楠木のプライド

「どうして、ここに」

「ああ……ウチの呪符、パクったでしょ。<縁結びの呪符>の、片割れ……引き合うから――」

「そういうことじゃない!」


 思わず声を荒げてしまう。無謀な行動の理由がわからなくてもどかしい。

 離れた場所ではアヤカシの怒号と共に破壊の音が響いた。隠れた俺達を誘き出そうと暴風でコンテナを弾き飛ばしている。

 だが楠木はぼんやりしていて、俺の声にも反応は薄い。


「なんで逃げなかったんだよ!」


 叱るように声を叩きつけると、楠木は口の端を吊り上げた。

 小馬鹿にするとき浮かべていたような、挑発的な形だった。


「半妖なんかに、貸し……作りたく、ない」

「貸し?」

「……カード」


 一瞬にして理由を悟った。胸の奥がざわつき名状しがたい感情が膨れあがる。


「そんなことで……! 死ぬかもしれないのに!?」

「……はは」


 俺の動揺を楠木は一笑した。濁った瞳で、右腕の切断面をちらりと確認する。


「ばーか……手遅れ、ですよ」

「――っ」


 その言葉は神経を逆なでした。腹の底で怒りが煮えたぎる。

 誰に対してでもない、俺自身に向けた怒りが膨れあがっていく。


「だから……負けっぱなし、嫌、だから」


 彼女の笑みから棘が抜け落ちる。残った左手を緩慢に動かし、指先で切断面に触れた。痛みはもう感じていないのか、楠木は顔色一つ変えず指先に血を付着させると、俺の目の前に掲げる。


「あんたは、ウチのおかげ、で、生き延びる……一生、悔やめ」


 震える指先を、俺はただ凝視するしかなかった。

 彼女の苛烈な意志に打ちのめされ、自分自身への怒りで身動きが取れず、かけるべき言葉も見つけられないでいる。不甲斐なさを痛感し、握った拳が白くなる。

 と、楠木の指先が少しだけ近づいた。彼女は何も言わないが、その目はじっと俺を見据えて離さない。

 拒否は許さないと、示していた。


「……ありがとう、楠木」


 そして、ごめん。

 言葉を噛み潰しながら、俺は彼女の手を握り、その尖端を口に含む。

 背後で甲高い音が響いた。すぐ後ろのコンテナが突風で跳ね飛び、俺達めがけて転がってくる。

 けれど俺は、熱を帯びた身体が軋んですぐに反応できなかった。体表から噴出する煙が瞬く間に全身を包む。喉の奥から咆哮がせり上がってくる。

 それらの衝動を奥歯を噛みしめて堪え、俺は楠木を抱きかかえた。


 爆発音に似た轟音が響く。楠木が背を預けていたコンテナは他のコンテナが衝突して、紙くずのようにひしゃげた。

 衝突の寸前で跳躍していた俺は、煙を纏ったまま近場に着地する。更に跳んでアヤカシから距離を稼ぐ。まだ無事な一帯の雨風に当たらない物陰を見つけて、楠木をそっと横たえた。

 楠木は虚ろな目で俺を見つめると、満足したように微笑む。

 俺は鼻から深く息を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。あらゆる匂いがいつもよりも鮮明に感じられた。発達した聴覚がアヤカシの位置と、そして弱まっている楠木の鼓動を捉える。

「行ってくるよ」楠木に声をかけてから、俺はアヤカシの元へと進む。


「おのれ……手負いの獣を侮るべきではなかったか」


 コンテナはおろか砂利も吹き飛んだ爆心地のような地点に、濡れ羽色の翼を持つアヤカシが立っていた。貼り付けられた呪符は剥がれ落ちているが、ダメージを負ったせいか身体から湯気が登っている。

 そして人の頭部も消え去っていた。代わりに真っ黒な体毛を帯びたカラスの頭部が胴体の上に収まっている。

 俺の気配に気づいた鴉のアヤカシが振り返る。赤と黒の目玉が驚きを示し、次に渋面とわかるほど目つきを険しくさせた。


「これがアヤカシ喰いの狙いとは。敵の敵に頼ってまで足掻くなど下品極まりない」

「違いますよ。楠木は、自分のプライドを貫いたんです」


 アヤカシは得に反応しない。楠木の覚悟なんでどうでもいいのだろう。

 俺は男の間合い一歩手前で止まる。雨水を吸って重くなった銀の尻尾を地面に垂らし、問う。


「あなたは鴉天狗のアヤカシですね」

「いかにも。葛城高天坊と申す。お主の名は聞いておる故、名乗りは不要」


 嘴を器用に動かして返答したアヤカシ――高天坊は、腕を組み俺を注視する。


「それが妖狐への変怪とな。確かに面白い。拙僧も長く生きているほうだが、お主のような存在は見たことも聞いたこともない」

「無駄話をするつもりはありません。俺の邪魔をしないでください。するなら、あなたを倒して行くしかない」


 高天坊が嘴の奥からくぐもった笑い声を漏らす。


「大きく出たな小童。妖力遮断の力、よほど自信があるとみえる。しかし種は割れているぞ?」


 瞬間、高天坊の姿が陽炎のように揺らめいて消える。周囲の空間に色彩を合わせて透明化していた。

 風の揺らぎを頭部の獣耳が捉える。だがその方向へ振り向いた瞬間、ザクリと胸部が引き裂かれた。

 動きをせき止められた直後、腕、足、背中、頬とあらゆる箇所に裂傷を刻まれる。

 俺は舌打ちしてすぐに疾走った。動きが予測されないよう小刻みに方向転換していく。


「お主の力は触れねば発動しない。つまり知覚の外からの攻撃にめっぽう弱い。拙僧の妖術とは相性が悪かろう」


 しかし、鋭利な殺気の穂先は俺にピタリとくっついて離れない。

 喉を裂かれる。足の腱を裂かれる。耳が千切れ飛ぶ。不可視の攻撃が俺の身体を削っていく。

 再生力が上がっているおかげで欠けた部分はすぐに修復できるが、ほとんど防戦一方だった。


 俺は辛抱強く逃げ続ける。身体に充満する衝動を溜めて、叩きつけられる機会を探っていく。

 そして見つけた。

 俺は動き回った末に、横倒しになったコンテナを背にして立ち止まる。これなら背後からの攻撃という選択肢が消えて、攻撃の方向が予測しやすくなる。


「浅知恵だな」


 声が真正面から聞こえた。俺は鈎爪を正面に向けて振り放つ。が、手応えはない。

 肩に激痛が走った。高天坊の放った手刀が俺の右肩に深々と突き刺さっていた。真正面の声はブラフで、上空から俺を攻撃していた。

 即座にもう一方の腕を頭上へと振り放つ。鈎爪の尖端が何かに触れるが軽い感触だ。気配も遠ざかった。おそらく致命傷どころか痛手も負わせていない。


「肉を立って骨を断つという諺の真似事でもしたかったのか、半妖? だが寸瞬ほど遅いな。それは致命的な差よ。あるいはその戦法で持久戦にもつれ込んでみるか」

「そんなまどろっこしいことはしません」


 俺はコンテナから離れ、周囲に障害物のない場所で立ち止まる。どこからか困惑の気配が伝わったが、やはり正確な位置はわからない。

 俺は全身の神経を集中させて聴覚、そして嗅覚と視覚の機能を最大限に高める。

 雨が埋める空間の中で、何かが雨粒を弾いた。

 腕を振り上げてソレを掴む。


「なに……!?」


 左隣で動揺の声が上がった。俺は振り向き、透明な物体を握りしめていることを確かめる。

 透明な高天坊は別の腕を振り放つが、そちらも掴んで止めた。位置とタイミングがわかれば捕らえるのは容易い。

 そして高天坊と俺の膂力では、俺の方が勝っている。逃がしはしない。


「くっ、このための布石か……!」


 高天坊はすぐに気づいていた。左腕に付けられた微かな傷こそが、位置を悟られた原因だと。

 傷跡からは血が滲んでいる。俺の妖力遮断の力が効いてその部分だけ透明化が解除されていた。後は血の色と匂い、そして雨粒を弾いて動く物体を察知すれば、俺にだって動きは読める。


「あなたが憎いわけじゃない。俺は、俺の欲望のために動いてる。だからこそ」


 手に力を込める。ミシリ、と骨が軋み高天坊が苦悶の声を上げる。


アヤカシあなた達の欲望は、邪魔です」


 △▼△


 鴉のアヤカシ――高天坊の匂いを辿った棗は、郊外型のトランクルームへと降り立つ。

 雨の降る敷地に踏みいった瞬間、棗は瞠目した。

 貸しコンテナはほとんど倒壊するかオブジェのように重なり合っている。砂利も吹き飛び地面が剥き出しになっていた。

 その荒れ果てた敷地に立つ者は一人しかいなかった。


 銀色の髪と尻尾を持つ妖狐が、棗に背中を向けるような形で立っている。彼の足下には旧知の仲である高天坊が倒れていた。

 濡羽色の翼は二つとも剥がされて地面に落ちている。お得意の透明化も解除された高天坊は、地に伏せたまま動かない。一瞬死んでいるかと疑ったが、微かな喘鳴は棗の耳に届いていた。だが、戦闘は不可能だろう。

 銀髪の妖狐の獣耳がピクリと動いた。男はゆっくりと振り返り、敷地の入り口に佇む棗を見つめる。


「……棗さん」


 まるで捨てられた子犬のような、悲しそうな呼び声だった。

 棗は、咆哮を上げて彼に襲いかかった。

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