にくにくしいにく

上村アンダーソン

第1話

 久々の休日に家でのんびりと本を読んでいると、横に座っていた彼女が俺に問いかけてきた。


「今日の夕ご飯、何が食べたい?」


 ありふれた質問だ。だがしかし、このシンプルな問いは非常に返答が難しいのだ。定番の何でもいいというのは問題外だ。多くの人が何でもいいと答え、何でもいいが一番困ると返された経験があるのではないだろうか。もちろん俺にもある。何千、何万回もおかんと上記のやり取りを繰り返してきた。どうせここでも同じ結果に帰結するはずだ。ゆえに、何でもいいという返答は却下だ。では、食べたい料理を素直に答えればいいのではないか。これも否だ。これは食べたい料理を答えると、大抵は面倒くさいと却下される。しかし、料理次第では提案が採用される場合もあるので賭けてみるのも一つの手かもしれない。だが今は違う。なぜ違うかと言えば、俺はこの問いに対するパーフェクトな対処法を熟知していたからだ。


「うーん、そうだなぁ。君は何が食べたい?」


 完璧な返しだった。俺が取ったのは質問に質問で返すという超高等テクだ。これは一見悩んだ体を装ってから質問を返すのが重要な点だ。いきなり質問で返すと何も考えていないと思われてしまう。実際は何も考えていないけど。だが、ちゃんと考えましたよーという悩んだフリを挟むことにより考えていないのを隠蔽することができる。この返しをすれば大抵の場合は解決するのだ。ただ相手が吉良吉影の時はやめておいた方がいい。


「私は肉肉しい料理が食べたいなぁ。」

「えっ。憎々しい?」


 聞き間違いだろうか。今、憎々しいと言ったのか。憎々しい料理ってなんだ。ピーマンとか人参とかの子供に憎まれている野菜のことだろうか。いやそれだと料理ではなく野菜だ。だいたいピーマンや人参は苦くもないし不味くもない。特にピーマンは苦いという印象が勝手にすり込まれているのだ。あれはおそらく生まれてくる新たな生命たちにピーマンは苦いという誤認識を吹き込んでいる悪い組織がいるのだと俺は考えている。いや今はそんなことより憎々しい料理についてだった。


「憎々しい料理って例えばどんなやつ?」

「そうだなぁ。肉肉しいって言ったらやっぱりハンバーグは代表じゃない?」


 ハンバーグが憎々しいだと?この女正気か。ヤクでもやってんじゃないのか。ハンバーグと言ったら老若男女問わず世界共通で好かれている料理じゃないのか。それを憎々しいとは何事か。血迷ったか女。許してはおけぬ。と言いたいところだが、怒りの声を上げるのは時期尚早だ。まずは相手の話を伺うことが先決だ。


「ハンバーグのどの辺が憎々しいの?」

「どの辺?うーん、やっぱりあの口いっぱいに広がる肉の食感とか、あとあの溢れ出る肉汁もいいよね」


 こいつ何を言ってやがる。憎の食感とはどんなものなんだ。まるで想像がつかない。それと、憎充ってなんだ。リア充の仲間か。何かを憎むことによって充実感を味わう集まりなのか。ただの悪いやつじゃないか。こいつは俺がいない時、一体どんなものを食ってるんだ。だめだ、未知の領域すぎておいしそうなイメージがまったく湧いてこない。情報が不足しているのだ。もっと重要なファクターを引き出さねば。


「ほ、他には?他に食べたい憎々しい料理は?」

「他に?他ならローストビーフとか?あっ、焼肉やステーキなんかもいいよね」


 全部肉じゃねーか!なんでそんなに肉料理ばかりなんだ。なぜ肉を憎むんだ。肉がお前に何をしたってんだ。肉に一体に何の恨みが…。ん?肉を憎む?肉を…。憎々しい。肉肉しい。あっ…。ふーん。

 いやしってたけどね。分かってたけどね。そんなアホな間違いはしてないけどね。始めから肉肉しいだって理解してたし。マジで。おもしろいかなと思ってわざと間違えてあげたんだから。勘違いしないでよね。


「どうしたの?顔すごく赤いけど。」

「いやなんでもないけど?気のせいじゃない?あれかな、暖房が効き過ぎてるのかな?」

「今5月だけど。暖房なんて一切つけてないけど。ほんとに大丈夫?」

「大丈夫大丈夫。マジ大丈夫だから。大丈夫卍だから。大丈夫すぎて大丈夫死しそうなくらい大丈夫だから。卍ハッピーだからまじで。」

「ならいいけど。私はてっきり肉肉しいと憎々しいを勘違いしていることにようやく気がついて忸怩たる思いに駆られていたのかと思ったよ」



 俺の真横に座っていた彼女は口元をニヤリと釣り上げて、艶然と微笑んでそう告げた。俺はその瞳から愉悦の色が濃く浮かび上がっているのが一目で理解できた。

 この女、最初から知ってやがったっ…!始めから俺が恥ずかしい勘違いをしていることを知っていて、その上で諌めることをせずにずっとほくそ笑んでいたのだ。なんという狡猾な女。なんという性悪な女。許せん。憤懣やる方ない思いとはこのことだ。だが何よりも、こんなくだらない勘違いに気がつかなかった俺自身がまったくもって憎々しい。肉だけに。

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にくにくしいにく 上村アンダーソン @Sananomisoni

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