座布団上の哲学者

 1年後期に、興味本位で受講しました講義に「多重次元異世界説」という奇妙な内容の授業がありました。

 細かい説明は端折りますが「元となる世界次元があり、その周りをいくつもの世界次元が取り巻いている」という説だったと思います。教授がおっしゃるには、今私たちが暮らしているこの世界は本流ではなく、少なくとも第3元以降ではないかと推測される――――と。乱暴に言えば、私たちが今暮らす世界は「本流」と呼ばれる世界を真似ているに過ぎない……というのです。何とも奇怪極まる珍説で、当然私も本気にはしていません。ただ、その教授は最後にこう締めくくったのだけは、いまだに引っかかっております。


「次元が下るほど、他の世界と接しやすい――――つまり、異世界との接触は容易である」


 なるほど、少しは夢のある話ではありませんか。





「この説につきまして、ホウカさんは如何に考えますか?」

「そ、そんなこと言われましても…………」


 私の目の前には、机を挟んで、褐色の大柄な女性が恐縮そうに正座していらっしゃいます。顔の彫は深く、まるでルビーのように紅い瞳……お洋服も現代製品ではない、手縫いのものです。

 そんな彼女は、私が道場で訓練兼ストレス発散している最中に、道場の用具入れから飛び出してきたのです。意味が分からないと思いますが、直接見た私はもっと意味が分かりませんでした。

 もしやどこかの誰かが雇った暗殺者でしょうか! しかも外国人!

 瞬間、私は呆然としている彼女に、一気に詰め寄り


「Freeze! Put your hands up! Don't move! Hold still!」

「ごめんなさい! 私日本語しか話せません!」


 眩暈がする思いでした。



 その後、落ち着いた後にお互いで自己紹介して、今に至ります。


「ごめんなさい、まさか移動座標を間違えて、人の家に出てしまうなんて」

「それに関しましては、もう気にしなくて大丈夫ですよ。こちらこそ見苦しい姿をお見せして、お恥ずかしいですわ」


 詰め寄ったときの私の形相は、きっとものすごいものだったでしょうね……かなり最悪な第一印象を与えてしまいましたので、慎重にお話ししなければ。なにしろ、聞きたいことは山ほどあるのですから。


「ああ、私としたことがうっかりしていました。今お茶をお出ししますね」

「いえ……かなでさん、そこまでしていただかなくても」

「まあまあ、押し入れの中から来られたとはいえ、初めてのきちんとしたお客様ですから。時間が許す限りのんびりしていってくださいな」


 私はお茶と、頂き物の羊羹をお出ししました。初めはかなり緊張して、羊羹を突く手が震えていましたが、一口食べてようやく落ち着いたようです。


「おいしいですねこの羊羹。シンプルですけど、甘すぎなくて」

「ふふ、ずいぶんと日本のお味が舌に合うようですね」

「実はずっと前から、私は日本びいきでして。時折こうして、私の世界から遊びに来ているんです」


 さらっと言いますが、その原理はいったい何処から?


「私が生まれる前から、私の世界とこちらの世界は少しずつ干渉していましたが、近年になって距離がぐっと近くなりました。こちらの世界には魔力がないので難しいかもしれませんが、何かのきっかけがあれば移動できるようになるかなと」

「なるほど……興味深いですが、私には及びもつかない話です。ホウカさんが私をそちらの世界に連れて行くことは可能なのでしょうか?」

「ごめんなさい、それは安全が保障できませんので……」


 可能性はありそうですが、安全が保障されないのでは確かに困りますね。いざとなりましたら、因縁だらけのこの世界から、向こうの世界に移住できるのかと考えましたが…………


「お茶、お代わり如何ですか」

「ありがとうございます」


 ホウカさんがお茶を一杯飲んでほぅとため息をつきました。


「綺麗ですね、この家」

「1年前に買ったばかりです。一人暮らしには、少し広すぎたような気もしますが、それでも私はこの佇まいを気に入りましたので」

「まるでここだけ、時間が止まっているように感じるんです。世界は変わりますが、かわらない物があるからこそ、安心して変わっていけるんでしょうか」


 変わらない……ですか。

 それこそ、私がずっと求めていたもの。

 あまりにも多くの物を失った私には、変わることのない場所が必要なのでしょう。


「さて、お湯が切れてしまいましたので、もう一回沸かしてきますね」


 私は台所に入り、薬缶をコンロから外しまして、蛇口から水を――――水が?


「水が出ません」


 突然のハプニングに呆然とする私でしたが、その直後に玄関の呼び鈴が鳴りました。


「回覧板でーす」

「ありがとうございます」


 平静を装いながら回覧板を開いてみれば、そこには水道工事による断水のお知らせが記載されていました。


「さては町内会のどなたかが回覧板を放置していましたね……」


 なんということでしょう。これでは、おもてなしでホウカさんを足止めして、異世界のことを根掘り葉掘り聞くことができません!

 こうなれば作戦変更しましょう。


「あのホウカさん」

「どうしましたか奏さん?」

「このあたりで緊急工事が始まるようですので、一緒にお出かけしませんか? まだ少し早いですが、桜並木がきれいな公園をご案内しますよ」

「本当ですか! ぜひお願いします!」

「決定ですね。では、一緒にこれをお持ちください」


 私はホウカさんに、大小タオル一枚ずつと、旅行用のお風呂用品一式を手渡しました。


「あの、これは? タオルにシャンプーにリンスに石鹸に……」

「少々歩きますから、ついでに一緒にお風呂に入りに行きましょう! 近くに良い銭湯がありますので、この機会に裸のお付き合いしましょう、ね」

「あ、いやその、そこまでしていただかなくても…………」

「ホウカさんの世界のこと、根こそぎ聞き出すまで、逃がしませんからね♪」

「えーっ!」


 こうして私はホウカさんを無理やり散歩に連れ出しました。

 日本の銭湯、気に入ってくれると嬉しいのですが♪ 




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