走馬灯を抱く男

 男はぼやけた頭で「彼女」を感じ取っていた。しかしながら……不思議にも「彼女」を思い出す時、二人の女性が重なるのだった。


 どちらも美しい女性であったが、一方は獣の耳と尾を持つ獣人であり、彼女の方がより大きく、そして眩く目の前に現れた。


 男はゆっくりと手を伸ばす。二人の女性は同時に彼の手を取ろうとするが、獣人の方はもう片方の女性に抑え込まれ、泣きながら消えて行った。


 果たして女性は微笑み、男に抱き着いた。


 温かく、幸せだった。それでいて――虚無感が男を包んだ。


 違う、何かが違う。俺が本当に愛した女性は、本当に護りたかった女性は――。


 やがて男に抱き着く女性の身体が、泡のように消失してしまうと……矢継ぎ早に獣人の「声」が聞こえて来た。




 は、はい、何でしょうか……あの、早くお願いします。


 良かった、気が付いたようで……。あの、この前……ふもとでお会いした方、ですよね?


 ……キティーナ。私はキティーナといいます。


 頑張りましたね! 明日はもっと歩けますよ。さあ、食事にしましょう。


 たまに、ノグチさんが苦しそうな声を上げるので……大丈夫、大丈夫だよ……って、胸を擦ってあげるんです。そうするとノグチさんは……フゥって息を吐いて、寝ちゃうんです。


 もう、暮らしているじゃないですか。


 それほど私を心配してくれるなんて……ノグチさんと一緒なら、何処へでも行きます。


 主人がお世話になっています、さあ、どうぞこちらへ。


 ノグチさん、今――幸せですか。


 楽しみですね、お祭り。


 や……やだ……嫌だ……! お願い、……何処も行かないで、もう独りにしないで……。


 ……貴方も泣いているじゃない……。これからはもっともーっと……大変なのに。……フフッ、大丈夫よ……ちゃんと、『お父さん』と『お母さん』が護ってあげますからね? だから……安心して、大きくなってね――。


 私達、何だか……狂っていくみたい……。


 私ヲ裏切ルノ。


 私ね――とっても、幸せでした。


 こんな奥さんでごめんなさい。


 こんな女でごめんなさい。


 生まれて来て、ごめんなさい。


 貴方を愛してしまって、ごめんなさい――。




 キティーナ、キティーナ……男は叫んだ。


 俺を赦すな、決して赦すな。どうか来世では、俺よりも良い男を見付けるんだぞ。俺のような浮気者に、最低な野郎に――二度と引っ掛かるなよ。


 無責任かつ、独り善がりな懇願であった。


 全てを言い終え、男は自分の情け無さ、心の弱さに涙した。




 神様、来世は虫けらにでもしてください。いえ、もう輪廻という輪から外してくださって構いません。私は愚かで最低な人間です。最早キティーナの幸せを願う事すら烏滸がましく――。




 蹲る男の肩を、ソッと揺する者がいた。


 男が振り返る。同時に目を見開き、驚嘆した。彼が心底求め、そして裏切った女性――キティーナがそこにいた。


 キティーナは涙を流し、キッと男を睨め付けて……思い切りに頬を叩いた。


 キティーナは泣きじゃくりながら、男の肩を揺すった。




 酷い、酷いわ貴方。勝手に話を終わらせないでよ。勝手に私の幸せを決めないでよ。私の幸せは私が決める、馬鹿、馬鹿。貴方の為に――




 泣き喚くキティーナの後ろから、小さな獣の耳が立った。キティーナの服を掴み、恐る恐る現れた幼女は、まさしくキティーナの「胎内で息絶えた娘」であった。


 お父さん――娘は男に飛び付き、小さな尾を左右に力一杯振った。




 ねぇ、もう何処にも行かないでしょう、お父さん。お母さんね、ずっと我慢していたんだよ、私もね、一杯我慢していたんだよ。でもね、でもね、私も強いからね、お母さんに「大丈夫だよ」って言ったんだ。


 ねぇ、お父さん。ずっと三人でいるでしょう? いつも、いつまでも、何処でも三人でいるんでしょう?




 男は娘を抱き抱え、キティーナの隣に立たせると――二人を纏めて抱き締め、子供のように泣き始めた。


 俺も一緒にいて良いのか?


 その問い掛けにキティーナは何度も頷き、娘は笑顔で返した。


 ずっと一緒だよ、お父さん!

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