四月八日

 朝。かすみがかった青の田。

 しろかきをするというので出る。こううんが入らない田のすみを、整地板とんぼでならしていく。あぜのしたから、ぎろろ、ぎろろと蛙。

 一心にとんぼを動かしていると、はるか昔にもこうしてかいっていたことがあるような気がしてくる。故郷か異郷かの、空想の思いでが湧いてくる。土と水の匂い。空にヒワの声。


 一枚を終えて次の田に入るまでの間に、ふるたけぼうきを手に、わきの水路へとおりる。

 細くても流れのあるなかを絨毯じゅうたんがそよいでいる。春の日光を浴びたあおどろ

 毛の短くなったほうきを遠慮えんりょなく突っ込んで、端からいてはにあげる。これが田に入ると厄介やっかいらしいので。

 生育がよく面白いほど取れる。で、引きあげてみると、れたたまかみかのようで美しい。ひょっと思う。水も山からのものだから、こちらが青味泥と思っているだけの、女精めがみ御髪おぐしではあるまいかと。

 急に神妙な気もちになってきを続ける。日が高くなる。

 と「もし、」かかる声がある。あおいで見れば、そこにけて立つ珠のぐしの女のすがた。「お礼申しあげます。ちょうど今宵こよいは山のうたげでございます。先までいてくださいませな。」……わたしが呆けた返事をするうちに、女精めがみは笑んで消えてしまった。

 光栄なこのかみいは、竹ぼうきで宴のひと役を買うらしい。清々せいせいと掻いて、とんぼりに戻る。


 昼。弁当。

 八つ時。庭で菓子を広げると、西から東から近所の子どもたちが通るのを、家のひとが呼びとめて食べさせる。シュークリーム、チーズケーキ。かしわもちもある。

 みな粉砂糖やカスタードをほほいっぱいにつけている。美味しいもののあるところへ、ちゃんと子どもが集まってくる。いい風景と思う。

 そのなかにわかなえの少年もいた(『四月六日』参照)。彼はおやつを終えると代かきを手伝うと言って、夕暮れまでとんぼ繰りをしていった。泥だらけの頼もしい子。


 夜。暗やみに澄む水田は星影を映す。また美しく楽しみな季節がくる。

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