第15話 正義は今も、君の胸に生きている

 それからどれくらいそうしていただろうか。


 叫び疲れた夜シルは、膝まで浸かった川の流れの中に身を任せようとしていた。

 このまま沈もうが流されようが、もはやどうでも良い。

 死への逃避とも呼べる虚無が、夜シルの心を支配していたのだ。


 夜シルはゆっくりと汚れた川の中に、身を沈めていく。

 冷たい水が夜シルの体を濡らして、そして……


「夜シル君……!」


 バシャバシャと、近くの水面を揺らす者がいる。


「何してるの! 夜シル君!」


 視線を動かした夜シルは、自分を追ってきたリナ・ブロンの姿を認める。

 リナ・ブロンは上着を脱ぎ、自分が濡れるのも構わずに夜シルの元までたどり着くと、夜シルを抱き起こして、必死に叫んだ。


「こんな冷たい水の中に入って、死ぬつもりなの? 夜なんですよ? 危険です!」

「死ぬんなら、それでも良い」

「何言ってるんですか! せっかく、生還できたのに……!」

「……何で、生きなきゃならないんですか? 俺一人だけ生き残って、どうしろって言うんですか」


 夜シルは力なく笑った。


「……生きる理由なんて、もう、俺にはないんですよ。夢も消えてしまった。友達も、家族も、みんなそばにいてくれない。俺なんか死んでも、誰も悲しんじゃくれないんだ」

「そんなことありません! お母さんも、夜シル君を心配して……!」

「そんなの、嘘だ! あれの、どこが心配してたって言うんですか!」


 怒りが湧き出て来た。

 母親の言葉の一語一句を思い出し、さらに悲しくもなった。

 だが、 リナ・ブロンの美しい目は夜シルの顔を見つめ、はっきりと言うのだ。


「嘘じゃないです! 間違いなく心配してました!」

「何でだよ! なんで、そんなこと言えるんだよ! あんたに何が分かるって言うんだ!」

「分かります。心配してなかったら……生きていて欲しいって思わなかったら、夜シル君の命を救うために走り回ったりしてません! 私たちをあなたの元へ向かわせたのは、あなたのお母さんなんですよ?」

「……何?」

「夢魔に襲われて眠り続ける症状は、眠り病と言う病気とされています。でも、そんな病気は存在しないことになっているんです。致死率が高く、医学じゃ絶対に治せない病気の存在が知れ渡ったらパニックになるから。そして、それを治すために夢魔と戦えるナイトメアバスターズの存在も秘匿されているんです。あなたのお母さんは、あなたが倒れてすぐ日本に飛んできて、それから私たちを必死に探し当てました。何日も寝ていなかったのでしょう。そういう顔色で、私たちの元へやって来たんです。それでも、あなたは母親に心配されてないって言うんですか?」


 それは夜シルにとっては初耳だった。


「何で、母さんが、そんなことを?」

「親だからに決まってます! そういうもの何です!」


 しっかりとした声が、夜シルを射抜いた。


「でも、母さんは、そんなこと少しも言ってくれなかった」

「スカウトの件です。あなたに会う前に、私たちがお母さんを説得したからです。夢魔と戦うと言う事は、命を懸けて戦う事。最悪、負ければ死にますし、もっと恐ろしい目にも遭います。生還した息子がそう言った世界に足を踏み入れるようにと許可を出してしまったから、突き放す物の言い方しか出来なかった」


 それでも信じられなかった。

 結局、死んでも良いと思っているのではないかと、そう思ったからだった。


「俺は母さんの気持ちなんか分からない。だって、本当に大事だったら、許可なんて出さないだろ?」

「普通ならそうです。でも、あなたのお母さんは、正義を信じる人だった。あなたの身を案じてはいても、あなたを必要としている人たちが、今も苦しんでいると知ったから」

「正義?」

「夜シル君みたいに夢魔に襲われて、今日にも誰かが死ぬかもしれない。本当なら、自分が戦いたいとすら思っていたはずです。そういう目でした。でも、戦える人の数は限られています……! 才能も必要で、とにかく人手が足りないんです! 人類を救うためにって、私たちが必死に説得して……! だから、お願いします、夜シル君……! 死にたいだなんて思わないで。私たちと一緒に戦ってください!」


 その言葉は、いつか、どこかで聞いた話を思い起こさせた。

 小さいころに憧れたヒーロー。

 親友と人助けに共に走り回った、幼き日々。

 

 困っている人がいる。

 助けなきゃいけない人がいる。


 ヒーローとして一緒に戦って欲しいと、そう言われているようだった。


 そしてその考えに至った一瞬、夜シルは見た。

 岸に、まるで夜シルを導くかのように現れて手を振っている、遊ヒトと玖ユリの姿を。


「……あいつら、なんで」

「え?」


 リナが夜シルの言葉に振り返り、岸辺を見る。

 その時にはすでに、二人の姿は消えてしまっていた。

 だが、夜シルには、確かに二人がいたのだと、そう感じてならなかった。


 いや、いるはずがない。

 遊ヒトも、玖ユリも、死んだのだ。


 無意識的に見た幻影だったのだろうか。

 夜シルには分からない。

 だが、二人の声が夜シルの心に語りかけて来ている。


『俺たちは、いつもお前と一緒にいるぜ』

『夜シルがヒーローやるってんなら、応援するよ。どんな時も、ロックンロールだよ、夜シル』


「……なんだよ、ちくしょう」


 やはり幻かもしれない。

 だが、遊ヒトの顔は、確かに笑っていた。

 玖ユリも。

 今はもう、すっかり暗くなった世界の中では、それが見えた事すらも怪しい。


 自分の心が壊れてしまったのかとも思った。

 しかし、それでも夜シルの心には、生きるための気力が湧き出ていた。


「岸に、上がろう」

「夜シル君?」


 金髪碧眼の彼女は何が起きたかもわからずに、どこか同情的な目で夜シルを見ている。


「そんな目で見ないでくれ。大丈夫だ。話、ちゃんと聞かせてくれ」

「……ありがとう、夜シル君」

「こんな俺でも、戦えるなら戦わせてほしい。誰かを救えるのなら、俺は」


 その時、初めて夜シルは水温の低さと風の冷たさに、耐えようのない寒さを感じた。

 だが、もう負けない。

 くじけない。

 夜シルは、暗くなった水の中を進み、岸に上がるとシャツを脱いで、絞った。


 肌を拭く布も無ければ、着替えもない。

 濡れたリナ・ブロンが自身のウォッチを操作した。


「迎えを呼びました。すぐに来ます。そしたら着替えをして、温かい物でも飲みながら話をしましょう」

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