おむずかり

「神様の地位はいくらで買えるのかしらあ」


 まのか部長が唇に手を当てて小首を傾げる。


「いや、買えませんよ」


 啓示は冷静に返した。どうやら人間界を支配するだけでは飽き足らず神界進出をたくらんでいるらしい。


「あら、そお。じゃあ神社本庁はいくら積めばなびくのかしらあ」


 ターゲットが急に現実的になった。


「神様にお金はいりません」


 マネーパワーで神界進出、不可能です。


「でも神様に仕える人間にはいるでしょお?」


 粘られる。


「なびかせるためのお金はいりません」


 頑張って言い返した。まのか部長と会話をすると、いつも心臓がドキドキする。もちろん、恋ではない。


「えええ? 札束をちらつかせればみんなわたしに媚を売り始めるわよお。今までずーっとそうだったものお」

「い、いや、それはそうかもしれませんけど……」


 啓示はもごもごと声を詰まらせた。


 人に愛されていない証拠ですよ、それ。ていうかそのお金で全てを解決する精神構造、何とかならないもんでしょうか。


 ……なんてね。うん、言えるわけないよね。


「と、とにかく、無理だと思いますよ。月並みですけど、人間にはお金で買えないものがありますから、はい」


 精いっぱいマイルドに伝えてみる。


「……」


 突然、まのか部長が無表情になった。


「…………」


 スイッチが切れたロボットみたいに、目の前の一点を凝視して動かない。


 元々感情の起伏をあまり表に出さないタイプの人ではあるが、これはもう完璧な能面だ。ザッツ・無である。


「あーあ、やっちまったな。けーじっち」


 沙妃先輩が困った顔でわしゃわしゃと頭をかいた。


「え? な、何がですか?」


 啓示は慌てる。やっちまったなんて、そんなはずはない。ちゃんと気を遣って、慎重に言葉を選んだのだ。


「説明しよう。部長は自分のお金パワーが通用しないとあんな風に全感情を殺しておむずかりになってしまうのだ」


 古きよき特撮ナレーション口調で、匡先輩が語る。


「は、はあ……」


 啓示はもう一度、まのか部長を見やった。


「………………」


 よく分からないが、とにかく心がシーンとなっているご様子。普段のにこにこも怖いが、これはこれでかなり恐怖だ。


「ど、どうすれば元に戻るんですか?」

「さーなー。分かるか? 匡」

「いいや、分からない。以前どうしたかの記憶もゼロだ」


 啓示の質問に、二年生コンビは顔を見合わせながら答えた。何て頼りにならない先輩たちだ。いや、知ってたけど。


「いい考えがあります」


 瀬奈がぽんと手を叩く。


「まず、沙妃先輩が踊ります。そして私がげらげら笑います」

「ふむ、天の岩戸か。そこで僕が興味を惹かれた部長を引っ張り出すわけだな」

「そうです。名づけてプロジェクト・アマノ」


 話をまとめる匡先輩に、きりっと表情を決めて返した。


「プロジェクト、アマノ……」


 啓示は口の中で反芻する。プロジェクト名は、天の岩戸計画とかの方がよくないだろうか。これだとアマノさん絡みの何かみたいだ。アマノさんって誰だ。


「おおっ、プロジェクト・アマノか! なんかかっこいーな。よし、こうなったらあたしも痴女の名誉にかけてとびっきりハレンチな踊りをお見舞いしてやるぜ!」

「ふむ。可能かどうかは分からんが試してみる価値はありそうだ」


 非実在アマノ氏に思いを馳せる啓示をよそに、沙妃先輩と匡先輩はノリノリだ。頼りにならないのに、腰だけは軽い人たちである。


「あの……」


 啓示はおずおずと手を上げた。


「そもそも、どこにも隠れてないぞ? まのか部長」


 素朴な疑問を、瀬奈にぶつける。


「……」


 瀬奈は整った眉をぴくりと吊り上げ、しばらく黙った。


「人にとやかく言うからには対案があるんでしょうね? けーじ」


 傲然と言い返される。


「そーだそーだー。人のあら探しからは何も生まれないぞー」

「うむ。それにそもそもこの事態を引き起こしたのは神野けーじなわけだからその責任も当然本人に帰するべきであり――」


 二年生ズがほいほい便乗してきた。軽いのは腰だけじゃなかった。


「う、うーむ……」


 啓示は考え込む。本当に自分の責任なのかどうかは甚だ疑問だが、それでも押し切られてしまうあたりがザ・凡人であります。


「……分かりました」


 重々しく頷くと、テーブルに置いてあった自分のカバンを手に取った。


「では」


 引っ張り出したのは、ちょっと湿った安っぽい紙袋。開いた口から、こんがりと茶色いお魚さんが顔をのぞかせている。


「これで、いきます」


 決死隊のような表情で、まのか部長との距離を詰めた。


「よすんだ、神野けーじ」

「危険だぞ! けーじっち!」


 すると、先輩二人の態度が急変。どこまでいってもお軽いノリの人たちである。


「大丈夫です。俺には、こいつがついてますから」


 いつになく毅然と、啓示は言い放った。


「さっき買ってきたものです。愚庶民の味ですが、どうぞ」


 片膝をつき、両手をうやうやしく持ち上げてたいやきを一匹、献上する。


「……」


 まのか部長の瞳が、ちらりと動いた。


「ん……」


 かすかな声で言うと、もう泳げないたいやきくんをそっとつかむ。


「……ぱく」


 もぐもぐと、咀嚼。


『……』


 部室に、耳の奥がつーんとするような緊張が走った。


「甘い……」


 まのか部長の口から、ぽつりと感想が漏れる。いつもの計算や打算に満ち満ちた口調ではない。本当に、心の底から呟いたような声だ。


「愚かな庶民らしくう、愚かしいまでの甘さねえ」


 取り繕うように毒を吐いたが、そこにいつものトゲはない。


『おおおおぉーーーーー……』


 先輩コンビから地鳴りのようなどよめきが上がり、


「ほっ……」


 啓示は安堵のため息を深々と吐いた。


「む、むむむ……」


 横では、腕組みをした瀬奈が悔しそうに唇を歪めていた。

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