アヤカシ喰い依子さんはハッピーエンドを願う
マンションの建設現場は凄惨な有様だった。幌は千切れ飛び、補強の鉄パイプは崩れ、何より鉄の骨組みの大部分が切断されるか破壊されてほぼ原型を留めていなかった。地面には数十人という人間が昏倒し、重なり合っている。
その場で息をしている人間は、最上階部分にいる少女だけだ。彼女は辛うじて保っている資材置き場の床にしゃがみ込み、膝を抱えていた。
「たーくんのぶぁか……なにが、今度は途中で止めないから、よ。長いわ。どれだけ待たせるのよ。結局せっくすできなかったしさ」
アヤカシ喰いの少女、御影依子は重苦しいため息を吐く。
「ほんと、救いようのない男……私の言うこと、素直に信じちゃって」
依子は唇の端を吊り上げる。
彼は依子を救い出すために、彼女の元を去った。しかしそれは彼女の本意ではない。あのまま太一の考え通りに事が運べば、問答無用で連れ去られる危険があった。それはなんとしても避けたかった。
逃亡したところで二人共に殺されるだろう。助かる見込みは万が一にもない。蜘蛛の糸のような細い可能性に全てを託すわけにはいかない。
彼には、狛村太一にだけは生き延びて欲しかったから。
依子の予想通り、救う手立てが見つからなかったときは自害すると、太一は言ってのけた。彼の気持ちは死ぬほど嬉しかったが、自分の後を追わせて死なせたくない。だから依子は、自分という荷物がいなければ生存の確率も飛躍的に上がると判断して、彼を欺いた。
もちろん生態侵食を止める方法を見つけろというのは口先だけだ。彼一人になった分、難易度も上がっている。再会は、絶望的な確率だろう。
「はぁ……ほんと、バカ……私の馬鹿……」
依子はうなだれる。彼を助けようとした自分が、己を犠牲にした自分が、未だに信じられないでいた。何をやっているのだろうと辟易した。
あの男は非常食だったはず。恋人関係を体験するための道具だったはず。
いなくなっても困らない男だったはず。なのに――。
彼を、食べられなくなった。愛しくなった。守りたくなった。
ついさっきは、殺すことで彼の尊厳を保ち自分の思い出にしまおうとしたけれど、それもできなかった。
ただ、生きて欲しかった。
「バカ、たーくんのバカ……なんで、私をこんな風にしたのよ……」
短い寿命の間の、ほんの些細な出来心だったのに。
幸せを感じたかっただけなのに。
気づけば胸の中は切なさで満ちていた。寂しさで満ちていた。
笑みを保てなくなり、口元が歪む。頬を涙が流れていく。
「会いたいよ……会いたいよぉ、たーくん……」
感情が溢れて止められない。彼が欲しくてたまらない。彼のそばにいて、抱きしめてほしい。
胸が締め付けられて苦しかった。
でも不思議と、その辛さを受け入れている自分がいた。
もうとっくに気づいている。これが、幸せなんだということに。
ひとしきり涙を流した後、依子は袖で涙を拭う。そして立ち上がった。
太一を逃がすためについた嘘の中に、一つだけ真実がある。
それは、ハッピーエンドが好きということ。紛れもない依子の本音だった。
彼が本当に救う手段を見つけられるか、救い出しに来れるかは未知数だ。
それでも。太一はきっと命がけで約束を守ろうとするだろう。血反吐を吐き誰かに傷つけられ己の手を血で染めても、真っ直ぐに依子の元へ走ってくるだろう。
だから依子は、生きようと思った。
どんなことがあっても、生きていようと誓った。
王子様が助けに来ても、救い出されるべき姫がいないのではハッピーエンドにならないから。
依子は一息ついて振り返る。そこには黒いジャケットに身を包み、狐面で顔を隠した男が二人立っていた。地上でも数人の狐面が事後処理を始めている。
「四番隊五十六番。此度の戦闘行為並びに反逆容疑について査問会を開く。全ての機能を制限し拘束させてもらう。処遇については、鈴鹿御前様より御沙汰が下される」
依子は動揺一つせずに頷き、男たちの元へと歩き始める。それは彼女にとって、願ってもない言葉でもあった。
滅怪士を生み束ねる怪異終局抑止組織「陰陽寮」の首領――鈴鹿御前。
直に会えるなら、幾つか聞きたいことがあった。
なぜ、緊急事態でもないのに秘匿回線を使って呼びかけたのか?
なぜ、吸血鬼が現れてもここまで増援が遅れたのか?
なぜ、狛村太一の生みの親を捕捉していなかったのか?
陰陽寮の情報網からすれば考えられない対応の数々だ。特に太一の人間の方の親については、まともな社会基盤を持つ成人であれば、アヤカシとの逢瀬で必ず異質な兆候が現れるはず。
だというのに正院のデータベースを隅々探しても、アヤカシと接触していた男を見つけることができない。最初は単なる見落としかと気に留めていなかったが、太一の能力を知って依子は考えを改めた。
妖力の遮断などという妖術を備えたアヤカシは、今まで一匹たりとも確認されていない。もちろん数少ない半妖の中にもいなかった。
偶然でなければ、彼の能力は作為的に作られたものとしか思えない。
アヤカシの仕業か、あるいは人間の手が加わった成果なのか。後者なら、アヤカシに協力する人間達が存在している。
果たして組織は、その存在を本当に認知していなかったのか?
不穏な流れに巻き込まれている感触があった。
自分と太一の関係に、誰かの思惑が混ざっている気配がする。
しかし、だとすれば。
無意味に殺されることはないという直感があった。
彼を待ち続けられる予感があった。
――私も、死なないよ。もう一度、あなたに会うまで。絶対に生きるからね、たーくん。
彼女にもまた呪いは刻まれた。
それが再び二人を邂逅させると信じて、アヤカシ喰いの少女は進む。
―第一部 完―
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