泣血木(吸血鬼)の桜

時速32mm

第1話

(おい、ここはどこなんだ。部下の疎ましい視線を押し退けてまで定時で上がったのにどこに迷い込んでしまったんだ)


スーツ姿の中年の男は、気づけば真っ暗な夜に大きな桜の木が一つと取り外されたブランコしかない公園にいた。周りの景色に見覚えはない。


「おい、そこにいるのは誰なんだ」


男が見つけたのは、桜の木の木陰に隠れていた、黒いワンピースの少女だ。それ以外は何も身につけておらず肌寒そうで、靴がなく裸足だった。

少女は無垢なのか蠱惑的なのかあやふやな薄い笑顔で男に近づくと、


ドスッ!



「ひっ!?何をするんだ!!子供、いや大人だってこんなものを持っていていいものじゃない!」

男が怒鳴りながらナイフを抜こうとすると、桜の木に寄りかかった少女が、


『……ねえ、面白いね』


その時、男の手に持ったナイフから、様々な声が男の頭に響いた。


あなた、休みだからってダラダラしてないでよ、あの子が後期試験受かるように勉強見てあげてよ。


何?父さんは滑り止めの私立でしょ。それに今と昔は違うんだから当てにならないよ。邪魔しないで。


何ですか。私を食事に誘うぐらいなら家族サービスした方がいいですよ。妻子持ちのくせに。


君、女性社員に大層嫌われているようだな。面倒も見きれないぞ。


「う、うわぁー!!黙れぇ!!!」

その場でナイフをぶんぶんと振り回しながら男が叫んだ。

「なんで俺がこんな風に言われなきゃいけないんだ!」


『うふふ、うふふ、うふふ』少女が不気味な笑い声をあげる。


男がゆっくりと暴れるのを止め、俯いた顔を上げて少女を見る。焦点の合っていない目で不気味に呟く。

「ダ………黙レエエエエエエエ!」

ナイフを構えて突進する男。少女は木に寄りかかったまま動かない。


ドスッ!!


ナイフは桜の木に突き刺さる。少女はいつのまにか男の後ろに回り込んでいた。

「あれ、俺は一体……?」

男の焦点が定まる。目の前の桜の木は、男が付けたのと同じように大量の傷があった。

少女の手が男の両肩を掴む。少女の外見からは想像できない力が込められる。

強制的に座らせられ、顔を掴まれて少女の顔に近づけられる。


『ねえ、面白いから笑ってよ』


少女の右眼から、ボトボトと濁った血が溢れていた。

「ひい!!たす、たすけっ!おごっ!!おごごごご!!!」

溢れた血が、広げられた男の口に流れ込んで行く。

男の意識は、静かに消えた。




明朝、ブランコが外された公園には警察がいた。

雨後目うごのめ先輩、またです。

心優しそうな青年が、少しだけ年上に見える女刑事にメモの内容を伝える。

女刑事は、座り込んでに寄りかかる被害者の男性を見る。

姿は、安そうなスーツを自分の血で真っ赤にし、血が流れた体は青白くなっていた。


青年刑事は首をかしげる。

「おかしいですね。んですよ」


『ねえ、面白いでしょ』

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泣血木(吸血鬼)の桜 時速32mm @hakurann

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