第72話勘弁してくれ

「おい、いるのか?」


頭上の扉の向こう側から男の低い声が聞こえる。


「ここだよ!早く開けて!」


バスティアンはその相手に向かって声を張り上げて応えた。

ガタガタと音が鳴る。おそらく、何人かで崩れた荷物を退かしてくれているのだろう。


「今開けるぞ。待ってろ」


しばらくして、さきほどとは違った男の声が聞こえた。がちゃりと金属音が聞こえた後、ゆっくりと扉が上がった。暗闇の中にいたため光に少々目が眩んでしまい、右手で軽く目元を覆った。


「レイ、大丈夫?」


覆った右手の向こうにリーゼロッテの声が聞こえる。私は右手をどけ、扉の向こうを確認するため目をこらす。そこには見知らぬ男3人と心配そうにしているリーゼロッテがいた。


「おい、大丈夫か?」


男たちは私たちを交互に見比べている。


「すっごく疲れたよ」


先にバスティアンがやれやれといった感じで階段を上がった。

私もそれに続いた。


「………つかれた」


なんで早くこれに気づかなかったんだ。この鏡に。

この鏡はアルフォードの伝達のノアが宿っている。つまり、閉じ込められてもすぐリーゼロッテと連絡できたということだ。それなのに、今の今までこの鏡の存在をすっかり忘れていた。数十分もそれに気づかないなんてなんて間抜けだったんだろう。


「おっちょこちょいだね、怜」

(オマエだって忘れていただろうが、フタコブサギ)


階段を上がりながら、二つのコブがぷっくり乗っかってるうさぎを睨み付ける。

相変わらず、漫画みたいなこぶだ。


「あそこ寒くなかった?」


「寒かったに決まってるだろ」


私の顔を心配そうに窺うリーゼロッテに対し、突っぱねるように言った。


「で?」


「え?」


「『え?』じゃないよ。いたんだろ?どこにいるの?」


自分でもぶっきらぼうな口調だってわかってる。

でも、しょうがないだろ。こっちは舌打ちしたいのを我慢しているのだから。


「え、ええ」


リーゼロッテはおずおずと視線を向こう側に移した。

私もその視線を辿るように振り返る。そこには大柄な男に抱きかかえられ、その胸でぐっすりと眠っているウィルの姿があった。その寝顔は相変わらず、天使にように無垢だ。しかし、今はその無垢な寝姿が私にとっては忌々しくもあった。


「いい顔だね、本当。こっちは1時間近く探していたって言うのに、本当にいい寝顔だよ。どんなに必死で探していたのか知らないんだよね、このクソガ………じゃないこの子どもは」


爆発しそうな怒りを押さえ、顔をヒクつかせながらウィルを睨みつける。もし、この子が幼児じゃなく私と同じくらい歳だったら張っ倒していたかもしれない。


「レイ、そんな怒らないであげて」


リーゼロッテは私をどうにか宥めようと前に出た。


「こっちは必死こいて探してたっていうのに。しかも迷子の理由があの猫を追いかけてたっていうんだから余計にむかつくわ」


私はビシッと指を指した。

指を指した方向にはウィルを抱えている男の足元にいる猫がいた。斑模様が特徴の短毛の猫だ。


「劇団の人たちが可愛がってる猫なんだって」


「さっき、聞いたわ。やっぱりあのとき聞いた鳴き声は気のせいじゃなかったんだ」


その猫は毛色は違うが、舞台に出ていた猫と体格とそっくりだった。おそらく、この猫を投影したんだろう。猫は男の足元にちょこんとしばらく座り込んでいたが、すくっと立ち上がり部屋から出て行った。


地下室に閉じ込められていた時、鏡のことを思い出しすぐにリーゼロッテに連絡を取った。鏡に向かって話しかけたらすぐに応答してくれた。私は現状を説明し、助けを求めた。リーゼロッテも現在の状況を説明してくれた。すぐそばにウィルがいることやどこにいるかなどを教えてくれた。

なんでも、連絡を取ったときリーゼロッテは控え室にいたらしい。


リーゼロッテはウィルを探している最中、役者たちが影で控え室に見知らぬ子どもが入り込んだということを耳に挟み、すぐウィルのことを役者たちに話した。ウィルの外見の特徴を細かく教えたら、その迷い込んだ子どもの特徴にすぐに合致し、控え室まで案内してくれたと言う。


ウィルは控え室のカーテンの裏で窓にもたれながら眠っていた。そのすぐ傍には猫がいたらしい。ウィルのことだから、猫を見かけておもわず後を追ってしまったんだろう。後を追った先が控え室だったということか。そして、猫と戯れているうちにだんだん眠くなってきて場所も弁えず寝入ってしまったんだろう。役者の人たちとウィルのことについて話し込んでいたとき私から連絡を受け、ここまで役者の人たちを引き連れてきたということだ。


「アルフォードの奴、本当に言い聞かせてんの?こんなしょっちゅう黙っていなくなることが多いなんてありえないわ。あんたはムカつかないの?子どもだからってなんでも許していいって思ってる?」


育て方って言うよりも言い聞かせ方が悪いとしか思えない。


「もちろん、怒ってる。こんなにたくさん、心配させてって。もし、ウィルくんが起きてたら叱っていたかもしれない。でも私、それよりもやっぱりほっとしたの。無事でよかったって」


リーゼロッテは両手をぎゅっと組み、目を細めた。本当にほっとしてるといった顔だ。


「私はほっとしたっていうか、むかつくわ」


こんなにたくさんの人間(特に私)に迷惑かけた当人がぐっすり眠っているんだから。


「まぁまぁ、お姉ちゃん。この子に悪気はないと思うし。とりあえず、話は弟くんを家につれて帰ってからにしたらどうだい?」


ウィルを抱きかかえていた男が私たちに近寄ってきた。ウィルは相変わらずぐっすり眠っている。

悪気がある迷子って性質たち悪すぎだろ。


「弟くんって私はこの子の姉じゃないんだけど」


「おや、そうなのかい?」


そうなのかいって似てないだろ。

顔も目もなにもかも。


「なんか君のほうかお姉ちゃんっぽかったから」


どこが?こんなに苛立ち交じりに話しているのに。


「憎たらしい寝顔」


私だって寝たいのに、むかつく。

この子が居なくならなかったら、今頃は家のベッドの中でまったりしていたのに。


私はすっとウィルに向かって手を伸ばした。


「レ、レイ?」


何をするの?と言いたげな表情を向け、狼狽えている。

私は眠り込んでいるウィルの白い頬をきゅっと摘んだ。


「ん」


軽く摘んだだけだが、頬に違和感を感じているのか顔を少し顰めている。


「これくらいはいいだろ」


本当は今すぐにでも起こして怒りたい。でも、そうしないのは良く眠っているウィルを起こすことに対して憚られるような思いになってしまっていたからだ。


私も結局甘いんだな。これからは肝に銘じよう。

幼児を甘やかすとロクなことにならないと。


「もうここには用はないんだし、帰るよ」


「ええ」


リーゼロッテは頷き、ウィルが起きないようにゆっくり男から受け取った。ピクリと一瞬動いたが結局起きずリーゼロッテに抱えながら眠っている。


「あの、皆さん!」


リーゼロッテは当たりを一瞥し、声を張った。一斉に視線がリーゼロッテのほうに集まる。

役者の一人と話していたバスティアンも顔を向ける。


「迷惑をおかけして本当に申し訳ございませんでした。皆さんは明日も大事な公演があるのに」


リーゼロッテはぺこりと頭を下げた。


「まぁ、見つかった良かったじゃないか」

「今度からは目を離さないように」

「帰りは気をつけて」


劇団の人たちは怜悧な視線は一切向けず、むしろ気遣うような言葉を並べてくれている。


「はい、ありがとうございます!」


厳しい言葉を浴びせられることを覚悟していたらしくリーゼロッテの目に涙がこみ上げていた。


「僕は謝ってほしいよ」


暖かな雰囲気を壊すような刺々しい言葉が聞こえた。


「おい、バスティアン。別にこれくらいの時間を割いたくらいじゃ明日にそれほど影響は出ないだろ」


隣にいた男がバスティアンを諌めるような口調で言った。


「そっちじゃない。あんたにだよ?」


「は?私?」


バスティアンは目を吊り上げさせながら私を見た。


「元はと言えば、あんたが壁殴ったからあそこに閉じ込められたんだよ。それに連絡手段のノアが宿っているという鏡だってあるのを忘れていたし。普通だったらもう少し申し訳なさそうにするもんじゃない?」


「好きで壁殴ったんじゃないわ。私のせいだって言ってるけど元を辿ればオマエが私を泥棒呼ばわりして腕掴むからいけないんだろ?」


「なっ?またオマエって言った?そのオマエっていうのやめてって言ったよね。あの状況だったら不審者だって思うのが普通だよ」


「ああ?勝手に勘違いしといて、人を不審者呼ばわりか」


「バスティアン」

「レイ」


バスティアンの隣りにいた男がバスティアン肩に手を置き、リーゼロッテは肘で私を小突いた。


「「起きるよ」」


二人同時に声が揃う『起きる』とはウィルのことだ。知らないうちに声がだんだん大きくなってしまったんだろう。


私たちは気まずそうに視線を横に置いた。


「バスティアン、客にそうやって変に絡むのはやめろって言ってるだろ?この前だって揉めたばかりなのに」


「僕だけが悪いみたいな言い方しないでよ。あのときの客は本当に不審者だったじゃんか」


バスティアンはすっかり不貞腐れたようでぷいっと顔を背けた。


「もうレイったら」


「帰るよ」


リーゼロッテが何かを言い出す前に口を出した。


「そうだね」


リーゼロッテは役者の人たちに軽くお辞儀をし、扉を出ようとする。

私もそれに続いた。


「ちょっと」


バスティアンが私の腕を掴んだ。


「何?」


私は不快に感じながら振り返る。

最近、よく男に腕掴まれることが多いな。ここでは流行ってんのか?女の腕掴むのが。


「彼女に伝えて」


バスティアンは言いにくそうに口をもごもごしている。


「最初に会ったとき、その………八つ当たりしてごめんって。嫌な態度取ったから」


八つ当たりをしていたって自覚はあったのか。直接言うのは恥ずかしいのかばつが悪そうにしている。


「リーゼロッテ。彼、あんたに話があるんだって!」


「え?」


私は部屋を出ようとしたリーゼロッテに向かって大声で言い放った。


「なっ、ちょっと!」


「そういうことは本人に言え。私は伝言板係じゃないんだよ」


狼狽えているバスティアンを無視し、扉にいるリーゼロッテを見た。リーゼロッテはきょとんとしながらこちらに向かってきた。


「何ですか?」


「………」


変なプライドが邪魔しているのか素直になるのが苦手なのかなかなか謝罪の言葉が出ない。おそらく、あまり面と向かって人に謝罪したことがないんだろう。

めんどくさいキャラクターだ。


「私、先行く」


待ってるのもめんどくさいので、この場を去ろうとした。


「ちょっと待って」


再び、腕を掴まれた。

またかよ。


「何?私にはもう用はないでしょう?」


「名前は?」


「は?」


「僕はちゃんと名乗ったのに、あんたのフルネーム知らないってなんかずるい」


ずるい?

ずるいって何だよ?それにさっきからリーゼロッテが私の名前言ってると思うのに、聞いてなかったのか。聞いてなかったんだな。


「名乗る必要ある?もう会うことないのに」


そっちだってもう私なんかに会いたくないだろ。オマエが泣く羽目になった原因は私なんだから。


「じゃあ、店教えて」


「店?」


「地下倉庫で言ってたの忘れた?あんたカフェで働いてるって」


それは覚えてるんだ。


「なんで、そんなこと言わなきゃ―」


「私たちが働いている店名は『panda cafe』です。青いドアが目印です」


「ちょっ、何勝手に教えてんだ」


やりとりを見ていたリーゼロッテが見るに見かねてバスティアンに教えてしまった。


「近いうちに行くからそのときはあんたの名前、教えてよ」


バスティアンは私に対してなぜか挑むような視線を向けている。おいおい、まさか嫌われるための挑発的な物言いがこいつの変なプライドを刺激してしまったのか、次の劇は絶対に寝させないって。無理矢理にでも己が出ている舞台に足を運ばせるみたいなことを考えているのか。そのために私と会う口実を無理矢理にでも作ろうとしているのか。

勘弁してくれ。なんで創作物ってこうもいちいち面倒くさい思考なんだ。


「私、先行ってるから」


掴まれた腕を払い、扉に向かう。


あ~あ、せっかくもう会いたくないって思われるほど嫌われようと思っていたのに何やってるんだ、私。

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