第60話ほらな、今日『も』厄日だ
今日も風が冷たい。空は灰色が混ざった曇り空が広がっている。
「ズボンにすればよかったかな」
膝上のスカートでは膝がやっぱり冷たくなる。スカート越しに何度も太ももを撫でた。
しかし空模様関係なく今日もここは賑わっている。
私は広場に来ていた。開放的な空間や心地よい噴水の水音のおかげで爽やかな気分になる。広場にはパフォーマーが大道芸を披露していており、観客の笑い声が広場の反対側にいる私のほうにも聞こえる。
「どうせだったらあれ食べたい」
私は右手のノアで紙袋を浮かばせながらケバフの屋台に向かうところだった。
この世界に来て一番の私のお気に入りの食べ物でもある。
「というかいい加減、鬱陶し……機嫌直せ」
「今鬱陶しいって言った?鬱陶しいっ言った?」
うさぎはいまだにねちっこい視線を私に向けている。
「こぶ引っ込んだんだからいいじゃんか」
「そういう問題じゃない」
うさぎはぷいっとそっぽを向いてしまった。私はそんなうさぎに気にせず目に付いたケバフ屋に足を運ばせる。ふと、ケバフ屋の前に一人の女性客が居るのが見えた。
「あれ?」
あの後ろ姿は見たことがある。長い髪を右肩のほうに流し、素朴な服装を着ている女性。
昨日の女性客だ。女性は店主からケバフを片手で受け取りゆっくりと振り返る。
「あら」
女性も私にすぐに気づいた。
「こんにちは」
「どうも」
女性は私に微笑みながら近寄ってきた。彼女が近寄ると香ばしい肉の香りがふわりと鼻先をくすぐる。
おいしそう。じゅるりと唾が出そうになる。
「今日はカフェは休みなんですか?」
「いえ、今日は私の出勤日ではないので」
「そうなんですか。私はお得意様の服の仕立てがひと段落したので少しここで気分転換しているところです。ちょうど小腹も空いたので」
たしかにこの広場は気分転換には最適な場所だ。賑やかではあるが騒々しいわけではない。それに視覚的に楽しめる吹き上がった噴水や目に良い緑や大道芸も行っている。
「昨日は本当にありがとうございました。あなたのおかげでもう待ち伏せされることも後をつけられることもなくなりました」
ぺこりと頭を下げられた。
昨日の今日だからまだ油断はできないと思うけど。
「あ、そうだ」
女性はスカートのポケットから3枚の長方形の白い紙を取り出した。
「これ、よかったらどうぞ」
「これは?」
「明後日に行う舞台公演のチケットです。今日お得意様から頂いたのですが、どうしてもこの日は仕事で行けないので」
女性は3枚のチケットを私に差し出した。
「たしか、あそこのカフェは明後日定休日でしたよね。もし良ければ受け取ってください」
よく定休日だって知っていたな。
「いや、いいですよ。別に」
なんかフラグくさい。面倒な予感がする。新たな出会いたくもない出会いみたいなものが。
「この舞台とても人気らしくて楽しめると思いますよ」
「いや、だからいらないって。どうせだったら他の人間に―」
「あ!」
「!?」
女性の視線の先にあるのは時計台。時間は3時30分だった。
「もうこんな時間なんて、ごめんなさい……もう仕事場に戻らないと。これ、どうぞ」
「うわ!」
女性はぐいっと強引にチケットを押し付け、ケバフを片手に小走りで広場を出て行った。
あんな大人しそうな女性が強引にチケットを押し付けるなんてやっぱりこれはなにかフラグか。何にしても、私はこういう舞台というものには何の関心も興味もない。以前、姉が某人気アニメ原作のミュージカルのチケットが偶然取れたとき、無理矢理連れられたことがあった。しかし、私は最後まで観劇することができなかった。ものの数分で爆睡してしまったのだ。調節された空調に薄暗い空間でじっと座っているだけの体勢は私にとって睡魔と戦いだった。原作に忠実すぎるストーリーも一度テレビで視聴したため眠気の一つの要因にもなった。役者の演技が上手い下手関係なく私は眠くなってしまうのだ。おそらく、舞台観劇は私には合わないのだろう。よほどのことがないかぎり最後まで観劇することができない。
私は3枚のチケットを見た。舞台ってどんな舞台だよ。期待はしていないがとりあえず舞台演目を確認する。一部始終を見ていた宙に浮いていたうさぎも気になるのか私の手元を覗く。
【演目名 ブーツをはいたネコ】
「行かね」
完全に童話のアレのパクリじゃんか。『長靴』と『ブーツ』を変えただけだろうが。わざわざ足を運ばなくてもどういうストーリーなのかすぐにわかる。この世界の童話は詳しく知らないが私にとってはすでに見知っている内容だろう。どちらにしても興味がない。
私は3枚のチケットをどうしようかを辺りを見回す。
「怜、もしかして今さっき人から貰ったものを捨てようなんて思ってないよね」
近くにゴミ箱なしか。
「いくらなんでも謝意としてくれたものをすぐ捨てるのは―」
「これはたった今私の私物になった。私物をどうしようが私の勝手」
それにしても相変わらずうざいうさぎだ。たった今そっぽを向いていたくせにこうした余計な口を挟む。口うるさく言われるくらいならそのままそっぽを向かれていたほうがましだ。
「売るにしてもなぁ」
この舞台はとても人気があると言っていた。それならお金に交換することができるかもしれない。しかし、この世界でチケットをお金に交換するやり方や場所がわからない。私の世界ならネットオークションというものがあるが、あいにくこの世界にはパソコンはない。
あの3人にやるか。明後日は店の定休日だ。私はチケットをジャケットのポケットにしまった。
ケバフ屋の前に立ち、パンが入った紙袋を空中に浮かばせながら財布を取り出す。
「ヨーグルトソースで」
「はいよ。お、さっそく来てくれたんだね」
「はい?」
「そんなにオレが作ったケバフに魅了されたのかい?」
男は軽口を言いながらニカッと笑いかけてきた。あれ?この笑いどこかで見たことがある。
「あ、昨日の」
昨日、リーゼロッテと軽く言い合いをしていたとき間に入ってくれた長身の男だ。昨日見たときはハチマキも服装も違っていたのでぜんぜん気づかなかった。
「おっと、そうだったな。ヨーグルトソースだったな」
手馴れた手つきで野菜とそぎ落とした肉を生地に挟み、丁寧に渡してくれた。
「あの、昨日はどうも」
この人のおかげで私は冷静になることができた。でもやっぱり照れくさかったので渡されたのと同時にお礼を言った。
「ああ、また来てくれよな」
男は口角を上げながら気さくに振舞った。この言葉はこの人がいつも客に言っている言葉だ。通常通りに接してくれたので無意識に緊張していた意識が緩くなった。
私は目礼し、その場を離れた。
「怜、お礼を言うときは相手の目をみながらはっきりと」
私はアツアツのケバフを耳元で囁くうさぎの顔に押し付けた。
「あっつい!何するんだ!」
「うるせ」
そういってケバフを口に運んだ。
「あっつ、けど美味い」
このケバフも通常通りに美味だ。私は近くに座れるベンチを探す。
辺りをきょろきょろ見回すとどこからか突風が吹いた。激しい葉擦れの音に身体が強張る。砂塵や落ち葉がでたらめな方向に舞い散った。地面に投げ捨てられていた空ビンが音を立ててコロコロを転がっているのが目に付いた。
「うわっ、帽子が!」
その突風は被っていた私の帽子も飛ばしていった。
「怜、あっち」
「ちょ、ちょっと」
私は帽子を小走りになりながら追った。帽子は止まる気配はせず、何回も地面に転がっていく。
ノアを使いたくても使うことができない。左手には熱々のケバフ、右手にはパンが何種類も入った紙袋を浮かばせていたため手が塞がっている状態だ。私は一度に一つ以上のものは動かせないので、帽子を足で追うしかできない。一度ノアを解いて腕で抱え、帽子に向かってノアを発動すれば済む話なのだが小走りしながらでは上手くできない。なにより、帽子を追いかけるのに精一杯なのでうまく頭が働かないでいる。
「待ってってば」
帽子に言っても無駄だとわかっていても言ってしまう。
なんでこう次から次へと厄介ごとが降りてくるんだ。
今日は厄日だ。いや、違うな。今日『も』厄日だ。
風の勢いが緩やかになり、もう少しで帽子に追いつけそうになる。
はやく、帽子を踏みつけて止めよう。飛ばされていく勢いが緩くなったとはいえ、まだ帽子は止まろうとしない。その時、ベンチに座っていた誰かの前まで飛ばされたとき手で受け止めてくれた。その人は帽子についた埃や土を丁寧に払ってくれている。助かった。
「その帽子、わた……し……の」
思わず言葉がたどたどしくなってしまった。なんと帽子を受け止めてくれたのはエヴァンスだった。
エヴァンスはゆっくりと顔をこちらに向ける。
「レイさん」
たどたどしく発した私とは違い、エヴァンスははっきりとした優しい口調で私の名を呼んだ。
ほらな、今日『も』厄日だ。
いつのまにか風は止んでいた。エヴァンスと出会った瞬間風が止むなんてまるでさきほどの風は意志をもって私とエヴァンスを巡り合わせようとしていたみたいに思えてしまう。
なんて忌々しい風だったんだ。
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