第61話ていうか嫌いだろ?嫌うもんだろ普通
「帽子―」
『返して』と言おうと思ったが今の私の両手は塞がっている。
まったく、なんでこんなときに。
「とりあえず、座ってください」
エヴァンスはベンチに座るよう促す。エヴァンスが座っていたベンチは背もたれが着いている白い長ベンチだった。エヴァンスは私が隣に座れるように、腰を移動させた。
しかたがない。
私はエヴァンスとの間にパンの包みを置き、しぶしぶベンチに深く座った。
「また強い風が吹くかもしれませんから、レイさんが食べ終わるまで持っていますよ」
エヴァンスは私の持っているケバフを見ながら砂を払った帽子を膝の上に置く。
「散歩?」
「みたいなものですね」
「暇なんだね」
私はエヴァンスを一瞥した後、ゆっくりケバフを口元に運んだ。
私は心身疲弊している。変に悪態をつく気力も失せるほど。
今はとりあえずお腹を満たしたい。それにまた強い風が吹くかもしれないので断る理由もない。私は黙々とケバフを一口、また一口と口に運ぶ。お腹が満たされる感覚に満足感が込み上がる。
爽やかな風が流れている。さきほどのような突風は吹き乱れず葉擦れ音が耳に入る。それに噴水の水音も混ざり、心地よい。
「昨日は大丈夫でしたか?」
「あ?」
黙々と食べていると隣りに座っているエヴァンスから話しかけられた。
食ってるとき話しかけるなよ。私は口に入っているものをごくんと飲み込んだ後、口を開く。
「昨日って?」
「誰かに後を付けられたりは?」
「ああ」
エヴァンスが何を言いたいが理解ができた。私は一昨日、家への帰り道後ろから誰かに付けられていた。夜道だったためその誰かはわからなかったが、確実に私を狙っていたのは確かだった。
エヴァンスは後ろの人物を振り切るために手を引いてくれた。エヴァンスが手を引いてくれなかったら確実に追いつかれていただろう。一昨日のことだというのに忙しない毎日を過ごしているため1週間も前のことにように感じる。
「何もなかった」
淡々と答えた。昨日はそれどころではなく家の辺りをまったく意識していなかったため実際のところわからない。一応、奇妙な視線や気配は感じなかった。
「そうですか。よかった」
エヴァンスはふわりと笑った。その笑みに安堵の色が表れている。
「………」
「………」
変な間ができた。私はその変な間を妙に気にしてしまい、ポケットに入れた懐中時計を取り出し時間を確認しようとした。
(ってベンチの傍に時計台があるじゃないか)
時計台を見たら3時45分を指している。
何やってんだ私。変にそわそわしてしまった自分があほらしく思え、そのままポケットにしまおうとした。
「磨かれたんですか?」
エヴァンスは懐中時計に視線をやっている。懐中時計の表面は昨日磨いてもらったばかりなのでまだ光沢が残っている。エヴァンスがこの懐中時計を最初に見たときよりもそれは明らかだろう。
「昨日ちょっと動かなくなったから、時計屋に修理ついでに磨いてもらった」
「そうだったんですか」
そうえいば、大衆食堂ではやたらとこの懐中時計を気にしていた。
「こういうの好きなの?」
私はエヴァンスから見えるように手前で持ち竜頭部分を押し、中身を開いた。
「僕は時間を刻む音が好きなんです。心地よく感じるので」
「へぇ」
秒針の音は耳障りで嫌いだという人もいる。私も睡眠時に時々雑音のように感じることがある。
「それに、どこか懐かしく感じるので」
「懐かしい?」
「はい。僕が幼い頃、一番尊敬していた人がよく懐中時計を愛用していたので。レイさんのその時計を見たとき、昔その人が愛用していたものに似ていると感じました。ずいぶん昔のことなので記憶は少しおぼろげですが」
エヴァンスは懐かしむように目を細めた。この懐中時計は『レイ』の父が愛用していたもの。そしてエヴァンスは幼い頃尊敬していた人物が愛用していたものに似ていると言っている。
これは伏線か?偶然か?
いや、ここはゲームの世界なのでただの偶然なんてあるわけがない。私の意志関係なく偶然ではなく必然になる場合が多いはずだ。私は懐中時計の中身を見つめた。秒針がカチカチと規則正しく動き、回っている。
この時計は『レイ』にとっては父の形見でも『私』にとってはやっぱりただの懐中時計。これが『レイ』と『エヴァンス』に何かしらの結びつきがあったとしても私にはとっては特に意味はない。つまり、あるかどうかわからない辻褄合わせを考える義理はないということだ。私は膨れ始めた疑問を押さえつけるかのように黙って懐中時計をポケットにしまった。
「あんたやっぱり最初に会ったときから、なんか雰囲気変わった」
これは前々から思っていたことだ。大衆食堂での第一印象は髪の毛が顔を覆うようにしていたせいか陰気な印象だった。口調も弱弱しくどこかおどおどしており、少なくても相手の目を見ながら受け答えはしていなかった。でも今はおどおどとした弱弱しい印象は感じず、相手に聞き取りやすい口調で話している。
つまり、キャラがブレブレだということだ。
「そう、見えますか?」
「うん」
「そこまで意識はしてないつもりですが。でも髪を切ったのをきっかけに色んなものが吹っ切れたのは確かです」
そう言ってエヴァンスは頬をくすぐっていた横髪を左耳にかけた。
「吹っ切れた?」
「はい。レイさんはこの僕の髪と目をどう思いますか?」
いきなりだな。
エヴァンスは私のほうに顔を向ける。
相変らず、無駄に顔が良いな。
「白い髪と赤い目だなぁって思う。最初見たときはうさぎに似ていたからすっごいむかついた」
これが私の正直な感想だ。私はこの世界の人間ではないためアーロに対して偏った思考はしていない。『レイ』が元々アーロに対してどんな印象を受けていたのかわからないが『私』は不気味だとも気持ち悪いともましてや可哀想だとも思わなかった。ただ、『うさぎに似ている見た目でむかつくなこのやろう』とは思っていた。隣にいるうさぎが予想通りのショックを受けているのを横目で一瞥した後、エヴァンスのほうに視線を戻す。私の答えを聞いてエヴァンスは可笑しそうにそして、どこか嬉しさが交じった笑みを浮かべている。
「レイさんは正直な人ですね」
「それ、皮肉?」
「いいえ。変に繕われるよりも誠実だと思います」
「誠実?私が?」
初めて言われた。
「少なくても僕にとっては。幼い頃からこの見た目のせいで気を使われたり、贔屓にされたりしていたので。体のこともあるから余計に」
「身体?」
「小さい頃から病弱な体質だったので」
エヴァンスはさきほどとは違う面持ちで昔のことをぽつぽつと語りだした。
そう、語りだしたんだ。語りだしやがったんだ。
「周囲の人間からどう思われているかこれでも理解しているつもりです。アーロのことについて嫌というほど聞かされてきたので。でも僕なりに気にしないようにしていました。僕を気にかけてくれている人からも『気にしないほうがよい』と言われていたので。だからいつも思っていました。『僕は僕だ。この見た目は変えようがないからしかたがない』と」
「………」
「そう、思っていました。いえ、思い込んでいました」
「本心じゃなかった?」
思わず口を挟む。
「周囲からの『気にするな』はある意味ポジティブだけど悪い意味で捉えたら『我慢しろ』って言っているようなもんだからな。知らず知らずのうちにストレス溜まってたんじゃないの?」
例えると針で刺されているその針を抜かず、さらには別の針でずっと刺され続けている状態だ。本来ならその痛みを見て見ぬふりなどできるはずがない。しかし、周囲からの励ましの言葉は結局はその痛みを放っておく結果になってしまっている。
「はじめて指摘されました」
エヴァンスは苦笑した。
「別に悪いことじゃないだろ。『自分は悪いことしてないのになんで自分が我慢しなきゃいけないんだ』って思うのは当然の感情だろ」
私だったらそう思う。なんで自分の気持ちを自分がごまさなくてはいけないんだって素直に思う。
「そうですね。僕は気にすることはいけないことだと無意識に思い込んでいました。せっかく励ましてくれているのにそう思い込んではいけないと」
「ストレス溜まりそうな考え。どこかで少しずつ発散しておかないと爆発するんじゃない?」
「そうですね。日に日に肥大し続けている憤りをずっと見て見ぬふりをしていました」
日に日にということはおそらく偏見の視線はずっと続いていたということか。
「だからなのか、ずっとごまかし続けてきたから」
エヴァンスは砂埃をすでに払ったであろう私の帽子を何回も優しく撫でる。
「母が死んだとき、押さえつけていたものがあふれてしまんたんでしょう」
風がエヴァンスの髪をなびかせた。吹き乱れる風の音よりもエヴァンスの声がまっすぐ私の耳に届く。
「レイさんと初めて会った三日ほど前、母が死んだんです」
柔らかいエヴァンスの声が風に溶ける。
「周囲の同情、気遣い、上辺だけの言葉がすべて不快でした。自分でもどうしようもないくらい周りが信じられなくなり、本当に僕を心配してくれている人にさえ不信感を抱いてしまってしたんです」
親が死んでそれほど日が経ってない時期に私とエヴァンスは出会った。そして私はその日、エヴァンスに様々な乱暴な言葉を浴びせた。
「………あんた、本当は私のこと嫌いなんじゃないの?」
「レイさん?」
「ていうか嫌いだろ?嫌うもんだろ普通」
私はエヴァンスから離れるように身体を移動させた。
「いいえ、僕は感謝してるんです」
エヴァンスは私が離れた分の距離を縮めるように近づいてきた。
おい、近づくなよ。
その口調はとても穏やかで柔らかい。緊張で身を硬くした私を解きほぐそうとしているみたいだ。
「実は、僕はレイさんに会うまでうんざりしていたんです。周囲からの同情的な視線、取り繕った言葉、余所余所しい態度に。レイさんが僕の席に相席になったときも同じだと思いました。憐れまれるのはもうたくさんだと、八つ当たりをしていました」
同情は優しさとは違う。相手を必要以上に憐れむのは同等として見ず、下に見るということだ。常にそんな視線に晒されたら鬱憤がたまるのも分かる気がする。
「レイさんはあの日僕を怒鳴ってくれましたよね」
いや、八つ当たりだからあれは。
「怒鳴られてうれしかったの?」
「僕の髪ではなく僕の目を見ながら言葉を発してくれた人は久しぶりでした。それに僕は欲しかったんです。綺麗に塗りたてられた言葉よりも真っ直ぐな言葉が」
「あのときは別にあんたのために言ったんじゃ―」
「レイさんの言った言葉は的を射ていたんです。僕は甘えていたんです。僕はアーロと呼ばれ疎まれてはいますが不幸ではありません。病魔に冒されているわけでもなければ暴力を受けているわけでもない」
エヴァンス自嘲的に笑った。
「一番不幸なのはもう生を全うすることができない母なのに」
エヴァンスはゆっくりとそしてとても静かな声音で言葉を綴った。
「レイさんの言葉のおかげで吹っ切れることができました。髪を切ったことがきっかけになったのか視界も思考も開けました。僕は人を一面しか見てないことに気づいたんです」
「一面?」
「偽善の言葉を吐く人は決してすべて嘘で塗り固められてはいません。見方を少し変えればその一面以外の部分も垣間見ることができます」
エヴァンスの言うとおりだ。人は負の部分しか見てないと凝り固まった思考になることが多い。素行の悪い不良が人に親切にしたり礼儀作法ができないと思い込まれるのを同じ。でも、そんな風に見られがちの見た目にしている当人にもまったく問題がないわけではないと私は思う。
「なんだか、どっちもどっちって感じ」
「そうですね」
私が何を言いたいかをすぐに察しエヴァンスは肩を揺らす。そしてゆっくりと顔を向けてきた。エヴァンスの宝石のような紅い瞳に見つめられ、思わず息を呑む。
「だから本当に感謝しているんです。僕が髪を切るきっかけを、顔を上げるきっかけを作ってくれたあなたに」
エヴァンスはすっと腰を上げた。そして私に向き合うように正面に立ち、預けた帽子を私の頭にポンと乗せた。その繊細で優しい手つきに内心むずかゆくなった。
「僕、もう行かないと」
エヴァンスが振り向いた先には時計台があった。
「散歩といいましたが、本当はこの広場を視察するために足を運んだんです」
「視察?」
「また、会いましょう」
「あ……」
何かを言おうと思ったとき風が勢いよく吹き乱れ、声は風音で飛ばされてしまった。私は頬に張り付く髪を払わず、ただエヴァンスが広場から出て行くのを見つめていた。
「………普通、手渡しで渡すもんだろ」
小刻みに指先が震える。ふわりと乗せられた帽子の感触がこそばゆい。私はその感触を取り払おうと乗せられた帽子を取った。
「あれ、帽子脱ぐの?」
「なんとなく被りたくない、というかなんだその生暖かい目は」
うさぎは私を穏やかな視線と笑みを浮かべて見つめていた。
そう、ずっとじっと見つめていた。
「なんかむかつく」
苛立ちを吐き出した後、ベンチからすっと立ち上がった。
「帰る」
パンが入った紙袋を右腕で抱き抱え、左手で帽子を握り締めた。
帰りたい。なんとなくここに居たくない。
「夕食はハイジ………じゃないチーズを乗っけたパンを食べよう」
こうなったら意地でもあの夢の再現料理を食べてやる。それをお腹に入れた後すぐに寝てやる。
「いいねぇ。とろとろに溶けたチーズをパンの上に乗せて食べるなんて美味しそうだなぁ。どうせ食べさせてくれないだろうけど」
うさぎはわざとらしく項垂れて見せた。
「これでもさ。小指の爪垢くらいは悪いと思ってたんだよ。だからうさぎの分も用意してやってもいいかなって思っていた」
「え」
「でも、やめた。なんかむかつくからやめた」
「え、えぇ?ほんとう?」
「もう知らね」
私はそっぽを向き、小走りで広場を出た。ぐしゃぐしゃになるほどパンの包みを強く抱きしめながら歩いた。なぜかノアを使う気になれなかった。
私はその時、気づいていなかった。
空を覆っていた雲の隙間にいつのまにか光が一筋差していることを。
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