2018年4月3日 「さつきの春」
一日一作@ととり
第1話
梅宮さつきは日焼け止め乳液を取り出して手早く顔に塗った。流れる汗でもうすでに効果は薄れてるだろう、SPF120のウォータープルーフ超強力日焼け止めといっても、この球場では効果が薄いに違いない。日焼け止めのコツはまめに塗りなおすことだといわれているが、もうすでに最初に塗ってから5時間経っている、今年の夏も日焼けからは逃れられなかった。
さつきはベンチに戻った。日焼け止めは入念に塗って両手の甲にも塗った。手のひらには塗ってない。ボールが滑るとまずい。こちらの9回表が0点で終わる。さつきたちのチームが一点だけリードしたまま、最終回、守りの9回裏がはじまる。
太陽がまぶしい、日は頂点からやや傾いている。さつきはマウンドに立っていた。キャッチャーに向かって最後の投球練習をする。最初は軽くストレート、次に早いストレート、うん。良い感じだ。自分がまだこの最終回を守る抑えになっていることが信じられない。
コントロールはいいがスタミナがないさつきを一番活かせるのは、抑えしかないという監督の大抜擢だった。ここを一点で逃げ切れば、県大会準優勝だ。最初のバッターが打席に入る。打線は先頭に戻って、一番の芦沢俊也、足が速く器用な選手だ。さつきはふりかぶると、速球をど真ん中に投げた。空振り。次は緩めのストレート、空振り。あっという間にツーストライク。良い感じだ。最後はカーブだ。これは見送られてボール。では、最初のストレートをと思ったら手が滑った。カーンという澄んだ音が響く。ボールは二塁間を抜けてヒット。打者は一塁に止まる。
次の打者は横山景、バントがあるかも知れない。さあ真剣勝負だ、さつきは大きく振りかぶると、腕をしならせ投げた。ストレートでボール、ストライクを狙ったがあれはボールゾーンらしい。なるほど、ではもうちょっと内に寄せよう。もう一球。芦沢は素早くバントの構えをする。巧い!ボールはさつきとキャッチャーの丁度中間を転がる。さつきがボールを掴んで一塁に投げた瞬間、芦沢はヘッドスライディング、バント成功だ。それもセーフティ。二塁と一塁が埋まった。
まずい。さつきは冷や汗が出た。三番は強打者の野田達樹だ。バッティングセンスが抜群によく出塁率が高い。ボール玉で様子を見よう。そう思うと、キャッチャーがカーブでストライクを狙えとサインを送る。なるほどそれは面白いかも。さつきは渾身のカーブを投げた。手が出ない。ワンストライク。次はボール気味のストレート、カン!軽い打球音。高く上がった球は外野が両手を上げて取るポーズ。ワンアウト。
野田を討ち取ってホッとしてる場合ではない。一番手ごわい4番でエースの、斎藤陽介が打席に入る。我がチームはこの投手から二点しか取れなかった。そして奪われた一点は斎藤のソロホームランだ。低めに押さえろとキャッチャーからサインが入る。解っている。低めに一球。ワンバウンド、ボール。気を取り直して、下目インコースぎりぎりの場所にストライクを投げ込む。手が出ない。次は高めのボール、速球だ。見送る。ワンストライク、ツーボール。次は外に落とすフォーク。カン!思ったより内に寄ったボールがバットに当たった。高くのびるボールは外野のフェンスギリギリだ。捕球と同時に塁に出てた走者がスタート、三塁と二塁に到達する。いい犠牲フライになった。ツーアウト。
後一人でこの試合が終わる。さつきは大きく息を吐いた。目の上の汗をぬぐう。“彼女”が出てくるかもしれない。高校野球にして初の女性打者、佐月真理果、相手チームの代打の神様のような存在だ。ホームランを打つ時、多くの打者は「バットが軽かった」という。バットの芯に当たったボールは軽いのだ。そして高くのびる、佐月はボールをバットの芯に当てる名人だった。だから女性の肩でもボールを打ち返せるのだ。
相手のベンチから大きな影が出てきた。佐月真理果、その巨体は、高校生にしてすでに180センチ、がっちりとした肩、やや小太りの身体は女子プロレスのヒール役に合いそうだった。佐月は父親がアフリカ系だという。だから体の構造が日本人と違う。残念ながら足は速くないが、とにかく、バットスイングが速く、選球眼が良い。
さつきは大きく振りかぶった。渾身のストライク。通った。次はボール気味のカーブ、これも見送り、手が出ないのではなく見送ったというのが正しい気がする。それでもツーストライクだ。今度はストレートでボールだ。あっと思った瞬間ボールがやや内側に入った。まずい。さつきがそう思ったのと、カーンという快音が響いたのはほぼ同時だった。
佐月真理果が3点サヨナラホームランを打った。さつきの春が遠のき、佐月の春が決まった瞬間だった。(2018年4月3日 了)
2018年4月3日 「さつきの春」 一日一作@ととり @oneday-onestory
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