第42話マジか

「マジか」


私はこれからカフェに向かうため身支度を整えていた。持参するものは財布、アルフォードからもらった鏡、懐中時計だ。


「どうしたの?」


うさぎが顔を近づけながら聞いてきた。私は時間を確認するため懐中時計を手に取り竜頭を押したところだ。


「変だ」


長針が痙攣しているかのようにピクピクと動いているだけでそこからまったく動かない。

時計の針は11時30分で止まっている。着替える前に一度確認したときも11時30分だった。だから今は12時近くだと思っていたのに確認したら止まっていた。


「壊れたのか?」


無駄だと思いつつ懐中時計をを軽く振り、もう一度確認する。

やっぱり動かない。


「時計屋で調べてもらったほうがいいと思うよ」


この家には時計と言えるものはこれしかない。

うさぎの言う通りだ。それなら早いうちのほうがいいだろう。


「あそこに行く前に行ってみるか」


私はカフェに行く前に時計屋に向かうことした。



★☆★☆★☆★☆



「場所わかる?」


「たぶんこっち」


時計の修理なんてはじめていく場所だ。

しかし、私の足取りは迷わない。


この感覚は知っている。この世界に来てすぐの日、牧場に向かったときと同じ感覚だった。

前にうさぎが言っていた。“レイ・ミラーという人間が生きてきた日常習慣の癖は記憶がなくても身体に無意識に染み込んでいる”と


おそらくこの時計の修理によくその店に足を運んでいたんだろう。


私は歩きながら右手の指先でノアを使って懐中時計を浮かばせた。指先と懐中時計の隙間を保ちながら指先から落ちないようにバランスをとっている。


「ちゃんと前を見ていないとあぶないよ。というか何してるの?」


「練習」


私は目線を懐中時計に向けながら人ごみをうまく避けている。

ノアは練習や特訓次第でレベルアップできると聞いた。私の右手の念動力は一度に1つのものしか動かすことができない。その重さは基本5キロ前後のものだ。もし一度に重いものや数種類のものを動かすことができたらこれ上なく便利だ。レベルアップのために日常的にノアを使い、体に慣れさせておこう。


「怜、ちょっと見なよ。あれ」


「は?」


懐中時計から目を離し、うさぎか示した場所に目を移す。

そこには長蛇の列が続いていた。そのほとんどが女性だった。その連なりはどこまでも続いており、先頭がここからでは見えない。私は一端懐中時計を右手にのせ、この行列の先にある正体を確かめようと凝視しながら歩いた。


先頭がまだ見えない。


まだ見えない。


まだ見えない。



「怜、やっと先頭みたいだよ」


しばらく歩いてやっと先頭が見えた。女性たちは大きな玄関ポーチの前で今か今かと心待ちにしている。

その扉の先にはいったい何があるのだろか?


一見お店のようだが外観が大きすぎては把握できない。扉のすぐ横にこの店の看板らしきものがあったのでそれを確認した。


「バロン?」


バロンってどこかで聞いたような。


「ねぇ、バロンってシオンが働いている」

「え?……あ、そうだ」


攻略キャラクターの一人であるシオンの働き先であり、パンダカフェを取り込もうとしている店だ。時計修理に向かう途中思わぬものを発見した。

私は店全体を視界に入れるため数歩下がった。


「……これカフェ?カフェっていうよりもレストランじゃん」


周辺の建物よりも一際そびえ立って見える洋館。スクラッチタイル貼りのチューダー様の豪壮な造りだ。玄関ポーチが扁平アーチになっており、より目に付きやすくなっている。その玄関ポーチから女性客が長々と並んでいた。


「すごい」


その一言しかない。美術館と言ってもいいくらいの造りだが看板を見る限り料理店であることは間違いないだろう。そして同時に不思議にも思った。


「なんでこんな高級そうな店があんなしょぼい……じゃない素朴な店を欲しがるんだ?」


当然の疑問だと思う。かつて繁盛したであろう店を取り込んでも目に見えるほどのメリットがあるのだろうか。


「中が見えない」


玄関ポーチの奥行きが長いためここからではよく見えない。目を凝らしながら近寄ってみた。


「失礼」


店内を伺おうと近寄ったら男性が話しかけてきた。燕尾服をスマートに着こなした長身の男だ。


執事?セバスチャン?


「最後列はこちらではありません。よろしけれご案内いたします」


男性は右手を差し出した。どうやらこの店の従業員で、私のことを中に入りたがっている客だと思い話しかけてきたらしい。


「私違うから」


私はその場を早足で立ち去った。



「びっくりした」


「うん、僕も」


「女性が多い理由分かった気がする」


「うん、僕も」


懐中時計を握りしめながら呟いた。



☆★☆★☆★☆


「ここ?」


「たぶんここ」


バロンからしばらく歩き目的の場所にたどり着いた。


少し古ぼけている小さい店だ。懐中時計を握り締め店内に入った。店内は外観と同じ素朴でこじんまりとしている。そこにはたくさんの時計の部品のケースが置かれており、むき出しになっている時計が壁一面に掛けられていた。誰もいないためカウンターに進み呼び出し用のベルらしきものがあったのでそれを鳴らした。


「はい、いらっしゃいませ」


奥のほうから初老の男が出てきた。黒いニット帽を被り白いひげを蓄えている。


「あれ?君はレイちゃんじゃないか」


「え?」


男性は私に対して慣れしたんだ態度で接してきた。


「最近どうだい?寒くなってきたからねぇ。うちはもう暖炉に火をつけてるよ。もう歳だからというのもあるんだが――」  


雑談に入られてしまった。


『レイ』がこの店の常連だということはわかっていた。常連客にも色々ある。あくまで高頻度にその店を利用するだけで『客』としての垣根を越えない常連客。次に頻繁にその店に足しげく通うことによって顔見知り以上の関係になり他愛ない話までする常連客。どうやらこれは後者らしい。


久々だ、この感じ。この世界に来た初日を思い出す。伯母夫婦と接していたときと同じような感情だ。

とりあえず無難な態度でいこう。


「あの」


「あぁ、そうだったねぇ。今日はどうしたんだい?」


男は愛想の良い笑顔を向けてくる。私は握っていた懐中時計をカウンターの上に置いた。男はシワだらけの大きな手で取り上げ懐にしまっていた眼鏡を掛け竜頭を軽く押した。


「あぁ、止まってるね」


男は目をこらしながら呟いた。


「何年も使い込んでいるから精度が徐々に落ちかけているんだよ」


この懐中時計ってそんなに長い間使っていたのか。


「これもずいぶん年季が入っているからねぇ。覚えているかい?君が最初にここに来たときは5才だったんだよ?」


覚えていません。ていうか知りません。昔のことなんて話さないでください。


「10年近く経っても変わらず時を刻むことができるのは今でも娘である君がこうやって大切にしてあげているからだよ」


「はぁ」


どうやらこれは半年前になくなったレイの父親が元々使っていたものらしい。そうではないかと前々から思っていたが今、確信を持つことができた。


「そうだねぇ、修理には5時頃までかかるかねぇ。そのときに取りに来てくれるかい?」


男はカウンターにある置時計を見ながら言った。


「わかった」


軽くうなずいた。


「バイトが終わった後に取りくればいいんじゃない?」


うさぎが隣で言った。


男はなぜか私の顔をじっと見つめてくる。


「君、少し変わったかい?」


「えっ」


ぎくりとしてしまう。私はレイの体に入った別の人間だ。

違和感に気づかれたのだろうか。


「ちゃんと目を見て話せるようになったんだね」


「え?」


男は穏やかに微笑んだ。


「この時計はちゃんと修理しておくよ」


「はぁ」


私は軽く会釈をして店を出た。さきほどの言葉の意味はあまり深く追求することはしないでおこう。


「このままカフェに行けばちょうどかな」


さきほど置時計をみたら12時10分だった。私がバイトに入る時間は1時だ。ここからカフェまで歩いて15分くらいだろう。


「あそこどうなってるだろう。少しは減ってるかな」


私はふと口に出した。あそことはもちろんバロンのことだ。カフェへの通り道のため嫌でも通らなければいけない。


「どうだろう。あれからだいたい10分くらいしか経っていないと思うからあまり減ってないかも」


たしかにうさぎの言うとおりだろう。わざわざ確認しなくてもわかる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る