第10話 夜シルの反撃
「……ッ」
玖ユリの漏らした吐息が、夜シルの耳に入った。
手を入れたスカートの中は、不快に感じる程に蒸れていて、玖ユリの肌は酷く熱い。
そして、ついに夜シルの指は、決定的なものに触れた。
それは小さく、固かった。
そして、その一瞬。
夜シルの頭に、遊ヒトが語り掛けて来た。
『夜シル。俺なんか、ほんとはすごくないんだぜ?』
『……何、言ってんだよ』
『何にでもチャレンジしちまうお前がいるから、俺は安心して後ろにいれるんだ。大人に叱られてても、どんなに難しいことを目にしても、いつでも前を向いてられるお前の方が、よっぽどすげぇんだぜ? まぁ、なんだ。走り続けろよ、夜シル。後ろでフォローしてやるからさ。とにかく、頼りにしてますよ、夜シルくん?』
フラッシュバック。
遠い日の、二人の記憶。
「……木村」
夜シルは顔を近づけて、静かに涙を流している玖ユリの耳元で囁く。
「……俺、やっぱり、みんなのこと好きだ。だから、お前のことも、絶対に守る。だから、信じてくれ」
玖ユリは反応しない。
だが、もう、それには構わない。
そして夜シルの心は、再び遊ヒトの声を聴いた。
『夜シル。負けんじゃねーぞ』
――ああ、やってやるぜ、遊ヒト。
全力で走ってやるさ。
だから、一緒に戦ってくれ!
決意した夜シルは、ついにグッと足に力を入れて立ち上がった。
振り返れば、クスクスと笑う部ノがいる。
「あらあら赤井君? 何してるの? さっさと脱がしてやれよ。同級生のおっぱいなんて、なかなか見れるもんじゃないぜ? ほらほら、木村さん、待ってるって。早く、気持ちよくさせてあげなよ」
夜シルはそれに答えない。
不敵に笑うと、左手にあるウォッチを見せつけ、グッと息を殺した。
「おい。何をしてるのかって聞いてるんだよ? 殺されたくなかったら、ボサって突っ立てないで……って、その手に持ってるの、何だ?」
夜シルの右手には、玖ユリのスカートの中で触れた、小さくて固い物……生地の裏地に貼り付けてあったマイクロチップがある。
「何って? 分からないか? これからのお楽しみのための準備さ。……お前にもロックを聞かせてやるぜ! 部ノ!」
「意味の分からねぇこと言ってんじゃ……!」
部ノの言葉が響くが、それらはたくさんの人々の歓声にかき消された。
すでに夜シルはマイクロチップをウォッチに認識させている。
『
掛け声とともに、ドラムを連打する音が溢れた。
続けて、サックスとギターのメロディ。
その直後、ギターを持ったロックスター『ブルース・スプリングスティーン』が3Dホログラムで出現し、仲間たちと共に『明日なき暴走』の演奏を始めた。
「な、なんだこいつらは! 赤井! 今すぐこの音を消せ!」
夜シルは無視した。
マイクロチップの中で眠っていた、さらなるロックスター達を呼び出し始める。
『ボブ・ディラン』、『ビートルズ』。
真っ赤なスモークと共に、悪魔を模した『AC/DC』も現れた。
奇抜な化粧をした『キッス』が大胆不敵に笑い、『チャック・ベリー』が軽快にロックンロールの代名詞ともなった『ジョニー・B・グッド』の独特なギター・リフを弾き始めたかと思うと、『イングヴェイ・マルムスティーン』が恐ろしいスピードと正確さで指を動かし、鋭いギターソロを奏で始めた。
ギターを掲げ、誰もが引き込まれるようなリズムでクールに決めているのは『ジミ・ヘンドリックス』だ。
続けて現れた『セックス・ピストルズ』が挑発的な態度で爆音を響かせ始める。
「分かるか、部ノ! これがロックだ! 反抗と、希望の、明日へ向かう音楽だ!」
夜シルは笑う。
ロックは、最低で、最高だ。
音は重なり合い、混沌となった空気のうねりとなって周囲を支配していく。
その場は再現されたロックスターたちと、彼らの演奏を聴くオーディエンス達のホログラムで埋め尽くされ、夜シルの姿はどこにも見えない。
「ちくしょう! 赤井! 音を止めろ! 耳が壊れそうだ!」
部ノが銃を撃った。
『ラモーンズ』がジャンプして射撃をかわし、鉛玉は喧噪の中に飲み込まれていく。
「くそっ、こいつら、私の邪魔をして! みんな死ね! 何がロックだ! ロックなんて、死んじまえぇぇぇぇ!」
部ノは乱射した。
だが、狙いも付けてない銃など、もはや脅威でもなんでもない。
弾は様々な方角へ飛んだが、だから何だと、夜シルは叫んだ。
「銃なんかでロックが死ぬかよ!」
「……ッ!」
『シド・ヴィシャス』がベースを振りかぶる。
至近距離にいた部ノは、とっさに銃で迎撃したが、ベースは部ノのすぐ目の前を通り抜けて、振り下ろされた。
「うおおおおおおおお!」
その影に潜んでいた夜シルは吠える。
叫びはロックの奔流の中に飲み込まれ、ほとんど部ノには届かなかったが、それでも、叫んだ。
瞬間、夜シルのウォッチに残されていた映像データが現れた。
遊ヒトだ。
遠き日の自分も映っている。
それらの思い出のすぐ横を通り抜け、夜シルは思い出の声を聴く。
『へいへーい!』
『なんだよ、遊ヒト』
『何って、思い出、思い出! ハイチーズってね! なぁ、大人になっても、ジジイになっても残しといてさ。それで、再生してひたろうぜ。撮った映像データ、お前のウォッチにも送っといてやるからさ』
銃が撃たれる。
だが、部ノの銃では思い出の遊ヒトは死なない。
「――ッ!」
「捕まえたぞ! 部ノ!」
夜シルは銃を持っている部ノの右手を掴み、そのまま捻り上げた。
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