想いが勝手に駆け抜けて
私はこう見えましても、群衆の中に埋もれるのが好きなんです。
同意してくれる人は、まずいないと思いますが、見知らぬ大勢の方々と一緒に、あっちに行ったりこっちに行ったり…………まるで自分がプランクトンになったような気分で、繁華街を練り歩きます。
私のような、孤独な人間には、それがどこか心地いいんです。
何かの行列ができていたら、衝動的に並ぶのもいいでしょう。路上で歌声を披露していらっしゃるミュージシャンの方を、遠巻きに眺めているのも、いいかもしれません。
「それにしても…………先日は失敗しましたね」
数日前にお茶屋さんで一緒になった女の子が、まさか今話題沸騰中の最年少女流作家の湖上翔鶴さんその人だったとは。どこかで見たような気がしたのは、テレビで授賞式の映像を見たからなのだと思います。
私が気が付いたのは、恥ずかしながらつい先ほどでした。大型書店に立ち寄り、何か本を見ていこうとフェア書籍の陳列台にいってみると、彼女の凛とした顔が堂々と描かれた看板が、私を出迎えたのです。その時の私の心境は、まるで最後の最後まで正体に気が付かないまま、怪人二十面相にネタバレされた、明智小五郎のような気分でした。
腹いせに私は、サイン本二冊を購入して、フェアおまけ商品をせしめてやりました。それがいい気分転換になったのでしょうか、なんだかすっきりしました。
今日はせっかくの快晴ですので、どこか開いているテラス席で、カフェオレを嗜みながら、読書に耽りましょうか。今日は平日ですから、これだけ人がいても、きっとどこか空いるでしょう。
そうと決まれば、お店を探しましょう。
テラスがあって、優雅にくつろげる場所。カフェオレにシナモンを溶かして、一口すすり、脳を活性化させて万全な状態で本を開きましょう。おいしい食事を味わうときに、周りの風景の調和が不可欠なのと同様に、良き本は最高の環境で咀嚼したいものです。ああ、タルトもあればなお嬉しいですね。蜂蜜とマーマレードで味付けされたカスタードの味は、想像するだけでも気分が高揚してきます。
「あそこにしましょうか」
望みのお店はすぐに見つかりました。テラスに空席のある、大手チェーン店のカフェです。確かタルトもあったはずですので、文句なしでしょう。
強いて不満点を挙げるとなりますと…………近くの路上で、男性ミュージシャンの方がギターを掻き鳴らしていることでしょうか。
革ジャンにダメージジーンズですか……一見ありがちな服装に見えますが、よく見ればダメージジーンズは、破れが不自然に見えない高度な加工が施してあり、靴も、敢えて先端だけ磨く計算高さ。そして何よりヴァシュロンの腕時計が一点……非常に高級品です。私と同年代とお見受けしますのに、なかなかの洒落者のようですね。
幸い、演奏している曲も、穏やかな調子ですので、耳の邪魔にはならなそうです。
ではいざ、店内へ――――――――と思ったその時でした。
男の人が演奏するギターが、突如甲高い唸りを上げました。
ギターの叫びは、私には「必殺技!」と聞こえたように思え、次の瞬間には、私の身体は宙を舞いました。
そして私が無意識に繰り出した空中後ろ回し蹴りは、歩行者天国になっているこの場所を、凄まじい勢いで、爆走してきたバイクのライダーを直撃しました。
「ダアアァァァァァァッ!!??」
バイクの男性はその場で勢いよく転倒し、受け身も取れないまま、向かいの店の生け垣に突っ込んでしまいました。
「私はいったい何を……!?」
歩行者天国をバイクで走る無法者とはいえ、いきなり横から蹴り飛ばしてしまったのは非常にまずいです! なぜこんなことをしたのか、私自身分からないまま、慌てて蹴り飛ばしてしまったライダーさんに駆け寄りました。
しかし、ほどなくして別の叫び声が聞こえました。
「ひったくりよ! 誰か捕まえてーーーっ!」
見れば、バイクが走ってきた方角から、妙齢のご婦人が必死の形相で駆けてくるではありませんか。もしやと思い、よろめきながら立ち上がるライダーさんを見ますと、右手に、男性には似つかわしくない、花柄のバックを抱えていました。これだけで断定するのは早計な気がするのですが
「くそっ…………なんだテメェは……」
ライダーさんのこの一言と、直後に振りかざされた拳を確認しましたので、ソフトな対応からマイルドな対応へ移行いたします。
「があああああああああああああああああ!!!!」
とりあえず
「ま、まったまった! それ以上いけない!」
「あら、ごめんなさい。やりすぎましたか?」
先ほどのミュージシャンの方が、慌てて仲裁に入ってくれましたので、何とかこの場は治まりました。
結局バックは、追いかけてこられたご婦人の物と判明いたしましたので、中身の確認の後、持ち主の方にお返しいたしました。花柄のバックの中には、銀行から下ろしたばかりの、七桁にも上るお金が入っていたそうです。
ミュージシャンさんは、すぐに警察を呼んでいたようで、3分もしないうちに大勢の警官さんが駆け付けてきました。
そして当然、私も無関係では済みません。警察署で事情聴取を受け、犯人逮捕に貢献したとはいえ、人通りの多いところで走るバイクを、蹴飛ばしてしまったことを怒られてしまいました。
慣れたものとはいえ、警察署のお世話になるのは、あまりいい気分ではありません。その上…………警察署を出たところで、例のミュージシャンさんとばったり会ったのですから…………
「よう、お互い災難だったなお嬢さん。なんなら近くの喫茶店でお茶ごちそうしよっか? 横暴な警官への愚痴ならいくらでも聞くぜ」
「そうですね…………」
私はわざと「相手が怖がるような」笑顔を作ってみます
「間違いが起こらないよう、生殖能力を停止させてもらえるのであれば」
「鬼かあんたは!?」
私は見逃しませんでした。彼はとっさに右手を背後のギターケースに、左手を内ポケットに当てたのを。
ですがこれ以上の詮索は止めておきましょう。目の前の男性は、おそらく私の天敵でしょうから。勝てない相手に喧嘩を売るほど、私もバカではありません。
「ふふ、冗談ですよ」
「あー……はっは、なんかすんませんね。また、いつか会いましょうや」
そう言ってウインクを飛ばしてくる彼に、私は
「二度と会うことはないでしょう」
と、一言つぶやいて、踵を返したのでした。
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