友よ

第31話

 22時きっかりに携帯電話が鳴った。千尋の番号が表示されている。


「もしもし?」

「見えてるぞ、真山。まず上着を脱いでそこの自動販売機の横に置け」


 郷田だ。どこに居るんだ?


 俺は薄暗い公園の中を見渡した。北側に続く遊歩道の奥のベンチの前で携帯電話の灯りが見える。目を凝らすと大人と子供のシルエットがうっすらと見えた。


 あそこだ。


「キョロキョロしてないで早くしろよ」

「わかった」


 俺はパソコンを一旦地面に置き上着を脱いで指示された場所に置いた。冷気に身体が震える。


「ノートパソコンをそこの公衆便所の個室に置いて出てこい。出てきたらその場で一周して何も持っていないことをこちらに見せろ」


 服に隠すことが出来ないように上着を脱がせたのか。少しは頭を使うじゃないか、郷田。だがそのやり方じゃお前の魂胆はバレバレだ。


「先に大野の娘を離せ」

「ダメだ。パソコンが先だ」

「お互い譲らないんじゃ先に進まないぞ。せめて大野の娘を俺が見えるところまで一人で歩かせろ」

「くそっ、わかった」


 暗がりから小さなシルエットが向かってきた。街灯の下で千尋だとわかった。リュックは持っていない。顔の表情は伺えないが思ったよりしっかりとした足取りだ。


「行かせたぞ、トイレに行け」

「わかった」


 俺はゆっくりと公衆便所に向かった。ここで目を離したら郷田が必ず動く。郷田がそれを狙っているのは見え見えだ。必ずチャンスが来る。俺は願うような気持ちでゆっくりと歩いた。


「おい、何をやっている。ふざけるな!」


 郷田が怒鳴る声が直接聞こえる距離まで来ていた。


 その時だった。俺の後ろから話声が聞こえてきた。二人の会社員が新宿駅へ向かうために公園に入ってきた。道は一つしかなく千尋の横を通って郷田の方へ向かう。


 俺は立ち止まり会社員たちをやり過ごした。二人は俺には見向きもせず話をしながら歩いている。その先には千尋が一人で立っている。俺はすぐに公衆便所に入り個室の便器の上にパソコンを置いて戻った。ちょうど二人が公園の暗がりに一人で立っている千尋を不思議そうに振り返りながらすれ違ったところだ。


「千尋、こっちだ!」


 俺が大声を上げると千尋が走ってきた。会社員は驚いて俺の方を見た。郷田は動けない。


千尋がそのまま俺の胸に飛び込んできた。


「がんばったな」

「真山さん!ごめんなさい!ごめんなさい!」


 俺は千尋を抱きしめて言った。


「悪かった。もう大丈夫だ」


 千尋は泣きじゃくりながら離れなかった。


「おい、一周しろって言っただろ!」


 電話口から郷田の慌てた声が聞こえる。千尋の電話は郷田が持ったままだった。


「見ればわかるだろ?ちゃんとトイレに置いてきた。誰か入る前に回収した方がいいぞ。それより顔の傷はもういいのか?郷田」

「お前、なんで俺の名前を?真山、てめぇ!くそっ」


 郷田が走り出すのがわかったが先にパソコンを回収するはずだ。


「車に行こう」

「うん」


 俺は上着を拾い千尋と一緒に急いで車へと向かい始めた。


「真山ぁ!」


 聞き覚えのある甲高い声が公園内に響く。後ろを振り向くと天野と、見るからに柄の悪い男二人が梅島を左右から挟んでこちらに向かってきていた。


「走れるか?」


 俺は小声で千尋に聞いた。


「大丈夫、だと思う」

「あそこに黒い普通車があるだろ?合図したらあそこに向かって思いっきり走れ。鍵は俺が開けるから中に乗り込め。わかったな?」

「やってみる」

「車に入ったらこの番号にワンギリして、その後、警察を呼ぶんだ」


 俺は成田の番号を出して千尋に携帯を渡した。


「大野は生きてる。もうすぐ会える。頼んだぞ」

「お父さん――良かった、生きてるんですね」

「必ず会える。いいな、また足の速いところを見せてくれ」


 千尋は震える手で電話を受け取り、しっかりと俺の目を見て力強く頷いた。


「真山!止まれ!」


 天野が叫んだ。俺と千尋は足を止めて振り返った。千尋が俺の左腕にしがみついてくる。天野たちはパソコンを持って合流した郷田と街灯の下に立っていた。


「パソコンは返しただろ?」

「梅島に嗅ぎまわらせやがって。梅島が全部吐いたぞ」


 俺は顔を腫れ上がらせた梅島を見た。相当ひどくやられていたがその目はまだ死んでいなかった。力強く無言で俺を見返している。天野のブラフだ。ここで下手を踏むと大野の身柄を移される恐れがある。


「なんのことかわからないがパソコンはその男に返した、もう用はないだろ」


 郷田はパソコンを誇らしげに天野に渡そうとしたが、天野の目配せで右隣の男にパソコンをもぎ取られ腹を殴られて崩れ落ちた。痛めつけ方が慣れている。


「所、所長?」


 郷田は涙目で天野を見た。天野の左側に立っている男が凄みのある声で言った。


「簡単に娘を帰しやがって」


 値の張りそうなコートは恰幅の良い身体に型を崩していた。服装に不釣り合いな丸刈りの頭が男の危険さを象徴している。


「こちらの天野さんが借りたもん返してくれないんですよ。返してくれるまでその娘を預かりたいんですがね」

「シンドウさん、それじゃあ約束が」


 シンドウと呼ばれた男は天野の頬を思い切り張った。


「名前を出すんじゃねえ、このバカ野郎が!」


 天野は頬を押さえて黙り込んだ。


「シンドウさん」


 俺は名前を覚えたとばかりにそう呼んだ。男の威圧感が容赦なく浴びせられる。怯んだら敗けだ。


「天野の借金とこの子を結びつけるのはおかしいんじゃないか?そのパソコンがあれば天野は金を手に入れられるって言ってんだろ?それでいいじゃないか」

「真山さん、だったよな。そう杓子定規にはいかねぇんだよ。期限が過ぎても払えない奴にはペナルティを与えないといけないんでね」

「だったら天野の家族をやれよ」


 シンドウは太い声で笑って言った。


「あんた、容赦ねぇな」

「俺は筋が通らないことに納得できないだけだ」

「それなら俺たちの回収を邪魔したあんたらも筋を通さないとおかしいんじゃねえか?」

「それでもこの子は関係ない」


 梅島が頻りに隣に立つ男の方を見て俺に合図を送っている。

 やる気なんだな、あのおっさんは。

 俺はいつの間にか笑っていたらしい。


「何を笑ってやがる!?」


 シンドウが梅島を離しこちらに足を踏み出した。梅島が空いた左手で右側の男の顎を殴る。


「千尋、行け!」


 俺の合図で千尋が走り出した。俺は自分の車に向かって解錠ボタンを押した。ハザードランプが点滅してルームランプが点灯する。千尋は振り返ることなく車にたどり着き素早く助手席から中に乗り込んだ。


 俺はすぐに施錠ボタンを押して後ろを振り返った、と同時にシンドウの重たい蹴りが左肩に飛んできて吹っ飛んだ。鍵を握り締めて立ち上がり中腰で突っ込んで行ったが、シンドウの膝が入り肋骨が折れる確かな音を聞いた。


 天野が近づいてきて俺の手から鍵を奪おうとしたのを噛みついてやった。天野の肉片が口の中で転がり女のような悲鳴が聞こえた。倒れこんだ俺の腹が執拗に蹴られ、肉片が吐瀉物と一緒に出ていく。


 俺は鍵を握り締めた右手を左脇の下に入れて体を丸めた。もう抵抗する力は残っていなかった。鍵さえ渡さなければ何とかなる――そう思いながらただ右手を固く握り締めていた。

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