駆け抜けろ転校生

 転校生は、春夏冬、長い休みの後に来るものだと相場が決まっている。

 だからどちらかというと、最初はワクワクよりも驚きの方が大きかった。


「始めまして。小泉こいずみ帆楼ほろうです。父の仕事の都合で、しばらくの間お世話になります」


 深々とお辞儀。合わせて揺れる、前髪ぱっつん後ろはショートの黒髪。あのツヤとさらさら度合い、時間をかけて丁寧に手入れしてる証拠だ。余所行きや上っ面のキャラ付けじゃなさそうね。


「いいなー、私らはテスト終わったばっかなのに」

「神楽坂、逆に考えてみろ。テスト期間中に転校生が来たら、お前らそれどころじゃなくなるだろ? 小泉さんには別でテストを受けてもらってる。差別はないから安心しろ」

「えー? 私だけ呼び捨てなのは差別じゃないのー?」

「ちゃんと公平に見てるぞ。全員に公平なテストの点を参考にな」


 まだテスト返ってきてないけど、どうやら今回もダメっぽい。次のときは学問の神様のとこにお参りしてこようかな。誰か知らないけど。


「席はあそこだ。廊下側の……祠堂くんの隣だな。みんな、仲良くしてやってくれ」


 テストの点を参考にするなら、祠堂じゃないとおかしいんじゃないの?

 そう言いそうになって、ギリギリで飲み込んだ。湖夏くんは目立つの好きじゃないもんね。


 湖夏くんの席は私の後ろ。

 隣を通ったときに、帆楼ちゃんが白い手袋をしていることに気がついた。白くてすべすべの手袋だ。ああいうの、漫画で見たことあるような気がする。お金持ちの家に住み込みで働いてるメイドがしてる感じのやつ。いくらぐらいするんだろ。


「わ、なにそれカワイイ! サラツヤの黒髪ばっか見てて気づかなかったわ」


 これは後で湖夏くんに聞いたんだけれど――くるりと半回転した彼女の横顔は、引きつっていた、らしい。苦手なものがはっきりしているからこその、経験則からくる不吉な予感。

 真っ白のシルクに包まれた、彼女の手に触れようとしたその時。


「やめて!!」


 聞き慣れない、想定外の声だった。

 誰の声か、一瞬迷った。聞こえた場所とか、聞き慣れない声の持ち主なんて一人しかいないとか、落ち着いて考えればすぐにわかるはずなのに。きっと、あまりにも第一印象と違いすぎたからだ。


「あ……ごめんなさい。つい、その……癖で」


 これこれ。きっと彼女なら、なにか失礼なことをしたときにこう繕うだろう、という反応。私のイメージする小泉こいずみ帆楼ほろうの人物像。


「や、こっちこそごめん。もしよかったら、なにがダメだったか教えてくんない? さっきのでなんとなく伝わってるかもしんないけど、私、並のバカよりよっぽどバカだからさ」


 人物像、なんて。初対面だぞ。会話もしたことないのに、どんな人間かなんてわかるはずないよね。付き合う前から一緒のクラスだった湖夏くんのこと、どれだけわかってなかったと思ってるんだ。


「万華鏡さん、あまり強要しないほうがいいと思います」


 意外にも、湖夏くんが会話に入ってきた。

 注目を浴びるのが苦手な彼、転校生の隣なんてツイてないなーって励まそうと思ってたのに。特に今は、静まり返った教室に声がよく通る。


「わかってるわかってる。初対面だし、話せないことの方が多いわよね」

「単純に、弱点を晒すことに対する心理的抵抗もありますが、それだけではありません」


 テスト勉強の時に知ったことだけど、湖夏くんは一度スイッチが入るとよく喋る。本当によく喋る。コミュニケーションのための会話は苦手だけど、校長先生みたいに一人で喋り続けるのは意外と得意だ。


「アレルギーを持つ学生が、制服の中に物を入れられ、パニック症状を起こして病院へ搬送された事例もあります。公にするリスクは小さくありません。悪意を持った……いえ、悪意ですらない、無知や無邪気に傷つけられることさえあるんです」


 少しだけ、いつもより張った声に聞こえた。

 ああ、そうか。これは私との雑談や情報共有のためだけじゃなくて、クラス全体への警告なんだ。


「ですから、落ち着いて、慎重に……ええと……礼儀を持って接しましょう」


 まるで”ワレモノ注意”みたい。湖夏くんも同じことを考えたのか、途中で言葉を選び直した。私からしたら細かいことだけど、そこに敏感なのが湖夏くんらしい。


「神楽坂さんと、えと。あ、祠堂さん、でしたっけ?」

「えっ? ……あ、は、はい! あれ、どこかでお会い……いえ、先生に呼ばれましたね、そういえば」

「ありがとうございます」


 さっき黒板の前で見たのと同じように、帆楼ちゃんは深々とお辞儀をして、にこりと笑った。


「強迫性障害です。後天の。モノに触ることに抵抗があって、とても怖いんです。不衛生な気がして」


 私達が止める間もなく、白い手袋に包まれた手のひらを天井に翳しながら、自分の弱点を流れるようにさらけ出していく。


「こうして手袋をしていても、なかなか安心できなくて、落ち着かないんですよね。なのでなにかあったときのために、消毒用のアルコールと替えの手袋を鞄に常備しています。椅子に座るのも好きではないので、よく空気椅子してるんですけど、おかげで足に筋肉がついてしまって。困っちゃいます」

「あー、あれ? ここ笑うとこ? バカだからわっかんねーや」

「笑ってもいいですけど、唾、飛ばさないでくださいね?」


 にこやかに笑いながら言われても困るんだけど。

 まあ、でも、帆楼ちゃんが楽しそうでよかった。


「ま、私達に任せなさい! 私と彼氏が力になるわ。できることなら何でも言いなさいよ!」

「……彼氏って、その……キス、とかするんですか?」


 思わず吹き出しそうになって、すんでのところで手で抑えた。なんだどうした急に。なんで私らは教室のど真ん中で転校生にセクハラを受けてるんだ。

 誤魔化したほうがいいやつ? と思ったけど、真っ赤になって固まってる相方を見れば、初対面でも一目瞭然。すんなり四字熟語が出てくるなんて、めっちゃ動揺してんな私。


「ま、まあ、そりゃ? いい年頃のカップルだし、ね?」

「で、ですよね……ごめんなさい……うう……」


 口と胸元を抑えて、帆楼ちゃんは後ろを向いた。


「…………あー。唇が直に触れるとかそういう」

「言わないでくださいぃ……想像しちゃいますからぁ……」



 波乱の幕開け。そう呼ぶに相応しい月曜日だった。でも湖夏くんがしっかり釘を差してくれたし、帆楼ちゃん自身も根っからの清楚っ子みたいだし、きっと上手くやっていけるだろう。


 その週の金曜日、帆楼ちゃんは私達の高校をたった5日で離れることになる。

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