第16話

 運悪く、決着を着けられなかった仇敵と次回に出会う際、決して「前回」を思う事無きよう。そのような馬鹿者は、須く血を流す羽目になる。


                  ――マンブル・ナゲロイ(国文学者)――




 元来……平川は記憶力が優れ、他人の好物や性格を忘れる事の無い男であった。例えば、ある友人と居酒屋に繰り出すとする。「何処に行こうか」と繁華街を練り歩く最中、コッソリと平川は友人の好み――この場合、酒の嗜好や苦手な食べ物の有無――を、軒を連ねる居酒屋と照らし合わせ、合致した店へ「偶然」を装い、勧めるのである。


 何だ、よく俺の好き嫌いを憶えていたなぁ――平川が酒席で頻繁に掛けられる言葉であった。


 この記憶力、心配りは平穏時に役立つだけでは無く……むしろ「闘争」の場面に輝くのである。


 前回、平川は孝行と死闘を繰り広げ、遂には止めを刺されず、そのまま逃げられてしまうといった失態を犯している。非常に苦く、思い出したくも無いこの失敗が、しかし平川の記憶に「ノグチは刀剣術に長け、キティーナと連携攻撃を行う」と刻み付けた。


 もし、次回ノグチと戦う事があれば――狩猟刀とキティーナに留意し、行動を起こす前に叩くべきだ。


 丹念に創り上げ、大事に抱える「鉄則」は、平川に安心感と必勝感を大量に与えた――はず、であった。


 今……平川は「違和感」というよりは「焦燥感」に近いものを纏い、空中より孝行を袈裟斬りに処さんとしている。




 猛獣に変化するキティーナはいない。それは良い。以前のように大量の汗を掻かなくて済むから。しかし――ノグチよ、何故お前はしないのだ?




 刻一刻と近付く、仇敵ノグチタカユキの顔。一度は憎み、一度は懐かしみ、果たして嫌悪したその顔が……恐怖におののく事も無く、かといって焦る訳でも絶望に笑う訳でも無い。


 唯々、無表情を貫くのが平川には理解出来ない。


 さぁノグチ。ほんの少しで刀身はお前を斬り裂くぞ。動け、動け、動け――頼むから動け!


「……っ!」


 遂に振り下ろされた平川の狩猟刀。照明に輝く滑らかな刀身は、確実に孝行の首元へ迫って行く。


 固く柄を握る平川の両手を――ようやく一瞥した孝行。それから彼は不可解にも、瞼を閉じたのである。


 火花が散る間も無い、砂粒程の時間の中で……孝行は呟いた。


「変わるのは、人間だけじゃない」


 平川は目撃した。孝行の手が腰部へと向かわず、不思議にも胸元へ伸びたのを。平川は訝しんだ。ナイフか何かを出すのか、と。


 そして……平川は驚愕した。黒光りする「鉄の何か」が、自身へと向けられた事に。


 無意識のような、弾みに似た疑問を平川は抱いた。




 お前、を使っているのか――?




 孝行の指は激しく引き金を引いた。途端に銃口は小さな閃光を生み出し、中心から「銃弾」が射出される。


 ごく普通の銃弾では無い。補足すれば――孝行の使用した拳銃は、平川の考える「普通の拳銃」では無かった。


「あっ――」


 平川の口から飛び出す驚嘆は、やがて声にならない悲鳴へと変わり行く。


 彼の両手を目掛けて飛来した銃弾――それは孝行を心より愛する女、阿桑田ユリカが重宝する「極小の徹甲弾」であった。この銃弾をユリカは、例えば建物や城壁といった「物体」に使用する事は少なく、専ら「人体」へ使用していた。


 理由は明白――簡単に命を奪えるからだ。


「……うぅ……! がっあぁあぁ……!」


 如何せん拳銃を使い慣れない孝行のか、平川は幸いにも「両手の欠損」だけで済ませられた。ドサリと落下する平川を躱し、孝行はようやく腰を上げた。


「ヒラカワ……まさかお前、俺が狩猟刀を使うとでも思ったのか?」


 呆れ顔で孝行が問うも、激烈な痛みと失血による混乱に襲われた平川は、言葉を喋れない獣のように……幾度もフーフーと唸るだけだった。


 痛い、痛い、痛い! いや、待て――それだけじゃ無い!


 孝行の質問に答える前に、平川は震える声で「妻」の名を呼んだ。


「……ルクルク!」


 はーい。


 声が聞こえた。


 聞き慣れた声では無かった。


 直接心臓を撫で回すような、冷たく不気味な声色の持ち主を平川は知っていた。


「……なんちゃって。申し訳ありません、平川さん。ルクルクさんはお答え出来る状況では無いので、代わりに私が返しました」


 お連れしますね――ユリカの明るい声の後、何かを引き摺る音が平川の後ろから迫る。


「はい、


 ゴン、と重たげな音を立て……平川の傍に「ルクルク」が転がった。


「…………ア……ナ……タ」


 美しい褐色の肌を濡らす赤黒い液体は、ルクルクの首筋からトクトクと流れ出している。同じく横たわる平川の鼻に、強い鉄の臭いを感じさせた。


「私、余りナイフは得意では無いので……その為でしょうか。ルクルクさんは、まだ『お別れ』の挨拶が出来るかもしれません。怪我の功名、ですね」


 ユリカはナイフを床に捨て、孝行から拳銃を受け取った。


「孝行、一応調整はしておいたけど……ごめんなさい、まだ完全ではありませんね……」


「いや、俺の腕の問題だ。調整が原因では無いさ」


「……優しいのですね、孝行。……では、私達もそろそろ……」


 そうだな、後はお前が――。


 孝行とユリカの「平常じみた」会話を掠れた意識で聞きながら、平川は渾身の力で立ち上がろうとしたが……。


 あえなく虚脱感に敗北し、やはりその場で倒れ込んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る