chapter1-3 「樹海に潜む死」
「――はい、どうぞ」
「いただきます」
創は女の子が淹れたコーヒーを飲んだ。
「――美味い……」
「そりゃそうでしょ。私が淹れたんだから」
その子は自慢げに手を腰に当てて胸を張った。
「そう言えば、まだ私の名前教えてなかったわね。私はティアラ。ティアラ・ライトシード。十六歳よ」
「僕は天津創。年は十六歳だよ」
「変わった名前ね。アマツが名前でしょ?」
「いや、ハジメが名前なんだ」
「え!? そうなのっ!? 珍しい~」
やはり異世界だと外国人みたいな名前なんだな。そりゃ僕の名前は珍しいかもな。漢字なんてのもこの世界には無いだろうし。
「それよりもすごいね。その年でお店やってるなんて」
普通ならその年でお店を開くことなんて出来ない。出来てもお金持ちか天才くらいだ。いや、天才だとしてもやはりお金は必要だ。それでもこうしてお店を経営してるなんて、とても同い年には見えない。
「何言ってんのよ。これが普通じゃない」
「そ、そうだよねー。疲れてんのかな~」
本当はとても驚いていた。こっちの世界ではそれが普通だということに。余り余計なことを言うと墓穴を掘ってしまう危険性がある。
「それより、これからあんたどうするのよ。無一文じゃ何も買えないし、馬車にも乗れないじゃない」
「う~ん、問題はそれなんだよね~。……まあ適当にプラプラしてるよ。また何処かに辿り着けるかもしれないしさ」
「流石旅人ね~。よく一人で歩けるもんね。私だったら怖くて出来ないわ」
「あ、あはは……」
本当は僕だって物凄く怖いし、不安だ。いきなり訳の分からない世界に来て、帰る方法も分からない。これが何かの因果だとしても特に何かやった記憶もない。人生何が起こるか分からないということはこういうことなのかと、身をもって実感した。
「――それにしてもあなた、私の知り合いにそっくりね」
「え?」
「顔もそうだけど、何か全体的にっていうか、雰囲気っていうか。どことなく似てるのよね……」
そう言う君も僕が知っている誰かに似ている。でも思い出せない。
創はティアラが誰かに似ていることを感じているのだが、それが誰だか思い出せず、モヤモヤしていた。
「――まぁいいか。自分に似ている人は世界に三人はいるっていうしね。あなたもその内の一人なんでしょ。……って、勝手に決めつけちゃってごめんね」
彼女はウインクをして、ちょこっと舌を出して可愛く謝罪をした。
「別にいいよ。……それより、ここから近くに何か町があったりしない? そろそろ動いてみたいからさ」
「あー、それだったらここから東に行ったところに『ヴィーネ』っていう村があるのよ。小さい村だけどいいとこよ。私の故郷なんだ。いつもそこから通ってるのよ。本当は一緒に行ってやりたいところだけど、一応今から仕事始まるからさ」
「全然いいよ、そんなの。いろいろ教えてもらった挙句、コーヒーまでご馳走になったんだから。それくらい自分で行くよ」
これ以上彼女にお世話になる訳にもいかない。それにしても、出会ったのが彼女で良かった。こんな何処から来たのか分からない者を親切にしてくれるなんて、まさに天使みたいだった。
「そう。お店を出て右にずっと行くと森があるから。そこを抜けると着くわよ」
「何から何までありがとう。それじゃ、コーヒーご馳走様」
そして創はお店を出た。コーヒーだけじゃなく、一緒にホットケーキまでご馳走になった。お腹が空いていた為とても美味しく感じた。
「――ありがとうございましたー」
お店の扉が閉まるその隙間から、彼女の声が聞こえた。創が振り返ると笑顔で手を振っているティアラの姿がある。創も手を振ってお店を後にした。
***
「――さてと。ここが彼女の言っていた森かな」
お店を出る前、ティアラから教えてもらった森は多分目の前にあるので合っているはずなのだが……。
「……樹海?」
森の入り口まで来てみると、それは創の想像していた森とは全く違っていた。入れ口から見ても、変な方向に曲がっている木があったり、中には巨大な木もあった。ツルも所々に垂れているのが分かる。その森はまるで樹海だった。中に光が届いているのかも分からない。
「彼女は毎日ここを通って出勤しているのか? 勇者だな。……モンスターでも出そう……」
しかし、ただそこに突っ立っていても何も始まらないので取り敢えず森に足を踏み入れることにした。
***
「――迷ってしまった……」
森に入って何時間経っただろうか。最初は以外にも順調に進んでいたはずなのだが、中々森から抜け出せない。途中何回か休憩を挟んでいたのだが、もう既に体力が尽きかけていた。
気が付けば空は暗くなり始めていた。元々余り光が入らなかった森がさらに暗くなり、本当に樹海みたくなっている。
「やばいやばい! 早くここを抜けないと何が起こるか分からない!」
創に不安と恐怖が募る。それはただ、暗くなって身動きを取ると危険だからとか、そういうものではなかった。何か危険なものが迫ってくるような。確信はないが、身体の第六感がそう感じていた。『早くここを抜けろ。じゃなきゃ命が危ない』。そう身体が言っているようだった。
「――何だ。お前は?」
「え……?」
暗くてよく見えないが、誰かが前から歩いてきた。やがてその姿がはっきり見えるまでに近づいて来た。
その人物は、黒いロングコートを纏っていた。そして胸元には、青いブローチを身に着けていた。
「お前はこの森に来たのは初めてか?」
「え、あ、はい。初めてです」
「……そうか。ここは初めて訪れる者を永遠に彷徨わせる樹海だ。もし迷ってしまったなら、慌てずもと来た道を引き返すんだ。そうすればこの森は抜けられる」
「あ、そうなんですか! ありがとうござ――」
「ただし、俺がそうさせないけどな」
先程まで親切に教えてくれたその男の雰囲気が変わる。
「え? どういう――ぐっ――あぁっ!」
一瞬、何が起きたか分からなかった。自然と言葉が途中で途切れた。その理由は創の右腕を何か鋭い物で斬られたからだ。
「うっ……くっ……なん……で……」
慌ててもう片方の手で斬られた箇所を抑える。血が指の隙間から流れてくる。その男の方を見ると、その手には剣のようなものが握られていた。
「この樹海を作ったのは俺だからな。脱出方法を教えたのは、お前がもう死ぬからだ。どうせ死ぬからそれを知っても無意味なのだが。せめてもの情けというやつだ」
「……ハァ……ハァ……くっ!」
創はその場から全力で逃げだした。今まで通って来た道を引き返すように。
「……ふん。逃げても無駄だ。俺からは逃げられない」
――嫌だ。怖い。死にたくない。何故、今こんな風になっているのか分からない。でも考えている暇はない。今はただ逃げないと。あれから逃げないと、殺されてしまう。
逃げること以外頭が働かず、ただがむしゃらに走っていた。痛みよりも恐怖が、恐怖よりも死が待っている。だから逃げなくてはならない。
「――必死だな」
「な――あぁぁぁっ!」
今度は脇腹を斬られ、その勢いで創は地面に転がる。腕と同じようにそこから血が大量に流れてくる。
全力で走ったつもりだった。今までの人生で一番速く走ったつもりだった。この男から逃げる為に、死から逃れる為に、走ったつもりだった。それでも、死は追いついてしまう。
「……一体……何なんだよ……お前っ!」
「これから死ぬ奴に教える必要はない。さっき死からの逃げ道を教えてやったんだ。それで十分だろ。今の俺の目的は、ただお前を殺すことだけだ」
男が剣を振り上げる。その剣から創の血が垂れ落ちる。それが振り下ろされるまでが、心臓が鼓動していられる時間。
「……終わりだ」
「くっ!」
死の斬撃が振り下ろされる。恐怖で思わず目を瞑った……しかし、それはいつまで経っても創に襲い掛かることはなかった。少しずつ目を開けていくと、そこに男はいなかった。あるのは見たことのある扉が目の前にあった。
「……え?」
周りを見渡すと、さっきまでの樹海は何処にもなかった。目に映るのは見たことある景色ばかり。
「戻って……来た……?」
そこは家の前の玄関。どうやら、元の世界に戻って来たようだ。
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