現在を想い描く
「っざけんな!!」
それだけは言っちゃダメだ。超えてはならない一線だ。そんなに軽々と踏み越えていいものじゃない。
限界だ。
「湖夏くんは私のだ! 今更誰かに渡すもんか!!」
湧き上がる恐怖を払いのけようとして――恐怖? なんで私が怖がらなくちゃいけないんだ。
怖いのか、私は。湖夏くんを失うことが。当たり前だ。怖いに決まってる。私の大切な人。横取りなんて許さない。どっちが早いとか、そんなの関係ない。
「江南」
――急に我に返って、隣に座る湖夏くんを見た。
湖夏くんは、震えていた。
「江南は……思ったことを、すぐ口に出す癖がある…………けど……それでも、言っていいことと、悪いことが、ある……だろ……?」
湖夏くんは優しい人だ。
優しくて、賢くて、誰も傷つけようとしない。弱い人の味方で、一方的に善意を押し付けもしないし、根拠のない不確かなことも言わない。
「なんで湖夏くんが泣いてんのよ」
「ごめんなさい……ごめん、なさい」
世界中みんなが幸せになればいいと、湖夏くんは本気でそう思ってる。大切な人ならなおさら。
湖夏くんにとっては、私もあの子も、大切なんだ。
嬉しかった。湖夏くんが、私のために怒ってくれて。
「あふふー。あふふふふー」
「なに笑ってんだ」
私が守らなきゃ。
私もあの子も傷つけたくないと、板挟みでもがく湖夏くんを助けられるのは、私だけだ。
「そっかそっかー。二人はちゃーんと愛し合ってるんだねー。仲睦まじくてよろしおすなー」
「あんた、なに言って」
「ごめんねー、試すような真似して。いいねいいね、二人とも、お互いが掛け替えのない存在なんだねー」
「試す……って……」
その笑みは、今までの笑顔と違った。
例えるなら、恋愛映画のエピローグを眺めているような顔。自分の幸せを表すのではなく、人の幸せをお裾分けされているときの笑顔。
「だってかぐやちゃん、あたしと全然違うんだもん。騙されてるのかな、脅されてるのかなって、とっても心配になっちゃったの。しゅーくん昔から優しかったもんね。安心したよー。二人は真実の愛で結ばれた関係なんだね!」
どうやら、さっきのは本気じゃなかったらしい。だからといって簡単に許せるものじゃない。冗談でも言っていいことと悪いことがある。
つーか失礼でしょ、そんなにガラ悪く見える? 金髪だからって全員不良なわけじゃない。そりゃ頭の出来は人よりちょっとだけ悪いかもしれないけど――
「だからね、しゅーくん。こんな風に笑ってほしいな?」
その子がくるりとこちらへ向けた画面には、私と湖夏くんが写っていた。
ピースしながら歯を見せて笑う私と、私に肩を寄せて控えめに微笑む湖夏くん。どこかで盗撮でもしてたんじゃないかと思うくらいの精度だ。
「……人、描けるのね」
「あ、気づいてた? あたしは描きたいものならなんでも描くけど、今までなかなか描きたい人がいなかったんだよねー」
さっきまで、二度と笑えないくらいキツくお灸を据えてやろうと思ってたのに、なんだか怒る気が失せてしまった。もっと優先することもあるし。
「ほら、いつまでメソメソしてるつもり?」
「ごめんなさい……安心したら、つい……」
「めちゃくちゃ言葉選んでたもんね。こっちが苦しくなるくらい」
隣に座る湖夏くんの背に手を回して、こっちに抱き寄せた。
「もっとキツく言ってくれても良かったのよ? 大切にするのは彼女の私一人でいいんだから」
「あー、かぐやちゃん意地悪だー。しゅーくんは自分の幸せより世界平和を願うタイプだって知ってるくせにー」
「そうね。そういうところ、好きよ。湖夏くん」
紙ナプキンで涙を拭いてあげる。男子はいいなあ、お化粧直ししなくていいもんね。
「ありがとうございます、万華鏡さん。僕も好きです」
「わかってるわよ。やっといつもの調子が戻ってきたわね」
少し赤くなった目。それでも、やっぱり画面の中より現実のほうがいい顔だ。
「この絵、よく描けてるわね」
「でしょでしょ? もっと褒めてくれていいんだよー?」
「やっぱり素材がいいと違うわね」
「あふふー、かぐやちゃんは素直じゃないなー」
画面の顔と現実の顔を見比べる。湖夏くんの顔は、一言で言えば童顔。クールにキメるより笑ってる方がよっぽど似合う。
「こうして、あらためて見ると……湖夏くんも結構可愛い顔してるわよね」
「ねー! 下手な女の子より可愛いよね!」
「そ、そう……ですか?」
ふと思いつきで画面の下半分を手で隠してみた。画面を横にして描いた絵は胸から上しかないけど、男子の制服を隠すと、湖夏くんも女子に見えないこともない。
「女装とか似合うんじゃない?」
「あ、それいい! 次は女の子のお洋服で描いてみようかな!」
「え、ええええっ!?」
なるほどその手があったか。私服を貸すのはさすがに恥ずかしすぎるな、って前から考えてたのよね。
「よーし、頑張っちゃうぞー! しゅーくん、描けたら送るね!」
「い、いや、いいです!」
「あら、湖夏くんいらないの? じゃあ私だけ貰っとくわ」
「はーい。かぐやちゃん、連絡先交換しよー」
「そうじゃなくって! 江南、描かなくていいですから!」
さっきまであんなに敵視してたのに、いつのまにかすっかり意気投合していた。
同じ人を好きになった者同士、仲良くできそうだ。
それから、たくさん話をした。
昔の湖夏くんのこと。小学校では毎朝決まって6時55分に登校してたとか、ミステリー小説をよく読んでたとか、テストはいつも上位だったとか。
どうにか他の子達の輪に入ろうと頑張ってみたけど、やっぱりダメだったこととか。
将棋を初めて、でもすぐに同年代の子じゃ刃が立たなくなって、先生とやるようになったこととか。それを隣でじーっと見てたのが、湖夏くんと小日向さんの出会いだとか。
小日向さんが湖夏くんにはじめてかけた言葉は『綺麗だね』で、なんのことだかさっぱりわからなかったとか。駒の動かし方がなんとなく芸術的だと思ったとか。
私より彼に詳しい彼女が、やっぱり羨ましかったりとか。
「……あ、もうこんな時間! 早く帰らないとパパに怒られちゃう! 一人で遅くまで出歩くなーって!」
「そう? 私達も帰ろうか」
「ですね。また会いましょう」
「うん! しゅーくん、かぐやちゃん、ばいばーい!」
いつの間にか、かぐやちゃんという呼び方が定着していた。やはどっから出てきたのか、聞きそびれたな。聞いてもわからなさそうだけど。
「僕たちも行きましょうか」
「そうね。楽しかったわ」
なんだかどっと疲れた。妙に肩が凝っている。思ったより緊張してたみたいだ。
「あの子、いい子ね」
「はい。そうですね」
「なんで別れたの?」
ほとんど無意識のうちに、口をついて出た言葉。
後悔したときにはもう遅かった。
「言わなくていい。今のナシ。忘れて」
「僕が悪いんです。江南が芸術系の高校に進むと言った時、僕もついていくと言いました。怖かったんです。一人になるのが」
「いいってば」
「それじゃ駄目だ。頭の良さが取り柄なんだから、ちゃんと自分の強みに合う進路を選ばなきゃ、と江南に諭されました。そういうつもりなら別れよう、ここできっぱり終わりにしよう、と」
「だからいいって!」
聞きたいのはそんな綺麗な思い出話じゃない。
……なら、なんだ?
「ごめん」
「……いえ」
ぬるいコーヒーを一気に飲み下した。
嫌な気持ちはここに置いていこう。今日は楽しい日だった。湖夏くんと映画を見て、湖夏くんの昔の知り合いと会って、湖夏くんの絵をもらう約束をして、湖夏くんの昔の話を聞いた。それでいいじゃないか。
「帰ろっか。あー、楽しかった!」
あの絵のように笑った。そのつもりだった。
けど、湖夏くんは席を立とうとしなかった。
「湖夏……くん?」
「とても自分勝手なのは、わかっています。けれど、このままなのは嫌なんです。傷つけてしまったことはわかっても、何がきっかけだったのか、どうすればまた笑って貰えるのかが、わからないままなのは」
言葉の裏を読むのが苦手だ。そう言ってたのに、見透かしたような事を言う。そんなにひどい顔をしてたんだろうか。
「察しが悪くてごめんなさい。言葉にしてもらえると、嬉しいです」
言葉にするには、思い出さなきゃいけない。
考えないようにしてたことが、見て見ぬふりをしていた感情が、私の頭の中を駆け巡る。
「わかんない。わかんないよ、私にだって。今まで、考えたことなかったもん。湖夏くんに元カノがいるとか、私以外に仲のいい女の子がいるとか……別れる、とか」
「万華鏡さん……」
「湖夏くんは一途だから大丈夫だろうって、湖夏くんには私しかいないんだからって、今まで気づかなかったけど、心のどこかで思ってたんだ、きっと。自惚れてたのかな」
「ごめんなさい。江南のこと、事前に伝え――」
「呼び捨て。あの子ばっかり、ずるい。湖夏くんは私の彼氏なのに。私だけのものなのに」
私と湖夏くんは、そこの価値観が真逆だ。
私はみんなを笑顔にできる。だから好きだと湖夏くんは言ってくれた。私が他の男子と喋ってもなにも言わないし、気にしない。気づかなかったんだ。湖夏くんに興味のある女子が今までいなかったから。
湖夏くんはみんなに優しくて、自分の幸せばかり考えている私が、嫌になる。
「ありがとう、万華鏡」
私の手に湖夏くんが手を重ね、指を絡めてきた。私もそれに応えた。
「なんで……ありがとう、なのよ」
「いつも不安でした。僕以外にもいい人は沢山いますから、いつ別れを切り出されても仕方ないと思っていました。万華鏡がそこまで想ってくれているなんて、考えもしなかったんです」
言われてみれば、考えもしなかった。私の中で、湖夏くんがここまで大きな存在になっているなんて。
湖夏くんが恋人繋ぎの手をぎゅっと握りしめる。暖かいけど、ちょっとだけ恥ずかしい。
「少しは自分に自信が持てそうです。だから、ありがとう。万華鏡」
私と付き合い始めてから、湖夏くんはよく笑うようになった。
私の影響かな。だとしたら、嬉しい。
「自分ばっかり納得してないで、少しは慰めなさいよね」
「え! あ、ごめんなさい、これでも慰めているつもりだったんですが」
「ううん。少しは楽になったかな。こちらこそありがとうね、こ……」
私も彼と同じように、呼び捨てにしようとした、のだけれど。
「こ、こな、つ…………くん」
うまく舌が回らなくて、目を逸らした。
「どうしました、万華鏡? もしかしてまたなにか失礼なことを――」
「そういうんじゃない! そういうんじゃないけどっ!! なんで……そんなに抵抗なく呼べるのよ……」
「え? ええと、好きだからじゃないですか?」
「なによ! これでもまだ好きが足りないって言うの!? それにその理論だと、湖夏くんは今でもあの子のことが好きってことになっちゃうじゃない!」
「ええまあ、好きですけど」
「だーかーらー! そういうとこよ、湖夏くん!! 私の彼女なら、もっと私に夢中になりなさい!」
「は、はい? もちろん、今も夢中です」
「だったら証明してみせなさいよ!」
「しょ、証明……ですか?」
湖夏くんは少し考えたあと、空いている手を私のうなじに添えて、唇と唇を優しく重ね合わせた。
頭が真っ白になった。
傷ついたところを包み込むように、決して壊さないように、そんな心遣いが甘い刺激となって響く。いつもより積極的な湖夏くんに、されるがままになっていた。
「外でこういうことするの、本当は恥ずかしいですけど、でも、万華鏡とならできます。これで、証明になりませんか?」
「うー……」
湖夏くんがなんで簡単に呼び捨てにできるかわかった。恥ずかしいとか周りにどう見られてるかとか、そんなのは湖夏くんには小さなことなんだ。私が喜ぶかどうか、それ以外は全く度外視なんだ。
「照れてるところも可愛いです。愛してます、万華鏡」
「……うん。私も」
見られるのが恥ずかしくて、彼の胸板に顔を埋めた。思っていたより固くて、頼もしかった。
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