過去を想い描く
「いやー、面白かったわねー! 恋愛サイコミステリーとかいう謎ジャンルを前面に押し出すだけあるわ!」
「はい。映画も良かったですし、万華鏡さんの反応がわかるのも新鮮でした」
二人で映画を見る。カップルを名乗るならこのイベントだけは外せない。
見始めて最初のうちは湖夏くんをちらちら意識してたけど、フツーに面白くて見入っちゃった。スタッフロールまで完走したのは初めてだ。
「湖夏くん、映画ちゃんと見てた? にしてもラストの――」
「わーっ!?」
「な、なに? どしたの?」
「万華鏡さんっ! 今から見る人もいるんですから、ネタバレは止めましょう」
帆楼ちゃんの転校から一夜明けて、土曜日の昼。私達は近場のカフェでのんびり過ごしている。
「湖夏くん、真面目ねー。あたしらの事なんて誰も見てないって」
「そんなことありませんよ。みんな万華鏡さんのこと見てます。万華鏡さんは可愛いんですから、もっと危機感を持つべきです」
「大袈裟だって。ほら、映画のポスターに可愛い子映ってるじゃん。ああいう乙女系目当ての男は私みたいなギャルには興味ないよ」
「そうでしょうか? 僕にはヒロインより万華鏡さんの方が魅力的でしたけど。人の恋路を覗くより、万華鏡さんを見ていたほうが楽しいです」
どこまで持ち上げる気よ。もうとっくに雲の上よ。人気映画の主演張る女優より魅力的とか、さすがに……照れる。
「そろそろ慣れたと思ったんだけどなあ」
「はい?」
「こっちの話。そうね、次は恋愛要素なさそうなやつにしよっか」
「も、もう次の映画ですか!?」
「今日じゃないわよ?」
「あ、そ、そうですよね。ごめんなさい」
会話が苦手という湖夏くん。その中身も少しずつ見えてきた。
湖夏くんは頭の回転が早いから、話を深読みすることがある。先回りしすぎてテンポがズレたり、たまに読みが大きく外れたり。私以外の人との会話を相槌で済ませることが多いのは、具体的に反応すると噛み合わないことが多いから。
「京都でぶぶ漬けを出されたら帰れっていう意味なんだって。テレビで言ってた」
「僕は絶対に京都には行きません」
「さすが湖夏くん。完璧な対策ね」
「帰れという意味だろうか、でもただの善意かもしれない、その人の地元が京都でない可能性もあるし、そもそも定説は本当に一般に浸透しているのか……考え出すとキリがありませんから」
頭の回転が早くて羨ましいと思ってたけど、回転が良すぎるのも考えものだ。私と足して2で割ったらちょうどいいかな。
「そこまで考えらんないなー。ぶぶ漬けイコール帰れって意味らしいけどホント? って聞いちゃうかも。考えるより聞いた方が早いし」
私バカだから……と続けようとしたら、湖夏くんが目を輝かせた。
「万華鏡さんとなら行っても大丈夫ですね」
「かもね。行きたいの?」
「はい。歴史的に価値のある場所ですし、奥ゆかしさ、侘び寂びの文化も、好きではあります。僕には判別しにくいので諦めていたのですが、希望が見えてきました」
「大袈裟ねえ」
まあでも、悪い気はしない。夫婦円満の秘訣は愛や感謝をこまめに伝えることだ、ってテレビで言ってたし。湖夏くん、素直だしすぐ言葉にするから、その辺は全然心配ないもんね。むしろはなまる。
湖夏くんは大人になっても変わんないだろうなあ。1日何回褒めるかカウントしたら面白いかもしれない。朝起きた時に今日も可愛いねって言われて、朝ご飯を食べた時に今日もありがとう、美味しいよって……いやいや、さすがに気が早い。
「あれ? しゅーくん?」
女の子の声が私を妄想の世界から突き飛ばした。
知らない女の子が湖夏くんに声をかけている。信じられないことに。急に現実へと引き戻されて。目眩がした。
「江南!? どうしてこんな所に」
どうやら、信じられないことに、この子は湖夏くんの知り合いらしい。帆楼ちゃん以外に女の子の知り合いがいるなんて知らない。
ふわふわのくせっ毛はたぶん地だ。知らない制服。たぶん高校の。背丈は女子にしては高い。同い年くらいに見えるけど、制服でもわかるくらいには出るところがしっかり出てる。D、いや、Eか?
「それはこっちのセリフだよー! しゅーくんカフェとか来る子じゃなかったよね? その子誰? あー、もしかして彼女ー? 彼女でしょー!」
にこにこ頬を緩ませて、間延びした声で捲し立てる。なんなのよ、急に出てきて。せっかく二人で楽しい時間を過ごしてたのに。
「あんた誰? 湖夏くんの知り合い?」
考えるより聞いた方が早い。さっき湖夏くんと話したばかりだ。
逸る私を焦らすかのように、まるでその子の周りだけ時間の流れが遅いみたいに、その子は大きな背を曲げてゆったりと大きくお辞儀をした。
「はじめましてー、小日向江南でーす。しゅーくんの元カノでーす」
「もっ……元カノおおおおぉ!!?」
自分でも信じられないくらい大きな声が出て、店員さんに怒られてしまった。
「元カノがいたなんて聞いてない」
「ご、ごめんなさい……そういう話は極力しない方がいいと、インターネットで見かけたので」
「さすがしゅーくん! やっさしー」
軽く話したらすぐ帰ってほしかったのに、その子は相席を求めてきた。仕方なく了承して、向かいの湖夏くんを私の隣に呼んだ。
さっきまで湖夏くんのいた席に、知らない女の子が座っている。胸の奥が焼けるように熱い。せっかく二人で楽しくデートしてたのに、なんなのよ。邪魔しないでよ。
「江南は美術科の高校に進学したので、接点が無かったんです」
「ふーん。元カノって、今みたいにデート行ったりしたわけ?」
プロフィールには興味ないのよ。大事なのは、湖夏くんとどう過ごしてたか。
私の初めては、湖夏くんにとっても初めてだったのか、そうじゃないのか。
「いいえ、恋人らしいことは全く」
一番大きな不安は、すぐに小さくなった。
けれど、あまりに極端だ。全くって。それは逆にどういうことなんだ。
「恋人なのに?」
「はい。僕らはただ隣にいただけです」
「あたしが絵を描いてる横で、しゅーくんが難しい本を読んでるの。懐かしいなー」
僅かばかりの優越感は、知らない時間のことを思うとすぐに蒸発していまう。
飲みかけのアイスコーヒーに砂糖を足した。甘いものが飲みたい。けれど、真っ黒な液体はさっきまでより苦かった。
「そうだ! みてみてー! これ、あたしが描いたんだよー!」
手元のタブレットをピポパと手際よく動かして、彼女が私たちに見せたのは、一枚の写真――いや、写真のような風景画だった。
空と海と砂浜、そして道路のコンクリート。夏の日差しに温められてホットプレートみたくなった道路の熱さと、車で着替えてそのまま海に飛び込む涼しさを同時に感じた。
「ほんとに描いたの? 写真を加工したとかじゃなくて?」
「よく言われるー。でもね、いくらネットで調べてみたって、元になった写真なんて出てこないんだよー。だってないからね、そんなの!」
えっへん、とたわわな胸を張る。悔しくないもん。私だってなくはないもん。四捨五入すればCだもん。
考えてみれば、道路と砂浜がこんなに近いことはない。と思う、たぶん。斜めに角度がついてるのは遠近法ってやつかな。後で湖夏くんに聞こう。
いくつか見せてくれたのは、どれもこれも写真みたいだった。自然だったり高い塔だったり、題材は様々だ。
「元から上手かったですけど、さらに腕を上げましたね。さすが江南です」
「あふふー、ありがとー! わーい、しゅーくんに褒められちゃったー」
湖夏くんが他の子を褒めている。めらめらと心の奥に燃える、そうか、これが嫉妬か。
背丈はともかく、中身はとても同年代とは思えない、幼稚園児みたいなしゃぎっぷり。この子がこの緻密な絵を描いたなんて未だに信じられないし、認めたくない。
「その、しゅーくんってのは?」
「しゅーくんって、しどうこなつ、でしょ? だからしゅーくん!」
「湖夏くん、解説頼むわ」
「ごめんなさい、僕にもわかりません。気付いた時にはそう呼ばれていたので」
湖夏くんにわからないことがこの世に存在するなんて。よくそれで付き合えたな。
「家では何してるの?」
「絵を描いてるよ?」
「それはそうでしょうけど、他には?」
「他? 他かあー。ご飯食べたりー、お風呂入ったりー、歯を磨いたりしてるかなー」
「いや、そうじゃなくて」
「あ、もしかして画材の話? 絵ってデジタルだけじゃないもんね! 最近はねー、シャーペンとかミリペンが楽しくてついつい時間を忘れちゃう! そっちに慣れすぎるとパッドの筆圧で線の太さを変えるのが難しくなるから注意してるんだけどねー」
ぽわぽわしてたと思ったら、急に勢いよく喋り始めた。これはあれかな、急に早口になるオタクってやつかな。
「えっと、絵を描く以外の趣味はないの?」
「なんで絵を描く以外の事しなきゃいけないの?」
「いや、しなきゃいけない、ってわけじゃないけど。ほら、絵の資料に、いろんな場所の景色を見に行ったりとか」
「そんなことしないよー? その時間でもっと描いたほうがいっぱい描けるもん」
「なんていうか、現地の風を感じるみたいな――」
「あふふー、変なのー。風を描く絵の具はあるけど、風は目に見えないんだよー?」
なんで笑われてるんだ私は。おかしな事を言ったつもりはないんだけど。私の感覚と、なんだか大幅にズレている気がする。
ああ、そういえば、つい最近もこんなことがあったばかりだ。
軽い挨拶のつもりが強く拒絶された、純白の手袋をした女の子。小泉帆楼という女性は、隠しきれないコンプレックスを抱えながらも、自分を無理に矯正せず、あるがままの姿で地に足をつけていた。
「ねえ、今ここで一枚描いてもらってもいい?」
「うん、わかった! ちょっと待っててね」
ボールペンのようなものを取り出し、薄い機械の板をぺしぺし叩く。その様子を眺めつつ、机の下でスマホのメモ帳アプリを起動した。
湖夏くんの太ももをつんつんつつくと、思っていたより硬くてドキッとした。急に男の子っぽさを意識させるのはやめなさい。
気を取り直して、メモ帳の画面で、湖夏くんも同じことをするように指示した。湖夏くんはスマホのメモ帳アプリを開き、私の太ももをつんつんした。そこまで再現しなくてもいいのに。ぷにゅぷにゅ感に女の子を感じたりするのかな。
気を取り直して、フリックで会話を始める。予測変換にアスペルガーと表示されたけど無視して手打ちで入力した。
『あの子も、アスなんとかいうやつなわけ?』
湖夏くんも私に倣い、スマホを横にしてキーボード式の入力を始めた。スマホガン見であの子に気づかれるかと思ったけど、絵を書くのに夢中みたいだ。
『さあ、どうなんでしょう?』
『どうって、湖夏くんあの子の元カレなんでしょ? あの子、明らかに』
私が文章を打ち終える前に、湖夏くんは入力を始めた。
『変わってますよね』
湖夏くんは手を止めない。私は黙って見守ることにした。
『僕は医者ではありません。江南の性格が、障害かそうでないか、先天的か後天的か、判断する術を持ちません。でも、病名や診断名がなくたって、江南が他の人と違うことはわかります。逆に病名や診断名があっても、その性質が全て当てはまるとは限りませんし、程度にも個人差があります。カテゴリーは大まかな傾向と対策を立てるには便利ですが、最後には個人を見なければ意味がありません』
対面に座る女の子を見た。
鼻歌混じりにさらさらとペンを動かす姿は、やっぱり、幼い子供が画用紙にクレヨンで気ままに書き殴る姿と重なる。
『出る杭は打たれます。学校は模範的な優等生という目指すべき姿が存在します。その際に、自分との差異が大きすぎて苦しい思いをする人が存在します。存在する、という事実は、少しずつ世間に広まりつつありますが、いわゆる常識になるのはまだ先でしょう』
ふと、さっきの絵を思い出した。写真のように綺麗な風景画。けれど覚えている限り、どの絵にも人の姿はなかった。他の絵はどうなんだろう。あの子が人間を描くことはあるんだろうか。
『僕らのような人間には、現実はとても厳しいところです。だから、運が良かったんです。僕は江南にとって、この世界が難しいと知っていました。江南も、同じく』
湖夏くんの予測変換にその子の名前が出たことが、なんだか、とても、苦しかった。
『自分を理解してくれている人がいる。隣にいるだけで、僕らには充分でした。言葉を交わす必要もないくらい』
湖夏くんの指が止まった。湖夏くんはこちらを見て、なにも言わずに微笑んだ。
どんな顔をすればいいのか、どんな言葉を返せばいいのか、わからなくて、いつもの笑顔で返した。
「うっれしいなー。うっれしいなー。しゅーくんと会えてうっれしっいなー」
とても無邪気に、楽しそうに笑うその子は、心の底から嬉しそうで。その子が笑うたびに、複雑な感情が濁流のように押し寄せる。
「ねえねえ、かぐやちゃんは毎日会ってるの?」
「え、ええ。そりゃまあ、同じ学校だし」
「いいなーいいなー。あ、そうだ!」
その子はぱちん、と片手でペンを持ったまま手拍子を鳴らした。
「ねえしゅーくん、またあたしの彼女にならない?」
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