第6話

 幾ら彼女を知る人間が「有り得ない」「間違いだ」と言ってもですよ。結局は映像で証拠が残っているんだ、揺るぎない事実があるんです。こんなのはよくある事です、「有り得ない」事件なんて、一つも無いのですよ。


                    ――長間光二(コメンテーター)――




 遠く離れた異地……遙か昔に「トラデオ」と呼ばれた場所で、一人の女が揺り椅子に座り微睡んでいた。彼女は超常的能力を持った存在――魔女として生を享け、旅し、戦い、この日まで生きて来た。


 魔女は数年前、重傷を負った行き倒れの女を介抱し、魔術を以てして「治療」を施した事がある。女は我欲の為に夥しい罪を重ね、本来持っていた純心を蝕まれていたが、魔女の説得により「生まれ変わる」と言い残し、何処かへと去って行った。


 時折、魔女はその女の事を考える。彼女が一人の「人間」に対し、ここまで時間を割くのはであった。一度目はかつて一国を救った魔女と共にいた少年である、彼程興味深く、また哀れな者はいなかった。


 そして二度目……「阿桑田ユリカ」という女もまた、であった。成人しているとはいえ、魔女にとって人間など「大小」の区別は無い。皆が少年であり、皆が少女に過ぎないのだ。


 この日も、いつもと同じように……ギィギィと揺れる椅子の音に、魔女は安らかな表情で耳を傾けていた。


 その矢先である。


 魔女の背中に悪寒が走った。


 即座に飛び起きた彼女は、崩れ掛けの家を出て「悪寒」の発生源を探す。何者かのが原因に違い無かった。彼女は「波動」を用いる特異な魔女である、人間の持つ精神が揺らぎを見せれば、例えば大まかな位置や「その者の正体」を察知出来た。


 悪寒の原因は「突風のような怒り」であった。


 同じ魔女か? それとも何か――彼女は更に特定を急ぐ。


 感じ取れる波動は、次第に魔女の脳内で輪郭を生み出す。ボンヤリと煙のような輪郭は、段々と人間の姿になり……。




 愚かで哀れな少女、その姿と重なった。




「……駄目だ、そんなの駄目だっ!」


 魔女は顔を青ざめ、納屋代わりの隣家から杖を引っ張り出して来た。杖で地面に半径二メートル程の円を描き、彼女の一族に伝わる「秘匿文字」を急いて書き込んでいく。


 元来……彼女は転移術程度なら、このようななど不要である。しかしながら最近は魔力――波動の減退が著しく、紋様の補助が無ければ「失敗」すら出来なかった。


「出来たっ!」


 次に魔女は最終段階、波動の封入へと移る。この所作が一番面倒であり――時間の掛かるものだった。




 人知れぬ土地で、魔女が自身の身を案じている事など知らず……。


 ユリカは血走った双眼を見開き、仇敵である香菜代の殺害へと踏み切った。


 手にする拳銃を構え、全力で香菜代の方へ駆けて行く。対する香菜代は「恐怖」を振り切って跳び上がると、巨木の木肌へヤモリのように張り付いた。指先、踵から伸びる拡張爪がしっかりと身体を固定する。


 鋼鉄の爬虫類を殺傷すべく、ユリカは躊躇いも無く発砲を開始する。正確に香菜代の頭部へ撃ち込まれる銃弾も、しかし高機動を可能とする香菜代は次の樹木、次の樹木と回避してしまう。ビシ、ビシと数瞬遅れで樹皮が吹き飛ぶ様子に――。


 もう、引き金を引くだけでは殺セナイ――。


 ユリカは「一つの覚悟」を決め、発砲を取り止めた。


「……撃たない? 目を閉じた?」


 不可解なユリカの行動を、五メートル先の樹木から認めた香菜代。しかしながら動きを止めれば、途端に全身を包む「恐怖」に襲われるのは明白であり、香菜代は木肌を蹴り、弾丸のような速度でユリカに強襲を仕掛ける。


 首筋、もしくは鎖骨を穿つ!


 凶悪な拡張爪がギラリと輝く。残り二メートル、一メートル……柔肌を貫く瞬間は目の前だった。


 この装甲なら、多少の着弾も耐えられる! 香菜代は右腕を伸ばした。


「……うっ!?」


 一瞬の閃光があり、それからが木霊した。


 金属同士の激突時に鳴る音……。仮に小さな拳銃を防御に使用されても、香菜代は破壊もしくは押し切る事が可能と踏んでいた。現にユリカの足下は三〇センチメートルも後方に押され、地面が抉られてもいた。


 今、香菜代の刺突を迎え撃ったのは――突如として姿を現した「銃剣型の武装」であった。一見は細身のライフルに似ているが……。


 元の世界とは全く硬度も重量も違う、まさに「阿桑田ユリカの為に生み出された」特製品であった。それに輪を掛けてもたらされる、執行用特殊外套の身体能力向上効果――。




 鎧が、何だって言うのよ。




 ユリカは呟くと、身体をほぼ真横に移動させた。瞬き程度の時間……無防備となった香菜代の顔を目掛け、一気に腰の捻りを加え、台尻を思い切りに叩き付けたのである。


 強い衝撃が香菜代を襲う。少しだけ眩んだ彼女を、しかしユリカは放って置く訳が無かった。


 夫――孝行が両断を試みた首元を目掛け、呼吸、動作を完全に複合した「刺突撃」を敢行したのである。


「……げぇっ」


 それでも香菜代の装甲を貫く事は出来ない。出来はしなかったが……。


 水平に近い角度で一点を穿つユリカの突撃は、香菜代の喉元を局所的な衝撃により――。


 しばらくの呼吸困難を生じさせた。この隙をユリカは喜び、すかさず「引き金」を引いたのである。


 炸裂音が響いた。至近距離で放たれた銃弾は、香菜代を後方一〇メートルまで吹き飛ばした。


って言っているでしょう」


 撃てるのよ、いつでも。


 遊底を引き、ユリカは一気に間合いを詰めた。

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