第29話 丘を越えて その2

 アウローラが言うには、この砂漠には時々人が現れては、泣きながら彷徨さまよっているそうだ。その度に、家を壊され困っていることも。


 そして、今日初めて自分の言葉に耳を傾け、破壊に対する謝罪を聞いた、と大層喜んでいるらしい。


 百合子がびっくりするくらい、アウローラは高くジャンプした。分かりづらいが、アウローラは百合子の訪問を喜んでいるのだ。


「たまに見かける迷える子羊たちは、冥府への道を見失った人間たちに相違ない。死神の迎えから逃げようとしたかなんかじゃないか? アレでは列車はやってこんし、泣くしかなかろう」


――冥府。切符。列車。そして、砂漠。


「この近くに海はありませんか?」


 どうしてそんな質問をしたのか、自分でも分からない。


「あるよ。ここからはちょっとばかし離れてるけどね。行ったことあるのか?」


「いいえ……」


 本当は、「ある」と言い切りたい。でも、根拠となる記憶には鍵を掛けられた日記のように、ページを開くことができなかった。


「まあいい。ここにいるということは、お前さんは半分、屍人しびとに片足をつっこんでおるわけだ。その様子では――逃げた、わけではなさそうじゃな。死神とはぐれてしもうたか」


 屍人しびと

 確かに百合子は、そちら側にいるのは間違いない。


 ジーンの持つ媚薬フランマによって、肉体は再生してもらったが、人として新しい生を授かったわけではない。


 ただ、屍人しびとと呼ばれることには、少しばかり抵抗がある。生前では感じることがなかった、生きていると実感しているのは今だから。


「冥府への切符――叶うなら、その切符を買いたいのですが」


 アウローラは首を傾げて、百合子を見た。


 人の造作と違うせいか、ウルサ以上に表情が読みづらい。


 大きな耳をぷるぷると震わせた後、アウローラは百合子を嘲笑するように、小さな鼻を鳴らした。


「おかしなことを言う娘だ。切符は買うものではない。アレは死神しか持ち得ないもの。お前さんの切符は、迎えにきた死神が持っているだろうよ」


 多少がっかりはしたが、そもそも、今は、ジーンを探し出すことを優先すべきである。


 この砂丘の向こうだと、ウルサは話していた。しかし、もし、そうではなかった時、百合子は再びジーンを探しに行く自信はない。砂丘の先を見るのが、少し怖かった。


 アウローラからすれば、人の子の苦悩など知るよしもなく、知ったところで百合子の事情など関係ない。


 へたり込んでいる女の前で、突然ペロペロと前足や背中をせわしく舐め始めたことも、この件とは全く関係ない。

 

 毛づくろいに満足したのか、気分良さげなアウローラ。最後にペロと前足を舐めると、ふんふんと嬉しそうに鼻を鳴らして言った。


「早く会いに行けばいいのに。それがお前の願いなのだろう?」


 時として、真理はシンプルな答えの中にあるものだ。


 単純明快な解決策に、百合子の顔も上がる。


 砂の中で暮らしているという、この大きな耳のアウローラも、ウルサ同様に何か役割を持って、ここにいるのだろう。偶然は必然。百合子が玄関を壊してしまったのも、これを聞くための布石だったのかもしれない。

 

「そうですね。おっしゃるとおりです」


「急に元気を出しおったな。さっさと行ってくるがいい」


「はい、行ってまいります」

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