機械のように精密で

正しいこと 間違っていること

「だっしゃあああ!! やああっと終わったあああ!!!」


 長く苦しい戦いを乗り越えて、ついに私は成し遂げた。カレンダーの一角を陣取る魔物を打ち倒したのだ。


「神楽坂、お前の終わったはフィニッシュか? それともジ・エンドか?」

「うるさいわね! 返ってくるまでわからないでしょ! 私だって勘が全部当たりさえすれば優等生なんだから!」

「勘って、解けてねーじゃねーか」


 わははは、と声が満ちる。解放感と心地よい疲れ。数分前までの地獄が嘘みたいだ。


 ふと、振り向いてみる。

 私の彼氏はてきぱきと机を片付けていた。

 誰より早く帰る支度を済ませるのは毎度お馴染み。いつもと違うのは、そわそわしながら私を待っていること。


「よっしゃ! 湖夏くん、デート行こ!」


 英語の問題用紙を鞄に押し込んで、さっきからひとりで緊張しっぱなしの彼の隣に立つ。


「万華鏡さんっ、その、あんまり大声でデートとか言われると……」

「いいじゃーん。つーか、もっと堂々としていいんだよ? みんなのマドンナは俺が頂いたぜ! って自慢していいんだよ?」

「いや、もう、視線が……無理……」


 湖夏くんはアルマジロみたいに小さく背中を丸める。


「よし、合格!」

「は、はい……?」

「自慢するために彼女を作るような男、私の中では論外だからさ」


 わざとみんなにも聞こえるように、そして今まで私が振ったたくさんの男たちへの皮肉も込めて。

 湖夏くんはこうでなくちゃ。私の目に狂いがないことを再確認した。


「どした? もしかして今日忙しい?」

「いっ、いえ! 僕は、全然……」

「なんかあるなら言いなよー。水臭いなぁ。私と湖夏くんの仲でしょ?」

「で、ですから、言葉の選択を……! 万華鏡さんは可愛いんですから、そういった言動は控えてください」

「お、おうとも。可愛いのは知ってるけどぉ」


 気を抜いてるとすぐ不意打ちが飛んでくるから油断ならない。

 手を取ると、一瞬びくっと驚いて引っ込むけれど、その後しっかり握り返してくる。

 テストよりよっぽど緊張している湖夏くん。いい加減可哀想になってきたし、そろそろ帰りますか。




「でさー、うちのオトンが勝手に私のシャンプー使ってんの! マジあり得なくない!? ボトル一本いくらするのかも知らないくせにさ」

「えと……万華鏡さん、こだわってるんですね。やっぱり」

「ん、まーね。美しさの秘訣は地道な努力よ。一番嫌なのはさ、オトンから私と同じような匂いすんの! それもなんか、微妙にちぐはぐっつーか、加齢臭と混ざって絶妙にミスマッチなのよね」

「万華鏡さんのシャンプー……」

「おーどうしたどうした」

「いやっ! なんでも、ないです……」

「隠すことないってー。湖夏くんもオトコだねえ」


 照れ屋な彼氏を堪能していると、その彼氏が急に何かを思い出した様子でスマホを取り出した。さっと時間を確認して、ささっとポケットに戻す。


「次のバスが20分後で、バス停には10分あれば着きます。映画館でバスを降りてから上映まで15分ほど余裕があるので、バスが多少遅れても間に合わないことはないはずです」

「さっすが、頼りになるぅー」


 テストの少し前、全然勉強やる気がでなくて湖夏くんに連絡したら、湖夏くんの提案で映画を見に行くことになった。ご褒美があれば少しは頑張れるだろうってことらしい。実際は早くテスト終わらないかなーっていう気持ちが強まっただけだったけど、これは彼には内緒だ。黙ってれば次回もあるかもしれないし。


「あ、万華鏡さん!」

「ん、どした?」

「赤信号ですよ」


 繋いだ手をぐいっと引っ張られて立ち止まる。確かに信号は赤だ。赤だけど。


「車、全然通ってないよ?」

「でも、ルールはルールですから」

「まあいいけど。真面目だねえ」


 信号が青に変わる。

 右見て、左見て、もう一度右。

 湖夏くんはできた子供みたいにお行儀よく安全を確認する。


「真面目、と言いますか」


 歩行者も車もいない横断歩道を渡りながら、湖夏くんはなんとなく口に出たことにまで真面目に応えてくれる。


「自分の中で、正しいことと間違っていること、やっていいことといけないことの線引きがはっきりしていて、それに反すると……負荷と言いますか、ストレスがかかるんですよね」


 真面目だなあ、と思う。過激なTV番組はいかに法律ギリギリを攻めるかで勝負してるし、インターネットじゃ誹謗中傷だの自演だの無断転載だの、イケナイことがたくさん見つかる。私の知ってる限りでもこんなに目につくんだから、頭のいい湖夏くんはどれくらいそういうモノを見てきたことか。


「湖夏くん、優しいのね」

「え? いや、そういうことじゃ……」

「私、好きよ。湖夏くんのそういうとこ」


 いつものお返し。

 無自覚に乙女心をくすぐるイケナイ子は、照れて赤くなってるのがお似合いだ。



「あーっ!!」

 

 ふと、看板に目が留まった。


「ど、どうしたんですか?」

「湖夏くん! ホワイトストロベリースターフルーツパッションソーダ、今季限定だって!!」


 SNSで話題沸騰中の人気カフェ、ハート・オン・アイス。冷凍の技術の進歩がどうとかで、四季折々のフルーツをいつでも新鮮なままジュースにできるらしい。腐る心配がないから珍しいフルーツや生だと長持ちしないフルーツも気兼ねなく仕入れられるってテレビで言ってた。他にも今までにない組み合わせが楽しめたりとか、とにかく年頃の女子のハートと財布を鷲掴みにするお店。現役JKとしてはゼッタイに抑えておかなきゃいけないのだ。


「で、でもバスが……」

「このカフェ、いっつも行列でなかなか入れないの! 今日めっちゃ空いてるよ! あ、そっか平日だからか! 湖夏くん湖夏くん、これを逃す手はないって!!」

「そうなると、映画は……」

「映画はいつでも観られるじゃん! ほら行こ!」


 ぶっちゃけ、行き先はどこでも良かったんだ。映画は一応私が選んだけど、なんか話題っぽいから流行りに乗っかろうと思ってただけだし。湖夏くんもなんでもいいって言ってたからいいよね。

 あくまで二人でお出かけできるってのがポイントだもん。


 それを先に言っておけばよかったのに、と、私は三十分後に後悔することになる。

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