第27話

「おい、パソコンを持っているなら返してくれ。金は払う」


 成田の言葉が俺の思考を中断させた。


「持っていますがまだ返せません」

「何故だ?」

「先ほど言った通り、私の同期の大野はあなたが取引をするはずだったあの日に営業車を置いたまま失踪しているんです。恐らく自分の意志で失踪したのではありません。その唯一の手掛かりがあのパソコンなんです。大野が見つかったらあなたに渡します」

「そんな約束信じられるか」


 カウンターの中から視線を感じた。女性と目が合うと小さく頷いた。まるで俺がこれから言うことを分かっているかのようだった。


「信じなくても構いませんが――、元はあなたの浮気から始まったことです。それにあなたは自分の役職を利用して圧力をかけたのではないですか?あなたを殴ったのは大野じゃない、後ろの車の奴らです。大野の対応はまずかったが、それでも筋が違う。タクシー会社はあなたのところに目を付けられたら面倒なことになる。私は権力をかさに着て威張り散らす奴が心底嫌いなんです。あなたが思う権力はあなたが所属する関東運輸局のものであってあなた個人の物ではないはずだ」


 成田は俺をまっすぐ見て黙り込んだ。


「私は同期を見つけたい。ただそれだけなんです。」


 ステンドグラスから入る陽光が錨の形をした真鍮の灰皿を照らした。俺がタバコを取り出すと成田もワイシャツの胸ポケットからタバコを取り出した。


「みさき、こいつはどうだ?」


 カウンターの中のみさきと呼ばれた女性は読んでいた本から顔を上げた。顔にかかっていた前髪をかき上げて俺を見る。


「もうわかっているでしょ、成田さん」


 成田は珍しそうな顔をしてみさきを見ながら頷いた。


「おまえが初見で名前を呼ぶのは珍しいからな」


 俺はなんのことだかさっぱりわからず成田を見た。


「みさきは小さい頃から店に出てたくさんの客を見てきたからか不思議なところがある。その客がどういう人間性の客なのか見抜くところがあるんだ」

「人間性って言うのはアバウトですね」

「そうだな。人間は大別すると善か悪か、それしかない。もちろん共存はするがその人物の根っこのことだ。あの子はそれを見抜く。そしてお前は店に入ってすぐに名前で呼ばれた。あの子は悪に属したと見た人物は決して名前を呼ばない」

「お眼鏡にかなったってことですか」


 成田がこの店を選んだのはこういうことだったのか?普段の俺なら勝手に人物評価をされて気分が悪くなるところだが何故か成田に対して構えていた気持ちが薄れるのを感じていた。成田も名前で呼ばれているとうことはこの男の根っこも善と言うことか。無条件にみさきの判断を信じている自分がおかしかった。


「私が電話をした時、この前の男じゃないな?と言っていましたね。今回のことを最初から聞かせてもらえますか?」

「今日と同じように呼び出されて、ある男がお前が持っているのと同じような画像のプリントを見せたんだ。返してほしければ500万円用意して芝浦ふ頭に持ってこいと」

「芝浦ふ頭――瑞穂ふ頭じゃないんですね?」

「違う。芝浦だ」


 大野のGPSログから、大野が瑞穂ふ頭に行ったことは間違いない。大野は迎車で瑞穂ふ頭に行っている。本当に予約が入っていたのか?それとも―。


「前にあなたを呼び出した男はもしかしてこの男ですか?」


 俺は携帯電話に入っていた郷田の画像を見せた。


「この男だ」

「そいつは郷田と言って大野と同じドライバーです。去年のクリスマスにあなたを家まで送った男ですよ」


 成田は郷田の画像をまじまじと見つめていたが、クリスマスの日の運転手だとは気づかなかったようだった。


「芝浦ふ頭で何があったんですか?」

「金を用意して時間通りに行ったんだが、約束の時間を過ぎても誰も現れなかった。こちらから連絡は取れないからそのまま帰った」

「それだけですか?」

「そうだ。昨日連絡が来るまでは何もなかった。」

「昨日連絡をしてきたのは所長で間違いないんですか?」

「間違いない。特徴のある声で分かる。クレームの対応の時に話しているからな」


 天野に違いなかった。天野の話をしていて気づいたのか、成田が言った。


「ちょっと待て。お前がパソコンを持っているならもう所長に取引の材料はないってことじゃないのか?」


 確かにそうだった。大野のアパートに侵入した何者かはノートパソコンが無いことを知った。持ち出したのは俺か千尋だと考えているはずだ。昨日天野から電話があったと言うが、証拠の映像が手元に無ければ成田と取引することはできない。天野は必ず動いてくる。


「大野は所長のノートパソコンを盗んであなたに対する脅迫を止めさせようとしたんだと思います」

「そうなのか?」

「もしあいつが所長から抜け駆けをしてあなたと取引をするつもりなら、ノートパソコンを自分のアパートに置いたままでかけるはずがありません。所長はノートパソコンが無ければあなたと取引ができない。だから所長から盗んで取引を潰そうとしたんだと考えられます」

「だがあのドライバーは私のクレームのせいで会社から処分を受けたんじゃないのか?何故そんなことをするんだ?それに元は所長の協力者だろ?車内映像の仕組みは知っているぞ」


 さすがに仕事柄タクシー会社の仕組みはわかっているようだ。


「あいつの奥さんは6年前に亡くなっています。それから男手一つで一人娘を育てています。あなた達に取ってみたら大した稼ぎじゃないかもしれませんが、タクシー運転手と言う職を失うわけにはいかないんですよ。あなたが地位を利用したのと同じように、所長が地位を利用してあいつに命令すれば従うしかなかったんだと思います。映像を保管する協力はしたものの、いざ脅迫するとなった時に良心が痛んだのかもしれません。そもそも事の発端を考えてみてください。あなたが女と戯れ合って行き先を言わないばかりに、あいつは後ろの車の奴らに引きずり出され、あなたにクレームをつけられた。あなたが行き先を告げればこんなことにはならなかったはずです。それでもあいつは脅迫を止めさせようとしたんですよ。くそっ、くだらない権力のせいであいつは……。」


 成田は苦渋の表情を浮かべて何も言わずテーブルに置かれた珈琲を放心したように見つめていた。


 俺は天野が黒幕だったと梅島に連絡するために携帯電話を取り出した。画面に千尋から着信があったことが表示されていた。嫌な予感で手が震える。留守番電話のメッセージを再生した。千尋の声が聞こえてくる。


「真山さん、所長さんが早くお父さんのことを警察に届けた方がいいって。これから所長さんと一緒に新宿警察に行ってきます。また連絡します」


 俺がこの店に入ってすぐにかかってきたようだ。祈るような気持ちですぐに千尋に電話をした。呼び出しはしているが千尋は出ない。


「頼む、出てくれ」


 呼び出しが終わり留守番電話を受け付けるメッセージに変わった。それは千尋が天野に押さえられたことを意味していた。

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