ライドオン

ねこせんせい

一話完結

 学生にとってはあっという間に過ぎ去ってしまう夏休み。そんな短いけれども青春の詰まった時間に、皆長い人生の中では始まったばかりの生涯を謳歌するように弾けだす。

 けれども誰も彼もが夏休みを満喫出来るわけではない。特に俺みたいな無趣味でただ漫然と毎日を送っている奴は、惰眠を貪る時間が増えるだけの日々だ。勿論授業とは暫くの間おさらば出来るが、やれ日々の勉学を怠るな、やれ進学に向けて怠けるな等々により、夏休みの宿題が出ているので机に向かう時間は減っても、やることはやらなければならない。

 そんな青春とは大層無縁な俺は、ある意味夏休みが終わることに安心感を得ていた。何故なら学校に行くと、俺のように将来の事もろくに考えず、ただ先生の授業をノートに書き写すだけでその日を暮らしている奴らの中に紛れ込むことが出来るからだ。

 俺は皆が久しぶりに顔を突き合わせて和気藹々としている中、黙って窓際の1番後ろにある自分の席に座り、物憂げに登校してくる生徒達を眺めていた。

 そんな中に、徐行しながら低いエンジン音を鳴らすバイクが駐輪場の方へ向かっていった。やや時間を置いて駐輪場から姿を見せたのは、俺が言うのもなんだが特にこれと言って目立つことの無い立ち位置のクラスメイトだった。

 成績が学年のランキングに乗ることもなく、運動も特にしていないので帰宅部の普段目立たないあいつが、夏休み明けにバイクに乗って学校にやってきた。

 夏の陽気に当てられて、髪の毛を脱色したまま学校に来る奴や、一夏の思い出を鼻高々に語る奴など、長期の休み明けには見ていて飽きない奴は大勢いる。あいつもそんな中の1人なんだろうなと思っていた。

 しかしそいつはバイクに乗って来た事を誰に言うでもなく、いつも通り廊下側の1番前の席で突っ伏して寝始めた。

 てっきり俺は、あいつがクラスの輪の中に入り、自分のバイクについて鼻高々と自慢し始めるのではないかと思っていたが、そうではなかった。あいつは俺と同じく教室のその他大勢と同化した。


 俺とあいつは、小学生の頃などは同じ地区に住んでいるため、地域の行事などで顔を合わせる事はあったが、別段友達というわけでもなく、あぁこんな奴もいたな程度の認識でしかなかった。

 多分あいつも俺の事は特別意識するような事も無いと思う。俺もクラスで目立つ事も無く、その他大勢の1人に過ぎないからだ。

 俺は窓際の1番後ろの席で、あいつは廊下側の1番前の席。座っている場所は両極端だけれども、俺とあいつは同類だった。

 特に何か共感するというような事は無いが、何処かで繋がっている、そんな感覚を持っていた。

 だから俺にとってはあいつがバイクに乗って来て、尚且つ誰の目にも触れる事無く、いつもの様に席に着いたのは青天の霹靂だった。俺と同じようにクラスの背景みたいな存在だったあいつが、まるで別人にでも変わってしまったかのように錯覚する。

 バイクに興味があったのか?夏休みの間に免許取ったのか?バイク買うのにバイトでもしたのか?

 ……駄目だ、何気無く話しかけようと思っても、上手い言葉が浮かばない。何せあいつとは小学生の時から顔を合わせていても、話したことなど1度も無い。

 その後俺は、もやもやとした気持ちを抱えたまま机に突っ伏した。正直その後の授業の事なんて、これっぽっちも頭に入っては来なかった。


 それから1週間ほど経ったある日、自転車で下校していた俺は、暑さに茹だりながら陽炎の中を延々と思える時間漕ぎ続けていた。帰り道にコンビニの一つでもあれば、アイスの1つでも買って少しでも涼むことも出来るのに、と考えていた。

 そんな時、後方から夏の暑さ切り裂くようなエンジン音が聞こえてきた。俺が後ろを振り返ると、あの日学校で見かけたバイクがこちらに向かって走ってくる。それはあいつが乗ったバイクだと認識するとあっと言う間に俺の横を走り抜け、俺を尻目にあいつがバイクで颯爽と駆け抜けていった。

 その時巻き起こった風は、夏のアスファルトに照り返された熱を払いのけて、俺に涼しい風を浴びせる。まるでその一時だけ俺自身もバイクに乗っているような錯覚を感じた。

 俺が自転車を止めて片足をついて、ぼーっとそんな後ろ姿を眺めていると、あいつは俺たちが住んでいる地区を突っ切って、どんどん先の方へとアクセルを回し、エンジンを唸らせて遠くへ行ってしまった。

 学校帰りに帰宅せず、あいつはどこまで行くんだろう。そんな事を考えていると、先ほど奪われた熱がまた戻って来て、噎せ返るような暑さが身体の周りを包み込んで来た。

 俺は無性に居ても立っても居られなくなり、その熱を振り切るように自転車を立ち漕ぎで思い切り回したが、風を感じる事は無く、俺はただただ滝のように汗を流すだけだった。

 しかし俺はそんなのお構いなしに自転車を漕ぎ続ける、まるで少しでもあいつが感じている世界に近づこうと必死に。


 夏も終わって秋口になり、クラスの浮ついた雰囲気が落ち着いて来た。そんな中でもいつも通りと言わんばかりにバイクに乗って来るあいつ。いつの間にか俺はあいつのことを観察する時間が増えて来た

 あいつがバイクに乗って登校していることは、クラスの中でも周知の事実となり、何人かがあいつに話しかけているのを見かけた。恐らくはバイクの事について興味があってのことだろう。

 しかしあいつが顔を上げて二言三言言葉を交わすと、話しかけたクラスメイトは面白くなさそうにして別の輪に戻っていく。あいつがバイクに乗り始めた事以外は、あいつ自身の変化が無くて、直にクラスメイト達が興味を無くすのだ。

 恐らくあいつがバイクに乗っている事に興味を持っているのは、このクラスで俺だけだろう。

 お蔭様というか何というか、家までの道順も同じということもあり、段々とあいつの行動習慣が分かって来た。あいつが自分の家を素通りしていくのは決まって月曜日。他の日に素通りする事もあるが、月曜日だけは絶対に家には寄らずに走り抜けて行ってしまう。

 結局俺の観察はそこまでで、それ以上の発展は無かった。勿論何処に行くのか突き止めようとも考えた事もある。けれども所詮バイクと自転車。到底追いつくわけも無く、俺はあいつに羨望の眼差しを送るだけの日々だった。

 ……羨望?俺はいつからあいつのことを羨ましいと思っていたんだろうか?別にバイクが欲しいと思った訳でも無いし、何処か遠いところに行きたい訳でも無い。

 でも、あいつが1人で行ってる世界へ追いついてみたい、そんな気持ちはあるのかも知れない。


 それから次の月曜日、何処か上の空で始まった週の頭。授業も身に入らず漫然とした気持ちで1日を過ごしていた。

 心の中で生まれた焦燥感のようなものがずっとへばりついて離れず、あいつと住む世界が違ってしまった事への負の感情が心の隅を陣取っている。俺は終業の鐘が鳴ると、逃げ出すように学校を後にした。

 いつも通り自転車に跨り家へと帰る。そして家に着いたら制服そのままに布団でごろ寝をして夕飯を待つ。そして風呂に入って寝る。数か月前まではそんな生活がごく普通で、望んでいた世界だったのに。

 いつまでも自分に風が吹かないことに、心の空気は淀んでいった。

 俺が鬱屈としたまま帰路についていると何時ぞやの様に、後ろからあのエンジン音が聞こえてきた。そしてあいつが俺の横を風のように走り抜けて行く。その瞬間俺は何を思ったのか、まるで自棄になって自転車を立ち漕ぎし、バイクを追走し始めた。

 勿論みるみるうちに距離は離されていく。それでも俺は足が千切れんばかりにペダルを回し続けた。しかし緩い下りのカーブに差し掛かり、あいつの後ろ姿が見えなくなってしまう。

 あぁ、やっぱり駄目だったか。そう思ってサドルに腰を下ろし、下りの惰性でカーブを曲がりながらハンドルに両肘を付けて回る前輪に視線を落とした。

 結局俺はあいつとは違うのか。どこでこんなに差がついてしまったしまったのか。追いつけなかった事で、また負の感情が連鎖していく。

 その時耳に微かに、横断歩道の信号機が青になった音を報せる電子音が聞こえてきた。俺はふと視線を前に戻すと、先に見える信号機であいつのバイクが止まっていた。

 その瞬間頭の中に渦巻いていた感情は何処かに吹き飛び、俺は再び自転車を遮二無二漕ぎ始める。

 もう肺に酸素はまともに入ってこない。足もまるで千切れそうで段々と四肢の感覚が鈍くなってきた。それでも俺はあいつの背中に手を伸ばす。

 信号機が点滅し、あいつがバイクのアクセルに手をかける。その瞬間俺はあいつの肩を思いきり掴み、こちらを振り向かせる。急に身体を明後日の方向に向けられ、あいつはバランスを崩してバイクから落ちそうになった。

 俺は無我夢中で追いかけて、何をしたかったのか今になって分からなかった。ただもうまともに働いていない脳味噌をフル回転させて、息も絶え絶えに一言言い放つ。

「お前はどこまで行けるんだ!?」

 フルフェイスのバイザー越しから覗くあいつの目が、きょとんとしているのが俺にも分かった。


「はぁ!?お前、毎週ジャンプを読むためにコンビニに行ってたから、家に直接帰ってなかったのか!?」

 ああ、そうだよ。と軽く相槌を打つあいつ。自動販売機で買ってきたジュースを投げて寄越し、俺はそれを受け取ってベンチに枝垂れかかる。俺のあの悶々とした日々は一体何だったって言うんだよ……

 完全に体力を消耗しきった俺は、ジュースを飲む気力も無く、缶を額に当てて火照った身体を少しでも冷やそうとしていた。

「しかしお前がバイクに興味があったなんて思わなかったよ」

 あいつが少々的外れな事を言い出す。俺は別にバイクに興味なんて無い。しかしあいつは嬉しそうに言葉を続ける。

「お前さっき言ったよな、どこまで行けるんだって。どこまででも行けるぜ、こいつに乗ればさ。お前も興味あるならバイトして買ってみろよ、世界が変わるぜ」

 俺はバイクに興味はない、でも……

「それで一緒にツーリングしようぜ、絶対面白いって」

 俺の熱は、ジュース1本程度では冷めないくらい、熱くなりそうだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ライドオン ねこせんせい @bravecat

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ