第30話バカかオマエは

「ねえ、ほかに何かある?」


「う~ん」


聞いてくるリーゼロッテに私は前髪をがしがしと掻く。


これで最後にするか。


「強いて言うなら皿」


「皿?」


「何の模様もない真っ白くて面白みのないがない。せっかくいい感じのカップがあるのになんかもったいなく感じる」


「面白みがなくて悪かったな」


一目見て分かった。


百円ショップで売っているような安いやつだ。別に白い皿が悪いわけではないがせめてこの店でこだわっているらしいアンティークなコーヒーカップに寄せるべきではないのか。


「別にあれが絶対駄目ってわけじゃないけど、せめてワンポイントの模様がある皿に買い換えるとかペイントするとか」


「ペイント」


アルフォードの呟きからなぜか苛立ちが交ざっているように聞こえた。


何?別に不愉快になるようなことを言ったつもりはないんだけど。


「それならアルのノアがある」


リーゼロッテは間髪入れずに答えた。


「ノア?」


「アルの右手のノアは物に模様や色を入れるノアなの。模様を入れるには目で見て記憶しなくてはいけないけど」


つまり“ペイント”か。私生活で役に立つのかわからない微妙なものだな。

でも、それがあるならいちいち買い替える必要もない。


「俺は……いやだ」


「は?」


私の聞き間違いか。今、アルフォードにいやだと言われたような気がする。

面倒と思いつつも、アドバイスというものをわざわざしてあげているこの私に。


「俺はノアを使いたくない」


「なんで?」


「俺はどうしても親父みたいにノアなしで店をやっていきたいんだ。生まれたときから当然のように持っていたものに頼りたくない」


なんだそれ。マジで言ってんのか。


「生まれたときからほとんどをノアで決められるなんて、いやだ」


アルフォードは苦虫を噛み潰したかのような表情で吐き捨てた。

おそらくノアを使いたくない理由は他にも何かあるのだろう。でもそんな事情は私には関係ないし、知りたいとも思わない。アルフォードはノアを使わないことを信念のように感じているらしいが私にはただ意固地になっているようにしか見えない。


信念と意固地はまったく違う。現実を見ない意地はただやっかいなだけだ。顔を背けられると現実からも背けているようにも見え苛立つ。


リーゼロッテはぎゅっと拳を握り真剣な眼差しでアルフォードに詰め寄った。


「アル、あなたの気持ちもわかる。でもおじさんはおじさん、アルはアルだよ。それに――」


「バカかオマエは」


私はリーゼロッテの言葉を遮り辛辣な口調でアルフォードを見据えた。こういう場合、本来なら幼なじみであるリーゼロッテの役目かもしれないが、私はどうしても喉底に引っかかっているものを吐き出したくてしかたなかった。


「オマエはこの店の看板だけを残したいの?」


「何が言いたいんだよ」


「この店ってノアを使わない店だから繁盛したのか?この店が繁盛したきっかけとか私は知らないけど、『ノアをまったく使わない店』だけでは客は物珍しさだけで来るだけだ。一時期は流行るかもしれないけどそれが過ぎれば客は遠のく」


わかりやすく言うと芸能人の一発屋みたいなものだ。客は好奇心という欲を満たすことができればすぐに散る。

しかし、例外もある。芸に飽きられても当人に魅力があれば、客は離れない。


「この店はオマエの親父が死ぬまで客は出入りしてたんだろ」


客が散らないようにするには腕を必要以上に磨かなければいけない。客はおそらくノアを使わない店だから来店したのではない。アルフォードの父親のケーキの腕前に惹かれて来店していたはずだ。


「オマエちゃんと自覚してんの?この店マジで潰れかかってんだろ?私みたいな一般人に頼るくらいに。今現在ここに来る客って父親の代からの常連がほとんどだって言ってたよな。つまりはオマエの腕じゃなくていわばお情けで来ているってことだよ」


「――っ!」


「本当にこの店残したいんだったらそのクソみたいなプライド捨てろ。利用するものはなんでも利用するべきだ。3つしかケーキ作れない半人前が何思い上がってんだよ。これからは父親の常連客に縋るんじゃなくてオマエの常連客を増やすべきだ」


アルフォードはこれ以上ないほど拳を握り締め、何も言わずじっと私を見据えた。そして私から視線を逸らし、悔しそうに唇を噛みしめながら己の中の何かを押さえつけているような表情を見せた。


「ふぅ」


アルフォードはゆっくりと顔を仰ぎ息を吐いた。そして何も言わずに厨房に戻ってしまった。


店内には重苦しい空気が漂っている。

客が来ないのは不幸中の幸いだ。足を踏み入れた途端何事だと思われてしまうほど空気が重い。


店主は不機嫌そうな顔でただ黙々と厨房で作業しており、従業員の二人の内の一人は私か店主のどちらに最初に話しかけようか視線を泳がせ、もう一人はただ気だるげに外を見ている。

第三者から見たらそんな印象だ。


「はぁ」


私は息を吐き出した後ドアに手をかけた。


「レイ、どこいくの?」


「私、休憩にはいりまーす。1時間経ったら戻りまーす」


「え?ちょっと」


私は必死で引きとめようとしているリーゼロッテを無視し外に出た。



「さむっ、ていうかこれ一枚じゃあたりまえか」


外に出た途端思わず竦んでしまう風が身体を通り抜けた。布一枚越しなため、より素肌が敏感になる。


「ていうか今何時だ」


どうせなら時間を確認してから出ればよかった。


「ちょうど12時だよ」


「うわっ」


うさぎが突然現れ耳元で話しかけた。


「いたの?」


「いたよ」


「ずっと?」


「ずっと横にいたよ。黙っていたけど気づかなかった?」


ぜんぜん気づかなかった.。話しかけられるまでずっと横にいたであろううさぎのことなどまったく気に留めていなかった。



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