かなでほん

南木

交わす視線、跳ね返る思い

 春眠暁を覚えずといいますが、この日はまさに、私で眠気すら覚える春の陽気で溢れていました。

 この地に越してきてから、今日でもう早くも1周年…………桜前線北上中のニュースをテレビで聞くたびに、人生で初めて感じた、満開の桜の美しさを思い出します。


「春休みも、あと少しで終わりですね」


 私は誰とにもなく、ぽつりと独り言ちながら、ゆるりと歩いておりました。

 ふと、私の目に、鮮やかな年季の入った、木の板の看板が目に入りました。

 『茶問屋 春天堂』

 小さな商店街の一角にある、昔ながらのお茶屋さんですね。


(少し休んでいきましょうか)


 ただ、休むと云いましても、ここから私の家「木竜館」までは500m程度しかありません。疲れているというより、寄り道ですね。


「こんにちは」

「あら、奏さん。ようこそいらっしゃいました。お二階空いてますよ」

「ありがとうございます」


 お店の引き戸を開けて、一歩入れば、様々な茶葉が整然と並び、お茶独特の豊かな香りが体を包みます。品物を眺めて、香りを堪能するだけでも十分楽しいのですが……冷やかしはお店の人に失礼ですからね。

 やや急な階段を上って二階に上がれば、そこは和風喫茶店になっています。清潔な木の机に、テーブルクロス代わりの染め布が敷かれ、長椅子は畳敷きという凝りようから、店の粋が伝わってきます。


 しかし、いつもは平日のこの時間帯は、貸し切りか、高齢者の方々の集会場となるのが常ですが、この日は違いました。


「あら……」


 あまりにも珍しい光景に、私は思わず口から微かに声を漏らしました。

 5つある4人掛けの席の一つに、私より若い女の子がいるではありませんか。

 見たことがない学校の制服を着た、どことなく気品のある子で、ポニーテールを奇麗に整えて、背筋をきちんと伸ばしている姿は、なかなか只者ではなさそうな様子です。なんとなく、どこかで見覚えはあるような気はするのですが……

 と、彼女が私の視線に気が付いたようで、読んでいたお品書きから顔を上げました。1秒以上観察したつもりはなかったのですが、気を悪くされたかもしれません。私は彼女に軽く会釈をして、席に着きました。

 お絞りとお茶を運んできた店員さんから、おしながきを受け取りまして、じっくり眺めておりますと、どの品も魅力的に思えて、思わず迷ってしまいますね。


「―――――――」


 どうやらあの子は何を頼むか決まったようで、店員さんに注文をしています。

 私も決まったので、店員さんを捕まえて注文してしまいましょう。


「すみません」

「はい、ご注文でしょうか」

「抹茶白玉善哉と焙じ茶をお願いします」

「承りました」


 注文は終わりました。お品物が出てくるまで、少し待ちましょう。

 さて……それにしても、見れば見るほど、どこかで見たお顔です。

 失礼のないように、それとなく視線から外してみていますが、どうも思い出せません。ですが、なぜかあちらも私のことが気になるようで、目はこちらを向いていないにもかかわらず、視線を感じます。


 …………お互い何をやっているのやら。


「失礼いたします、抹茶白玉善哉です」


 あら、あの子より私の注文のほうが先に来てしまったみたいですね。

何を頼んだのかは分かりませんが、お先に頂きます。


 私の注文した抹茶白玉善哉…………黒いお椀の中に抹茶の海があり、自家製小豆と白玉の島が浮いている小さな世界。食べるのが惜しいほどの、完璧な姿に、私は思わず笑みを浮かべてしまいます。

 しかも、一緒に高菜のお漬物がついているんです。味直しも万全といったところでしょうか。ただ、期間限定でして、冬から春の間しか注文できません。この機を逃せば冬まで持ち越しとなりますので、今のうちに味わっておきましょう。


「失礼いたします、団子三種盛りです」


 え? なんですかそれは!?

 ふと見上げれば、制服の女の子の手元には、長方形のお皿に並んだ、三種類のお団子がありました。

 見たところ、種類はそれぞれ、みたらし、あべかわ、よもぎでしょうか。蜜、味噌、小豆と、味付けのバリエーションも一つづつ丁寧に作られています。


 なるほど、敵ながらあっぱれです。しかし、お品書きにはそのようなものはなかったはず……………

 と、今頃になって見つけました…………壁に張ってある紙に手書きで「春限定! 団子三種盛り」とあるではないですか! 私としたことが見落とすとは、迂闊でした。ですが、いまさら羨んでも仕方がありません。私は私の決めた道を征くのです。


「いただきます♪」


 やや小ぶりな蓮華を手に取り、暖かな抹茶を口に含めば、たちまち静かな甘みと蕩けるような苦みが広がります。


(なんという心地よさ)


 あまりのおいしさに、眼尻がゆっくり下がるのが、自分でもわかります。

 もう一口、口に含めば、さらに濃厚なお茶の味が、体に染み渡るのを感じます。


(白玉……ふっくらして可愛いですね)


 白玉を一口食べれば、私の口の中でウサギさんになって、抹茶野原を跳ね回ります。そしてこの店の自慢の小豆を頬張り、そのおいしさに酔いしれるのです。


 ちょっと前までは思いもしなかった、食べるということの幸せ――――

 今の私には、余裕があるのでしょう。しっかり味わう余裕……においまで楽しむ余裕……

 過去に食べたものの味が、思い出せるようになりましたのは、何時頃からでしょうか……

 この善哉も、また冬になるまでお別れ…………それまでしっかり覚えていられるように、この幸せを、記憶に刻み込みましょう。


「ふぅ…………」


 抹茶味の吐息が口からすぅーっと抜けていきました。

 たっぷり15分かけて抹茶白玉善哉、完食です。

 いつもなら、この後お茶のお代わりをいただきながら、しばらくのんびりするのですが、今日はやることができてしまいました。


「すみません」

「ご注文でしょうか」


 私は、店員さんをお呼びして、追加注文をすることにしました。


「団子三種盛りをお願いいたします」

「承りました」

「それと、お茶のお代わりを」

「はい、ただいまお持ちします」


 やってしまいましたが、後悔はしていません。

 私が抹茶白玉善哉の幸せに浸っている間にも、あの女の子は私の視界の隅でお団子を幸せそうにつついていました。一見すると表情に現れてはいないのですが、目の見開き具合や、時折頷く仕草がなんだかかわいくて……


「失礼いたします、団子三種盛りです」

「ありがとうございます」


 私は恭しく、長方形のお皿に乗った団子三兄弟を受け取りました。

 改めてみますと、なんという迫力でしょう。早速頂き――――


「失礼いたします、抹茶白玉善哉です」

「えっ?」


 私はあまりの衝撃に、自分の口から声が漏れたことに気が付きませんでした。

 女の子も、信じられないといった顔で、私のほうを見ています。


 女の子の手元には…………抹茶白玉善哉がありました。

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