ろぼてぃくす!
落雑
第1話
機械化の波は一部の人間の身体を変えた。腕を、足を、臓器を、……脳を。金のある人間はどんどん自分や子どもやらの身体を改造し、脳を積み増しした。商品名としてはサブブレインだのサポートブレインだの様々だったが、どれも人工脳を生身の脳につないだという点では同じだ。
もちろん機械自体の発展も目覚しいものがあった。人工知能はすぐに戦力的な意味で人間を超えた。商品開発、サービス向上、目的があればただそれだけを考え、プライドや人間関係などのわずらわしい私情を挟まない。効率は段違いだった。
「だから俺、頭きちゃうんだってば」
およそ自動化された工場で、男たちは働いていた。プレス機のガコン、ガコンという音が大きく響いている。
「上司はロボット、社長はロボットの頭したニンゲン。あーあー、どーかと思うのよねぇ」
その内の1人が、単純作業をしながら喚いている。結構おじさんだ。
「こんな単純作業、ロボット様より人間どものが安上がりと来たもんだ。いかれてるよ。……お前も一心不乱に働いちゃってるけどさぁ、一刻も早くここ出たいーとか思ってんでしょ?わかるよ?」
話を振られた若い男は黙って聞いていたが、少し目線を上げて言った。
「しばらくはここで働きますよ。脳を買わなきゃならないので」
「脳? あんたも買うんだ? ロボット人間の仲間入り! ああそう!」
喚いていた男は、怒っているとも驚いているともつかない大きな声を出した。
「別に悪かないよ。ただうちの工場に上司として来るのはやめときな、俺は死ぬときはロボットもロボット人間も全員病院送りにするって決めてんだ」
喚きながらも男は手早く作業していく。これだけうるさいのにクビになっていないのは、ひとえにこの男が器用で作業が手早いからだ。
「病院?ロボット人間はともかく、ロボットは病院に行くのか?いやいやいや、ただでさえ病院のベッドが足りないんだ、それを奪うなんて……畜生!ロボット覚えてろよ!」
喚く男の隣で、若い男は何か考えているようだった。手が止まりかけ、また動き、と安定しない。白い人型のロボットが近づいてくる。
「マエダショウイチさん。スピードの30%アップをお願いします」
滑らかな音声でそう言われ、正一ははっとして作業に集中し始める。より早く、正確に、効率よく。
「タハラユウジさん。私語の音量の70%ダウンをお願いします。周囲の人間の作業効率に支障が出ます」
「うるさいならうるさいって言えよなぁもう」
工場には他にも数人の人間が働いているが、喋っているのは田原雄二くらいのものであった。皆、ただ手を動かしている。
「小さい声で喋ってるとむずむずするんだよ、こう、大きい声出せないとさぁ。もやもやするんだって」
言いながらも声量は抑えられている。
叱る、指摘する、という行為を基本的に人工知能・ロボットに任せたのは革命的だ、といわれている。怒りに任せて怒鳴る上司は、効率を下げるだけだった。指摘する際にその具体的な内容と根拠、理由づけなどを、私情を交えず言葉にするのはロボットの得意分野だ。萎縮しがちで成果が伸びなかった人間が、それまでの倍以上の成績を出したと話題にもなった。最近では、コミュニケーションを円滑にするサポートをしてくれる脳も発売されているという。
「効率効率言うけどさぁ、俺は無駄なことしてたいんだよね。海があるなら叫びたい。海のバカヤローって。工場があればもう、工場のバ」
「田原さん」
正一に制され、田原は言葉を引っ込めた。近頃は暴言に厳しい世界になってきている。ある意味では過ごしやすい平和な世界だが、息苦しい部分も多い。
田原雄二の喚き声が大きくなり小さくなり、それが繰り返されるうち、いつもの労働時間も終わった。田原はいち早く帰宅し、正一も荷物を整えた。今日は昔の仲間と食事をする約束をしている。
正一が工場を出ると、すぐに大きな看板が目に入る。曰く、「人間の地位向上」「ロボット殺す」「ロボット人間はロボットの手先 粉砕せよ」「人間の権利を」……荒々しくペンキで書かれている。壊されたロボット……に見える絵もある。それらはおよそ一週間か一ヶ月かのうちに撤去され、数日後にまた立てられている。
正一はそれをぼうっと眺め、大通りに出て行く。先ほどとは打って変わって小綺麗な街並みがあり、田原の言うところの「ロボット人間」が多く歩いている。
脳を積み増しした人間は分かりやすい。頭の後ろに軽量化された機械の脳が直接接続されていたり、もっと高いものだと通信機が付いていて、脳がポケットやらカバンやらに入っている。女性だと、胸部に埋め込む者もいるらしい。……心理としてはわからなくもない。
会社帰りらしき人々の話し声が耳に入る。
「ほんとあの"脳なし"、役立たずだよなぁ」
「脳なしは脳なしなりに考えずに済む働き方してくれよー、こっちも困るんだから」
「いくら他の脳なしよりデフォの脳が性能いいからってなぁ」
「こっちは積んでるんだから、素直に積むか諦めてほしいよなぁ」
「の割に女に人気らしいからもうほんと……」
「マジ? それ初耳なんだけど、馬鹿にされてるだけじゃね?」
「マジだって、こないだ……」
……"脳なし"。いわゆる脳を積み増ししていない人間のことだ。
数的には積み増ししていない人間のが多いはずだし、それで労働の釣り合いは保たれているのだが、脳を積んでいる人間にとっては積んでいる方が一般的に感じられる。そういう人間にとっては、積んでいない人間は異端であり、愚かであり、"脳なし"なのだ。
「俺だって、ほんとは」
正一の小さな呟きは、夜の雑踏にうまく紛れた。
個人経営の小さな居酒屋で、三人は集まって飲んでいた。正一、和也、理沙子。高校時代の友人だ。
「やーでもほんと久しぶりだね。何年振りなんだっけ?一年?」
理沙子は既にかなりテンションが上がっていた。ビールが届いてもいないのに。
「えっとー、去年の四月ごろだから……一年と少しだな!いやー何してた?何してた?」
和也も似たような調子で正一の肩をばんばん叩いている。少し疲れた顔をして、正一は調子をあわせた。
「正一は相変わらずなのか?」
「うん。まあ、ぼちぼち」
「こんな時代だしさ、色々風当たり強いかもしんないけど、私たち応援してるんだから!なんでも言ってよね」
「うん」
「飯とか食いに来いよ!おれチャーハンだけは作るのうまいんだから!」
「うん」
「正一」
「うん?」
「なんか、元気ないね」
「うん……」
視線を落とす正一に、二人は声をかける。
「そんなへこむなよー、なんかあったのか?」
「何でも聞くよ、ここだとってんならうちで飲みなおせばいいしさ」
「理沙子の?」
「あ……」
理沙子と和也は、顔を見合わせた。
「いつ言おうか悩んでたんだけどさ、俺たち結婚するんだ。一週間前にまたこっちに越してきたんだ」
照れたように笑う和也。正一は少し驚いた顔で固まったが、すぐに口が動く。
「え、いつのまに」
「ずっと二人で話してはいたんだけどさ、やっぱりこっちが便利だし、そうこうしてるうちにこっちに転勤になったし。中町も悪かないけど、やっぱりこっちのが、ね。正一もいるんだし」
理沙子も、和也ほどではないが口が緩んでいる。二人の幸せそうな雰囲気に、正一は少し身を引いた。
「そっか。騒がしいと思うけど……」
「ううん。生まれ育った町だもん。過ごしやすいよ」
「それもそうか」
頼んだ料理も大方皿が空き、ジョッキも空になった。三人は誰からともなく席を立ち、会計をする。
「ね、うち寄ってく?」
店を出た途端、理沙子は正一に言った。
「え、でも」
「寄ってけよ、正一。なんか浮かない顔してるし、俺たちだから話せることもあるんじゃねえの?」
「……ごめん、今日はちょっと話せそうになくて」
「あ、ひょっとして今小説考えてる? それなら邪魔するのもあれか……て正一? 正一!」
和也の声を聞き、正一はその場から逃げた。弁がたつ人間ならどう話せないか言えただろうし、今和也が小説の話題を出したことがなぜ不愉快だったか言えるだろう。正一の頭の中では無数にセンテンスが作られている。和也と理沙子の頭についた機械の脳は、いやに光って見えたし、二人の夫婦としての雰囲気はあまりにあたたかいもので、正一の冷えた心は更に冷え切ってしまうようだった。でもそれらを声に出すことは出来ない。それは文字であって、文章であって、台詞ではないのだ。
部屋に戻って正一はため息をついた。服を適当なものに着替え、パソコンの電源を入れる。起動するのを待ちつつやかんで湯を沸かした。工場で働いて、帰ったらカップ麺を啜りながら小説を書く。我ながらどうしようもない生活をしている、と正一は思った。もう随分親と連絡を取っていない。時折連絡する友人といえば和也と理沙子くらいのものだ。
パソコンが起動したら、テキストアプリを立ち上げてひたすら打ち込む。頭の中に既に原稿はあるのだ。……しかし。
ある程度打ち込むと正一は固まる。唇を噛む。そのまま文章を保存してパソコンを閉じた。カップ麺のフタを開けると、うどんが伸びていた。柔らかくなったうどんに正一は一味唐辛子を振った。四回か五回か振ってから、また四回か五回振った。別にその方が美味しいとか好きだとか関係なく、そういう気分なだけだ。むせながら、涙を溜めながらうどんを啜る。
(なんだってこんなことしてるんだろう)
涙を拭ってパソコンを開く。正一はいつものように、外付け脳の値段を検索した。数年前のことを考えると安いが、新車のいいのが買えるくらいの値段だ。しかし以前は外付け脳自体の値段は高かったものの、国や会社から多額の補助金が出ていた。今はむしろ税がかかる。無論今でも条件を満たせば補助金はもらえるが、正一はどの条件にも当てはまりそうになかった。
「……ちくしょう」
うどんが辛い。ただ単に辛い。
腹いせに格安で買える外付け脳の検索をしてみたが、明らかに怪しいページしか出てこない。国からライセンスを受けていない会社や個人が作っているものには、流石に手を出せなかった。
もっとも、正一にはもうそんなことを言っている余裕は無いのかもしれないが。
これまでの給料から、あとどれくらい働けば外付け脳が買えるか計算したことはなかった。そんなことをしてしまえば、気が狂ってしまうのではないかと正一は思った。まだしばらくは働く、なんてことを今日言ったが、そんな生易しいものではないだろう。
図書館で借りてきた本を読みながら、正一は眠りについた。
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