ビッグワン

「こんちはー、っと」


 啓示は部室の扉を開いた。購買へおやつ代わりのパンを買いに行ったら大人気のカツサンドが手に入ったので今日はごきげんだ。


「くぇっ」


 沙妃先輩の声が聞こえる。


「?」


 声のした方向、窓際に目をやった。


「くぇっ」


 そこには、何かの鳥を思わせる片足立ちで鳴く先輩の姿。めくれたスカートから張りのある太ももがちらちらとのぞいている。多分、わざとだろう。


「……どうも」


 ひと声かけると、啓示は自分のパイプ椅子に座った。こいつぁあんまり触れない方が身のためだぜ。心の警戒警報がゆわんゆわんと響く。


(えーと……)


 周囲に視線を走らせ、状況を確認。


(他の人はいない、か)


 とたんに、緊張が走った。


 沙妃先輩と二人っきりになるのは初めてだ。そこに突然「くぇっ」とか来られた日にはどうしたものか、対応に困る。


(それにしても……)


 カツサンドの包装を破りながら、窓辺の鳥女を見やった。


 身長は百六十センチくらいだが、手足の長いスレンダー体型であるためもう少し大きく見える。髪型は乱れ気味のショートだが、別に手入れをしていないわけではない。いわゆる無造作ヘアというやつだ。


「くぇっ」


 乱れ髪の痴女が、また鋭く鳴く。


「……」


 啓示は改めて沙妃先輩を見つめた。逆光のせいか、何やら神々しい佇まいだ。


(い、いかんいかん)


 気を取り直す。先輩の観察などしている場合ではない。せっかくゲットしたカツサンド、ここはじっくり味わっておかねば。


「うん、んまい」


 揚げたてサクサクとはいかないが、それでも肉身が厚く食べごたえは十分。少々濃い目の味付けでパンとのバランスもバッチリだ。


「……ん?」


 もそもそと咀嚼を続けていると、不意に身体がむずがゆくなる。


(何だ……?)


 食べるのをやめて、そろーりと横を向いた。


「じいーーー…………」


 沙妃先輩が、やけに粘っこい目でこっちを睨んでいる。


「じい、じい、じいいーーーーー……」


 意訳。絡めよ、おい。


(うーむ……)


 少し悩んだ啓示だが、やがて仕方ないと腹をくくった。


「えーと……何、してるんですか?」


 とりあえず、無難な質問から。


「ふ、知りたいか。うーん、どうすっかなー」


 いきなりもったいつけられた。


「教えてやろっかなー、やめよっかなー。いやー、迷うなー」

「あ、いえ、無理にとは……」

「そうかそうか、そんなに知りたいか。ならしょうがない。教えてやろう」


 今度は決めつけられる。しかも妙に上からなのがほんのりと腹立たしい。


「いいか、これはな……」


 そこまで言うと、沙妃先輩はぐっと深く息を吸い込んだ。


「鶴だ」


 構えを崩さぬまま、びしっと断言する。


「鶴、ですか……」


 ――鶴。沼地や平原などにいる大型の鳥。長寿の象徴。飛行機に描かれてる。元タイガースのピッチャー。


「えーと……」


 啓示はごちゃついた頭の中を整理にかかる。


「……なぜ、鶴に?」


 聞きたいことなど、これしかなかった。


「ん?」


 沙妃先輩はきょとんと目を丸くする。その質問をされる理由が分からん、とでも言いたげな顔だ。


「……何か、鶴に思い入れでも?」


 そこはかとない苛立ちを抑えつつ、啓示は質問を変える。


「ん? ああ、そうだな。最高だぞ、鶴。綺麗だし優雅だし、求愛ダンスとか結構素敵だしな」


 爽やかな笑顔とともに、そんな答えが返ってきた。


「は、はあ、そうですか……」


 啓示はあやふやに相槌を打つ。なるほど、この先輩、鶴ガールか。いや、まあ、この人長生きするだろうなー、とは常々思っているのだが。


(しかし……)


 正直、迷う。


(言うべきか、言わざるべきか……)


 心の二者択一だった。口にすれば全ての前提が覆ってのっぴきならぬ事態に陥るだろうが、かといってこのまま放置しておくわけにもいかない。


「……」


 相変わらずびしっと片足立ちの鶴ガール先輩を、ちらりと見る。かなり長い時間同じ姿勢を維持しているが、体幹には全く崩れがなかった。


「鶴、ですか……」


 探りを入れるように、啓示が呟く。


「ああ、鶴だな」


 キメ顔つきの答えが返ってきた。実原沙妃、自信満々揺るぎなし。


(むむう……)


 食べかけのカツサンドを見つめながら啓示は考える。これはどうしたものだろう。ザッツ・ザ・クエスチョン。


 しかし。


(やっぱり、言おう……)


 すぐに覚悟を決めると、小さく息を吐いて顔を上げた。


「あの……」

「んあ?」


 軸のぶれないフォームのまま、沙妃先輩がぎろりと見つめてくる。


「それ、鶴じゃなくて……フラミンゴです」

「……え?」


 一本足打法の痴女が、微動だにせず目を見開いた。何かこう「くわっ!」という太字の擬音が背後に浮かび上がっている感じの、ものすごい目力だ。


「それは鶴ではなく、フラミンゴなんです」


 啓示はゆっくりと、ささやくように説く。


「フラミンゴ……なのか?」

「はい。フラミンゴなのです」

「……」


 沙妃先輩は絶句した。いつもの豊かな表情は消え、顔面が単なる無と化している。


 しーーーーーん。


 二人だけの部室に、気まずい沈黙が流れた。


 ――数秒後。


「…………ぐくぇっ」


 首を絞められたフラミンゴのような声が、沙妃先輩の口からこぼれた。

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