#4

 大浴場から自分たちの寝泊りする部屋へ、旅館の浴衣を纏った三人が戻ってしばらくして。

 部屋の扉をノックする音が聞こえたので開けると、三人の宿泊の手続きを務めた仲居が夕食の配膳をしに部屋を訪れていた。招き入れると仲居は早速仕事に取りかかり始める。

 三人の目の前に手際よく並べられていく料理。山で採れた食材をふんだんに使った品々を見て、三人の口からは思わず感嘆の声が漏れた。

 配膳が整うと、三人は思い思いに箸を進め始めた。山林に自生する山菜の天ぷら。森の動物の肉を漬け込んで作ったという特製の肉味噌。獲れたて新鮮な川魚の素材の味を生かした塩焼きなどなど。普段はなかなか口にすることのない味が舌を刺激し、言葉では言い表せない幸福感が三人の体を満たしていく。箸の動きは終始とどまることを知らず、三人の胃袋へすべての料理が収まるまでにさほど時間は要さなかった。

 食事が終わり、少し誇らしげな表情の仲居が手早く夕食の後片付けをして去ってから、三人はしばし談笑。その途中で土産物の話が出ると、倉崎が食後の運動も兼ねて旅館内の売店で土産物を物色しようという提案を持ちかけてきた。残る二人も賛成の意を示し、三人は受付の隣の売店へと向かう。

 売店、とは言うが、旅館に内包されたその施設は店というよりは空間――もしくはスペース――と表現する方が妥当に感じられる。なぜなら床材の違いで敷地の線引きはなされているが、壁やガラスなどで区切りを設けてはいないからだ。勿論、店と規定するための正しい条件は別にあり、先の理由は個人の感覚で賛否両論分かれるものだろうが、旅館が販売サービスをおこなう場所のことを店と呼ぶのはやはり違うように思える。立夢は売店で家族や知人への土産物を選んでいる最中、そんな屁理屈じみた考えを大した意味もなく脳裏に浮かべていた。

「すみません。ちょっといいですか?」

 三人が棚に並んでいる売り物を一通り見終わった頃、一人の男性が三人の背後から声をかけてきた。三人は声を発した人物へ向き直る。

 細いフレームの眼鏡をかけた、真面目そうな印象を与える人物だった。歳は三十代前半辺りに見える。服装は三人と同じく、旅館の浴衣を着ていた。立夢はその人物に見覚えがあるような気がして記憶をたどり、すぐに入浴前にすれ違った三人の男性客の内の一人だということに思い至る。

「なんでしょう?」

 倉崎が三人を代表して応対を始める。浴場では男性を毛嫌いするような発言をしていたが、さすがの彼女もほぼ初対面の相手にいきなり塩対応をしたりはしなかった。

「実は連れを探しているんですが見つからなくて……目の細い男と体の大きな男の二人なんですが」

 男性の言葉を聞いて立夢はもう一度、この男性が三人で行動していた姿を見たときまで記憶を遡る。確かに、目の前の彼と共に行動していた二人は、彼の言う特徴と合致していた。少し目尻の吊り上がった細い目の男と、格闘家かと一瞬思ってしまうような筋肉質で大柄な男。ついでに、露天風呂で倉崎が言っていた男が細目の男のことであるということも、思い出しているうちに判明した。

「わたくしは見ていませんね……二人はどうかしら?」

「私も見てないです」

 倉崎と小春は男性の質問に対して首を振る。立夢も、入浴前にすれ違ったとき以外に件の男たちを目撃した記憶はなかったので「二人に同じく」と返答した。

「そうですか……部屋にも大浴場にもいないし……栗木くりき臼井うすいの奴、どこに行ったんだ……?」

 男性は三人の反応に肩を落とし、ぶつぶつと独り言を呟く。

「あの、良ければ探すお手伝いをしましょうか?」

 男の様子を見て不安になったのか、倉崎が捜索の手伝いを申し出るが、それを聞いて男性は手を振る。

「いえ、どうせそのうち部屋に戻ってくるでしょう。あ、でももし見かけたら、蜂峰はちみねという男が探していたとだけ伝えてもらってもよろしいですか?」

「わかりましたわ」

 倉崎が承諾の意思を伝えると、蜂峰と名乗った男性は一言謝意を述べて、その場を去っていった。

 その後、三人は各々で土産物を選んで購入し、部屋へと帰る。それから再び、今回の旅行について色々と感想を言い合い、明日も早いということで日付が変わる前に照明を消して布団に入った。一日中動き回った疲労から、三人はすぐに眠りに就く。

 結局、売店で蜂峰と話してから寝るまでの間に、立夢たち三人が栗木と臼井という男の姿を見ることはついぞなかった。

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