第23話 時空カフェ その1
重い足取りで校門へ向かってみると、影を落とす校庭の上には、燃えるような朱に染まる夕焼けが広がっていた。
「本当に……無駄に美しいわね」
百合子は目を細め、忌々しそうに呟いた。
そして、小さな溜息を一つ。
校門の向こう側を見据えながら、校庭の真ん中で立ち止まる。
これから会うことになる、得体の知れない面々を想像するだけで身震いがした。この空間から抜け出すには、スペースの指示に従い、あのカフェに行くしかない。
諦めの溜息と同時に、右足をゆっくりと前に踏み出した。小石や砂粒のせいで、足の裏に小さな痛みが走る。
百合子は情けない顔をして、心細い足元を見下ろした。
辺りを見回し、周囲に耳を立てるも、空恐ろしくなるほど静かで、人類の存在を確かめることは出来なかい。
裸足を気にする必要もなければ、他に行く当てもないときた。
とぼとぼと重い足取りで歩き始め、校門を出たところで、再び足が止まる。
「なんなの……一体」
眼前には、大草原が広がっていた。地平線まで、一本の木もなく家も何もない。ただ緑の草原が、無限にも思えるほど続いていた。
「い、意味が分からないわ」
唯一、存在する建造物こそが、スペースが言っていたお勧めのカフェである。大草原の中に、豆腐のように正方形の無機質な白壁の建物は、違和感しか感じない。
「看板も窓もない。あるのは扉だけ……何故、扉だけ高級そうなオークなのかしら」
その立派な扉の前まで進むと、百合子は大きく深呼吸した。
覚悟を決めて、ゆっくりとドアを押し開いた。
すぐに、穏やかな男の声が店内に響いた。
「いらっしゃい」
カウンターの中に立つ男が、にこやかに百合子を出迎えた。白いシャツに黒いネクタイをゆるく締め、艶のある黒いベストを着ている。
向けられた視線は、一つではなかった。
カウンター席には、並んで二人座っている。
一人は、保護者の同伴を必要とする年頃の少年だ。不機嫌な顔に愛くるしい瞳が目を引き、生意気そうな面構えをしている。カウンターの下で足をぷらぷらとさせて、ニコリともせずに百合子をじっと見ていた。
横に座っているのは、十代後半くらいだろうか。微かに口元を綻ばせ、百合子の爪先から頭までを舐めるように見ていた。金髪の巻き毛が美しく、ショートカットがよく似合っている。
日本語しか離せない百合子は、欧米人だらけの場所に放り込まれた気分だ。
戸惑う百合子に、カウンターの中から優男が声を掛けた。
「こちらへどうぞ。お待ちしていましたよ」
百合子は無言で会釈した。後ろ手で扉を静かに閉めてから、寄木細工の見事な床の上を一歩一歩、確かめるように歩いて、三人が待つカウンターに近づいた。
店内には、この三人しかおらず、彼らの背後にあるテーブル席にも誰もいない。
ただ、リズミカルに時を刻む趣あるクラシカルな振り子時計や、無駄な装飾のない落ち着いたカフェの雰囲気は、好ましく感じた。
「コーヒーで、いいですか?」
客の返事も待たずに、男は既に用意してあったポットから、カップにコーヒーを注ぎ始めた。
百合子は上目遣いに頷き、少年の隣に遠慮がちに腰掛けた。
仏頂面の少年は、冷ややかな目を男に向けて言った。
「っていうか、コーヒーしかないじゃん」
男は「まあね」と答え、百合子に苦笑して見せた。
「お名前は、百合子さん? でしたよね?」
「……はい」
コーヒーを注ぎ終わると、男はそっとポットを台に置いた。カップをソーサーに乗せながら、にっこりと微笑んだ。
「スペースから、話は聞いていますよ」
「そうですか。あの」
「なんです?」
百合子は三人をゆっくりと見渡しながら、最後に男に視線を向けた。
「皆さんは……どこから、その……いらしたのですか?」
「冥府ですよ。はい、どうぞ」
男は百合子の前に、慣れた手つきでコーヒーカップを静かに置いた。
「ただ、我々三人は死神ではありません。悪魔と天使が混在していますが、ご心配なく。誰が悪魔で、誰が天使か、だなんて、野暮なことは聞かないでくださいね」
「はあ……分かりました」
「僕はヴァニタス。あなたの隣にいる、その可愛らしい少年はメトゥス。そして」
少年の奥に座っていた金髪の少女が目を輝かせながら、カウンターに身を乗り出した。少女とは言い難い豊満な胸元を、カウンターに乗せて。
「私はパッシオよ。恋愛相談なら任せて。いくらでも手を貸すから」
ヴァニスタは、あくまで穏やかに柔らかく、少女に釘を刺した。
「ダメだよ。手を貸すなんて。僕らの仕事は、彼女の話を聞いてあげること。スペースに、そう言われただろ?」
パッシオと名乗った少女はヴァニスタを指差しながら、不満を露わにして声を荒げる。
「はあ? まず、スペース様の呼び捨て禁止! それに、あんたの上っ面だけの笑顔も、クソにも役に立たないアドバイスも全く必要ないの!」
「まったく言いたい放題だね。いいんだよ。使い魔の君と、幼馴染の僕とでは領分が違うのだから」
赤い髪のメトゥス少年が、呆れた顔で口を挟む。
「話が進まないんだけど」
「これは失礼」
と、ヴァニスタは優雅に微笑んだ。
「では、話を聞こうじゃないですか、皆さん」
居心地が悪そうに座っている百合子に、パッシオがメトゥサの頭越しに冷ややかな視線を送る。
「あなたも黙っていないで、積極的に話に入ってこなきゃ」
若く、確固たる自信を持ち、少女の
表情が曇っていく百合子に、ヴァニスタが優しく声を繋いだ。
「僕は嫌いじゃありませんよ。その奥ゆかしさは、美徳でもあるんですから」
どこか、ジーンに似たヴァニスタの言葉に、百合子は顔を赤らめた。
メトゥサは跳ねる
「ちょろいね」
間髪入れずに、パッシオがメトゥサの肩を揺らした。
椅子が激しくガタガタと鳴っている。
「メトゥスったら! レディに失礼じゃないの!」
メトゥサは、首がガクガクと揺れながらも、嘲笑をたっぷりと含ませ、滑らかに舌を回すした。
「ちょっと男に優しくされたからって、すぐに赤面しちゃう女は、ちょろいんだよ」
低俗な言い争いに業を煮やした百合子は、良くも悪くも、すっかり緊張が解けた。
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