七月十六日

 時期じきがら、畑での収穫しゅうかくを分けたり、分けられたり、きびしい日射ひざしのなかで声をかけたり、かけられたりする。

 数年ぶりに会ったひとに「生きていたのか」と言葉をかけられて、なみだが出る思いだった。

 自分でも不思議なことだけれど、どうやら生きているらしい。そのひとがわたしを見てそう言った。

 それでももしかしたら、生きているというより「生かされている」といったほうが合うのかもしれない。

 この夏もほんとうは部屋にこもってねむっていたいほどだけれど、いろいろなひとが、いろいろなところへさそってくれるので、わたしもだれかを誘いたくなり、まねきたくなり、そうして一日、一日を暮らしている。

 ものや気もちや、時間や言葉を分けあって、糸をるように「わたし」をつないでいる。

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