


「で?どうやってやっつけようっての?お二人さん。」

 翌日の放課後、学校で二輪女子会の会合の議題に『サクラの敵討ち』を議題に上げたが、吉野先輩の『なんでどうして防御結界』が突破出来ない。

 なんで犬の虐待の敵討ちを女子会がやらなきゃいけないの?どうして私に関係あるの?危険でしょ?警察に任せておけばイイのよ!と、いった具合で取り付く島もない。


「早くしないと、俺のスクーターが処分されちまう!なんとかならんのか?」

「アンタのスクーターは可哀想だけど、アタシはサクラを痛い目にあわせた犯人に仕返ししないと収まらない!」

 もう!内輪もめしている場合じゃないのに…。

 アタマを冷やそうと言うことで、翔吾の家に行くことになった。サクラの様子も気になるしね。帰り道に夏子が吉野先輩に何やら話をしている。なんだろう。イヤな予感がする。


「皆さん、落ち着かれましたか?」

 夏子が仕切り出した。吉野先輩も夏子が是非と言うので付いてきた。さっきまではブツブツ文句を言っていたのに。


「それでは現在の我々の状況を整理して見ましょう。」

 できる女、夏子の登場だ。

 状況はこうだ。翔吾とサクラが恐らくスタンガンで傷つけられた。特にサクラは人間不信になるほど精神的ダメージを受けた。

「おい、俺も結構なダメージだったぞ?」

 個人的感想は置いておこう。しかし、翔吾はスクーターが盗まれて経済的ダメージも受けた。


 翔吾がウンウンとうなづく。

「現状は以上です。なにか忘れていることはありますか?」

「ねぇ、サクラに対する虐待に心を痛めた飼い主のダメージはないの?」

「じゃあ、それも付け加えましょう。では、次はどうしますか?」

 そりゃ決まっているじゃない。

「仕返しよ!奴らを見つけ出して懲らしめてやる!」

「俺のバイクも返してもらわないとな。」


「でも、どこをどうやって探すの?見つけたとしても、奴らはスタンガンを持ってる。返り討ちにあう可能性が高いよ。」

 夏子が言うと説得力がある。でも…。

「じゃあ、どうしたら…。」

「あら、二輪女子会には優秀な電脳レディと女化学者ケミストレスがいるのよ。それに野蛮な戦闘員も二人。」

 吉野先輩は優秀な電脳レディと言われて、口元をほころばせた。ガールじゃなくてレディというのもポイントかもしれない。

 野蛮な戦闘員が誰のことなのか、しばらく本気で分からなかった。夏子!酷い!


 夏子の描く絵図はこうだ。バイクにミクリン追跡装置を取り付け、盗まれた後をアプリで追跡する。アジトの場所がわかったら、警察に通報する。逃がさないように、戦闘員が現場に急行し、アジトを確認するとともに脱出を阻止する。警察が来るまで持ちこたえ、引き渡す。敵はスタンガンを持っているので、夏子特製爆裂弾を使って対抗する。


「ちょっと待ったぁ!」

 いち早くアタシは異議を唱えた。この突っ込みどころ満載の計画細部がいちいち気に入らない。まず『夏子特製爆裂弾』とはなんだ?

「ああ、それはね。コレです。」

 夏子はメガネをかけ、カバンから小さな金属製のケースを出すと、中からゴルフボールのようなものを取り出した。夏子がメガネを掛けた瞬間、アタシは無意識に数歩あとじさっていた。


「じゃあ、早速その威力を見てみましょう。翔吾くんお庭を貸して貰えるかな?」

 翔吾は夏子のメガネの意味を知らない。ふたつ返事でオーケーした。

「さぁ、翔吾くん。あの石灯籠に当てて見てください。」

「ふぅん。なにが起きるんだ?」

 夏子は真面目な顔で、爆発します、と言った。

「大きな音がするだけですけどね。大きなかんしゃく玉みたいなモノです。」


 アタシは少し不安になって夏子にコソコソと聞いてみた。

「ねぇ、実験はしたの?」

「今からよ。」

 …やはり、メガネの理由はそれか。

「まぁ、人が死ぬ程の爆発力はないはずだから…。」

 何も知らない翔吾は振りかぶると、石灯籠に向けて爆裂弾を投げた。


 バァーン!

 爆裂弾は凄い音がした。かと思うと…。

 ドスン!

 重い音がして、石灯籠の上半分が地面に落ちた。きっと積んであっただけなのだろう。爆裂弾が当たった跡は割れはしなかったようだが、焦げた跡が付いている。

「…ちょっと炸薬量が多かったみたいね。半分…いや四分の一でも…。」

 夏子はブツブツ言いながら、危険が去ったのを知らせるかのように、メガネを外した。


 爆裂弾の音に騒然となった周辺住民の対応を家政婦の渡辺さんに任せると、夏子は何もなかったような顔をして、作戦の続きを話した。

「スタンガンと対峙する可能性がある戦闘員はレーシングスーツを着てヘルメットを被って貰います。革製で厚みがあるし、プロテクターも付いているから、慰め程度には役に立つでしょう。」

 え?アタシ持ってないのに。しかも、慰め程度って。

「ちえりは、翔吾くんのを借りて下さい。」

「えぇぇ!やだよぉ。」


 アタシがグズると、翔吾が微妙にイヤな顔をする。

「ちゃんと除菌してるし、手入れもしてるからカビだって生えてないぞ?」

 む~…。っていうか戦闘員ってなに?

「ちえり?仕返ししたいんじゃなかったっけ?」

 夏子がアタシににこやかに一言。

 まぁ、そりゃそうだけどね。

「相手が殴り掛かってきたら、正当防衛が成立するわ。」

 でも、最初にスタンガンで殴られるのは願い下げなんですけど。


 アタシの不満顔にも関わらず、話は進んでゆく。

「この作戦の成否が掛かる重要なシステムである『ミクリン追跡システム』について、吉野先輩に話していただきます。先輩、お願いします。」

 ミカリンにも話は付いているんだ?夏子ったら手回しがいい。


「ご紹介に預かりました吉野です。経歴は…」

「吉野先輩!プレゼンじゃないんで…」

 夏子が先を促す。

「おほん。じゃあ説明しますか。今どき追跡システムなんて珍しくなくて、端末が持っている位置情報をキャッチして、地図上にプロットしてあげるだけなの。よくある迷子のスマホ捜索システムそのもの。位置情報はGPSとか無線局とかWifiとか色々…おい、晴海、寝るな!」

 ヤバい、本当に寝てた。

「まったくもう!実物見せた方が早いわね。これよ!」

 吉野先輩はスマホを取り出すと、アタシ達に見せた。普通の地図アプリの上に、赤い『+』マークが移動している。


「このマークのところにミクリンがいるのよ。」

 この女、ストーカーだ!

「吉野先輩、もしかして?」

 アタシが恐る恐る確認すると、先輩はニタリと笑った。

「そう、晴海の予想通り。キーホルダーのマスコットが追跡装置だよ。」


 追跡装置を小型化すると、電池とか、アンテナの関係で制限があるし、オリジナルを作成するのは時間もないので、吉野先輩が持っている古い小さなスマホを使うことにした。必要な装置は全て付いているし、スマホくらいなら、バイクのシートの下や、カウルの内側に貼り付けて隠すのも容易だ。


 で、アタシがその追跡装置スマホを渡された。

「なんで?どうしてそうなるの?意味分かんない!」

 囮はアタシのNSRが最適と、満場一致で採択されたのだ。

「まず、盗難防止装置が付いていない。次に、高く売れる。さらに、軽量だからトラックにも素早く載せられる。」

 そりゃ、そうかもしれないけどさぁ。

「アタシの父さんの形見なんだよ?盗まれて無くなっちゃったら、アタシ生きていけない!」

 アタシは泣いて拒絶したんだけど。

「本当に盗まれるワケじゃないし、売り物にするんだから、手荒な真似はしないと思うぜ。」

 ふん!翔吾のスクーターなんか、とっとと処分されればいいんだ。


「私のシステムを信用しなさい。黙っていても犯人のところに連れていってくれるよ。」

 吉野先輩なんて信じられない!

「…サクラも可哀想だよね。早く犯人を見つけたいね。ちえり?」

 うぅ、夏子が痛いところを突いてきた。

「…やります。」

 神様、父さんのバイクをお守り下さい。


#囮


 しんしんと更けてゆく夜、窓には水滴が浮いて、しばらくするとつつーっと流れてゆく。水滴の大半はアタシがついたため息とアクビで出来ている。

 キュキュッと窓ガラスを拭くと、窓から見下ろせる駐車場の片隅に、アタシのNSR(追跡装置付)がカバーも掛けずに置いてある。

 ゴシゴシと眠い目を擦りながら、冷めてしまったコーヒーをすすると、侘しさからか、かみ殺したアクビのせいなのか、涙がポロリとこぼれた。袖口で涙を拭い、何度目かのため息をついた。

 横を見ると、暖かい布団にくるまった夏子がすやすやと可愛い寝息をたてている。ココは夏子のマンションの寝室で、夏子の計画に従ってアタシのNSRを囮にバイク泥棒を捕まえようと見張っているのだ。


 アタシ達は高校生なので、学校が休みの週末に囮作戦を敢行しようということになった。金曜日の夜から日曜日の夜まで。本当はローテーションを組んで女子会メンバーで回すのが負担が少ないんだけど。


「え?私は門限があるからダメだよ。追跡装置も作ったんだから、そこは戦闘員でやってよ。」

 吉野先輩が先輩風を吹かせる。娘の健全な成長を願う親なら、どこの家だって門限くらいあるさ。うちは緩いけど。


「俺は別にいいぜ。ちえりと交代で寝起きして見張ればいいんだろ?てか門限てなんだ?」

 え、それはヤダな。御厨先輩ならいいけど。

「…やっぱ、辰巳は除外。」

 さすがの吉野先輩も、男女で寝起きをともにさせるのはまずいと考えたか?

「一度寝たら起きなさそう。」

 そっちか。

「ミクリンにも心配はかけられないしねぇ。」

「私のうちなら、ちえりもたまに泊まりに来てるし、大丈夫じゃないかな?」

 夏子が責任を感じたのか、手を上げてくれた。天使に見えてきたよ。

「でも見張りはお願いね。寝不足はお肌に響くから。」

 交代してくれないんだ!あ、天使に尻尾が生えている。


 初日、金曜日の夜は勤勉なマンションの管理人さんが違法駐輪と勘違いして、回収業者に回収されそうになった。慌てて夏子と一緒に適当な説明をしてなんとか勘弁してもらった。夜が明けたら少し寝て、昼頃から期末試験の勉強だ。母さんにはそっちが目的と話してある。


 二日目の土曜。夏子は眠そうなアタシを見て可哀想だと思ったのか、一度交代してくれた。しばらくしてアタシが起きたら、夏子は寝息をたてていた。慌てて窓から見ると、ヤンキーのお兄さん達がアタシの大事なNSRに跨がっていた。ハラハラしながら見ていたが、しばらくするとどこかに行ってしまった。

 翌朝、NSRが動かない!なにをされたかと思ったら、キルスイッチを切られて、燃料コックをオフにされていただけだった。まぁ、可愛いイタズラでしょ。イラッとしたけどね。


 と、いうわけで今日は三日目の日曜日の夜だ。明日は学校だけど、ここまできたら意地だ。夏子は悪いと思っているのか、たまに代わってくれるのだが、気が付くと寝てるので、頼りにならない。

 早く解決したいけど、NSRは盗まれて欲しくないというジレンマ。実際、なかなか盗まれるものじゃない。


 そろそろ夜が明けようかという頃、新聞配達のお兄さん達が走り始めた。ああ、今日は学校か、残念ながら収穫無し。学校行ったら、休み時間は寝てよう。そろそろ家に帰ろうかと思った頃、アタシのNSRに近づく人影があった。あと犬影も…。えぇぇ!まさかのマーキングですか!それは困るぅ~。

 バタバタ!バタン!

 アタシは着の身着のまま、夏子の家のサンダルを突っ掛けて、エレベーターを急いで降りた。

 神様!お願いします。間に合って下さい!マンションの駐車場に停めたNSRの横にちょうど犬が飼い主と歩いて来たところだった。間に合った。


「あの、ここで犬のおトイレはさせないで下さい。どこか他でお願いします。って、あれ?」

 見慣れた犬と男子がいた。

「よう、起きるの早いな。ていうか、寝てないだろ。凄い顔してるぞ。ちょっと気になるから来てみたんだ。サクラも少し元気になったしな。」


 まさかのサクラと翔吾だった。アタシはパジャマ代わりのヨレヨレスウェット上下に、夏子に借りたはんてんを羽織って、サンダルを突っ掛けていた。髪もおでこのところでピンで止めただけでボサボサだ。こ、これは、かなり恥ずかしいかもしれない!

「…あ、また後で、学校でね…。」

 アタシは逃げるように夏子の家に戻った。しかし、無情なオートロックのドアに阻まれ、マンションのガラス張りの入り口で夏子が起きるまで、恥ずかしい姿を晒し続けたのだった。


 結局その日は月曜だから学校に行ったけど、休み時間どころか授業中から爆睡で、朝から放課後まで先生に怒られっぱなしだった。

 作戦は見直しが必要で、追跡装置は一旦吉野先輩にお返ししたのだった。翔吾はこんな調子じゃスクーターが売られてしまうに違いないと泣いていた。


#ピザは持ち帰りがオトク


 週末の張り込みが失敗に終わった、その翌日のことである。


 アタシは久しぶりにバイトに来ていた。吉野先輩も一緒だった。休み時間にアタシは昨日までの張り込みの話をし、吉野先輩も追跡装置の改良型を持ってきたらしく、色々説明してくれた。

 昨日からたっぷり寝て、今朝は遅刻しそうになったが、体力は随分回復した。若いって素晴らしい。けど、寝不足だったツケがお肌に残ってる。乾燥注意報が出ている今日はお肌もリップもガサガサです。


 夏子は週末の張り込みの時、試験勉強をするアタシの横で、爆裂弾の改良型を作成していて、今日はアタシのカバンの中に入ってる。なんでも、音と共に一瞬の閃光が出るらしい。本当に危険じゃないのかな?甚だ怪しい。

 翔吾はアタシがいつ駆け込んでも、レーシングスーツが着られるように準備してくれている。準備は万端なんだけどさぁ。なかなか思った通りには話が進まないよ。


 学校が終わってすぐのピザ屋はまだ空いている。冬の夕暮れは早く、そろそろ暗くなってきた。夕飯直前の駆け込みから夜食の時間帯までが忙しい。そんなちょっとヒマな時間帯のことだった。


 ピザ屋の入り口のドアが開いた音がした。アタシは今日は内勤で吉野先輩と一緒にピザを作っていた。

「アニキ、なんでピザなんすか?戻ってから飲みましょうよ。」

 なんかどこかで聞いた気がする。ヤンキー風な話し方、聞き覚えのある話し声だった。ピザを作っている厨房からは、よく見えない。


「今日は大漁だったからな。そういう時にはたらふくピザを喰うんだよ。」

 アニキと呼ばれた男のざらついた声には一度聞いたら忘れられない、冷たい響きが含まれていた。アタシはピザの生地の上にトマトソースをぶちまけそうになった。アイツらだ。


「晴海?どうかした?顔色が良くない。」

 アタシの隣で凄いスピードでピザを作っている吉野先輩が、その手を止めることなくアタシを見た。

「アニキ、戻ってから頼めばいいじゃないですか。」

「バッカ野郎!お持ち帰りがオトクなんだよ!」

「アニキがクルマでピザ食べるとしばらくチーズの匂いが消えないんすよ?」

「だからなんだ!」

「…なんでもないっす。」


 アタシは怖くてレジカウンターを覗けない。

「…吉野先輩、奴らかもしれません。威張ってる奴って、金髪じゃありませんか?」

 吉野先輩は一瞬ハッとしたが、かろうじてカウンターを凝視せず、具材を棚から出すフリをして、ちらっと見た。

「キャップを被ってる奴の後頭部が黄色いね。声はどう?奴らに似てる?」

「そのものです。」


 雨の配達で見かけたバイク買取のトラック、その時に目に焼き付いた鮮やかな金髪。横浜で因縁を付けてきたバイク買取屋のヤンキー風な男と、金髪の男。バイク買取屋のトラックの前で翔吾を襲った男。恐らく、その男が今バイト先のピザ屋のレジにいる。


 横浜ではヘルメットを速攻で被ったから、顔は見られてない。完全に無視したから声も聞かれてない。でも、あの時も足の震えが止まらなかった。翔吾やサクラにした仕打ちを思い出すと、怒りもあるが恐怖も込み上げてくる。

 どうしよう。

「晴海!しっかりしな。ちょっと事務所に行こうか。…店長、晴海が具合悪いみたいなので、ちょっと事務所につれて行きます。」

 アタシと吉野先輩は仕掛かっていたピザを完成させてオーブンに入れると、何事もなかったかのように、事務所に向かった。

 その途中、レジカウンター越しに奴らを見た。案の定、横浜で接触した男達だった。アタシ達には目もくれずピザの注文をしていた。


「見た?」

「奴らです。」

 事務所に入った途端、背中から汗が吹き出した。冷たい汗。気が付くと手もじっとり濡れている。

「外にトラックもあったね。バイクが三台積んであった。でも、『バイクの玉子様』のペイントはなかったな。ていうか消した跡があった。でも電話番号だけ残ってた。」

 吉野先輩よく見てるなあ。

「『バイクの玉子様』が泥棒っていうのが、バレ始めたんだろうね。」

 吉野先輩は事務所の備品ロッカーを漁っている。

「あ、あったあった!」


 ガムテープ?次いで先輩はカバンから追跡装置のスマホを取り出すと、ガムテープと一緒にアタシに押し付けた。

「ほら、急がないと、奴らが行っちゃうよ!」

 え?アタシ?

「従業員口から出て、トラックに積んであるバイクに追跡装置をつけるんだよ。バイクはどこかに集めるはずだからね。」

 アタシが躊躇していると、背中をドヤされた。

「ほら、早く!私がレジで注意を引きつけるから!」 

 アタシは急いで従業員口から出た。


 従業員口は店の裏手にあり、表からは見えない。アタシは店の周りをぐるりと回って表の駐車場の端まで来た。駐車場に出るとお客様の待つベンチからは振り返らなければ見えない。トラックの影までの距離は五メートル。落ち着け、ちえり。心臓はバクバク言ってるけど、深呼吸して覚悟を決めた。顔を出してちらっと奴らを確認すると、ベンチに座っているが、トラックを見ていた。ダメだ。まだだ。と、誰かに呼ばれたようにレジの方を向いた。今だ!アタシははや足でトラックの影に滑り込んだ。


 急がないと。アタシはトラックに積んであったバイクに追跡装置を取り付けなくてはならない。バイクは三台あり、一台はカウル付だった。アタシはガムテープを何枚か適当な長さにカットすると、追跡装置の電源ONを確認し、アンダーカウルの内側、下の方に貼り付けた。あれ?なんか見覚えあるなぁ、このCBR…シールがいっぱい貼ってある。いや、余計なことは考えるな!


 装置を取り付け終わったアタシはガムテープをポケットに突っ込むと、トラックの影からベンチを見た。いない?よく見るとレジカウンターでピザを受け取り、こちらに歩き始めている。

 ヤバいヤバいヤバい!どうしよう?その時、奴らが一瞬レジカウンターを振り返った。アタシは速攻で動いた。


「さてと、ピザももらったし、帰るか。」

 金髪の男は手下にピザを任せると、出口の方に歩き出した。ドアを開けようと手を取っ手に掛けようとした。

「お客様!クーポンをお忘れですが?」

レジカウンターからの声に一度振り向いた。

「要らねえよ。もう、来ねえからよ。」

 キイッ。

「ありがとうございましたぁ。また、お越し下さい。」

 店員がニコニコと笑い掛けながら、ドアを開けて挨拶をした。

「おう。姉ちゃん悪いな。ドア開けてもらってよ。」


 ヤンキー風な二人は、トラックに乗り込んだ。

「アニキ、俺またココのピザ屋来ようかな。後から来たレジの姉ちゃん、色っペー目で俺のことじぃ~っと見てんすよ?気があんじゃね?痛っ!」

 ゴツンと、金髪がどつく。

「バカ言ってんな!俺たちゃ明日は日本にゃ居ねぇんだよ。」

 ブツブツ文句を言いながらも、手下はトラックを駐車場から出して走り始めた。隣の金髪はピザの箱を開けて、たっぷりチーズの掛かっているピザをガツガツと食べ始めた。

「うんめぇ!」


 気づかれなかったよ!よかったぁ!

 奴らが振り返った隙にアタシは表側のドアに走り、お客様のためにドアを開ける店員を装ったのだ。奴らと入れ替わりに店に入ってトラックが出て行くのを確かめるとどっと汗が流れ出た。

「店長!ちょっと抜けます!晴海!ぼーっとしてるヒマはないよ。」

 吉野先輩はアタシを引っ張って事務所に入ると、スマホを取り出し、追跡アプリを起動した。

「ふふっ、とりあえず追跡装置はちゃんと動いてる。よくやったね。とりあえず、翔吾のところで戦闘服に着替えてくれる?私のベスパを貸すから。」

 戦闘服?と聞き返すヒマもなく、ポイポイポイッとカバンとヘルメットとベスパのキーをくれた。

「私は夏子を呼んで、後から追いかけるから大丈夫。みんなには私が連絡する。早く行きな!」

 吉野先輩は、まだアワアワしてるアタシを送り出しながら、メンバーにメッセージを送っている。本当に凄いわ、この人!

 キュキュキュッ、プルルンッ!

 アタシはヘルメットを被るのももどかしく、ベスパを発進させた。すでに日もとっぷりと暮れた夜の中、スクーターの弱々しい光を頼りにアタシは走り出す。


#追跡


 アタシが翔吾の家に着くと家政婦の渡辺さんが、門を開けて待っていた。

「さあ、どうぞ。」

 ベスパを一旦車庫にしまうと、玄関から翔吾が顔を出した。

「スーツは用意してある。早く入れ!」

 アタシは靴を蹴飛ばしながら、玄関を上がった。

 と、思わず顔を背けてしまった。

「ちょっと!そんなところで着替えないでよ。」

 翔吾はリビングのド真ん中でパンツ一枚の姿でインナースーツを着ようとしていた。まったくデリカシーの無い奴だ!

「いいじゃねえか、俺んちだし。お前も早く気がえろ。」

 えぇぇ!ココで?勘弁してよ…。

「晴海さんは脱衣所でどうぞ。あ、スーツを持っていきますね。」

 渡辺さん、ありがとう!やっぱ女性がいると違うな。

「すみません。」

 アタシが言うと、いいえ、とニッコリ微笑んだ。

「サクラと翔吾さんの敵討ちでしょう?私ももう少し若かったら、ご一緒するんですけどね。」

 ん?この人はわかっているのかな?

「さあ!急いで下さい。坊ちゃんが待ってますよ。」

 渡辺さんはカーテンを閉めると、脱衣所を出ていった。アタシは何だか釈然としないが、急いで着替えないといけないのは本当だ。


 他人の家で下着になるのは少し恥ずかしいが、エイヤッと気合いを入れて、服を脱ぐと、インナースーツを着た。ん?ちょっとウエストや肩、腕がダブつくのは男性用だからだろう。翔吾のか、でもこれしかないからしょうがない。

 次にレーシングスーツを着るのだが、結構重いんだよねコレ。すでにファスナーは開いている。両脚を通して、よいしょと腰まで引き上げる…と。

 あ、あれ?

「おかしいな?ちょっと…キッツ…。」

 なんということでしょう…。アタシのキュートなヒップが入りません!


「お~い、なにやってんの?遅えぞ!」

 わ、翔吾!

「うるさいわね!ちょっと待ってなさいよ!」

 よいしょ、よいしょ…。何とかスーツにヒップを押し込み、ジッパーを閉めようとするがなかなか閉まりません。

「…んもう、ちょっと小さいんじゃないの?コレ。」


 ジャッ!

 げっ!カーテンを開けて、翔吾が入ってきた!アタシはびっくりして固まってしまった。

「あー、ケツがキツいか?俺に合わせて作ってあるからな。女にはケツだけはちょっと細いかな?」

 ちょっと!なに入って来てんの!と、言いたいが、口がぱくぱく動いただけだった。

 翔吾は固まっているアタシを気にもせず、アタシのスーツを少し下げると、腰の両側のパッドを抜いた。

「これでどうだ?」

 アタシは言われるままにスーツを腰まで上げた。多少キツいが、なんとかヒップも収まった。ジッパーも何とか閉まった。

「よし!大丈夫みたいだな。急げよ!佐藤さんはピザ屋に着いたみたいだぜ。」

 そうだ!急がないと。でも、何だか顔が熱い。


「…ありがと、後は自分で…できるから…。」

 アタシは翔吾に背を向けてスーツの上半身を着込み始めた。

「そうか?急げよ!あ、スマホを忘れるな!」

 翔吾はそう言うと、出て行ってカーテンを閉めた。


 マジですか!

 翔吾に体のラインも露わなインナースーツ姿を見られてしまった。

 恥ずかしい!…い、いや別にそんなに恥ずかしがるほどでもないか?ハダカを見られたワケじゃないし…。翔吾も気にしてないみたいだし。と、とにかく急いで支度しないと!

 念のため防寒対策でセーターも着込んだアタシは、レーシングスーツの袖を通してファスナーを閉めた。やっぱり肩、腕、ウエストの辺りがブカブカだ。悔しいけど胸も…。カバンからポーチを取り出してウエストにつけた。中には今日の作戦用アイテムが詰めてある。最後に髪の毛をゴムでまとめるとアタシは脱衣所を出た。


 グローブは翔吾のでも少しダブつくが問題ない。ブーツは翔吾のじゃ大き過ぎるが、渡辺さんがアタシ用にと出してくれたのは、何故かオフロード用だった。

「私のなんですけど、サイズが合いますかねえ?」

 アタシの足より少し大きいみたいだけど、翔吾のより全然マシだ。

「あ、大丈夫です。」

 渡辺さんの奥さんもバイクに乗るんだ。しかもオフロードか!やるな。


「遅えぞ、ちえり!」

 翔吾は既に準備が出来ていた。

「そのヘルメットを被れ。インカムも付いてる。あと、スマホをベスパのホルダーにつけろ。」

 アタシは言う通りにした。インカムは既に使えるようになっていた。

『晴海、聞こえる?』

 吉野先輩!

『あんた、翔吾のスーツにおしりが入らなかったんだって?…ぷくく…。』

 あんのバカ翔吾!アタシは無視して話を続けた。

「…で、どーすればいいですか。」

 吉野先輩は時間を無駄にしない。…時もある。

『アプリ起動して?それから…』


 矢継ぎ早に指示がくる。アタシはなんとか着いていった。

『…そしたら、青で晴海の位置、緑で私の位置、黄色で奴らの位置が表示されたはず。』

 赤いのが見えるけど、これは御厨先輩だな。吉野先輩、あえて言わないけど。

『奴らは横浜へ向かってる。追うよ。狩るのは私達、肉食系女子だ。』

 横から翔吾が口を出した。

「俺は女子じゃねぇぞ!」

 向こうでも夏子が文句を言っている。

『私も肉食系じゃありません!』

 アタシも否定しておいた方がいいかな?

「アタシも違…。」

『わかった!じゃ、半分肉食系を含む二輪女子会メンバーだ!文句は無いな!行くぞ!追跡開始!』

 半分?お~い、だから肉食系じゃないってのに…。


 アタシと翔吾が着替えてアタシ達は追跡装置を見ながら、追跡を開始した。前にみんなで横浜に来たから、何となくどの辺にいるか分かった。

『奴ら、東神奈川の方に行くみたいね。』

 夏子が話すのが聞こえる。

『ちょっと、話しかけないで!マニュアルのバイク、教習所以来だから!』

 え、吉野先輩がゼファーを運転してる?まぁ、法令遵守のためにはそうなるのか。いいじゃん別に少しくらい!お堅い二人だねー。

「先輩、話しかけないと、どーすればいいかわからないんですけど?」

 アタシはちょっとイヤミを言ってしまった。

『たまには自分で考えな!運転に集中するから、一度切るよ!』

 げっ!本当に切っちゃったよ!


 仕方ない。アタシと翔吾でとにかく追いかけよう。追跡装置は東神奈川から少し先に行ったところで止まった。吉野先輩は少し遅れている。

「翔吾、とりあえず近くまで行って先輩達を待とう。」

 アタシはさっきから黙ったままアタシの後ろを走っている翔吾に話しかけた。なんか怒ってるのかな?

『了解。』

 え、それだけ?

「ねえ、なんか怒ってる?」

 念の為聞いてみた。

『いや。』

 うう、気まずい。

「…ねえ、なんか話そうよ。…あのさ…聞きたいことがあるんだけど…。」

『…なんだよ。』

 いや、実はそんなに聞きたいワケじゃないんだけどね。


「昔、小学生レースの後、もう来なかったじゃない。なんかあったの?」

 翔吾は、ふむ、と言うとしばらく黙っていた。なんか聞いちゃいけなかったかな?

『…あの後、すぐに俺のお袋が死んだんだ。で、色々忙しくてな。』

 うわ、しまった。ピンポイントで古傷をえぐっちゃったよ。

「ご、ごめん。へんなこと聞いちゃったね。」

『いや、いいんだ。俺はその後すぐに親父に引き取られた。一応、跡取り候補は俺一人しかいなかったみたいでな。大事にしてくれたよ。別れた元本妻の連れ子以外は子供がいなかったらしい。』

 うわぁ…。こりゃまた重い話ですねぇ…。

「…そ、そう…なんだ。…ごめんね、変なこと聞いちゃって。」

 ふん、と言って翔吾は続けた。

『でも親父のやつ、お袋が死んで何年もしないうちにまた再婚したんだけどな。』

 うぅ、すごく重い身の上話だ。話しかけない方がよかったかも。アタシはかなり後悔した。

『ちえり、聞こえる?近くに公園があるから、そこで落ち合お。』

 夏子が繋げてきた。助かった。これ以上辛い話を聞かなくて済んだ。

「了解。翔吾、聞いた?」

『おう!公園な。悪い奴らをとっちめてやる!』

 ふむ…。アタシが気にするほど、翔吾は頓着してないのかな?


 アタシ達は公園にバイクを止めて吉野先輩達を待った。追跡装置は近くの倉庫にある事を示してずっと止まったままだ。あそこに奴らがいるんだ。アタシはいきなり寒さを感じた。冬の寒さだけではない、心を凍らすような寒さだった。


#潜入


 アタシと翔吾が公園で待っていると、しばらくして吉野先輩と夏子のゼファーが現れた。吉野先輩は慣れないマニュアル車で最後にエンストし、危うく立ちゴケするところだった。

 とりあえず、落ち合えたが問題はここからだ。

「かねてからの作戦通り、翔吾とちえりは犯人達を足止めして。私と夏子は警察に通報して、ここから指揮をとる。問題ないね?」

 翔吾とアタシはうなづいたが、夏子が少し心配そうだ。

「盗品のバイクを確認したいですね。」

 夏子が言うには警察を呼んでも捜査令状でも無ければ踏み込むことが出来ない。

「俺は一発殴りたいぜ。」

 アタシはウンウンとうなづいた。

「ダメだよ。どうしてもと言うなら、一発殴られてからにして。正当防衛になる可能性があるから。」

 え~、それは痛そうでヤダな。

「とにかく、盗品のバイクを見つけたら、警察に通報する。あと、奴らに見つかった時も、警察に通報する。これ以上は譲れないよ。」

 全員合意して、探索作戦開始だ。


 アタシと翔吾は注意深く、追跡装置が示している倉庫に近づいた。目の前に元『バイクの玉子様』のトラックがあった。元と言うのはその文字が電話番号を残して消してあるからだ。トラックの荷台は空で、積まれていたバイクはどこかに行ってしまった。恐らく倉庫の中だろう。追跡装置がそれを示している。

 アタシと翔吾はトラックに近づくと、運転席を覗いたが、誰も乗っていなかった。

「先輩、トラックは空で、倉庫の中に追跡装置があります。中入ります?」

 そして、倉庫を見るとシャッターとドアがあった。足音を忍ばせてシャッターの前に進む。シャッターの前にはバイクのタイヤの跡が薄く残っている。恐らくタイヤについた土の跡だろう。シャッターの中からはなんの音も聞こえなかった。

「開かねえな。」

 翔吾はドアノブに手を掛けて回そうとしていたが、鍵が掛かっているようだ。ノブが回らない。よく見ると、ドアの横にカードリーダーとテンキーボタンの並んだ装置が付いている。


「吉野先輩、セキュリティシステムがあるみたいだけど。どうしよう。」

 公園で指揮している吉野先輩に指示を仰いだ。

『それは厄介だね。でも多分番号を正しく入れれば開くと思う。カードリーダーは中に人がいない時に使うはずよ。』

 アタシは番号に心当たりがあった。

「試してみていいですか?」

『一度か二度くらいは大丈夫だと思う。それ以上はアラートが鳴るはず。』

 それなら、やってみよう。アタシは慎重に番号を押した。

 カチャリ。

 解錠されたような音がした。ドアノブが回る。


「先輩、開きました。」

「マジか?」

 隣にいる翔吾も驚いた。

『晴海、隙間を開けて中を見て!長い時間ドアを開放すると、アラートが鳴るよ。』

 アタシは隙間から覗いたが、中は明るくて何かの棚のようなモノが並んでいるのが見えるけど、人は見当たらないし、気配も無い。

「中に入ります。翔吾も姿勢を低くして、急いで静かにね!」

 アタシと翔吾はドアの隙間から、倉庫の中に滑り込むとドアを閉めた。

 カチャリ、と音がして施錠された音がした。


 翔吾が何か言おうとするのを手で制すると、しばらく動かず周囲の音を聞き、気配を窺っていた。微かに空調か換気扇の音がする以外は何も聞こえない。

「さっきの番号はね、トラックに書いてあった電話番号だよ。」

 翔吾が気になっているようだから、タネ明かしをした。

「なるほどね。店の名前は消しても、暗証番号を忘れたら困るから残しておいたのか。でも、それくらい覚えろよって感じだな。」

 そこへ、吉野先輩から連絡が来た。

『諸君、不法侵入成功おめでとう。これで君達は晴れて犯罪者の仲間入りだ。』

 余計なお世話だ。

『盗まれたバイクは見当たらない?』

 アタシと翔吾は辺りを見回したが、見当たらない。


「これは野菜かな?」

 翔吾がズラリと並んだ棚に生えている葉っぱを見て言った。

『鮮度のいい野菜を屋内で栽培するところは珍しくないよ。ここは市場も近いし出荷に便利だから。』

 吉野先輩が翔吾の言葉を受けて説明してくれた。ふーん、そういうモンなんだ。

「夜も明るいんだ。よく育つため?」

 なんだか、土と緑のせいか空気がいい気がする。

『夜も光合成させるんじゃ、酸素たっぷりじゃない?』

 そういうことか。

「それはいいからバイクを探さなくちゃな!」

 翔吾がバイクを探しにあっちこっち回っている。アタシも探してるけど、野菜の栽培の棚しか見当たらない。


「ほんとにここなのかな?」

 吉野先輩が怒り出した。

『何を言う!追跡装置は結構精度が高いんだからね!あんた達の探し方が悪いんじゃないの?』

 ムッ、そう来るか。

『よし、最後の手段よ。今から追跡装置を呼び出すから、何とか見つけてね。』

 呼び出す?と、着信音が鳴り始めた。ああ、なるほど。って、早く探さないと、奴らに聞こえるかも!


 アタシはどこから聞こえるか、方向を探った。電子音はどこで鳴ってるかわかりにくいけど、シャッターに近い辺りから聞こえる。しかも下から。この倉庫に地下がある!音の大きいところを調べたら、栽培用の棚の隙間にハッチがある。とりあえず、開けて中を覗いた。やはり、薄暗い地下にバイクがズラリと並んでいる。その中に見慣れたスクーターがあった。

「翔吾のマグザム見つけたよ!」

 近くを調べていた翔吾がバイクを下に下ろすリフトを見つけた。

『よし、証拠が揃ったね。警察を呼ぶよ。』

 突然、反対側にあったドアが開いた。

「何の音だ!」

 出てきたのは金髪と手下の二人だった。


#決戦


「そこにいるのは誰だ?」

 倉庫の奥のドアから金髪と手下が出てきた。しかも、一瞬で見つかった!ヤバい!

『もしもし!警察ですか?男が襲ってきて、私、殺される!…』

 吉野先輩が警察に連絡したらしい。殺されるのか?危ないのはアタシ達だよね!

「翔吾!隠れて二手に別れよう。逃げ回って、時間を稼ぐよ。」

 翔吾は、分かったと言ってアタシとは反対側に回っていった。アタシも翔吾も棚からアタマを出さないようにして、身を隠した。とりあえず、警察が来るまでの時間稼ぎをしないと…。


 あっちを曲がり、こっちを回ってどこにいるのか自分でも分からない。次の角を曲がるとドスンと誰かにぶつかった。当たりどころが悪かった。相手はアタシのヘルメットに鼻をぶつけたらしい。顔を押さえている。

「痛えな!コノヤロー!」

 金髪の手下だ!ヤバい、逃げ回って時間稼ぎをするはずだったのに、大誤算だ。


 相手は辺りを見回すと振り回すのに丁度いい木の棒を見つけた。なんつーところにそんなモノがあんのよ!恐らく、栽培用棚の材料が余ってたんだろう。アタシからしたら、とんだ災難だ。

「へへへ…。そんなモノ着てたって、役に立ちゃしねえよ。待ってな、ボコボコにしてやるからな。そらよ!」

 ブンッ!

 唸りを上げて棒が振り下ろされる。アタシはすんでのところで避けたが、マトモに喰らったら骨を折られる。

 懐に飛び込んでも捕まったら終わりだ。相手はケンカ慣れした大人の男なのだ。あっという間に組み伏せられてしまうだろう。

「オマエ、女か!」

 アタシの長い髪がヘルメットから出ているのを見たのだろう。男はぺろりと唇を湿した。

 やばい…どうする?


 倉庫の中は栽培用の棚が並んでいるが、壁には土などの袋が棚の中に収まっている。何か使えるモノがあるか?アタシは棚の間を走り、壁に突き当たった。

 何かないかと見回したが、残念ながら武器として使えるようなものは無かった。

「探しモノは見つかったかい?お嬢ちゃん?」

 振り返ると男が、逃げ道を塞ぐように立っていた。


 仕方ない、アレを使うか。アタシはポーチから取り出したモノを男に投げつけた。

「おっとっと…な?」

 バァーンッ!

 アタシが投げた爆裂弾を男は手にした棒で払った。爆裂弾は大きな音を立てて爆発する。更に一瞬の閃光が男の目を眩ませた。


 今だ!アタシは投げると同時に走り出していた。爆裂弾を受けた棒は折れていた。棒で払わなかったら、大怪我させていたかもしれない。


 男が棒を振り出した時、アタシは爆裂弾の閃光に備えて視線を床に落としていた。折れた棒切れが飛んで来る可能性も考え、身体を低く保ちつつダッシュすると、棒切れはアタマの上を越えていった。

 男は棒を振り出した勢いで体が前のめりになっている。アタシはその背中に回った。男は閃光に目をつぶっていた。光を遮ろうと顔まで上げた手首を掴むと、肩に手を添えて肘をキメながら、回すように床に引き落とす。

 ドターン!

 男は壁の棚にアタマから突っ込んだ。アタシはそのまま、腕をキメにいったが、強い力で振りほどかれてしまった。捕まったら最後だ!すぐに諦めてサッと後ろに下がる。


「調子に乗るなよ、あまっ子が!」

 アタシは男が起き上がる前に二つ目の爆裂弾を使った。

 エイヤッと投げた爆裂弾は男には当たらず、壁の棚に当たった。爆発した棚板が無残に割れたが、それだけだった。


 男はニヤリと笑ったが、頭上を見てアタマを抱えた。そこへ、ドスン!ドスン!と、棚に積まれていた、土や肥料の大きな袋が落ちてきた。割れた板が支えていた重量に耐えきれず、棚ごと倒れてきたのだ。グゲッとか何とかいう声が聞こえた。辺りはモウモウとした土だか肥料だかホコリだかで、煙幕を張ったようだ。アタシは翔吾が気になっていた。


 翔吾は苦戦していた。やはりケンカ慣れした大人には敵わない。金髪はアタシが喰らったら吹っ飛んでしまいそうな、重そうな蹴りを翔吾に見舞っていた。レーシングスーツではあんな衝撃を吸収することは出来ない。ヘルメットに当たったら、翔吾の首の方が折れてしまいそうだ。

 アタシは翔吾の方に駆け出した。翔吾は何発もやられて、何度も耐えていたが、まともに腹に喰らった一撃に、とうとう力尽きて倒れた。金髪はポケットに手を突っ込むと、ウワサのスタンガンを取り出した。倒れた翔吾を痛めつけるつもり?アタシは叫んでいた。

「止めろ!アンタの相手はアタシだ!」


「お前、オンナか?」

 みんな同じセリフを言う。もう聞き飽きた。

「だったら、何か?」

 金髪はゆっくりとアタシの方に歩いて来る。遠くからサイレンの音が聞こえる。警察だ!助かった。

「気に食わねえ!」

 バチバチッと、スタンガンが火花を散らした。こいつはサイレンの音が聞こえないの?

「警察なんか関係ねえ!オマエにコイツを食らわさねえと、俺の気が済まねえんだよ!」


 ヤバい、本当に殺される!アタシはゆっくりと後ろに下がった。金髪は少し歩みを早めた。怖い!本当に怖い!アタシは後ろを向いて走り出した。

「待てや!コラ!オレの相手するんじゃなかったのか!」

 ムリムリムリムリムリムリムリッ!アタシは逃げた。行手にモウモウと舞うホコリが見えた。

 よし、最後の手段だ。アタシは壁の棚を目掛けて片っ端から爆裂弾を投げた。

 バァーン!

 バッタン!

 ドッスン!

 棚から落ちる袋やホコリで辺りは煙幕を張ったように真っ白になる。金髪の姿が見えなくなった。


「どこに行きやがった!出てこい!」

 声は思ったより近い。アタシは静かに壁に寄って床にしゃがみ込んだ。

『ちえり大丈夫?』

 夏子だ。こんな時に…。アタシは小声で囁いた。

「煙幕張って隠れてるから、このまま警察を待ってる。後にして…。」

 金髪の気配が分からない。あっちもこっちも見えないから、声を出すのもびくびくものだ。

『煙幕ってなに?』

 ちょっと、夏子いい加減にして!でも心配そうな声音が気になる。

「え、肥料とか?の粉?」

『え!』

 なに?インカムの向こうの夏子が息を呑んだ。

『…ちえり、いいこと?すぐに煙幕から出て。でないと…』

『…ちょっと?佐藤さん、なんでメガネ掛けるの?』

 吉野先輩の声はアタシを戦慄させた。アタシは立ち上がっていた。


「見ぃ~つけた!」

 後ろから金髪の声がした。慌てて走り出そうとするアタシの髪が引っ張られた。

「逃がさないぜ。お嬢ちゃん!」

 バチバチッ!

 スタンガンの放電する音が背後で響く。火花の青い電光が煙幕を光らせる。

「オンナがオトコの世界にしゃしゃり出ると、どういう事になるか教えてやるぜ!」

 アタシは髪が引っ張られて、後ろを振り返ることすら出来ない。でも…。このまま終わるもんか!

 バチバチバチ!

 放電の音がゆっくりと首筋に近付いて来る!アタシは最後の爆裂弾を肩越しに投げた。

 一瞬の閃光がアタシの周りに広がったと思ったら、まるで突然の停電のようにアタシは暗闇に落ちた。


 爆裂弾は突き出すスタンガンの火花に接触し、一瞬の閃光を発した。閃光による熱は、浮遊する可燃物の粒子の密度と、通常より濃度の高い酸素により、急速な燃焼反応を引き起こす。いわゆる粉塵爆発である。

 爆発によってちえりのカラダは床に、金髪は壁に叩きつけられた。

「ちえり!」

 叫んだのは翔吾か、夏子か。倉庫の中は焦げ臭い匂いが立ち込めていた。


#告白


 ピッ…ピッ…ピッ…。規則正しい電子音が聞こえる。

「…テテテ…。」

 寝返りを打とうとしたら、首筋がヒリヒリしたので諦めた。仕方なく、仰向けのまま、ゆっくりとマブタを開けた。


 白い天井が目に入る。白いカーテン。天井の蛍光灯は消えてるけど、明るい。遠くから鳥のさえずりが聞こえる。朝だ。

 右手を動かそうとすると、ヒモが繋がっているような違和感があった。首筋のヒリヒリがいやで、目だけ動かして見ると、点滴のスタンドと医療用の装置が目に入った。そうか、病院か。


 アタシの寝てるベッドに突っ伏して寝てるのが二人いた。あと、イスに座ったまま、うたた寝している杏姉も。

 アタシの左手が痺れていた。どうやらベッドに突っ伏して寝てる夏子が潰しているようだ。そっと引き抜こうとしたが、起こしてしまった。

「…ん、あれ?…どこ?」

 夏子がゆっくりとアタマを起こし、眠そうに目を擦りながら、アタシを見た。

「おはよう。夏子。」

 アタシはニッコリと笑った。

 夏子の寝ぼけまなこがゆっくりと焦点を結ぶ。やがてボロボロと涙を流してアタシの手を取って、ぎゅっと強く握りしめた。

「ちえり!死んじゃうかと思った!よかった!」

 と、アタシの左手に電撃が走った!

「痛たたた!夏子、手ぇ、痺れてるから!」

 ハッと、夏子が力を緩めた。

「ごめんね、痛かったよね。」

「ははは…だいじょぶよぉ…。」

 アタシの声に吉野先輩と、杏姉も目が覚めたようだ。二人も泣きそうな顔で、アタシの心配をしてくれた。


 杏姉がナースコールで看護師さんを呼び、しばらくしてお医者さんも来てベッドで診察した。アタシは爆発に巻き込まれて、首に火傷を負い、床に叩きつけられ、脳しんとうを起こして気絶したらしい。

 なんか前もこんなことがあった気がする。母さんも夜に来たけど、お店の準備で家に戻ったらしい。心配かけちゃったな。ちょっと反省した。杏姉もアタシの無事を確認したら、お店に帰った。また夜か、退院の時に来てくれるらしい。忙しいのにごめんね。


 吉野先輩と夏子は学校と、家に連絡して少し遅刻して行くらしい。アタシがあの後の話を聞くと、二人は話したくてウズウズしていたのだろう、喜んで話をしてくれた。

 アタシが倒れた後、翔吾はアタシをお姫様抱っこして、外に連れ出したらしい。そこへ丁度いいタイミングで到着した警察が翔吾を取り押さえたそうだ。倉庫に警察が到着したことを知った、吉野先輩と夏子が公園から倉庫に駆けつけた時には、翔吾は地べたに押さえつけられていたらしい。可哀想に。

 その後で救急車がアタシを病院に搬送したそうだ。金髪と手下は火傷をしたものの、すぐに意識を回復したらしく、警察に連行された。吉野先輩と夏子、それに翔吾は警察官にお説教されて、二度とこんなことをしないようにと、厳しく注意されたということだ。


 話が一段落した後、誰かが廊下から駆け込んで来た。御厨先輩だ。よほど急いで来たのだろう。息を弾ませ、額にはうっすらと汗が光っている。

「…晴海さん、…大丈夫?」

 息を継ぎながらアタシに声を掛けてくれた。

「ハイ、大丈夫です。ご心配おかけしました。」

 御厨先輩は、そうか、よかった、と言うと、吉野先輩に詰め寄った。殴るんじゃないかという勢いだった。


「…吉野、お前が付いていながら、コレはどういう事なんだ!」

 吉野先輩はビクリと身体を震わせると、凍り付いた。アタシと夏子はハラハラしながら見ていた。

「…ミク…リン…。」

 御厨先輩が更に詰め寄った。吉野先輩は顔を伏せて眼を合わせることも出来ない。

「晴海さんや、辰巳くんは、もしかしたら殺されていたかもしれないんだぞ!」

 固まったまま、吉野先輩は少し肩を震わせていた。御厨先輩がこんなに怒ってるところなんて見た事がない。


「俺が石田から連絡を受けた時の気持ちが分かるか?」

 そうか、男子部の石田部長の従姉が交通機動隊にいるから、そっちから連絡があったんだ。

「病院にウチの高校の女子が運び込まれたって…しかも、バイク関係だって聞いた時、吉野じゃなければいいって思ったんだ!」

 吉野先輩が、ハッと顔を上げた。その目は潤んでこぼれそうだった。


「さっきここに来て、晴海が入院したって聞いた時、俺はほっとしたんだ。晴海さん、ごめんね。ひどい先輩だよね。」

 ホントだよ。アタシは動けなかった。そんなこと聞きたくなかったのに、そんな御厨先輩を見たくなかったのに、耳をふさぐことも、目をつぶることもできなかった。動いたら涙がこぼれそうで…。

「…吉野。俺はオマエが…!」


「待って!」

 吉野先輩が御厨先輩のコトバを遮った。そして、絞り出すように口に出した。

「…待ってよ。ズルいよ…。さっきから、一方的にキモチを押し付けて…。」

 アタシは吉野先輩が、また自分のキモチを押さえつけるつもりかと思った。そんなアタシの視線を感じたのか、吉野先輩はアタシと目を合わせると、ニッコリと笑った。

「…ふふっ。大丈夫だよ、晴海。私は約束したもんね。」

 吉野先輩はこぼれそうな滴を指先でスッと拭うと、御厨先輩の目をしっかりと捉えた。

「…あの春休みは、私はまだ自分のキモチについていけなかった。私は私のユメがあるから。」

 そして、優しい眼差しでもう一度見つめ直した。

「でもね、ユメはユメ、キモチはキモチなんだって、思うようになったの。」


 吉野先輩は、黙って聞いている御厨先輩の手を取った。御厨先輩の手にはホットミルクティーが握られていた。その手を両手で愛おしげに包むように握る。そして、意を決して言った。

「…悟。」

 吉野先輩が御厨先輩を名前で呼んだ。その声に、眼差しにコトバでは表せないキモチが宿るようだった。

「私がユメへ旅立つまで、貴方の時間を私に下さい。」

 アタシはちょっとイラッとした。そんな中途半端なキモチで、アタシの思いを絶たれてたまるもんか!

「吉野先輩!それは…!」


「黙れ!晴海!」

 吉野先輩の決意の眼差しにアタシはコトバを継げなかった。

「コレが私の精一杯。その代わり…。」

 吉野先輩は手を離して一歩引くと、自分の胸に手を当てた。

「…悟に、私のすべてをあげる!全部、ぜ~んぶ!」

 最後はバンザイして目をつぶった。何となくというか、明らかに赤面している。横で聞いてるこっちが恥ずかしいよ。ベッドサイドで夏子がクスクスと笑い出した。


「敵わないな、美香には…。」

 御厨先輩も苦笑いしている。その目は優しくて、安心したように細められている。そして、ミルクティーを吉野先輩に差し出した。

「…延長料は高いぞ。」

 吉野先輩はそれを大事そうに受け取ると、ウンってうつむいた。そして、ペットボトルのフタを開け、紅茶を一口飲んだ。

「美味しい。ありがとう…。」


 これで大団円ってか?…ダメだ!


 このままだとアタシの想いは死んじゃう!…今しか…今しかないんだ。言わなきゃ…。決着をつけるんだ!

「あの!」

 みんながびっくりしたようにアタシを見た。

「…あの!アタシ…アタシ、御厨先輩のことが好きでした!」

 言ったアタシが、びっくりした!過去形だ!もう、終わりなんだ。口にした途端に分かった。でも、アタシの想いはアタシの中から溢れ出る。

「…最初に助けてくれた時、嬉しかった。神奈北工で再会した時、夢かと思いました!女子会に入って、一緒に勉強したり、バイク乗ったり、ビーチで遊んだり…本当に、楽しかった。」

 みんな黙って聞いてる。アタシは涙と、想いの流れるまま、コトバを続けた。


「でも、御厨先輩と吉野先輩が、両想いなのに付き合わないなんて、馬鹿じゃないかと思いました!」

 先輩達がお互いを見つめて、気まづそうに苦笑いしている。

「アタシだったら…アタシだったら、そんなことしない。先輩が想ってくれるなら、全力で応えるのにって!」

 そして今日、吉野先輩は御厨先輩に全力で応えたんだ。期限付きだけど。

「…だから、アタシの想いを、今しかないって思って、言っちゃいました。」

 御厨先輩がベッドサイドに来た。そして、覗き込むようにアタシを見る。


「ありがとう。気持ち嬉しいよ。言ってくれて、俺も清々しい気分になった。でも、俺は応えてあげられないんだ。ごめんな。」

 もう!優し過ぎるよ先輩。ダメですよ。もっとこっぴどくフッてくれないと!アタシが悪者みたいじゃないですか。

 ふふん、どうだという吉野先輩の態度が感じ悪い。よし!

「先輩、耳貸して下さい。」

 御厨先輩がなに?って感じで耳を寄せてきた。

「なんだ?」


 ちゅっ。

「な?」

 御厨先輩はパッと立ち上がり、アタシがキスした頬を押さえた。

「なにをした!晴海ィ!」

 吉野先輩が怒り出した。フンだ!ザマを見ろ。

 そこへ、ドタバタと足音が聞こえたかと思うと、翔吾が駆け込んで来た。

「ちえり!気が付いた?」

 しかし、辺りを見廻して、何となく雰囲気を悟ったようだ。

「なに?…修羅場ってヤツ?」


 その後、御厨先輩と吉野先輩はアタシのキスが巻き起こした波乱と共に去って行った。夏子は今日は休むからと言って残ってる。翔吾は先輩達をそこまで送って来るって出ていった。

「…夏子ぉ、しんどいよう。」

 アタシは枕を濡らしていた。夏子がアタシのアタマをよしよしと撫でた。

「髪、短くなっちゃったね。せっかく伸ばしてたのに。」


 そうなのだ。爆裂弾の誘発した粉塵爆発はアタシの自慢の長い髪をちりちりに焼き焦がしてしまった。首筋の火傷も爆発の炎で焼かれたものだ。火傷の治療もあって、アタシの髪はショートボブになっている。看護師さんがやってくれたらしい。長さが不揃いで、斜めってたりするが、これはこれでいいかもしれない。

「でもね、女の子は失恋したら、髪を切るものよ。」


#イブ


 あの事件の後、すぐに期末テストがあった。アタシは夏子と翔吾に教えてもらって何とか赤点は免れた。

 ちょっと行くのが気が重かったバイトも、行って見れば吉野先輩は普通に接してくれたし、いつも通り冗談も言えた。まぁ、先輩がちょっと性格丸くなったような気がするのは、彼氏持ちの余裕ってヤツですか?ちょっとムカつく。

 御厨先輩も整備関係の専門学校に決まったらしい。晴れて受験勉強から解放されてうらやましい限りですなあ。冬休みは二人で仲良く過ごして下さいませ。どうぞご勝手に。


 そんなリア充の二人は仲間ハズレにして、アタシ達二輪女子会の面々はクリスマスイブにパーティーを企画した。翔吾にも確認したら、やはり一人寂しく一軒家で過ごす予定だったらしい。ふたつ返事で承知した。

 パーティー会場はアタシの家。アタシの快気祝いも兼ねて開催する。その日は店を早じまいして、お店を貸切パーティー会場にしてくれた。母さん、杏姉、ありがとうございます。


 参加メンバーはアタシと夏子、翔吾、鈴木さん、関山くんだ。先輩二人には一応お知らせだけはしておいたが、出席確認はしなかった。お邪魔はしない。あ、サクラはケージに入れての参加が特別に認められました!食べ物屋だから、お店は動物連れ込み厳禁なんだけど、サクラはこの事件で一番の被害者だからね。


「クリスマスパーティーかぁ。久しぶりだなあ、そういうの…。」

 杏姉がちょっとウキウキしている。いつも、母さんと一緒にお店を切り盛りしているから、まだ若いのになんだか所帯じみてきた気がする。

「ねぇ、イケメンの先生とか、先輩とか来ないの?」

 う~む、またその話か。

「今回は同級生だけだよ。一応男子も二人来るけど、どうかなあ?イマイチかなあ?」

 今頃、翔吾と関山くんはくしゃみを連発しているだろう。

「そっかー…。でも、男子が来るなら、ちょっとおめかししちゃおっかなぁ。ねぇ、お兄ちゃんとかいないの?」

 姉さん…。そんなにがっつかなくても…。もしかして、肉食系?


「それじゃぁ、皆さん。ただ今より神奈北工二輪女子会クリスマスパーティ&晴海さんとサクラと辰巳くんの快気祝いを始めます!皆さん、クラッカーを持って下さい。それでは!メリークリスマス!」

 パン、パン、パン!

 夏子の掛け声で一斉にクラッカーが鳴る。クリスマスパーティの幕開けだ。サクラがケージの中で、バタバタ暴れるのを翔吾がなだめている。クラッカーの音でびっくりしたようだ。


 今日の会場はアタシん家、はるみ屋の店の中。ラーメンがメインの中華料理屋だから、洒落た雰囲気はまったくない。今日のためにみんなが用意してくれた、小さなツリーがあるくらいだ。

 その代わり、女子はみんな真っ赤なサンタの帽子をかぶっている。男子は翔吾がトナカイの可愛い角が生えた帽子で、関山くんがスノーマンの形の帽子をかぶっている。あと飛び入り参加の夏子の弟、春男くんは女子と同じくサンタ帽だ。


 クリスマスの色と言えば赤と緑だけど今日の料理もそれに倣って作ったみたい。とは言ってもソコは中華料理屋だから、赤はエビチリ、マーボー、赤ピーマン。緑はチンゲン菜、青椒肉絲、ブロッコリー。と言った調子なのだ。あと、雪の白をイメージさせるのはデザートの杏仁豆腐で、ローストチキンの代わりは棒棒鶏だ。残念ながら北京ダックではありません。


「今日はちえりの快気祝いもしてくれて、ありがとうございます。たくさん作ったから、お腹いっぱい食べていってね!」

 母さんもサンタの帽子をかぶって嬉しそうだ。

「みんな可愛いじゃない。夏子ちゃんの弟くんも将来が楽しみだわ。」

 杏姉はよせばいいのに、チャイナドレスを着てる。寒くないのかな?

「そうだ!俺、免許取りましたよ。ホラ!」

 関山くんが真新しい原付免許証を見せてくれた。これで、みんな免許ホルダーだ!初日の出に行けるかな。

「じゃあ、関山くんの免許取得を祝してカンパイ!」


 みんなジンジャーエールで乾杯した。アルコールが入っていないのに、酔っ払いのように絡んで来るのは翔吾だ。

「おい、ちえり!オマエは頑張り方が間違ってる。オマエに必要なのはチームだ!ひとりで頑張れると思うなよ?ヒック!」

 いい話なんだけど、酔っ払いに言われてもありがたみがない。


「ねぇねぇ、関山くんはバイクどうするの?」

 鈴木さん、原付仲間が出来て嬉しそうだ。あの二人はクラスのお世話で一緒にいることが多いし、結構お似合いだと思うんだよね。

「いいなあ、みんな免許持ってて。僕は早生まれだから当分先なんですよね。」

 飛び入り参加の春男くんは三月生まれだったっけ?

「大丈夫だよ。春になったら、アタシの後ろに乗せられるからさ。一緒にツーリング行こう!」

 春男くんは嬉しそうに笑ったが、何を思ったのか、急に真っ赤になっちゃった。

「いや、晴海さんの後ろに乗るということは、つかまらなきゃいけないんで、それはちょっと…申し訳ないんで…いやその。…大丈夫です。夏になれば姉貴の後ろに乗せてもらうので…。」

 ん?なんかモゴモゴ言ってる。そうだね、って言ったら、凄い残念な顔になってしまった。へんなの?夏子がチッて舌打ちした。たまにこの姉弟のことが分からない…。


「こんばんは。」

 アレ?今日は看板しまったのに。

「あ、すみません。今日は貸し切りなんです。」

 母さんがお客さんに謝っている。アレアレ?

「天崎先生!」

 夏子が席を立った。

「アレ?佐藤さん?本当にパーティしているんですね。」

 先生の後ろから声がした。

「だから言ってるじゃないですか。ココに来たんだって!」

 この声は?


「お邪魔します。お、みんなやってるね。」

「晴海さん家って、ココだったんだ。よう、みんな。久しぶり!」

 吉野先輩!御厨先輩!

「今日は見回り当番で、生徒がへんなことをしていないか、怪しいところを回っていたんだ。そうしたら、この二人がホテル街をうろついているじゃないか。」

 え、この二人!もうそんなところまで…。あ、まだ胸がズキズキする。

「違…違います!だから、ココに来るのに迷ってるって言ったじゃないですか?」

 吉野先輩、怪しい…。

「その証拠にコレ!」

 あ、ケーキだ!吉野先輩がケーキの箱を差し出した。

「二人で食べるつもりだったんじゃないのか?」

「いや、先生!信じてくださいよ。晴海は信じてくれるよね?」

 フン!どうだか?でも、吉野先輩の目は、信じてるって言いなさいよ、と言っている。


「アラアラ!わざわざありがとうございます。ちえりの姉の杏です。先生、いつもちえりがお世話になっております。」

 姉さん?チャイナドレスを纏った杏姉が、フェロモン全開モードで乱入してきた。

 御厨先輩はドギマギし始めた。吉野先輩が、ちょっと、って御厨先輩を突っついた。

 天崎先生は照れ隠しか、口元を左手で隠すと、ゴホンと咳をした。

「初めまして。自動二輪研究会の顧問をしております、教師の天崎と申します。」


 先生は今回の事件での監督不行届きを詫び、頭を下げた。

「いいんですよ。妹も昔から後先考えないでやらかしてしまうので…。」

 勝手に言ってて下さい。母さんも挨拶した。

「じゃあ、大人は大人で飲みましょうか。ビールでいいですか?杏、お酌して差し上げて?」

「いいですね。」

 先生はカウンターに案内され、大人達は三人で一杯やりはじめた。


「ホントにココに来たんですか?」

 アタシは先輩達に詰め寄った。

「だから、さっきから言ってんじゃん!」

 吉野先輩は言っているが、何となく襟元から覗く勝負下着が、アタシの疑念を掻き立てる。

「…お帰りも真っ直ぐお家に戻られるんですよね?」

 ピクリと吉野先輩の口元が動く。

「…あったり前でしょ。」

「…先輩?そろそろ門限じゃないですか?」

「…今日は…ココに来るって言ってきたから…。」


この二人…。ぜったい今夜は店から出さないから!


 夏子がなんだか不安そうな顔をして、カウンターを見つめてる。

「ねぇ、ちえり。お姉さんて、今お付き合いしてる方っているの?」

 いや、いたらあんなにがっついてないでしょ。とは、言えない。

 カウンターを見てみると、杏姉は天崎先生の隣に座って楽しそうに話している。二人はなんだか、すごくお似合いに見えた。

「…大丈夫かな。天崎先生、ちえりのお姉さんを好きにならないよね?」


 サーキットのS字カーブでの切り返しは思い切りが必要だ。人の恋路も想いきれるかどうかは重要だが、成就しないことも多いものだ。それが縁と言うものだが、想いを相手に伝えない限り叶うことはない。玉砕しても後悔はしない。カーブを抜けて加速していくのだ!


#CBRライダー


 二台のCBRが海辺の駐車場に並んでいる。辺りにはバイクや、クルマが何台も停まっている。

 空はしらじらと少しづつ明るくなってきて夜明けが近い。冷たい風のせいか、クルマの中から明るくなり始めた水平線を見つめている人も多い。

 二人のライダーが海岸に出て、他の人達と同じように水平線を見つめていた。

「寒いな。」

「もうすぐだよ。」

「初日の出を拝んだら帰ろ。凍死する。」

「初詣で交通安全シールを買うの。」

「もういっぱい貼ってあるよ。」

「今年は今年。去年盗まれたから、お祓いもする。」

「ご利益無いな。」

「あるよ。ちゃんと返ってきたし、オマケがついてきた。」

「どんなオマケ?」

「スマホ。」

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