第三走者
西井ゆん
第1話
そもそも。
私自身、特別足が速い選手ではなかった。
確かあれは小学生の頃。
二年生だったか。
運動会で、生まれて初めて一等を取って
それから毎年リレーの選抜に選ばれるようになって
男子にも鬼ごっこで捕まることなんてなくて
何かと運動面で頼りにされることが多くなっていって
それなら少し本気でやってみようかな——なんて
そんな。
そんな何となく浮かんだ考えを持って、私は中学で陸上部に入ったんだ。
で。
まあ当然なことなんだけど、
小学校よりも規模が大きくなった中学校では、足の速い子がいっぱいいて
それこそ、陸上部なんて自分の足に自信のある子しか周りにいなくて
いつの間にか、コミュニティの中で一番だった私の立ち位置が変わっていって
あっという間に二番、そして三番へと下がっていっているのがわかって
自分の中でも、なんとなく
「あれ。おかしいな?」
なんて、そう思うようになっていった。
もしかして私って、
足、速くないんじゃないの?
疑念というのは一度転がりだすと膨らむもので、
雪だるま方式にその考えは増していった。
グルグル。
止まることなくそれは心の中に膨張していって、
そして、
私はそんな風に考えるのを必死に誤魔化すため、
気に留めないため、
ただ、毎日走った。
自分がひと彫り劣っている
そんな事実を知りたくなくて、見たくなくて、聞きたくなくて
私が一番早いんだ、
と、胸を張って言いたくて、思いたくて、抱きたくて
だから私は、そんな恐怖感の中、ただただ走り続け、もがき続けた。
*********
「部長につかないか」という話を受けた。
人前で喋ることは苦手だったし、人前に立って話すことなんて想像しただけで蕁麻疹が出るし、そもそも素行がお世辞にもいいとは言えなかったというそんな私は、こうして一旦話を家に持ち帰ってきたとはいえ、当然断ろうと考えていた。
私よりも適任はたくさんいる。
私はそんな人間ではない。
私はただ、走るのが少し早いだけの、大したことない人間なんだ。
そんな。
そんな気持ちが固まって、
そして、より強く断る意志を固めた私は翌日。
校門を跨ぐと同時、すぐ現部長のもとに行った。
当然、断るためである。
と、
談笑を切り上げ私の元まで来てくれた先輩。
まだ何も言っていないのににやけつつ、私の方に手をいて、数度頷いて。
耳元でこんなことを囁いてきた。
——うちの伝統でさ。その学年の一番足が速い人が部長になるっていうのがあって……
ということで私は部長になった。
色々あった。
うん。色々あった。
まあ一応注釈としていうならば、別に私が先輩の口車に乗せられたわけではないということだ。
決して、彼女の言葉に惹かれたわけではないということだ。
ただ単に、社会経験の一環のためである。
こういった責任のある立場での経験は後々の私の内申や仕事や人生全体にまで響いてくるはず。
そんな責任感を養うための訓練のようなものなのだ。
さらに言えば、今はどんな時代よりもリーダーシップが重要視される世の中だ。
どこに行ったって周りを引っ張っていく力が必要不可欠。
そんな戦国乱世のような世界に出る前、今、一度ぐらい、こういう役職についておくのは、そう悪いことじゃない。
むしろ大変いいことなのだ。
いいことしかないことなのだ。
断る方がどうかしている。
とするなら、そうだとするなら、
この機会は私に取って渡りに船だろう。
こんな機会そうそうないだろう。
ぜひぜひ、私でよければ全力でお受けさせていただきますとも。ああそうともさ。
…………と。
あくまでも、そんな人生全体に対しての戦略的視点の結論ゆえに受けた話であって、
合理的に判断した結果であって。
別に、部長の言葉が魅力的だったからではない。
いやいやホント。
マジない。全くない。絶対ない。
*********
部長になって早くも三ヶ月が経った。
想定していたよりも部長の仕事というのははるかに大変で、日々は毎日、忙殺されていた。
他の運動部とのグラウンド交渉
予算申請
大会出場手続き
故障者リスト作成
顧問との連絡係
…………
…………
……
それから。
私は三日に一回はしていた遅刻を全くすることがなくなった。
学年試験の成績もある程度は取るようになった。
教師の授業準備をすることは日常になっていった。
街のボランティアにも積極的に参加した。
誰もやりたくない仕事を率先して行うようになった。
クラスの空気を一身に読みまくって気を使っていた。
部活の準備も、もちろん自分から積極的に行っていた。
こういう公立の中学では、私自身の素行がそのまま陸上部への評価へとつながる。
それは予算だったり、グラウンド使用権だったり、大会参加審査だったり。
もし、私がダメだと陸部みんなが迷惑する。
私だけでなくみんなが困る。
それは、なんか嫌だった。
だから、私は頑張った。
一番忙しい時期は、二日間丸々寝ないぐらい、私は色々と頑張った。
正直、毎回投げ出したくなるほど、まどろっこしくて、うざったらしくて、きつくて。
なんでこんなことまで私がやらなくちゃいけないんだとか、
『どうして私は頑張っているんだ』とか、
『だいたい今は受験の時期だろう』とか、
『別に成績だってそんなよくはないよな』とか、
『というかそもそもあの先輩は学年で一番速くなかったんじゃね』とか、
『どうして私はこんなにも簡単に騙されてんだ』とか、
とかとかとかとかとか…………
そんな風に考えて、思って、思案して、振り返って、
私は部活を何度もやめたくなった。
退部届を書いた数、きっと十は下らない。
――けど
うまくいかない日だって、物に当たった時だって、泣いたことだって、それこそ何日もあったけれど。
でも私はここで投げ出してしまうことの方が嫌だったし、何かに負けてしまうような気がして。
たとえ騙されて部長になったとしても、
唆されてやっている役職であったとしても、
誰も感謝してくれないやりがいのわからないそんな役回りだとしても
そんなこと、全部関係ない。
私がやるって決めたんだから、
だから、最後まで、絶対。
なんて。
半年が経った頃にようやくそう思うようになって
いつの間にか、私の手は退部届けに伸びなくなっていった。
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