スパイ

「大体、あのカラスという生物はおかしいんだ」


 人気オンラインゲームの美少女キャラに扮した匡先輩が、頭をさすりながら吐き捨てた。何でも登校途中、突然カラスに頭頂をつかまれかけたらしい。


「まあ、この世界にカラスほど真っ当な生き物はおりませんって奴もそうはいないだろうがな」


 軽く受け流して、沙妃先輩がソファーに腰を下ろす。


「いや、もはやおかしいとかそんなレベルではないな。僕はあの生物に心の底から疑問を抱いている」


 匡先輩は両肘をテーブルに置くと、口を隠すように手を組んだ。シンプルながらスタイリッシュな銀縁メガネがきらんと光る。


「心の底から疑問……ですか」


 啓示はおうむ返しに呟いた。美少女司令官、悪くないと思います。そのすね毛がなければもっと……以下、自粛。


「そもそも、奴らは優秀すぎないか?」


 すね毛美少女司令官は、世界規模の深刻な問題でも述べるように語り出した。


「僕の言うことが信じられないのなら、一度じっくり観察してみるといい。何しろ頭のよさがハンパじゃないんだ、あの連中は」


 研究者のテイストも混ぜ込んでくる。


「してみるといいって……したんですか? 観察」


 啓示は訝しげに尋ねた。もしかしてこの人、結構ヒマなんだろうか。


「もちろんだ。まず敵を分析しないことには策の立てようもないからな」


 歴戦の名軍師でもあるらしい。司令官なのに。


「そんな、無理に分析しなくても……」

「以前こんなことがあった」

「えぇえーーー……」


 不要論はあっさり無視。この軍師、クールな顔して意外に粘着質だ。


「カラスがとまる電線の下を、僕がたまたま通りかかった。そしたら奴はこっちを向いてかぁ、と鳴いた。おそらく宣戦布告のジャブ一発みたいなものだろう。僕は足を止め、しばらくの間カラスと睨みあった」


 美少女司令官研究者粘着質軍師殿が弁舌を振るう。


「僕は二、三歩下がってみた。するとカラスはそっぽを向く」


 鋭い目線を、上方にちらり。


「しかし、またこっちが進み出すとかぁ、とくる。要は自分たちの決めたラインを越えたら威嚇するわけだ」

「へえ。それで村雲先輩、どうしたんです?」


 どこに興味を惹かれたのか、瀬奈が食いついてきた。


「普段はそこそこ温厚な僕も、さすがにその時はイラッときてな。まずはラインを越えてかぁ、を同じリズムで繰り返し、そこから急にフェイントをかけてやる策に出たんだ」

「は、そりゃまた性格わりぃな、おい」

「ふん、何とでも言うがいい」


 沙妃先輩の冷やかしにも、策士様は動じない。


「カラスは僕の突発的な動きに対応できなかった。結局ぐ、と声を詰まらせ威嚇をやめたよ。それで終わりさ」


 拳を握りながらあごをしゃくった。見事なイキリ美形の完成である。


「他にはこういう例もある」


 イキリ美形のイキった武勇伝、さらにコンティニュー。


「奴ら、足を使って威嚇する時には必ずこっちの後ろを狙う。そこである程度引きつけてから、だるまさんがころんだの要領でいきなり振り向いてやるんだ。すると連中、大体は何食わぬ顔で旋回して方向を変えるわけだが、中にはちょっと焦って空中でばたつくマヌケもいたりしてな。これがなかなか面白い。だがこのやり方は間合いを間違えると頭はおろか顔にも不意打ちを食らうことになりかねんからな。やる時は十分注意してくれ」


 淡々と話をまとめるが、なぜか視線は啓示を捉えたままだ。


「は、はあ……そうですか」


 一応相槌を打つ啓示だが、もちろんカラスと競う予定はない。


「でもさあ」


 沙妃先輩が口を開いた。


「真面目な話、巣に近づいたから威嚇されたとか、そういうことなんだろ?」

「その通りだ。厳密には卵を産んでヒナを育てている巣に近づいた、だが」


 匡先輩は補足しつつ頷く。


「じゃ、しょーがないんじゃね? 親鳥なんだし」

「僕も奴らの行動自体がおかしいとは思っていない。ただ、そのやり方があまりに知能的すぎる点を疑問視しているだけだ」


 サラサラの髪を、耳元で軽く払った。


「ゴミあさりの様子を見ても分かる。主犯格にサポート役、さらには見張りらしき奴までいるんだぞ。そこいらの強盗なんかよりも遥かに手際がいい。鳴き声だってそうだ。奴らはあれでかなり高度なコミュニケーションを成立させている。こんな知的レベルの高さ、裏に何かあると疑わない方がおかしいじゃないか」

「ふーん、なるほどな」


 沙妃先輩は納得した風だが、実のところ大した関心もないのが丸わかりの棒読み口調だった。


「じゃあ村雲先輩はカラスを何だと思ってるんですか?」


 一方、瀬奈はといえばやっぱり興味津々。


「ふむ……」


 匡先輩はしばし考え込んだ。


「スパイだな」


 熟考の末に吐き出されたのは、そんな結論。


「は、ばかくせー」


 その一言で完全に興味を失ったのか、沙妃先輩はどっかりとソファーにもたれてしまった。


「うぅ~ん……」


 瀬奈は真剣な顔であごに手を当てると、壊れかけのモーターみたいなうなり声をあげる。


(スパイって……)


 啓示はぐらついた。


 まさか。もしかしたら。でも。いや、しかし。気持ちが海を漂うくらげのようにふわふわして落ち着かない。


「あらあらあ」


 今まで一言も発することなく成り行きを眺めていたまのか部長が、初めて会話に加わってきた。


「ばれちゃったわねえ」

「……え?」


 啓示は一瞬、耳を疑った。なにそれ? どゆこと?


「実は日本にいるカラスの大部分はあ、外崎がスパイ用に飼いならして情報収集に役立てているのよお」


 まのか部長はあっさり言うと、


「カラスが目をパチパチしているのはあ、中に仕込まれた小型カメラで街の様子や個人の素行なんかを撮影しているからなのよお。どおお、凄いでしょお」


 聞かれてもいない情報までぺらぺらと垂れ流してくれた。


「じ、冗談……ですよね?」


 啓示は声を潜める。いくら何でもこれはない。法的にも、倫理的にも。


「うふふう、どうかしらあ」


 自称スパイの親玉は、細い目をさらに細めてにんまりと笑った。


「う……」


 思わず黙り込む。もやもやーんとした不安で、胸が苦しい。


「やはりそうか! すごいぞ、カラススパイは本当にいたんだ!」

「……」


 巨大な入道雲の向こうにある天空の城探しにでも行きそうな顔でキラキラと目を輝かせる匡先輩が、啓示にはやけに遠く感じられた。

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