第4話

彼が『恋人』なっても今まで通り。会社内で特別親しく会話をする事は無い。

いや寧ろ『恋人』になったからこそ…女は必要以上に慎重に行動した。

誰にも勘繰られてはいけない。

週明けの通例となっていたスィーツの差し入れも、人の噂にのぼる言動と

判断し、即刻中止した。

社内メールや内線電話はおろか、個人携帯へのアクセスも一切避けた。

彼も女の気持ちを察してくれたのか、勤務中は素知らぬ顔で過ごす。


そんなふたりの間に、秘密のサインが生まれた。

逢瀬の場所はいつも彼が決め、同僚たちとのさりげない会話に混ぜ込み

女に伝えてくる。

本屋、CDショップ、家電量販店…待ち合わせ場所でも人目を気にし

偶然を装い声を掛ける。

普通の恋人たちのように腕を組んで歩くことも出来ない。

淋しくないといえば嘘になるが、なるべく前向きに考えるようにした。

ホンの束の間の逢瀬にも沢山の発見があった。

彼の愛読書が、ひと昔前に流行ったコミカルなミステリー小説だとか

好きな音楽が意外にもハードロック系だったり―――――

新たな一面を知るたびに、また少し彼に近づいたようで嬉しかった。


ある時は、大学の友人たちとの飲み会に誘ってもらった。

『会社の部下』として紹介されたのだが…それでも女は満足だった。

小学校からの付き合いだという親友はとても話上手で、

中学生時代、学校に遅刻しそうになって閉まりかけの校門に

自転車で突っ込み、顔面を打ち付け鼻血を出したエピソードなど

臨場感たっぷりに面白可笑しく語ってくれた。

その時の彼が見せた照れたような顔を思い出す度、ついニヤけてしまう。


密やかな交際は順調だった―――――順調だった筈…

なのに、何故?

最近、彼からの誘いがぷっつりと途切れてしまったのだ。

そればかりか、女が彼に近づくと離れて行ってしまう。

明らかに避けられている。


思い当たるのは…たったひとつ。

きっと彼の妻が、夫の『恋人』の存在に気付いてしまったのだ。

だから彼は急によそよそしくなってしまった。

きっと、きつく言い渡されたに違いない。

『女と別れろ』と―――――

瘦せぎすの、如何にも小意地の悪そうな妻の顔が脳裡に蘇る。


あの日、あの場所へ行かなければ…後悔ばかりが先に立つ。




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